2016年5月11日水曜日

適正人口への長い道のり(6):経済成長はすべての問題を解決してくれるのか? 「木綿のハンカチーフ」時代は終わっている

_


現代ビジネス 2016年05月11日(水) 広井良典
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48620

「経済成長」幻想が日本を滅ぼす!
人口減少社会を「希望」に変えていく確かな方法
もう過去の“成功体験”は捨てよ





 かつて70年代後半に、当時のアイドル歌手だった太田裕美の「木綿のハンカチーフ」という曲が大ヒットしたことがある。
 と言っても、最近の学生にこの話をしてもまったく通じず、彼らにこの話をするときは“今でいうとAKBどころじゃないほど人気があった太田裕美という歌手がいて……”といった説明をしなければいけないのだが。

 この曲は、「東へと向かう列車」――この“東”はもちろん東京を暗に指している――に乗って大都会に出ていった若い男性と、地元に残った恋人の女性との間のやりとりが歌詞になっており、男性は後半で東京の暮らしが楽しくて帰れないと言い、“涙ふく木綿のハンカチーフください”という女性の言葉で終わる内容となっている。

 ここで「木綿のハンカチーフ」の話をしたのは、この曲は、まさにそれが大ヒットした時代の世界観やパラダイム――後でも述べる“幸福”観でもある――を象徴的に表現したものと言えるからである。
 その時代とはもちろん高度成長期だが、それは言い換えれば人口や経済が「拡大・成長」を続けると同時に、“すべてが東京に向かって流れていた”時代でもあった。

 ただし正確に記すと、この曲がヒットした1975年~76年という時代は、すでに高度成長の後半期であり、私は中学2年生くらいだったが、日本は次第にモノがあふれる時代になりつつあり、それまでの高度成長期的な価値観に疑問が生まれ始めていた時期でもあったと思う。
 かくいう私自身が、ひたすら「拡大・成長」を追求するという日本社会のありようへの疑問とともに育ったのだった。

■経済成長はすべての問題を解決してくれるのか?

 ところで、ここで現在の視点から、この歌の続き、いわば“その後の「木綿のハンカチーフ」”を考えてみるとどうだろうか。

 東京に残った先ほどの男性は、乗車率300%の通勤電車で会社に通い、半ば過労死する寸前まで働くことになったかもしれない。
 子育てもままならず――ちなみに東京の出生率は都道府県の中で最低である――、
 中年を迎えると、故郷に残してきた親の介護問題が発生するが、遠距離介護で親のケアもできない……。

 こうした状況や事例が現に数多く起こってきたのである(ちなみに以上のような話は、数年前に参加させていただく機会のあった、東京の「大丸有(大手町・丸の内・有楽町)」地区の今後を考える研究会でも話題となっていた)。

 いずれにしても私たちは、「木綿のハンカチーフ」の時代とは全く逆の状況を生きようとしている。
 そして、現在の日本社会の最大の問題は次の点にあるだろう。

 それは、いま述べたように
 私たちは「木綿のハンカチーフ」とは大きく異なる時代状況を生きつつあるにもかかわらず、
 現在の日本には、なお「木綿のハンカチーフ」の時代の世界観にとらわれて、
 その延長でしか社会や経済やビジネスや企業のあり方、
 東京-地方の関係、あるいは働き方や「幸福」の意味を考えることができない層が多く存在しており、
 しかもそうした層が社会の中枢部を実質的に牛耳っている
という点である。

 異論があるかもしれないが、私から見ると「アベノミクス」はまさにそうした“ひたすら「拡大・成長」を目指すことが幸福をもたらす”という世界観の典型的な象徴に映る。
 世代的には、団塊の世代をはさんで上下それぞれ10年くらいにわたる世代において、そのような価値観が特に強い
だろう。

 いささか距離を置いた見方をするならば、ある意味でそれはやむをえない面もあるかもしれない。
 つまりそうした世代には、高度成長期の“成功体験”――それが本当に「成功」だったと言えるかについては様々な疑問があるが――がしみ込んでおり、また“ジャパン・アズ・ナンバー・ワン”とまで言われた記憶が強固に残っていて、
 全体として「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という世界観から抜け出すことができない
のだ。

 増税をひたすら忌避し、結果として1000兆円に上る借金を若い世代そして将来世代にツケ回ししているという、現在の日本の異常とも言える状況も、そうした発想――経済成長により税収はやがて自ずと増加し借金を解消することができるという幻想――と一体のものである。

■「定常型社会」という発想――日本の長期人口カーブからの示唆

ところで今年の2月、2015年の国際調査の結果が公表され、前回(2010年)に比べて日本の総人口が初めて減少に転じたことが明らかになった。

以下の図はそうした日本の総人口の推移を、平安時代からの長期の時間軸で見たものだ。




大きく概観すると、江戸時代後半の日本の人口は約3000万で安定していたが、
★.“黒船ショック”を通じて欧米諸国の軍事力やその背後にある科学技術力に衝撃を受け、これではいけないということでそれ以降は“富国強兵”、
★.第二次大戦後は“経済成長”ということを国を挙げての目標に掲げ、国力の増強に努めるとともにひたすら「拡大・成長」という坂道を上ってきた。

 そうした社会のあり方が、ほとんど“直立”するかのような人口の急激な増加カーブとなって示されているわけである。
 先ほどの「木綿のハンカチーフ」は、こうした「拡大・成長」の時代の後半期と対応しており、この歌の内容がそうであるように、この人口急増の時代とは他ならず“すべてが東京に向かって流れる”時代でもあった。

 しかし2005年に前年に比べて人口が初めて減り、その後は上下する時期がしばらく続いていたが、2011年からは一貫した減少期に入り、その結果が先ほどの国勢調査結果ともなっている。
 そして現在の出生率(1.42〔2014年〕)が続けば、日本の総人口は図にも示されているように
 2050年には1億人を切る
ことが予測されている。

 この図を全体として眺めると、それはまるで「ジェットコースター」のような図になっており、ジェットコースターが落下する、その縁に現在の私たちは立っているように見える。

 私たちは今後どのような社会のありようを構想していくべきなのだろうか。

 手前味噌となるが、私は今から15年前の2001年に『定常型社会 新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書)という本を出した。その要点は次のようなものである。
 すなわち、「拡大・成長」のみを求めて様々な政策を行ったり、ビジネスや社会や教育や働き方等々を考えたりしていくことは、時代状況に大きく合わなくなっていて、かえって様々なマイナスを生む。
 むしろ「定常型社会」、つまり経済成長を絶対的な目標としなくても十分な「豊かさ」や、より大きな「幸福」が達成されるような社会を私たちは目指すべきである、という内容である。

 定常型社会などというと夢物語のように聞こえるかもしれないが、私が見るところ、ヨーロッパの多くの国々――主にドイツ以北のヨーロッパ――ではそれに近い状況になりつつある。

■新しい発想で「豊かさ」や「幸福」を考える必要性

 なぜ「ひたすら拡大・成長を追求する」ということが問題なのか。
 それは、現在のような状況においてそうした方向を求めると、膨大な借金の将来世代へのツケ回しに加えて、皮肉にも拡大・成長という目標とは逆の結果を生み出してしまうからである。

 たとえば先ほど言及したように、出生率を都道府県別に見ると東京が最下位で、沖縄がトップという事実がある。
 ひたすら「拡大・成長」という方向は、バブル期に言われたような“24時間働けますか”といった発想とも重なるが、そうした姿の代表は最大のビジネス都市たる東京である。
 しかし逆説的にも、そうした東京では(子どもを産み育てる余裕もないため)出生率はもっとも低く、それは自ずと「人口減少」につながり、経済成長という目標にとっての最大のマイナス要因の一つとなる。
 つまりひたすら「拡大・成長」を追求するという方向が、結果として逆の帰結を招いてしまっているのだ。
 さらに、東京への人口集中が進めば進むほど、それは日本全体の出生率を下げる結果につながる。

 沖縄の出生率がもっとも高いという点も併せて考えると、ここでイソップ物語にあったような“北風と太陽”の話が思い出されるだろう。
 つまり何でもかんでも「拡大・成長」という発想ではなく、少し肩の力を抜いて「歩くスピード」をゆるめるような方向が、出生率の改善を含め、かえって経済にとってもプラスの結果をもたらすのである。

 関連して、労働時間と時間当たり労働生産性の関係を国際比較すると、労働時間の「短い」国のほうが概して労働生産性が「高い」という、負の相関関係が見られるという点も類似した現象と言えるかもしれない。
 長時間つきあい残業をすれば生産性が上がるというものではなく、むしろ逆なのだ。

 さらにこれは経済成長と「幸福」という、近年活発に論じられているテーマともつながってくる。

 すなわち世界の様々な幸福度指標ないしそのランキングにおいて、残念ながら現在の日本は一定の経済的豊かさのわりにずいぶん低い位置にある
 (たとえばミシガン大学の世界価値観調査では43位、イギリスのレスター大学の「世界幸福地図(World Map of Happiness)」では90位であり、今年3月に公表された国連の「世界幸福白書(world happiness report)2016年版」では53位)。

 こうした主観面の国際比較は難しい要素を含んでいるので、それを額面通りに受け止める必要はないが、日本が先ほどの人口変動のグラフにも示されるように、あまりにも「拡大・成長」のみを追求してきたことの矛盾がこうした結果を招いている面があるのではないだろうか。

 ちなみに、フランスのサルコジ大統領(当時)の委託を受けて、ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツやアマルティア・センといった著名な経済学者が、2010年に「GDPに代わる指標」に関する報告書を刊行しており(Stiglitz 他(2010))、またこうした動きと関わるものとして、経済学や政治学、心理学等の関連諸分野において「幸福の経済学」と呼ばれる研究が近年盛んになっている。
 これは日本に限らず、GDPあるいは経済の「拡大・成長」をひたすら追求する方向性がある種の限界に直面し、新しい発想で「豊かさ」や「幸福」の意味を考える必要があるという認識が、世界規模で共有されつつあることの証と言えると思われる。

■ビジネスと倫理の進化
――定常化時代の新たなビジネスモデルへ

 ビジネスや企業のあり方も同様である。
 モノがなお不足していて、人々の消費が大きく伸びる時代であれば、“モーレツ社員”的な働き方も一定の意味があったかもしれない。

 しかし現在のようにモノがあふれる時代となり、人々の消費が大方成熟ないし飽和しているような状況において、かつてと同じような行動を続けていれば、それは企業同士が“互いに首を絞め合う”ことになり、結果として経済全体にもマイナスになっていくだろう。
 それはまた、近年の日本において企業の「不祥事」が後を絶たないこととも関係している。

 以上のように言うと、
 「それは理屈としてはわかるが、
 しょせん実現不可能な“綺麗事”であり、ビジネスあるいは経済というのは本来『利潤極大化』が至上命令の“弱肉強食”的世界であって、変わることはない」
といった反論がかえってくるかもしれない。

 しかしそれは違うのである。
 というのも、日本つまり私たち自身の過去を振り返ると、実は現在とはまったく異なる「経済」や「ビジネス」についての考え方や実践がそこに存在するからだ。

 こうしたことを、「経済(ないしビジネス)と倫理の進化」という視点から最後に考えてみたい。

 「経済と倫理」というと、現在では対極にあるものを並置したような印象があるが、近代以前あるいは資本主義が勃興する以前の社会では両者はかなり重なり合っていた。
 近江商人の“三方よし”の家訓がすぐ思い出されるし、現代風に言えば「地域再生コンサルタント」として江戸期に活躍した二宮尊徳は“経済と道徳の一致”を強調していた。

 先ほど言及した“黒船ショック”をへて日本が急速に近代化の坂道を登り始めて以降も、こうした世界観はなお一定保たれていた。
 「日本資本主義の父」とされる渋沢栄一は『論語と算盤』を著し、経済と倫理が一致しなければ事業は永続しないと論じたし、この時代の事業家には、渋沢や倉敷紡績の大原孫三郎のように様々な「社会事業」ないし福祉活動を行う者も相当数いたのである。 

 戦後の高度成長期になると、状況は微妙に変化していったように見える。
 “経営の神様”といわれた松下幸之助が「根源社」という社を設けるなど宇宙的とも呼べるような独自の信仰をもっていたことは比較的知られており、同様の例はこの時期の日本の経営者に多く見られる。

 ただし国民皆保険制度の整備(1961年)など福祉や社会保障は政府が行う時代となり、経営者は社会事業などからは遠ざかっていった。
 当時はモノがなお不足していた時代であり、松下自身が考えていたように、企業がモノをつくり人々に行き渡らせることがそれ自体「福祉」でもあったのである。
 ある意味で収益性と倫理性が半ば予定調和的に結びつく牧歌的な時代だったとも言える。

 80年代前後からこうした状況は大きく変容し、一方でモノがあふれて消費が飽和していくと同時に、「経済と倫理」は大きく分離していった
 (京セラの稲盛和夫やヤマト運輸の小倉昌男などは例外的ケースかもしれない)。
 他方では、日本がそうであるように経済格差を示すジニ係数は増加を続け、また資源や環境の有限性が自覚されるに至っている。

 しかし近年、“「経済と倫理」の再融合”とも呼ぶべき動きが、萌芽的ではあるが現われ始めているように見える。
 たとえば「ソーシャルビジネス」や“社会的起業”に取り組む若い世代の言明などを読むと、それは渋沢栄一や近江商人の家訓など、ひと時代前の経営者の理念と意外にも共鳴するのだ。
 なぜそうなるのか。
 もっとも大きくは、本稿で論じてきたように、
 経済や人口が「拡大・成長」を続ける時代から
 「定常化」への移行という構造変化が本質にある
だろう。

 つまり経済のパイがほとんど大きくならない状況の中で「拡大・成長」時代の行動パターンや発想を続けていれば、先述のように企業や個人は“互いに首を絞め合う”結果になる。
 あるいは意図せざる形で不祥事に自らを追いやる結果になったり、“ブラック化”してしまったりする。

 思えば近江商人の“三方よし”も、二宮尊徳の“経済と道徳の一致”も、渋沢栄一の『論語と算盤』も、それらはみな経済がある程度成熟し、限りないパイの拡大という状況が困難な時代における発想の転換あるいは新たなビジネスモデルの創造という意味をもっていたのではないか。
 そこでは売り上げの「拡大」や「成長」よりも、事業の「持続可能性」や「(ヒト・モノ・カネの)循環」といったことが優先的な価値となっているように見える。

 そして私たちの先人が現にこうした思想をもち実践者として活躍し、大きな足跡を残したということは、
 “人口減少社会のフロントランナー”たる私たち日本人が、
 「定常型社会」の新たなビジネスモデルを築き実現していけることを示している
のではないか。

 人口減少が本格化する今、根本からこれからの経済社会のあり方や「豊かさ」、「幸福」の意味、そしてビジネスと倫理の関係性を考え直す時期に来ているのである。

広井良典(ひろい・よしのり)(京都大学こころの未来研究センター教授)
1961年岡山市生まれ。東京大学教養学部、同大学院修士課程修了後、厚生省勤務をへて96年より千葉大学法経学部助教授、2003年同教授。2016年より京都大学こころの未来研究センター教授。専攻は公共政策及び科学哲学。著書に『定常型社会』(岩波新書)、『人口減少社会という希望』(朝日選書)、『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(岩波新書)など多数。『日本の社会保障』(岩波新書)でエコノミスト賞、『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書)で大仏次郎論壇賞受賞。



現代ビジネス 2016年05月11日(水) 貞包英之(山形大学准教授)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48598

 日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ? 
地方で不気味な「格差」が拡大中
大都市と地方の幸福と不幸

■地方から出ることをためらう人びと

  現在の「地方創生」の声の賑やかさには、これまでにない特徴がある。
 地方都市の「消滅」に対する危機感があおられ、巨額の税金がそれを回避するという名目で地方に投入されている。

 しかしその一方で、地方を居心地のよい場所とみなす声も少なくない。
 ベストセラーになった藻谷浩介らの『里山資本主義』から、ネットで話題のイケダハヤト氏のブログまで、地方はしばしば快適で、金がかからず、ひょっとすれば人情のある場所としてもてはやされているのである。

 たしかに地方を理想化する声だけなら、かつてもみられた。
 魂の故郷として地方を称えることは、たとえば戦前の農本主義や、1970年代の第三次全国総合開発計画(三全総)でみられたことである。
 地方を純朴な場とみなす一方で、都会の風俗の堕落を嘆き、その都会によって地方が汚染されていると批判すること――それがこれまで地方賛美のひとつの型になってきた。
 ただし現在の賛美の声において興味深いのは、地方が理念的にもちあげられるだけではなく、集団的な「移動」の変容というかたちで、地方への固執が実際に確認されることである。

 たしかに地方に向かうUターン、Iターンの動きが大きくなっているわけではない。
 しかし地方に入ってくる人が減るのに応じて、地方からの転出者も少なくなっていることが確かめられる。
 たとえば下のグラフは東京、中京、大阪の三大都市圏に移動した人口を示したものである。
 長期的にみれば移動者は
★.1970年に158万人を記録
して以降、70年代、また90年代なかばや00年代末に目立って減少し、
★.2011年には最盛期の半分の79万人にまで減っている。



 移動の退潮を引き起こしたのは、ひとつには少子高齢化である。
 日本では10代後半から20代の若者の移動率が高いのであり、それゆえ少子化による若者層の縮小はそれだけ移動者数の減少にむすびつく。
 ただ移動が少なくなっているのは、そのためだけではない。
 詳述はしないが、若者自体の移動率の減少も目立つのであり、その両者が重なることで移動者は急減している。

 こうした移動の減速が一概に悪いかといえば、そうはいえないだろう。
 地方を出る若者が減ったのは、端的にいえば地方が「豊か」になったからではないか。
 地方に快適な家が立ち並び、また巨大なモールがつくられることで、都会発のモードに遅れない暮らしが容易になった。

 それに加え、商業環境の充実は、雇用の場――ただし非正規的なものが多い――を誰にでも開きつつある。
 これまでのように受け継ぐ土地や資産やコネを持たなくとも、地方に留まることのできる状況が生まれているのである
(参照:巨大化するショッピングモールは、地方都市の「最後の希望」か「未来の廃墟」か)。

■移動は階層化し、地方は閉塞する

 以上のような見方を、ここで否定したいわけではない。
 知らない人の多い大都市で、古くて狭い家に住み、長い通勤時間に耐え暮らすことに比べれば、地方の暮らしのほうがよっぽど「快適」とみる見方も、一定の説得力をもっている。

 ただしだからといって地方から出る人の動きが小さくなっていることを、手放しで喜ぶことはできない。
 最大の問題は、移動の減少が均一にではなく、格差を伴い起こっている恐れが強いことである。
 たとえば近年、大学進学のため、また大学卒業後に就職のために地方を出る人びとはかならずしも減っていないのに対し、進学や就職のため県外に出る高卒者や専門学校卒の人びとは減少している(学校基本調査)。

 それはつまり移動が階層化されていることを意味しよう。
 学歴、そしておそらく特別の資産やコネをもたない者は、地方を出づらい傾向が高まっているのである。
 言い換えるならば、「移動できる者」と「できない者」の二極化が、地方では進んでいる。
 近年、国境さえ超える社会的な移動が活発になっていることがしばしば話題になっているが、移動の拡大には、あくまで学歴的、資産的な偏りが大きいのである。

 問題になるのは、そのせいで地方社会の風通しが悪くなっていることである。
 学歴に優れ、資産を持つ「社会的な強者」がいち早く抜けていく地方で、なお留まる人びとには、これまで以上に地元の人間関係やしきたりを大切にすることが迫られる。
 地方を出る可能性が低いとすれば、それらを何よりの資源としてサバイバルしていかなければならないためである。

 結果として、地方には、「地域カースト」的とでも呼べる上下関係が目立つようになっている。
 移動の機会の減少は、それまでの人間関係を変え、ちがう自分になる可能性を奪う。
 それによって子供のころからの関係がたびたび持ちだされ、補強されていくのであり、そのはてに飲み屋や「まちづくり」の場などで大きな顔をするのはいつも一定の集団――最近「ヤンキーの虎」などと呼ばれもてはやされ始めているが――になり、そうではない人は地元でこっそり暮らすという分断が、地方社会で強められているのである。

■かつての上京者:永山則夫

 「豊かさ」の後ろで地方が抱えるこうした閉塞に迫るために、ここではおよそ50年前の一人の男性犯罪者と、2000年代に罪を犯した(とみられる)二人の女性の移動の軌跡を対比させてみておきたい。

 彼・彼女たちはいずれも10代のうちに、北日本の故郷――青森、北海道、新潟――を出て東京に赴き、人を殺す。
 しかしその動機、またその後の世間の反応は大きくちがった。

 まずその一人、1949年生まれ――「団塊」最後の年――の永山則夫が青森県板柳を出たのは、端的に貧しかったことが大きかった。
 ひどい貧困のなか、今ならネグレクトともいえる家庭内環境で育てられた彼が留まることのできる居場所は、家にも街のなかにもかなり限られていた。
 だから永山は東京へ赴き、クリーニング店を皮切りに、米屋や牛乳店での住み込みの仕事や、ジャズ喫茶のアルバイトなどを転々として暮らしていく。
 ただし重要なことはこうした移動の背後に、同じように故郷を離れ上京した大量の移動者がいわば「同伴」していたことである。

 時代は中卒者が金の卵ともてはやされる集団就職の時代――映画『三丁目の夕日』でノスタルジックに描かれたように――を迎えており、実際、彼が逮捕された1969年には三大都市圏に向かった人口は、156万人と史上2位の多さ――最大は翌年の1970年――に達している。
 そうして同じように家を出た大量の移動者を背景として、彼の事件には大きな共感が寄せられた。
 永山は盗んだ拳銃で函館、名古屋と広域的に射殺事件を起こしたのだが、その事件にはそれを理解しようとするさまざまな言葉が群がる。

 寺山修二、井上光晴、平岡正明、中上健次などを代表に、永山の犯罪は、同時代の人びとが自分も犯すかもしれなかった事件として、共感を込め語られていったのである。

■現代の上京者:木嶋佳苗、三橋香織

 それに対し、同じく北日本から上京し事件を起こした、ともに1974年生まれの二人の女性の移動の状況は大きく異なる。
 最大のちがいは、永山のいわば子ども世代――つまり団塊ジュニア――にあたる二人の女性が、地方でそれなりに豊かに暮らしていたことである。

 司法書士、また社長という地方の名士の娘として、二人は少なくとも物質的には「快適」な生活を送り、その意味で永山の「貧しさ」のような「上京」のためのあきらかな原因はもっていなかったようにみえる。
 それでも二人は「上京」したのであり、だから二人の生活は困難に陥る。
 家庭との不和や不幸もあったが、地方ではあたりまえの「快適」な暮らしを自分で維持することは、高卒の木嶋佳苗のみならず、白百合女子大学を出た三橋香織でもむずかしかった。

 たんにバブル後の不況のためではなく、ひとつには東京にはすでに移動を完了した第二世代としての団塊ジュニアたちが蝟集していたためである。資産やコネを持つ同世代の定住者と、不況下の東京で彼女たちは競い合わなければならなかった。
 それでも彼女たちは「快適」な暮らしを得ることをあきらめず、だからこそ風俗店で働き、愛人契約を結ぶといった危うい生活を続けていく。

 しかし、なおうまくいかず、結局、一方は結婚詐欺をくりかえしつつ近寄ってきた男たちを殺害――ただし現在上告中――、他方は夫と別れられず、DVを甘受する生活をつづけたはてに、最後には殺害し新宿や町田に遺棄する事件へと追い込まれる。
 この彼女たちの事件と、永山の事件に重なる部分がないわけではない。
 共通するのは、彼・彼女たちが地方での生活に満足できず、何かを求め北日本の故郷からの「上京」したことである。

 しかしその「移動」が、時代の流れに乗っていたかどうかは、対称的である。
 永山が「貧しさ」のために上京した大勢のなかの一人として理解され、また本人もそう振る舞ったのに対し、彼女たちはそうではなかった。
 彼女たちの時代、地方から都会への移動は階層化するとともに、半減していたためである。
 それはひとつには、彼女たちと同じように、多くの人びとが地方でそれなりに「快適」な暮らしを送っていたためといえよう。
 上京した場合、よっぽど力がなければ、同程度の暮らしを送れなくなる恐れが強く、だからこそ多くの地方出生者はせいぜい県内に滞留する。

 それでも木嶋佳苗や三橋香織はあきらめなかった。
 彼女たちは時代の流れに逆行しても、地方を出て東京で何かをつかもうとあがくのであり、そのはてに同じようにもがきつつ東京で生きていた人びとを殺害するという破局に陥るのである。

■事件があきらかにするもの

 以上のような彼女たちの軌跡が照らしだすのは、まず、
①:現代の「上京」が過去に比べ独自の困難を背負っているという現実である。
 かつて永山は上京し、苦しい暮らしを積み重ねることを恐れなかった。
 地方での貧困に比べれば少しでもましな暮らしが待っているように期待されたためだが、現在そう思える人は少ないだろう。
 いまや地方の暮らしはそれなりに「快適」なのであり、逆に東京では、すでに住宅やコネをもつ者とのシビアな競争が求められる。
 そのなかで特別の「才能」や資産、そして自分に対する自信を持たない人が、わざわざ上京することをためらうのも当然といえる。
 ただし上京する者が皆無なわけではない。
 量としては半減しつつも、木嶋佳苗や三橋香織のように「上京」する人びとは現在でもいる。
 そのことは逆に、
②:置き去りにされた地方の生きがたさを照らしだす。

 なぜ木嶋佳苗や三橋香織は地方での暮らしを捨て、上京したがったのか。
 その理由は具体的にはあきらかではないとしても、彼女たちが地方に居心地の良い場所をみつけられなかったことは事実であり、そこに「快適」さのなかで閉塞していく地方の生きづらさが透かしてみえる。

■次世代の移動者:加藤智大

 上京すること、地方に留まることは、今ではこうしてそれぞれの困難を抱えている。
 だからこそ、その二者択一を相対化する道も浮上している。

 先に大都市に向かう移動が減少していることをみたが、それはあくまで県を出る長距離の移動にかんしてであり、県内、または地方の中核都市へと向かう近距離の移動は実はかならずしも減っていない(国勢調査)。
 そのことは、大都市を目指さず、しかし生まれた場所に留まることで生じるしがらみを地方間の移動によって回避する動きが、現在一定数選択され始めていることを浮かび上がらせる。

 それを極端なかたちで示すのが、木嶋佳苗や三橋香織の次の世代、「秋葉原事件」を起こした1982年生まれの加藤智大の移動の軌跡である。
 加藤は青森の高校を卒業した後、岐阜県の短大に入学。
 卒業後は仙台、埼玉、茨木などで非正規の職を転々として暮らしている。
 しかしその暮らしは、彼自身の手記(『解』)では、かならずしもつらいものと描かれていない。
 加藤は地方の工場で、好きな自動車にかかわるそれなりに満足できる仕事をみつけられたのであり、だからこそ事件を起こすまで、加藤は東京にはたまに買い物に訪れるのみで、地方を転々としながら暮らしていた。
 
■大都市暮らしと地方暮らし

 こうした加藤の軌跡は、「移動」にかかわり現在せり上がりをみせているひとつの動きを照らしだす。
 ある地方に留まる、または大都市に定住するのではなく、地方を渡り歩きながら暮らしていくこと。
 それは大都市の世知辛さも、生まれた地方都市に留まるしがらみも回避するうまいやり方なのかもしれない。
 ただし他の生き方に比べて、そうした暮らしがよりマシとは即断できない。
 少なくとも加藤にとっては、そうではなかった。
 現住地でのかかわり以上に、ネットの関係にこだわる生き方は、彼を無差別殺人という破局へと連れ出していく。

 だとすれば地方暮らしがいいのか、東京暮らしがいいのか、または地方を転々とする第三の道がいいのかは、一概には判断できない。
 たしかに大都市の生活も、地方の生活も、いまでは住環境や買い物環境、あるいは情報環境が整うことで、いっそう「快適」なものになっている。
 実際、だからこそ地方だけではなく、大都市からあえて出ようとする人口も以前と比べれば減少している。
 ただしそうした地域に根ざした暮らしがバラ色というわけではない。
 「快適性」の増大は、移動をむずかしく、また階層的に限られたものにすることで、地方と大都市をますます互いに孤立させている。

 そうしてどこか別の場所に移住することがいっそうむずかしくなる結果、生まれや学校や交友関係によって決められた「カースト」をぬけ出し、ちがう自分になる可能性が、大都市からも、地方からも奪われているのである。

 犯罪者たちの生は、こうした現代都市の生きづらさをよく浮かび上がらせる。
 たとえば木嶋佳苗や三橋香織の軌跡は、移動を抑制する時代の流れや、生まれた地域――地方にしろ大都市にしろ――で満足すべきという社会の黙契に逆行した場合、「快適性」をふたたび手に入れるためにかなり厳しい努力が必要になることを照らしだす。

 それらの生にはたしかに「極端」なところがあり、わたしたちはそれを批判し、非難することで、自分の生と無関係なものであるかのようにしばしば装う。

 しかし一方では犯罪者たちの必死の生は、移動が減少している社会の抱える困難や生きづらさを教える重い実験結果としてあるといえよう。
 つまりそれは地方で暮らすにしろ、大都市で生まれたにしろ、時代や地域の制約を超え「幸せ」を追求したとき、わたしたちが遭遇するかもしれない限界をあらかじめ指し示してくれているのである。

貞包英之(さだかね・ひでゆき)
山形大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程単位取得満期退学。専攻は社会学・消費社会論・歴史社会学。著書に『地方都市を考える 「消費社会」の先端から』『消費は誘惑する 遊廓・白米・変化朝顔~一八、一九世紀日本の消費の歴史社会学~』など。


●日本の人口の4割が暮らす地方都市。 ショッピングモール、空き家、ロードサイド、「まちづくり」…… 東北のある中都市を舞台に、この国の未来を先取りする地方都市の来し方行く末を考える



サーチナニュース 2016-05-26 11:13
http://news.searchina.net/id/1610637?page=1

日本のネット上で話題の「童貞めし」に、
台湾メディア興味津々

 台湾メディア・東森新聞雲は23日、日本のネット上で「童貞めし」なる料理がブームとなっていることを紹介するとともに、そこからは
 日本の男性が「草食」から「絶食」へと変化する現象が伺える
とする記事を掲載した。

 記事は、日本のネット上で出現した「童貞めし」ブームについて、多くの日本人男性ネットユーザーが自ら作った料理を公開し、その作り方や味を討論していると説明。
 ネットユーザーの間では
 「家庭料理よりおいしいがレストランにはかなわない。
 ただ、盛り付けにもこだわる。
 男の料理的な感覚がある一方で、女性っぽさも微妙に帯びている」
と解釈されていると伝えた。

 そのうえで、「童貞めし」の数々と見ると
 「作っている男性ネットユーザーには恋愛の経験がないことが分かる」
と解説。
 日本国内の調査で恋愛や性交渉をしたことがない男性の増加が明らかになっていると説明。
 近ごろは「草食系男子」ではなく「絶食系男子」という言葉まで出現したことを紹介した。

 記事は、日本経済の長期的な低迷により、日本人男性の多くが妻や家族を養っていく自信を失っており、結婚しない人生を選ぶようになったとした。
 そして、専門家からは、高齢化に未婚者の増加が相まって、日本社会の福利厚生は想像を絶するほどの将来的な危機に直面することになるとの見方が出ていることを併せて伝えた。

 「草食系男子」から「絶食系男子」への変化を「進化」と捉えていいものなのかについては、いささか疑問が残る。
 種の保存という観点のみから考えれば、この風潮は明らかにマイナスなものだ。

 ただ、人間は単に本能だけで生きる動物ではないゆえ、問題は複雑化してくるのである。
 「童貞めし」という名前はインパクトが強く、日本のサブカル好きな中国大陸や台湾の人にとっては興味津々といったところだろうが、この現象が映し出している社会問題は決して軽いものではない。



BRIDGE 配信日時:2016年5月10日(火) 15時10分
http://www.recordchina.co.jp/a138036.html

北京市、30年は3人に1人が高齢者
=60歳以上人口は1日500人ペースで増加―中国

 2016年5月4日、北京市民政局の李紅兵(リー・ホンビン)報道官は市の人口に高齢者が占める割合が2030年に30%を超えるとの見通しを示した。

 2015年末時点の60歳以上の人口(戸籍上)は約315万人で、北京の総人口の23.4%を占めた。
 高齢化率は全国2位。60歳以上の人口は1日平均500人を超える勢いで増え、80歳以上は同120人以上のペースで増加している。

 李報道官は
 「高齢化は急速に進んでいるが、現在はまだ中程度」
と説明し、
 「2030年には重度の高齢化社会となり、高齢者数は630万人を超える。
 3人に1人が高齢者という計算だ」
と指摘。
 さらに、
 「この人口構造は50年間続く」
との予測を紹介した。

 また、社会保障問題に関して「2020年の市の養老金支出は2000億元(約3兆2900億円)だが、2030年には6700億元(約11兆300億円)に拡大する」と説明。
 「同年は80万人が75歳以上となるが、子どもはみな一人っ子だ」
と述べ、市としても支援サービスに力を入れる考えを示した。



レコードチャイナ 人民網日本語版配信日時:2016年5月12日(木) 23時20分
http://www.recordchina.co.jp/a138178.html

「二人っ子」時代へ、
中国の母親たちが心配していることは?―中国メディア

 2016年5月12日、中国全土で「二人っ子政策」の実施が始まって約5カ月がたった。
 現在、27省が計画出産条例の改正を行い、妊婦がこれまでより長い育児休暇を取れるようになった省もある。
 しかし、「二人っ子政策」の実施により、出産ラッシュとなり、母子の安全保障が新たな課題となっている。
 では、中国の母親たちは現在、何を心配しているのだろう?
 中国新聞社が伝えた。

■産婦人科の入院は予約でいっぱい、不足するベッド数

 産婦人科のベッド数が不足しているというのが、北京の多くの病院の現状だ。
 首都医科大学付属北京朝陽病院では12月30日までの産婦人科のベッドは予約でいっぱいで、現時点では2017年のベッドしか予約することができない。
 看護師によると、今年に入り、出産する女性の数が明らかに増加しているものの、ベッド数は計50床しかない。
 受付で
 17年1月の予約を入れておけば、100%入院できるのか?」
と聞いてみると、
 「今予約しておいても、出産予定日に別の人が早産で入院しなければならなくなってしまった場合、廊下に寝てもらうことになる可能性が高い」
との答えが返ってきた。

 母子の安全は女性と子供たちの健康における前提であり、基礎となるものである。
 中国国家衛生・計画出産委員会の統計によると、15年、中国全土の妊婦の死亡率、乳児の死亡率、新生児の死亡率は10万分の20.1、8.1‰、5.3‰となっており、00年比で62.1%、74.8%、76.8%減少している。
 しかし、「二人っ子政策」の実施により、母子の安全を守ることが新たな挑戦となっている。

■安心できる中国製の粉ミルクが手に入るのはいつ?
 
 新疆ウイグル自治区ウルムチ市に住む王さんは昨年9月に出産。
 同時に、海外から粉ミルクを調達する日々が始まった。
 「中国は食品の安全に関する問題を根本的に解決できていない。
 特に乳製品は心配。
 海外からの代理購入がとても便利なので、子供には一番いい粉ミルクを飲ませてあげたい。
 周りの友人も40歳前後が多く、一定の経済力があるため、子供に心配な物は食べさせたり飲ませたりしない」
と王さん。

 中国乳製品工業協会の宋昆岡(ソン・クンガン)理事長は
 「中国の乳幼児用の乳製品はすでに品 質が保証されているものの、中国の消費者は依然として海外の粉ミルクを好む。
 これは、消費者が2008年に起きたメラミン混入粉ミルク事件を忘れられないことと関係がある。
 また、中国の粉ミルクは製造コストが高く、消費者が海外の粉ミルクを選ぶことにつながっている」
と分析している。

■公立は入れず、私立は高すぎる?

 北京市朝陽区に住む葉さん(女性)は、子供がまだ1歳であるにもかかわらず、託児所や幼稚園のことを既に心配しており、
 「公立の幼稚園は入れない。私立は高すぎる。
 家の近くで幼稚園を探したいけど、どうしたらいいか分からない」
と頭を抱えている。

 21世紀教育研究院の熊丙奇(シオン・ビンチー)副院長は「中国の基礎教育の全体的な発展状況を見ると、教育資源が不足している。
 特に就学前教育の不足が深刻。加えて、『二人っ子政策』の実施により、幼稚園などを探すのが一層難しくなるだろう」との見方を示した。

 また、
 「政府が就学前教育を義務教育に盛り込んでいない現状では、教育バウチャー(利用券)制度の推進は、就学前教育をインクルーシブに発展させる良い方法と言える。
 南京や鄭州などでこの制度が採用されており、中国の他の地域もそれを参考に推進できる」
と語った。

(提供/人民網日本語版・編集KN)



Record china 配信日時:2016年5月11日(水) 14時50分
http://www.recordchina.co.jp/a138128.html

韓国の少子化はまるで「絶壁」、
大学入試は定員割れ続出の見通し―中国メディア

 2016年5月10日、新華網によると、韓国で「絶壁」とも呼ばれる人口減少が深刻化していることが分かった。

 韓国教育部によると、2015年末時点の韓国の学齢人口(6〜21歳)は887万人で、1996年(1171万人)比で25%減少した。
 今後はさらに減少を続け、2040年には2015年比でさらに25%減少するとみられている。

 韓国では1994年に大学修学能力試験(センター試験に該当)を導入してから2002年まで、大学の定員数は上昇を続けたが、それ以降は減少傾向にある。
 2005〜2015年の10年間で10万人減少しているが、それでも2020年の定員数は高校の卒業生数よりも3万5000人上回ると推計されている。

 教育部は2023年までに定員数を16万人減らす計画だが、大学などの利害関係から実行性に疑問の声も上がっている。
 韓国大学教育研究所の担当者は、
 「政府は1996年の時点ですでに定員数が卒業生の数を上回ることを予期していたにもかかわらず、何の対策も取らなかった」
と批判している。





【2016 異態の国家:明日への展望】


_