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ウォールストリートジャーナル 2016 年 5 月 17 日 13:21 JST By ANDREW BROWNE
http://jp.wsj.com/articles/SB11084297532868194328904582071411317758128?mod=WSJJP_hpp_RIGHTTopStoriesFirst
習主席が利用する毛沢東のレガシー
●習近平国家主席は毛沢東とは明らかに違う戦術を使いながらも、就任後の3年間を毛沢東のレガシーを蘇らせることに費やしてきた ILLUSTRATION: MARC BURCKHARDT
50年前の5月16日、毛沢東は共産党組織の上から下までたたきのめすことを狙った攻撃を開始した。
党員が資本主義に走っているというのがその理由だった。
毛沢東は人民日報に有名な「司令部を砲撃せよ!」と題した論文を書き、民衆を扇動した。
数百万人もの熱狂的な若い支持者がこれに呼応し、毛沢東の紅衛兵になった。
こうして文化大革命は始まり、毛沢東が死亡する1976年までの10年間、大量の流血を伴う蛮行は続いた。
これは習近平国家主席による今日の戦術とはかけ離れている。
習氏は、共産党を消滅させかねないと恐れる病弊
――腐敗、道徳の退廃、大義のために戦おうという意志の欠落――
を党から一掃しようと試みてきた。
彼の対処法は高いところから厳格な命令を下し、批判を抑え
――党員は「不適切な議論」を禁止されている――
それがどれだけ穏健であろうと組織立った反発勢力をつぶすことだ。
厳格な検閲はインターネット上の議論も黙らせてきた。
だが、こうした明らかな違いにもかかわらず、
習氏は就任後最初の3年間を毛沢東をよみがえらせることに費やしてきた。
毛沢東の言葉を借り、彼のやり方をまねた。
権力を自分一人の手の内に集中させ、個人崇拝の機運を盛り立ててきた。
個人崇拝は文化大革命の最も恐ろしいシンボルであり、
最高指導者に対する盲目的な忠誠心は長年にわたる手に負えない暴力をあおる源泉でもあった。
文化大革命で150万人の中国人が殴り殺され、自殺に追い込まれ、紅衛兵同士の衝突で死亡した。
今日の中国は文化大革命が再び始まるような状況に近づいているわけでは全くない。
精神的な禍根を残すことになったこの時代から50年という節目を迎えたことは、中国の政界では黙殺されている。
中国の指導部は「文化大革命を恐れている」と、歴史家のフランク・ディケーター氏は話す。
「一般市民に発言の機会を与えれば、同じことが起こりかねないと考えている」
だが、毛沢東の根強い影響力の矛盾は残る。
予想に反して、文化大革命が始まって半世紀後のいま、自らを「偉大なるかじ取り」と称した毛沢東は、再びこの国の政界のなかで最も強い影響力を持つに至っている。
では、具体的に彼のどういった政治レガシー(遺産)を習氏は取り戻そうとしているのだろうか。
毛沢東はあらゆる不利な状況のなかで内戦に勝利し、国民党政権を台湾に追いやり、中国を統一した。
だが、2つのアヘン戦争以降の帝国主義諸国との戦いをすべて合わせた数を上回る犠牲者と苦悩を国に負わせた人物でもある。
毛沢東は1950年代に「大躍進」政策を導入した。
これは豊かな西側諸国に追いつくための政策だったが、大飢饉(ききん)を招く結果となり3000万~4000万人もの国民が餓死した。
毛沢東は現人神(あらひとがみ)でもあり、悪魔でもあった。
毛沢東は晩年、甘い自己評価を示した。
10本の指のうち、良かった指は「9本」で悪かったのは「1本」だと言った。
毛沢東によって2度粛清されたことのある鄧小平の評価はもっと辛く、
毛沢東の「70%は正しく、30%は過ち」
というものだった。
1981年にまとめられた共産党の資料には、
文化大革命の責任は主に毛沢東にある
と記されている。
だが現在の中国のリーダーである習氏は、毛沢東のかつての側近だった実父の習仲勲(故人)が文化大革命で粛清され、異母きょうだいが自殺に追い込まれたにもかかわらず、毛沢東を中傷すべき人物としては見ていない。
習氏自身も農民から学ぶようにと地方に追放された1800万人の若者の一人だった。
習氏は毛沢東の30年に及ぶ統治を否定するのは受け入れがたいと述べている。
その後に続いた鄧小平の30年についても同様だ。
習氏は発作的な大量殺人と破壊が行われた時代と、
人類史上で類いまれな経済発展を遂げた圧倒的に平和な時代とを、
対等に並べて見せている。
事情に疎いアウトサイダーは、習氏がなぜ、20世紀で最悪の独裁者の一人である毛沢東をそれほど公平な目でみているのか不思議に思うかもしれない。
だが、中国という文脈で考えた場合、これはある意味で理にかなうものだ。
習氏と毛沢東との関係を理解するうえでカギとなるのは、かつての封建主義国家でいまだに存在する世襲の特権だ。
紅衛兵は以前、こうした言い方をしていた。
「ヒーローの息子は本当の男だ。
反動分子の息子はろくでなしだ」
と。
習氏の父親はヒーローだった。
しかもそれは毛沢東のおかげだった。
つまり、毛沢東に近い同志だった「紅貴族」の一人として今の習氏があるのも、いわば毛沢東のおかげなのだ(ただし紅貴族はひどい扱いを受けた)。
中国陝西省の農村での滞在を少年だった習氏に強要したのも毛沢東だ。
習氏は現地の洞窟で暮らし、政治家としてのスタートを切った。
だが何よりも、経済が劇的に減速している今、民衆の士気を向上させ、共産党にプライドを植え付けることを目指す習氏の物語「チャイナドリーム」で主役を務めているのが毛沢東なのだ。
天安門の楼上で建国を宣言した愛国者としての「ヒーロー版」毛沢東である。
物語はアヘン戦争と日本や西側諸国による「恥辱の世紀」から始まり、1949年の毛沢東による革命を経て、「中国の偉大なる再生」へと展開していく。
毛沢東なしでは、物語は瓦解(がかい)する。
毛沢東は習氏にとって、旧ソ連に降りかかった運命から中国共産党を救済するための最高の――そしておそらく最後の――希望だ。
この国家再建の年代記に磨きをかけるなかで、習氏は慎重に毛沢東のレガシーを選んでいる。
カオスを生じさせた毛沢東ではなく、ヒーローとしての毛沢東を習氏は求めている。
同胞の死や苦悩にあまりに無関心に見える毛沢東ではなく、愛国者としての毛沢東を求めている。
だが、毛沢東の時代をそれほどきれいに分けることはできない。
中国人、特に知識人は、自分たちの指導者が「火遊び」に興じているのではないかと懸念している。
●文化大革命から50年-写真に残る記憶
1966年5月に始まった中国の文化大革命から今年で50年。
建国の父と呼ばれる毛沢東が起こしたこの権力闘争は10年続き、多くの指導者や知識人を含む150万人が死亡。
数百万の人が地方に追放された。
当時の様子を写真で振り返る。
習氏の「チャイナドリーム」は、1億人もの中国人に精神的痛手を負わせることになった文化大革命に関する沈黙と秘密、プロパガンダに大きく依存している。
当局はこの時代に関する公の議論を許可しないだろう。
毛沢東の評価を下げ、共産党の正統性を損ないかねないとの恐れからだ。
天安門広場にある国家博物館には、文化大革命に関する展示は1つしかない。
天安門広場で大規模な集会を開いた紅衛兵の写真だ。
この写真は広々とした展示室の高い隅に展示されている。
多くの中国人にとって、その記憶はつらすぎる。
人々は苦痛を受けることと苦痛を与えることの両方を経験したこの時代を忘れたいと思っている。
年月がたつに連れて、記憶は選択的になる。
中国の急速な成長に取り残された都市部の貧困層などにとって、
毛沢東はより純粋で平等かつ腐敗の少ない時代の象徴だ。
このノスタルジアは、当時の踊りや「大海航行靠舵手」のような革命歌に対する今日の民衆の強い関心を駆り立てる。
共産党は神経をとがらせているが、こうした民衆は毛沢東の復活を歓迎している。
習氏が最も望ましくないと考えていることは、
毛沢東がこうした「取り残され組」の抗議活動のシンボルになることだ。
毛沢東と異なり、習氏は革命時のカリスマとしてではなく、政策手腕つまり経済成長を国にもたらす能力で評価されることになるだろう。
彼は建国から1世紀という節目に当たる2049年までに「適度に豊かな社会」を確立すると約束している。
毛沢東は日々の行政には口をはさまなかったが、習氏は経済や国の安全保障、国防、サイバーセキュリティーなど、あらゆる細部に目を配るマイクロマネジャーだ。
現在、習氏の個人崇拝として通るものは実はささやかなものだ。
「習おじさん」にこびへつらう文言はネット上で出回っているが、習氏の著書「習近平談治国理政」は本屋の棚に山積みになっている。
共産党の機関紙「人民日報」に掲載される習氏称賛の見出しに関心を持つ国民もほとんどいない。
毛沢東の個人崇拝は全く程度が違った。
その絶頂期には「毛沢東語録」のカバーを製造するプラスチックの需要が多いため、おもちゃ工場は生産量削減を強いられたほか、毛沢東のバッジは50億個も製造され、アルミニウムの供給量を使い果たしたほどだった――。
歴史家のディケーター氏は著作「The Cultural Revolution: A People’s History, 1962-1976」の中でそう記している。
過去に類似するものとしてより重要なことは、共産党が初期の頃に使っていたような問題解決策を習氏が求める傾向にあることだ。
政府関係者による汚職撲滅のため、習氏は弁護士や検察官ではなく、共産党独自のスパイや尋問官を放っている。
毛沢東と同様に、習氏は人々の本質を変え行動を改めさせるうえで、制度上の制約による力ではなく、イデオロギーの力のほうが有効であると信じている。
自己批判と公の場での告白という、恥ずかしい思いをさせ、共産党の党是に追従させるために編み出された毛沢東時代のテクニックが復活した。
中国共産党には常に、外国に対する嫌悪が底流にあった。
それも再び、ひそかに戻りつつある。
中国の女性公務員に外国のスパイに気をつけるよう促す「危険な愛」と題されたポスターには、赤毛の「デービッド」に政府の機密情報を手渡す、うぶな女性が描かれている。
中国はますます、欧米諸国とイデオロギー面で対立する構図の中で自らをとらえるようになっている。
共産党中央委員会の機関誌「求是」は先月、習氏の発言として、中国人の一部が「無意識のうちに欧米諸国の資本主義の吹聴者になっている」と伝えた。
習氏の経済政策にも毛沢東のしるしがついている。
毛時代の計画経済の岩盤だった国有企業の増強を習氏は主張している。
たとえそれが大きな損害を出し、国の経済にとって多大な負担になるとしてもだ。
文化大革命後の数十年の間に、イデオロギーはもはや国内では重要視されていないとの見方が海外で根付いてきた。
鄧小平がそれを葬り去ったはずであるし、毛沢東は無害な文化的象徴になった。
紙幣には彼の笑顔が印刷され、肖像画は天安門広場を見下ろしている。
中国の指導者たちが何を信じているのかという点では、テクノクラート(技術官僚)が政策を担う未来だと考えられてきた。
中国人は経済成長を一枚岩で目指す実践主義者になったと思われていた。
鄧小平はかつて「黒いネコでも白いネコでも、ネズミをとるのが良いネコだ」と言ったはずではなかったか。
中国の生活水準が他の現代国家に追いつけば、政治システムも変貌し始めると想像する向きも欧米諸国にはいた。
だがこの見方は間違っていた。
中国は習氏の下では、数十年前の毛沢東時代と同様に、独自の論理と力を備えた共産主義の考えにいまだに支配されている。
文化大革命は生き続けているのだ。
(筆者のアンドリュー・ブラウンはWSJ中国担当コラムニスト)
』
Record china 配信日時:2016年5月17日(火) 10時50分
http://www.recordchina.co.jp/a138771.html
文化大革命から50年を迎えた中国、
公式行事や報道はなく沈黙守る―英紙
2016年5月16日、英紙ガーディアンは、中国は文化大革命が始まった日から50年を迎えたが、中国国内では公式行事もなく、メディアの報道もなかったと報じた。
中国では16日、国内を大混乱に陥れた文化大革命が始まった日から50年を迎えたが、中国メディアは文革について報道がなかった。
同日の環球時報では、米国防総省が南シナ海において中国が海洋活動を強硬に進めているとする内容の報告書を発表したことについて中国政府が怒りを表明したことが報じられていたほか、別の中国紙は一面で、行方不明の子供の捜索に尽力する警察について詳細に報じていたと伝えている。
また、公式行事も行われなかったほか、中国当局は学者らが文革に関して発言することを禁止しているという。
この報道に、欧米のネットユーザーからは
「たくさんの人々が犠牲になった出来事については沈黙を守るのが最善の方法だろうね」
「私たちはなぜそんな国の人々と貿易しているのか、誰か私に思い出させてくれ」
「別の独裁政権による悲惨な社会ということだ」
といったコメントが寄せられている。
』
ニューズウイーク 2016年5月16日(月)16時40分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/5056_1.php
文革50周年と「フラワーズ56」の怪?
――習近平政権に潜むリスク
●今も影響力を持つ毛沢東(四川省の博物館で) Kim Kyung-Hoon-REUTERS
本日5月16日は約2000万人の犠牲者を出した文化大革命開始50周年に当たる。5月2日にフラワーズ56という少女合唱団が人民大会堂で公演し「紅い歌」を熱唱した。
習近平讃歌を含めて装いながら、文革を礼賛していると議論が沸騰している。
■フラワーズ56が人民大会堂で「紅い歌」
2015年5月に、中国で「56の花束」という少女合唱団(アイドルグループ)が名乗りを上げた。
日本では「フラワーズ56」と呼ばれている。
平均年齢16歳で、中国の56の民族を表すという。
日本のAKB48を真似たものだ。
そのフラワーズ56が5月2日に人民大会堂で「希望の田野において」という公演を開催し、30曲からなる「紅い歌」を熱唱した。
ところが、その曲目と演出および主催団体に関して問題が起き、中国内で激しい議論を呼んでいる。
まず曲目。
「共産党がなければ新中国はない」(1943年)や「団結こそは力だ」(1943年)という、新中国(中華人民共和国)黎明期に熱烈に歌われた革命歌を歌うのは、まあ、いいだろう。
ところが、文化大革命(1966年~1967年)(文革)の主題歌とも言える「大海航行靠舵手(大海の航行は舵取りに頼る)」(1964年)までもが歌われている。
「舵取り」は、もちろん指導者「毛沢東」のこと。
しかも、当日の公演の他の静止画面をご覧いただければ分かるように、文革時代の毛沢東の映像が何度も映し出されている。
誰が見ても、文革を彷彿とさせ、しかも文革を礼賛しているとしか思えない。
「大海航行靠舵手」などは、文革を総括するに当たり、歌ってはならない歌と指定されている歌曲だ。
二度と再び文革のような過ちを繰り返さないために、文革終息後、中国共産党中央委員会(第11期三中全会や六中全会)で決議された。
個人崇拝も同時に禁止することを決議している。
したがって習近平もまた、この党の決議に従って文革の再来を警戒している。
文革に関しては絶対に反対のはずだ。
だからこそ温家宝元首相が「第二の文革の可能性がある」として薄熙来を批判し、薄熙来を失脚させることに賛成票を投じている(2012年3月8日)。
だというのに、習近平国家主席は毛沢東回帰していて、個人崇拝を煽っているではないかという批判が中国国内にもある。
だからなおさら習近平としては、文革礼賛をしてもらっては困るし、ましていわんや「毛沢東礼賛+文革礼賛」の中に「習近平礼賛」を織り込まれては困るのである。
今回の公演は、習近平のその窮地(弱点)を、「誰かが」うまく利用した形になっているように見える。
■「習近平讃歌」をまぎれ込ませた
実は曲目の中には3曲ほど、習近平讃歌が入っている。
一つ目は「私はあなたを何とお呼びすればいいのでしょうか?」という歌だ。
これは2013年11月3日に、習近平国家主席が訪問した湖南省湘西土家族苗族自治州花垣県十八洞村にある極貧層の家庭の様子が中央テレビ局CCTVで放映され、それをもとに創られた習近平讃歌である。
二つ目は「私は慶豊包子舗にいる」という歌で、習近平が国家主席になってから、「庶民とともにいる」ことを演出しようとして北京にある慶豊包子舗という老舗の肉まん屋さんで庶民とともに肉まんを食べたことがある。
それはかつて毛沢東が国家主席になってまもなく、路上で肉まんを蒸かして売っている老人と話し合っている写真を、習近平が毛沢東記念館で見つけたからだ。
その真似をしたのである。
三つ目は、必ずしも習近平個人礼賛ではなく、どちらかというと習近平政権のスローガンの一つ「中国の夢」を礼賛したもので、「中国の夢は最も美しい」という曲だ。
ほかにも習近平国家主席の妻である彭麗媛夫人のかつてのヒット曲「希望の田野の中で」(1982年)なども曲目の中にある。
「習近平を礼賛して何が悪いのか?」という、非常に細かく計算された演出の中で、誰かが文革礼賛を織り込んだのだろうというのが、中国政府関係者のおおかたの見解だ。
問題は、いったい誰が、このようなことを仕組んだのかということである。
■主催者側にはない主催団体名が......
最も奇々怪々なのは、この講演の主催者は「中国歌劇舞劇院」で、「北京市西城区文化委員会」に人民大会堂で公演をする申請書を提出している(4月7日に批准=許可)。
だというのに、実際に公演してみたら、突如、主催団体も許可組織も承知していない主催者団体名が入っていたのだ。
紛れ込んでいた主催者団体の名前は、なんと「中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室」というものである。
中宣部、すなわち中共中央宣伝部の下部団体の名前が入っていたことになる。
しかも「演出」担当という役割で飛び入りしている。
激怒した「北京市西城区文化委員会」は5月6日に
「申請者側は規定に反して、申請時になかった虚構の"中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室"を主催団体に付け加えた。
これに関して、法に基づいて厳重に調査する」
という公開状をネットで公開した。
同時に「中国歌劇舞劇院」も5月6日に同様の責任追及をネット公開。
それによれば
「この公演の準備と演出過程で、本院と関係のない虚構の"中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室"が虚偽の資料を提供し、当方の信頼を損ねたことを、法に基づいて責任追及する」
とある。
■犯人は誰なのか?
では、このような大胆な虚構を築いたのは誰なのか?
文字通り「中宣部」ということになれば、国家を二分するくらいの大事件に発展するが、
少なくとも「中宣部」自身である可能性はまずない
と言っていいだろう。
そもそも「中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室」などという組織が存在するのだろうか?
たしかに中宣部は2015年5月に「社会主義核心価値観建設宣伝教育工作培訓班」(培訓班=養成班)というものを設置はしている。
それは全国に「社会主義の核心的価値観」を植え付けるために学習を奨励するための「培訓班」を設置せよという命令だった。
しかしその「弁公室」というのは(少なくとも筆者は)聞いたことがない。
この存在自体が怪しい。
中宣部自身が関与していたか否かに関して、元中央テレビ局CCTVで仕事をしていた古い友人に聞いてみた。
中宣部の干渉に耐えられなくて、CCTVを辞めた友人だ。
彼女は「中宣部自身の可能性はゼロだ」と断言する。
その証拠に5月2日夕方のCCTVの全国ニュース「新聞聯播」では一切報道していないと、URLを知らせてきた。
ここは全て中宣部が仕切っている。
知り合いの中国政府関係者にも聞いてみたところ「実に悪質だ!」と怒りをぶちまけてきた。
そして「中宣部は、このレベルの申請に対して、いちいち関与しない」と断言した。
ということは、その末端の下部組織か、あるいは虚偽の団体が「中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室」の名を騙(かた)ったことになろうか。
それに近い名前の「培訓班」はあるので、ついその名前の威力で、本物と勘違いしてしまったという可能性がある。
おそらく後者だろう。
だとすれば、そこに、中国社会の中における危なさと、一種の民意が見えてくる。
■中国が抱えるリスクと一部の民意
――文革の名を借りた反政府集団
実は中国には「文革礼賛派」など、いくらでもいるのだ。
それは政府に不満を持っている人たちの中に潜り込んでいる。
文革というのは、毛沢東が「敵は司令部にあり!」
と指示したように、
「反政府的ベクトル」を持ったもの
である。
大躍進などの失敗と自然災害も手伝って、3000万人に上るといわれている餓死者を生んだ大失策の責任を問われて国家主席の座を失った
毛沢東は、政府を転覆させるために文革を始めた。
倒すべき最大の敵は、国家主席・劉少奇だった。
年若い「紅衛兵」などを扇動して政府要人を倒させたのが文革の真髄である。
これはボトムアップの力を持っている。
若者が自由自在に壁新聞を貼ったりして、思いっきり政府批判をしたのが文革だ。
毛沢東はもう一つ、人民にとって魅力的な言葉を投げかけている。
それは
「政府を人民に返せ!」
「人民の最大の権利は、国家を管理することだ!」
という言葉である。
これほど人民を惹きつける言葉があるだろうか!
現在の政府に失望している人民の一群は、この言葉を以て文革を礼賛しているのである。
習近平政権にとって、これほど怖い言葉はない。
習近平政権になってから、反日デモが起きていないことにお気づきだろうか?
反日デモは必ず「反政府デモ」につながることを胡錦濤政権で十分に学んだので、反日デモさえ絶対にさせない。
その習近平が「文革」の再来を許すはずがないのである。
それなのに習近平が毛沢東回帰をしたり、個人崇拝の傾向を強めたりするのは、一党支配体制が危なくなっていることの、何よりの証しだ。
毛沢東の威を借り、反腐敗運動を展開して人民の求心力を高め、何とか自分の政権で一党支配体制が終わってしまわないように必死なのである。
今回の「フラワーズ56事件」を含めて、これらを権力闘争と矮小化する報道や中国研究者が一部見られるが、そのような分析ばかり続けていたら、中国の実態は見えなくなってしまうだろう。
ましていわんや、習近平が文革を起こそうとしていると分析することなど論外だ。
あまりに中国を知らな過ぎる。
文革は、ちょうど50年前の今日、1966年5月16日に、毛沢東が出した「516通知」から始まった。
1976年まで続いた文革における犠牲者の数は、当時の中国政府発表で2000万人。
文革に対する総括(断罪)は40年前に出ているのだが、13億人以上もいる中国人民の中には、それに納得していない人々もいる。
今般の「フラワーズ56の怪」は、その不満をあぶり出したと言っていいだろう。
それが、徐々に中央に迫っているのかもしれない。
中共中央あるいは中国政府が法的に正しく調査し、一刻も早く真相が明らかになることが待たれる。
追記:最後にもう一つ、「知りたくないであろうこと」を書いておこう。
それは、日本人にはあまり知られていないと思うが、
「人民大会堂はビジネスに使ってもいい」
ことになっているという事実だ。
筆者は何度か人民大会堂に出入りしたことがあるが、人民大会堂には管理局というのがあって、民間の使用を審査し許可する業務を行っている。
今般のチケット代は一人1000元以上の座席もある。
5千席が満席だったというから、それだけでも約1億円の収入になる。
人民大会堂管理局とコネや賄賂関係がなかったかも、調査の対象とならなければならない。
禁止されている文革の歌を聞きたいという民衆の願望をビジネス化したという要素は否めないのだ。
チャイナ・セブン(習近平政権における中共中央政治局常務委員会委員7人)が会議を開き、すでに中共中央紀律検査委員会(王岐山書記)が調査に乗り出しているという。
ちなみにフラワーズ56の事務所名は北京詮声文化有限公司で、その法人は北京経典融商投資有限公司。
この法人名は、最高人民法院(最高裁判所)のHPの「全国信用失墜法人リスト」の中にある。
そして4月中旬に「中央宣伝部社会主義核心価値観宣伝教育弁公室が主宰する」という文言で地方の芸術学校に招聘状を出したのは、フラワーズ56の事務所・北京詮声文化有限公司であったと、その校長が証言している。
犯人を見つけるのは、案外、早いかもしれない。
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ロケットニュース24 2016/05/21
http://rocketnews24.com/2016/05/20/749833/
中国版AKB?
謎の社会主義アイドル『56輪の花』がいろいろスゴイ
/ 50名以上の “純潔少女” が毛沢東の絵の前で歌って踊ってときどき炎上
最近、中国の習近平体制は「文化大革命の再来ではないか」と囁かれるのを耳にする
。あの多くの犠牲者を出し中国の近代化を50年遅らせたという文化大革命。
誰がそう言い出したかはわからないが、とにかくいま「文革再来」、そういうことになっている。
そのなかで、「中国版AKB」と呼ばれるアイドルが注目を浴びているのをご存知だろうか?
もしや “本家越えの美少女ぶり” と名高いSNH48?
それとも一瞬、世を騒がせたパクリグループAK98?
いや、全くの別物だ。
56人の “純潔少女” による社会主義アイドルだというのだ!
●・56人の純潔少女による『56輪の花』
『56輪の花』とか『フラワーズ56』と言われる彼女たち。
2015年に結成された中国のアイドルグループとのことだ。
メンバーは、16~23才の “純潔少女” で構成。
56名に満たないという報道もあるが、56人グループということになっており、世界一のメンバー数を誇るアイドルグループと主張している。
ちなみにこの「56」というのは、中国で認定されている56民族に由来するもの。
日韓アイドルのような萌えやセクシー路線は取らずに、民族意識を強調し、純粋中華少女の魅力を押し出していくという方針らしい。
●・愛称は「社会主義アイドル」
発足当初はAKBグループに対抗か、などと言われていたが、パフォーマンス映像を見ると、一発で全く性質が異なることがわかる。
AKBが愛や恋や青春を歌っているのに対し、『56輪の花』が歌うのはズバリ社会主義ソング!
国旗や毛沢東のプロパガンダアートの前で、社会主義や中国共産党のすばらしさを歌って踊るのだそう。
そんな彼女たちの愛称はもちろん「社会主義アイドル」だ。
世の中に “○○アイドル” とつく人はたくさんいるが、これは新しい……!!
●・文革ソングを歌って炎上
そんなどう見ても国家路線のアイドルのことだ。
さぞかしご活躍なのか……と思いきや炎上していた。
最近だと、2016年5月2日。北京の人民大会堂で行われたステージでいわゆる文革ソングや、習近平個人崇拝ともとれるパフォーマンスを披露したところ、批判が殺到したというのである。
実は今年は文化大革命から50年の節目にあたる年。文革は中国にとって二度と起こしてはならない “セカンドインパクト” だ。
まさに、習近平サードインパクト論が高まっている最中のことだった。
●・運営「メンバーの顔面偏差値は気にしない」
すっかり騒動になってしまったが、厳密に言うと、炎上したのは純潔少女たち自身ではなく、公演を仕切った大人たちの方だ。
少女に罪は無し、という風潮である。
ちなみに純潔少女たちの Weibo をのぞいてみると、炎上後も無邪気に自撮り写真をアップするなどしている。
私たちが知っているアイドルとそう変わらない。
運営は「メンバーの顔面偏差値は気にしない」と公言しているが、なかなかレベルの高い子もいるぞ!
果たして、今回の炎上騒動を経てグループの活動はどうなるのか?
非常に気になるが……いまの路線を貫くなら海外で活動することはなさそうである。
参照元: YouTube、多維新聞 [1] [2] [3]、Apple Daily、香港経済日報、南方週刊(中国語)
執筆:沢井メグ
●“在希望的田野上”演唱会上 “五十六朵花”组合的《大海航行靠舵手》
2016/05/06 に公開
“在希望的田野上”演唱会上 “五十六朵花”组合的《大海航行靠舵手》
●五十六朵花《社会主义好》
2016/05/04 に公開
2016年5月2日“在希望的田野上大型交响演唱会”
●五十六朵花掀起红歌风暴 演唱会现场人气爆棚
2016/05/03 に公開
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AFP 2016年05月17日 17:03 発信地:北京/中国
http://www.afpbb.com/articles/-/3087348
文化大革命は「二度と起きない」
中国国営メディアが沈黙破る
【5月17日 AFP】
16日に文化大革命(Cultural Revolution)の発動から50年を迎えたもの、沈黙を守っていた中国国営メディアが17日、「決して繰り返してはならない」とする論説を発表した。
中国共産党内部の権力闘争として1966年5月16日に開始が宣言された文化大革命は、中国を混乱に陥れ、その政治状況を一変させ、多数の人々の命を奪った。
現在の中国共産党は統治の正統性が損なわれないようこの時期に関する議論を統制しており、16日にはソーシャルメディア上で多くのコメントが検閲され、大半の報道機関の扱いは目立たなかった。
そうした中、中国共産党の機関紙・人民日報(People's Daily)系の国営英字紙・環球時報(Global Times)は17日、文化大革命に関する歴史的清算は不要とする論説を発表。
「文化大革命にわれわれは別れを告げた。
今日もう一度言えることは、文化大革命は二度と起きてはならないし、起きないということだ。
今日の中国にそうした余地はない」
と述べた。
一方、50年を迎えた16日には文化大革命について言及しなかった人民日報も17日、中国はすでにそこから学び、前進していると主張し
「文化大革命のような過ちは決して再び許してはならない」
と述べ、
「理論的にも実践の面でも完全に誤った」運動だった
と論じた。
中国共産党は1981年に
「内乱を招き、党と国家、全国民に大きな災難をもたらした」深刻な誤りだったと公式に決議
している。
この決議では党の責任は追及されず、主な責任は毛沢東(Mao Zedong)にあった
とされている。(c)AFP
』
『
Record china 配信日時:2016年5月17日(火) 19時10分
http://www.recordchina.co.jp/a138838.html
共産党機関紙が「文革」に言及、
規制をかいくぐったネットユーザーのコメントは?
●17日、共産党機関紙・人民日報が文化大革命に言及した記事を掲載した。中国版ツイッター・微博では、一部コメント規制が敷かれているもようだ。写真は文革の宣伝画。
人民日報は記事の中で、
「文化大革命は指導者によって誤って発動されたもので、
党や国家、各民族に甚大な災害となった内乱である。
文化大革命が理論と実践において完全に間違ったものであり、それがいかなる革命や社会の進歩にもなり得ないことは歴史が証明している」
などとした。
また、
「わが党はこれまで、勇気を持って認め、
正確に分析し、徹底的に誤りを正すことで、失敗や間違いを成功経験と同じく大切な歴史教材としてきた」
と強調。
「歴史はいつも前に向かって発展するもの。
我々は歴史の教訓を総括し、くみ取って、
文革に対する党の政治的結論を堅持し、
文革をめぐる左や右からの妨害を徹底的に阻止しなければならない。
かたくなに封鎖するこれまでの道も、
それとはまったく反対の悪の道も行かず、
中国の特色ある社会主義の道を少しも揺らぐことなく行かなければならない」
とした。
この記事が伝えられると、記事のコメント欄には党の姿勢を支持するコメントが並んでいるが、中国版ツイッター・微博ではコメントの投稿が一部規制されているようだ。
規制をかいくぐったと見られるコメントには、
「コメントの書き込みが禁止されてる」
「問題はこれが当てになるのかということ」
「謝罪の言葉はひと言も見当たらない」
「深夜の発表(※記事が人目を避けるように深夜に流れたことを指す)」
などがある。
』
『
サーチナニュース 2016-05-18 22:15
http://news.searchina.net/id/1610051?page=1
コラム】習近平氏は「中国最後の指導者」?
■英女王の本音発言
英女王が園遊会で中国・習近平一行は「とても失礼だった」との本音発言が映像公開された。
英国のエリザベス女王が、2015年10月に同国を国賓として公式訪問した中国の習近平国家主席の一行について、「とても失礼だった」と発言する様子がテレビカメラのマイクに拾われ、映像とともに、英BBC放送などが報じた。
中国外務報道官はこれについての記者団の質問に対して
「習近平国家主席の訪英によって英中関係は黄金時代を迎えており、
西側との政治関係の新たな模範である」
とコメントするに止まった。
内外のマスメディアからは、
実利を重視するあまり、人権や安全保障問題を棚上げした英国の姿勢に疑問と批判
の声があがっている。
■ロンドンではキャメロン首相の辞任を求めるデモが行われた
パナマ文書の流失によって、英国のキャメロン首相も父親がパナマで開設したファンドに投資して利益を得ていたことが判明し、さらに母親からも、20万ポンドの贈与を受けていたことが明らかとなり、ロンドンでは1000人以上の市民が辞任を求めるデモを行い、キャメロン首相の人気が急落している。
万が一、キャメロン政権が崩壊した場合、習近平氏はヨーロッパにおける拠り所を失ってしまうことになるだろう。
中国が主導して立ち上げた、アジアインフラ投資銀行(AIIB)は、英国が参加を表明したから箔がついたようなもので、もし反キャメロンを掲げた政権が成立し、
中国の人権問題や南シナ海での暴挙を問題視して
英国がAIIBと距離を置くようなことになればAIIBは壊滅的な状況に陥る
ことになるだろう。
■習近平はソ連最後の指導者であるゴルバチョフと同じ運命を辿るか
パナマ文書には習近平氏一族の名前も挙がっているところから中国は情報統制に神経をとがらせ、パナマ文書に限らず、習近平氏を批判するものはすべて閲覧禁止にする措置を強化しているようで、米紙タイムや英紙エコノミストも習近平氏に関する記事についてはWEBで閲覧不能となっている。
確かに、反腐敗運動を全面的に推進している習近平氏自身が不正蓄財をしていたことになれば、民衆の反発は必至となるだろう。
中国の外務省も、記者からの質問に対して「雲をつかむような質問には答えられない」とトボけるしかなかったようである。
世界最強の戦略家エドワード・ルトワック氏は
「習近平は中国共産党を改革しようとしているのだが、
その向かう先には、党の崩壊が待ち受けている」
と予見している。
その訳は、
反腐敗運動が、党を動かす「エンジン」そのものを取り除いてしまう運動でもある
からだというのである。
★.毛沢東時代の「エンジン」はイデオロギーであった。
ところが次の鄧小平時代には、そのイデオロギーが影を潜め、その代わりに
★.共産党の「エンジン」になったのは、マネーであった。
そして当然の如く、党内に汚職と腐敗が蔓延することになる。
★.反腐敗運動によってその「エンジン」が取り除かれることになれば
中国共産党はその求心力を失い弱体化していく
であろう。
エドワード・ルトワック氏は、習近平氏をソ連そのものを改革しようとして結局はソ連全体を崩壊させてしまったミハイル・ゴルバチョフ統治下におけるソ連の悲劇的な運命の二の舞になると予見しているのである。
■中国国営通信が習近平氏を「最後の指導者」とミス配信
米国に拠点を置く中国のニュースサイト「多維新聞」などが報じたところによると、中国国営新華社通信が配信した記事の中で、習近平国家主席の肩書を「中国最高指導者」とすべきところ「中国最後の指導者」と間違え、訂正するミスがあったということである。
今回のミスをめぐっては、習近平氏が全人代直前の2月に新華社などを視察し、共産党への絶対的な忠誠心を求めたことに対する「反発の表れ」との見方も広がっている。
(編集者注:新華社通信の配信ミス報道は2016年3月13日に報じられたもの)
ところが、一方では習近平国家主席が登場し、陽気なポップ音楽に乗って「第13次5カ年計画」を紹介する動画がネットに掲載され話題になっている。
ラップ動画に乗せて笑顔を振りまく習近平主席に中国ネットユーザーは
「詐欺動画を作る暇があったら仕事しろ!」
と書き込んでいるそうだ。
(執筆者:水野隆張・日本経営管理教育協会 編集担当:大平祥雲)
』
『
JB Presws 2016.5.24(火) 柯 隆
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46893
「知識青年」は文革を懐かしく振り返った
歴史的な悲劇を繰り返してはいけない
2016年は、文化大革命が発動されて50年目の年である。
1966年5月16日、党中央政治局拡大会議は「文化大革命小組」(指導グループ)の設立に関する通達を発表し、これが実質的に文化大革命のスタートとなった。
それから文革は10年間続き、1976年、毛沢東の死去とともに終焉した。
共産党中央委員会は文革が誤りだったことを認め、文革によって打倒された知識人や共産党幹部たちの多くが名誉を回復した。
しかし、鄧小平の主導による文革の清算は不十分だった。
文革のほとんどの責任は毛沢東が負うべきものだったが、共産党中央委員会の総括では毛沢東夫人の江青女史をはじめとする四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)に責任が押し付けられた。
四人組は毛沢東が死去してから1カ月後に逮捕された。
のちに開かれた四人組の裁判で江青女史は
「私なんかは毛主席の番犬のようなもので、毛主席に言われるがままに人を噛んだだけだ」
と弁明した。
四人組には死刑または無期懲役、懲役20年の刑が宣告された。
だが、毛沢東の罪は問われなかった。
これこそが鄧小平主導の文革処理の最大の問題である。
■なぜ毛沢東の責任は問われないのか
文革研究のほとんどは、毛沢東の秘書や共産党幹部の一部が記した回顧録をもとに行われている。
文革が発動された理由として最も説得力のある解説は、毛沢東が、文革の前に自らが発動した「大躍進政策」が失敗したため、責任を問われることを恐れて文革を発動したというものだ。
大躍進の過ちを批判したのは劉少奇国家主席である。
毛沢東は劉少奇に権力を奪われることを恐れ、文革を発動した。
要するに、文革は劉少奇を打倒するための権力闘争だった
ということである。
この解説には一理ある。
だが、全国民が巻き込まれた理由については言及されていない。
劉少奇を打倒するために、なぜ全国民を巻き込む必要があったのだろうか。
実は毛沢東にとっては、理想的な社会主義国家を建設することよりも、
絶対的権力者としての地位を確立することが最大の目標だった。
大躍進政策が失敗したことで、党内において毛沢東に対する批判が台頭していた。
その急先鋒だったのが国家主席の劉少奇である。
毛沢東は自らの地位と権力を固めるために文革を発動し、自らに批判的だった知識人と共産党幹部を一網打尽にした。
その結果、毛沢東は人民の上に君臨する“王様”になった。
毛沢東にとって文革は一石二鳥の革命だったのである。
こうして毛沢東は国民を巻き込んで政敵を倒した。
毛沢東の責任を問う必要があることは明白である。
それなのに、なぜ責任が問われなかったのか。
毛沢東が死去したあと鄧小平が復権したが、毛沢東にとって代わるほどの権力は手にしていなかった。
中国で毛沢東はすでに神様と同じような存在になっていた。
一方、鄧小平は「最高指導者」に過ぎない。
毛沢東の責任が問われれば、共産党そのものの正当性が揺るぎかねない。
実は鄧小平自身も文革の被害者だった。
だが、リアリストの鄧小平は政治的必要性から毛沢東の責任を問わないことにした。
そこで、四人組が逮捕され、投獄されたのである。
■文革時の歌劇が復活
文革は中国に何をもたらしたのだろうか。
まず、中国の経済は崩壊寸前に陥った。
文革で直接殺されたのは数百万人に上ると言われている。
また、数千年にわたって脈々と流れてきた中国文化も完全に破壊してしまった。
文革は完全に「罪」である。
しかし、中国では今なお文革に関する議論は自由にできない。
38年前に採決された共産党中央委員会の決定では、文革が「過ち」だったとされた。
その後、文革によって打倒された共産党幹部と知識人の多くが名誉を回復した。
いわゆる文革の後処理である。
しかし、文革自体は完全に否定されていない。
現在、中国で文革のイメージを象徴するのは当時作られた歌や歌劇である。
近年、文革の時代の歌と歌劇を上演するイベントが相次いでいる。
中国人は、なぜあの悲劇をこんなに早く忘れてしまうのだろうか。
■「知識青年」は文革を懐かしく振り返る
現在の共産党幹部のほとんどは文革に直接参加した世代である。
彼らにとって、文革はある意味で青春そのものだった。
彼らは学校で勉強しなければならない年頃にもかかわらず毛沢東の呼びかけに応じて勉強を放棄し、恩師たちを迫害した。
彼らは文革の被害者であると同時に加害者でもある。
筆者は、当時、農山村へ下放された「知識青年」と呼ばれる人々にインタビューしたことがある。
意外にも、彼らの多くは当時のことを懐かしく語っていた。
彼らが振り返る様子を見ると、文革はとりたてて悲劇ではなかったようである。
歴史的な悲劇は、人々が悲劇を忘れたときに繰り返される。
中国では、多くの有識者が文革の再来を懸念している。
もちろん今は毛沢東時代のような大規模な文革が再び起きる可能性は低いと思われるが、
より“洗練”された新しい形の文革が起きる可能性は十分ありうる。
■「造反有理」は今も生きている
そもそも文革という悲劇が引き起こされたのは、毛沢東を守るという大義名分のもと社会の秩序を決定する法律が無視されたからである。
劉少奇が紅衛兵に暴行されたとき、劉は憲法の本を持ち出し、
「革命的な若者よ。私は国家主席である以前に、公民として憲法で保障される権利を享受できる」
と主張して抵抗した。
むろん、毛沢東を守ると主張する革命的な若者たちが、劉少奇国家主席の話を聞き入れるはずはない。
中国人には、「ある目的を達成する場合、手段は選ばなくていい」
という傾向が往々にして見られる。
文革世代のDNAには「造反有理」(体制に逆らうのには道理がある)の遺伝子が埋め込まれている。
しかし、この考えこそ悲劇を生む土壌である。
法治国家であれば、目的はどうであれ、手段が合法的でなければならない。
中国が法治国家になるまでの道のりは、依然として長いと言わざるをえない。
』
『
現代ビジネス 2016年05月26日(木) 近藤大介
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48705
「屈辱の100年を乗り越え、世界の王となれ」
習近平率いる中華帝国の野望を読み解く
■毛沢東が墓場から這い出してきた!?
>>>>>
中国の「新皇帝」となった習近平は、
21世紀の東アジアに「パックス・チャイナ」を創ろうとしている
27年にわたって中国問題をウォッチし続けてきたジャーナリストの近藤大介氏が、中国の要人、日本政府の中枢にいる人物たちを取材した記録をまとめた『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』が発売された。
習近平が国家主席に就任して以降、東アジアでは尖閣紛争や南シナ海衝突、さらに北朝鮮の暴走など様々な外交イベントが発生したが、その舞台裏でなにが起こっていたのか、日米中の要人たちの生々しい言葉とともに、詳細が記されている。
これからの世界情勢を読み解く上で必読の一冊。
本書のなかから、その一部を特別公開する。
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「習近平外交」は、「目の上のたんこぶ」である日本にどう対抗していくかということから始動した。
2012年9月11日に野田佳彦政権が尖閣諸島を国有化したことから、中国が一斉反発し、中国各地で反日デモが吹き荒れた。
暴徒と化した中国人が日系のデパートや工場などを破壊し、
抗議デモや狼藉は、全国約1 1 0ヵ所に及んだ。
9月27日には、北京の人民大会堂で、胡錦 主席も列席して盛大な国交正常化40周年記念式典が予定されていたが、中国国内の異様な「殺気」を受けて、立ち消えになった。
日中関係はまさに、国交正常化40年で、最悪の時を迎えた。
その「怒気」がまだ冷めやらない同年11月15日、第18回中国共産党大会において、習近平が、胡錦 の後継者として、新たに中国共産党中央委員会総書記、および党中央軍事委員会主席に選出された。
翌年3月に国家主席に選出されて、「2期10年」の習近平時代が完全始動する。
私はこの10年に一度の中国共産党の「政権交代」を取材するため、北京へ来ていた。
同日午前11時53分、予定より53分も遅れて、人民大会堂の東大庁に、記者団が待ち受けるお目当ての男が姿を見せた。
習近平新総書記である。
新総書記は、李克強、張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗という「トップ7」(党中央政治局常務委員)を引き連れていた。
そして中央の演壇に立ち、記者団に軽く右手を挙げると、標準中国語の野太い声で、13億6 7 8 2万の中国の民を指導する8 7 7 9万共産党員のトップとして、「就任演説」を述べた。
「わが民族は、偉大なる民族だ。
5 0 0 0年以上にわたる文明の発展の中で、中華民族は人類の文明の進歩に不滅の貢献をしてきた。
それが近代以降、艱難辛苦を経験し、最も危険な時期を迎えた。
だが中国共産党の成立後、頑強に奮闘し、貧困の立ち遅れた旧中国を、繁栄と富強の新中国へと変えた。
中華民族の偉大なる復興の光明は、かつてないほどすぐ近くの前景にある。
中華民族を世界民族の林の中で、さらに強く自立させるのだ!」
まるで「建国の父」毛沢東が、墓場から這い出してきたような演説だった。
毛沢東は国内統一の偉業を成し遂げ、それを引き継いだ自分は中国を世界の強国にしていくと宣言したのである。
その間の鄧小平、江沢民、胡錦濤という3世代の指導者は抜け落ちていた。
それから2週間後の11月29日、習近平新総書記は、再び「トップ7」を全員帯同し、天安門広場東手の中国国家博物館を訪問。
そこには習近平の「鶴の一声」で、約1 2 0 0点もの「中国共産党の偉大なる品々」が並べてあった。
この「復興の道」特別展の前で、習近平新総書記は2度目の演説をぶった。
「中華民族の偉大なる復興こそが、近代以降の中華民族の最も偉大な夢だ。
この夢には、過去何代もの中国人の想いが込められている。
私は自信を持って述べるが、中国共産党1 0 0周年のとき(2 0 2 1年)までに、全面的な『小康社会』(ほどほどに豊かな社会)を実現する。
そして新中国建国1 0 0周年のとき(2 0 4 9年)までに、富強・民主・文明・和諧(調和のとれた)の社会主義現代化の国家を、必ず作ってみせる!」
この2度にわたる「重要講話」は、その後の「習近平外交」の土台となった。
■2049年までに世界一の覇権国家に
どの国においても、外交は内政の延長である。
だが「習近平の中国」ほど、このことが顕著な国も珍しい。
このとき、習近平総書記が脳裏に思い描いていたのは、古代の秦の始皇帝(紀元前2 5 9年から前2 1 0年)のような絶対君主になることだった。
そしてその延長として、古代アジアの秩序体制である「冊封体制」を、21世紀の今日に復活させるという青写真を描いた。
冊封体制とは、宗主国と朝貢国(属国)からなる「緩やかな主従関係」のことだ。
「宗主国」とは中央にある中心の国、すなわち中国で、
「朝貢国」とは中国周辺の小国群
である。
冊封体制において、朝貢国は宗主国に対して、春節(旧正月)に外交使節団を中国の皇帝のもとへ送る義務を負っていた。
春節の日に皇帝は、宮殿の前庭に出て、各国から参賀に訪れた外交使節団を、同時に謁見する。
皇帝が姿を現すと、各国の外交使節団はいっせいに「三跪九叩頭の礼」で迎える。
これは1回ひざまずいて3回地面に頭を擦り付けるという動作を、計3度繰り返すもので、各国が中国の「属国」であることを示す儀式だった。
その代わり各国の使節団は、自国から持参した以上の大量の贈答品を、中国から受け取って帰国する。
いわゆる「厚往薄来」(来るときは薄くて帰るときは厚い)の風習である。
朝貢国はまた、「皇帝」を名乗ってはならず、皇帝の臣下である「王」となる。
そのため「○○帝△年」という中国の暦を用いなければならない。
ほかには、朝貢国の王が替わる際に、形式的な事前許可が必要だった。
それ以外は、中国は周辺国に対して内政不干渉を貫いた。
暴君が圧政を敷こうが、愚王が国を傾かせようが、干渉してくることはない。
朝貢国のメリットとしては、自国で反乱や暴動などが起こった際に、中国が援軍を出してくれることだ。
また水害や旱魃、疫病などで困ったときには経済援助してくれた。
つまり冊封体制とは、中国が兄貴分、周辺諸国が弟分のような、緩やかな主従関係なのである。
もしも朝貢国が中国に逆らった場合には、中華帝国の強軍が国境を押し破って攻め入ってくるため、多くの周辺国が中国に服従した。
この東アジア伝統の冊封体制は、中国が1 8 4 0年に起こったアヘン戦争でイギリス軍に敗北を喫し揺らぎ始めるまで続いた。
■中華民族の偉大なる復興
こうしたアジアの歴史を踏まえて、習近平総書記が2回の「重要講話」に込めたエッセンスは、いわゆる「時計の逆回し論」で言い表せた。
すなわち、古代から19世紀前半に至るまで、中国は一貫して世界最大の富強国家で、周辺の属国群を従えていた。
それが1 8 4 0年のアヘン戦争でイギリスに敗れて、世界ナンバー1の座から陥落した。
続いて1 8 9 4年の日清戦争で日本に敗れたことで、アジアナンバー1の座からも陥落した。
その後は奈落の底に落ちていき、半植民地状態という悪夢の20世紀前半を迎えた。
いわゆる「屈辱の1 0 0年」(1 8 4 0年~1 9 4 9年)である。
そこへ毛沢東という偉人が現れて、共産党を指導して抗日戦争を勝利に導いた(実際に抗日戦争を戦ったのは国民党軍)。
そして1 9 4 9年に、中華人民共和国を建国したことで、中華民族の偉大なる復興が始まったというわけだ。
そこで「建国の父」毛沢東の後継者である習近平は、
★.第1段階として、時計の針を1 8 9 4年まで戻す。
つまり、2 0 2 1年の中国共産党1 0 0周年までに、日本を押しのけてアジアでナンバー1の大国としての地位を取り戻す。
★.続いて第2段階として、時計の針を1 8 4 0年まで戻す。
つまり、2 0 4 9年の建国1 0 0周年までに、アメリカを超えて世界ナンバー1の大国として君臨する。
この「二つの1 0 0年」の達成を、習近平外交の目標に据えたのである。
私は1989年の天安門事件以降、これまで27年にわたって、一貫して中国をウォッチしてきた。
習近平時代に入ってからも、すでに16回訪中し、「定点観測」を続けている。
「彼を知り、己を知れば百戦殆からず」(孫子)──このたび上梓した『パックス・チャイナ 中華帝国の野望』が、日本の将来を考える一助になれば幸いである。
●中国、アメリカ、北朝鮮、そして日本…それぞれの思惑がぶつかり合う衝撃の外交ドラマがここにある
』
『
ダイヤモンドオンライン 加藤嘉一 2016年6月7日
http://diamond.jp/articles/-/92583
あの文化大革命から50年、
習近平はどこへ向かうのか?
■『人民日報』はなぜ文化大革命の評論記事を掲載したのか
5月17日、党機関紙『人民日報』が一本の評論記事を掲載した。
“歴史を以て鏡とするのはより良い前進のためである”
記事のタイトルだ。
作者は任平。
「この人物は実際には存在しない。
『人民日報』が、共産党指導部の立場と意思を代弁するという観点からつくり出した虚構の人物である」(中央宣伝部幹部)。
作者が誰であるかは重要ではない。
肝心なのは、この記事が、『人民日報』という党のマウスピースに掲載されたという事実と、同紙に掲載される記事のなかでも最も直接的に党指導部の立場と意思を体現しているという真実であろう。
そんな記事のテーマは文化大革命である。
1966年の発動から約10年間続いた。
プロレタリア文化大革命とも呼ばれる。
「封建的文化、資本主義文化を批判し、社会主義文化を創生する」
という政治スローガンの下に社会全体で展開されたが、その実体は毛沢東・共産党主席の政治目的に立脚したに共産党内部の権力闘争だったとされる。
この10年間で中国の経済は停滞し、政治は混乱し、社会は衰退した。
1981年6月、中国共産党第11期中央委員会第6回全体会議で採択された『建国以来の党の若干の歴史問題についての決議』(以下、『決議』)において、
文化大革命とは
「毛沢東が誤って発動し、反革命集団に利用され、党、国家や各族人民に重大な災難をもたらした内乱である」
という公式な定義がなされている。
1978年12月に開催され、党の仕事における重点を階級闘争から経済建設に移行させた歴史的な会議である中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第十一届三中全会)において、
文化大革命時の死者は40万、被害者は1億人という推計が示されている(筆者注:文革期における死者の数を巡っては様々な推計が存在し、海外では数千万以上という見方もある)。
私の周りにも、大学時代にキャンパス内外でお世話になった先生を中心に、知識人・知識階級という立場も相まって、文革時代に農村や工場で肉体労働に従事した後、文革が終了し、大学入学試験(通称“高考”)が復活した後、大学に進学したり、入り直したりしたという人生を送った先輩方が多々いる。
個人的な感想になってしまうが、文化大革命のような政治運動を実経験した世代とそうでない世代とでは、人生に対する理解の深みや執着心の強さが相当異なると感じさせられる。
現在の国家指導者・習近平総書記と李克強首相は、それぞれ1953年生まれと1955年生まれであるが、前者は13歳から23歳、後者は11歳から21歳という、人間の発育や成長、および考え方や価値観の形成にあたって核心的にクリティカルな時期に文化大革命を経験しているというバッググラウンドが、彼らの執政プロセスに与える影響を軽視してはならないと私は考えている。
ちなみに、習近平・李克強の後継者候補とされる胡春華・現広東省書記と孫政才・現重慶市書記(共に政治局委員)は共に1963年生まれであり、文革期は3歳から13歳であった。当然、その政治観や共産党政治に対する理解や心境は1つ上の世代とは異なるものになるであろう。
どのような政治運動を経験してきたかという観点から見た世代という要素が、共産党政治の発展過程にどのような影響を与えてきたのか、与えているのか、与えていくのかというテーマは、我々の中国理解にとってユニークな作用をもたらしてくれると私は考えている。
そして、冒頭世代で紹介した『人民日報』の評論記事は、まさに
習近平・李克強世代の文化大革命に対する切実な心境を体現している
ように私には思えるのである。
■「文革発動50周年」の節目に習近平が露にする警戒心の裏側
「“文化大革命”は我々の党と国家が発展する過程で直面した重大な曲折である」
このセンテンスから始まる同記事である。
が、私から見て特筆に値すると思われる部分は以下の2段落である。
「“文化大革命”は指導者が誤って発動し、
反革命グループに利用され、
党、国家、各民族・人民に深刻な災難をもたらした内乱であり、
その危害は全面的かつ深刻なものであった。
歴史は充分に証明している、
“文化大革命”は理論上も実践上も完全に誤っており、如何なる意義においても革命や社会の進歩を意味しないし、
するはずもないことを」
「改革開放三十数年来、我々の国家は日増しに強大になり、人民の生活水準は大きな向上を見せている。
社会主義民主法制は不断に健全になっており、我々の進路は進めば進むほど広くなっている。
このような状況下において、
“文革”の誤った再来を許すことはないし、絶対に許さない」
文化大革命が当時の指導者によって誤って発動され、国家や社会に内乱をもたらし、人民や民族に災難をもたらした産物であるという部分に関しては、何ら新鮮な言及は見られない。
1981年当時の『決議』を踏襲した記述である。
2段目の部分からは、改革開放政策が始まって30年以上が発ち、社会は発展し、人々が豊かになってきたなかで、文化大革命のような発展や幸福に壊滅的な打撃を与えるような政治運動が再び発生することはあってはならないし、何としても防がなければならない、さもなければ、中国の発展は終わってしまうという類の、党指導部の明確な危機意識を感じさせる。
この点に関しては、1981年の『決議』を踏襲しているというよりは、そこからすでに35年が経過した、21世紀、冷戦後、グローバル時代、近代化建設といった要素を内包した今日的な文脈で綴られていると言える。
党指導部がこのような記事を『人民日報』を通じて世に出した最大の背景・動機は、2016年5月という時期そのものにあるだろう。
中国の知識人たちの言葉を借りれば「文化大革命発動50周年」である。
毛沢東が文革を発動して50年、終了して40年という節目の年に、
「共産党指導部として今一度明確な立場を表明しておかなければならないという意思を習近平総書記は持っていた」(中央宣伝部幹部)
ということであろう。
国際社会・世論が、中国共産党がこの節目の年に文化大革命とどう向き合い、総括し、公開議論を展開するのかを注視する中、党指導部として前述のような明確なスタンスを提示した事実は、中国共産党理解という観点からすればポジティブな現象であると私は捉えている。
と同時に、私はこの評論記事に対して、比較的鮮明な“習近平色”を見出した。
本連載でも扱ってきたように、習近平総書記の実父、習仲勲・元国務院副総理は文革期に迫害を受け、息子の習近平も苦しい文革時代を経験した。
上記でも言及したが、文化大革命が中国の発展をいかに停滞・衰退させたかを家族ぐるみで経験し、その教訓を実体験から得ている習近平だからこそ、文革の再来に対しては人一倍警戒心を持っているのだろうし、同記事からそんな息遣いを私は感じている。
本連載でも度々レビューしてきたように、習近平は中国共産党の威信や権力を強化させる政策を大々的に打ち出してきた。
反腐敗闘争や改革領導小組などトップダウン型のワーキンググループの設立がそんな姿勢を物語っている。
ただ1つ注意しなければならないのは、習近平の姿勢、あるいは一連の動きは「共産党」に対する絶対忠誠であり、それは「毛沢東」に対する絶対崇拝と同等ではないという点である。
自身の家庭を苦しませた文革を発動した毛沢東という絶対的権力者を完全に受け入れることはできないし、毛沢東が犯した文化大革命という過ちに対しては断固として反対の立場を堅持し、と同時にその再来を防がなければならないという覚悟を習近平が持っていることは確かであろう。
■“第二の文革”がやって来る?
中国社会が恐れる8つの現実
しかし、昨今の中国社会では皮肉に映る現象が発生している。
二度と文化大革命、あるいはそのような政治運動が起こってはならないという共産党としての意思を明確に出した一方で、習近平総書記については、統率下にある昨今の中国社会では少なくない知識人、一部の共産党・政府関係者のあいだで“第二の文化大革命”という議論が内的になされ、懸念されている。
彼ら・彼女らが現状を“第二の文革”というラディカルな表現で修飾する根拠としては次のようなものがある。
★・習近平が総書記に就任してからというもの、知識人や文化人に対する上からの抑圧が強化され、活動の範囲が狭まっている
★・報道機関に対する締め付けが強化され、自由で独立した報道がますますできなくなっている
★・西側の価値観や制度が国内の党、大学、メディアといった機関を通じて社会全体に浸透することを警戒し、徹底防止の体制を強化している
★・人権擁護を目的に働いてきた弁護士や活動家が次々に拘束・逮捕されている
★・反テロ法や海外NGO管理法など、企業やNGOを含め、社会における活動を束縛する動きが活発化している
★・“反腐敗闘争”という名目で繰り広げられる権力闘争の過程で政敵を弱体化させ、
自らの権力基盤を強化しようとしている
★・あらゆる領導小組の組長に就任しつつ、
権力を自分1人の手に集中させようとしている
★・世論・社会において、とにかく自分が率先して目立とうとし、
“習大大”(習おじさん)というニックネームの浸透と共に一種の“個人崇拝”が起きている
以上8点を挙げたが、私から見ても、これらの状況は、程度、範囲、効果はともかくとして、実際に発生している。
もちろん、これらの状況の同時発生を以て、すなわち“第二の文化大革命”到来と結論付けるのは拙速であろうし、この手の議論には慎重になるべきであろう。
しかしながら、軽視できない問題として、共産党の権威強化と絶対安定という観点から、政治社会、経済社会全体に対する引き締めを強化している習近平が、いかにして自らが苦しみを味わい、文革発動50周年という節目の年に明確な反対を示した“文化大革命”のニューバージョンと一線を画すかであろう。
文革時代の記憶を脳裏に留めている人民は少なくない。
行き過ぎた引き締めは、世論や社会に当時の記憶を呼び起こさせ、一種の社会不安を煽ってしまうことにもつながりかねない。
そうなれば、昨今党指導部が掲げている経済の市場化や構造改革、より一層の対外開放政策にはネガティブな影響をもたらすであろうし、中国政治・経済社会全体にとってのリスクになり得るのではという懸念を私は抱いている。
■27年を迎えた天安門事件を清算する気運は限りなくゼロ
先週土曜日の6月4日。中国は天安門事件から27年を迎えた(2014年6月3日掲載の連載第29回『“暗黒の歴史”天安門事件から25年 習近平は過去を清算し政治改革を推進できるか?』参照)。
天安門付近では多くの警官が治安の安定を徹底すべく睨みをきかせていた。
例年通り、共産党に天安門事件に関連する真相究明、名誉回復、再評価などを求めてきたリベラル派知識人・活動家などには監視の網が張られていた。
同日、中国のウェブを一通り検索してみたが、中国人の間で使われることの多い、天安門事件を指す“六四”に関する記事は一切見られず、中国最大のサーチエンジン・百度で検索をかけても1つも出てこないという状況であった。
6月3日、中国外交部が定例記者会見を開き、華春瑩報道官が天安門事件に関する質問に対し「中国はとっくに結論を出している」と主張し、当時の党指導部の対応は正しかったとする従来の位置づけを変えず、真相究明や再評価などは行わない立場を示した。
その後、中国外交部のオフィシャルサイトを閲覧してみたが、6月3日の記者会見の模様をレビューした文字から、天安門事件に関するやり取りは削除されている。
本稿では、共産党指導部が文化大革命という歴史的事件に対して、「あれは完全な誤ちであった」というスタンスをいま一度提示し、未来を保証するという観点から「二度と起こってはならない」という意思を主張したことに一定の評価を与えた。
私があえて評価したいと思う動機には、中国共産党が過去における事件の真相に真正面から向き合い、総括・清算し、それを乗り越えることで明るい未来を創造してほしいという主観的希望が含まれていることだ。
当時、実質的な最高指導者であった鄧小平が“鎮圧”という判断を下し、処理した天安門事件を清算してこそ、習近平は鄧小平を超え、中国の政治・経済・社会レベルにおける改革が真の意味で抜本的に前進するという見方は、いまだ変わっていない(2013年12月27日掲載の連載第19回『Beyond Deng Xiaoping:改革への道にそびえる最大の壁』参照)。
しかしながら、現状を眺める限り、中国共産党指導部が天安門事件を清算することを通じて前に進もうとする可能性は、少なくとも現段階では限りなくゼロに近いと言わざるをえない。
私は中国共産党の政治体制改革にとって、天安門事件への清算は不可欠な要素であり、後者不在の前者は説得力を欠くし、後者が伴ってこそ前者に弾みがつくものだと考えてきた。
本連載でも度々触れてきたように、私は習近平が自らの任期内で何らかの政治体制改革を推し進めるべく構想を描いていると論じてきたし、いまでもその考えは変わらない。
ただ天安門事件への清算に対しては一向に兆しすら見えない。
■台湾問題が解決されない限り過去の総括はあり得ない?
この状況をどのように理解したらいいだろうか。
習近平総書記とも近い“紅二代”の知人・M氏に疑問をぶつけた。
すると、次のような答えが返ってきた。
「現段階で六四の清算はあり得ない。
やるとしても、台湾を統一してからだ。
国家がいまだに統一していないような状況で下手に清算しようとし、社会が混乱したり、民族の分裂が起きたりすれば、それこそ大危機になる。
胡耀邦の名誉回復は実質的になされたが、趙紫陽のそれはあり得ない」
なるほど。
六四清算と台湾問題をリンケージさせた説明は、少なくとも私の中では説得的に聞こえる。
中国共産党が言うところの“台湾問題”が解決していない状況は、中華人民共和国にとっては“不正常”であり、それが解決されて初めてミッション・コンプリートと言えるのだろう。
それが達成される前に、共産党の威信や国家全体の安定が脅かされるようなきっかけを自らつくり出すようなこと、その引き金を自ら引くようなことは絶対にしないということか。
6月4日。総統に就任して2週間が経った台湾の蔡英文女史は、自らのフェイスブックを更新し、次のように投稿している。
「天安門広場の学生たちが民主と自由を望んだ気持ちは、過去にそうした道を歩んできた我々が、誰よりもはっきりと理解できる。
台湾海峡の対岸の政治制度について、総統の身分で非難するつもりはないが、台湾の民主化の経験を分かち合いたいと心から願っている。
台湾海峡の両岸で事件をいつまでも隠し事にしてはならない。
民主主義や人権に対する見方で同じ方向に向かう日が来ることを望んでいる」(2016年6月4日、NHK NEWS WEB『天安門事件から27年 政府批判を抑え込む動き』参照)。
蔡英文総統からのこのメッセージは中国国内では一切報じられておらず、百度などの国内サーチエンジン・ウェブメディアでも検索できなくなっている。
』
【2016 異態の国家:明日への展望】
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