2016年5月19日木曜日

「ゼロ成長」は不景気なの?:成長率がゼロだったら景気は良くも悪くもない、ということになるはずだが? ヘリコプターマネー?

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WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2016年05月18日(Wed)  塚崎公義 (久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6740?page=1

GDP2期ぶりプラスも相変わらず低成長
それでも失業率が低いのはなぜ?

 2015年度の経済成長率が発表され、結果は前年度に比べて0.8%の成長ということでした。
 「経済成長率が低いから不況だ」と考える人は多いのですが、その割に失業率は低く、労働力不足が続いています。

 今回は、経済成長率と失業率について考えてみましょう。

■経済成長率とは、実質GDPの増加率

 GDP、成長率といった言葉は誰でも聞いたことがあると思いますが、それは何? と聞かれると困る人も多いのではないでしょうか。

 GDPという統計は、日本語では国内総生産で、国内で作られたモノ(財やサービス。以下同様)の金額を合計したものです。
 モノが作られるのは、売れる見込みがあるからなので、
 基本的には作られたモノは使われるもの
と考えてよいでしょう。

 実質GDPの増加率というのは、GDPの増加率から物価上昇率を引いたものと考えてよいでしょう。
 実質GDP上昇率 = GDP増加率-物価上昇率
 物価上昇率を引くと、
  「国内で作られたモノの量がどれくらい増えたか」
という統計になります。

 実質GDPの増加率が大きい(つまり経済成長率が高い)という事は、モノがよく売れるので日本企業が活発にモノを生産しており、そのために多くの人を雇っている、ということを意味しています。
 つまり、経済成長率が高いということは景気が良いということだと考えてよいわけです。

■「ゼロ成長だから不景気」と言われる理由は技術進歩

 では、成長率がゼロだったら景気は良くも悪くもない、という事なのでしょうか? 
 そうではなく、「ゼロ成長だから不景気だ」と言われるのです。

 ゼロ成長ということは、前年度と同じ数量のモノが作られて売られて使われた、ということです。
 それならば、何も問題は無いようにも思えるのですが、何が問題なのでしょうか。
 それは、技術の進歩で失業が増えるからなのです。

 技術の進歩というのは、新しい発明発見の事ではなく、日本で使われている技術の水準のことです。
 企業が設備機械を最新のものに買い替えると、1人当たりの生産量が増えますから、今までと同じ量のモノを作るために必要な人数が減ります。
 昨年と同じ量のモノしか生産されなかったとすると、必要な労働力が減りますから、その分だけ失業が増えてしまいます。
 だからゼロ成長は不況と言われるのです。

 もっとも、日本では、いずれの企業もそこそこ立派な設備機械を持っているので、これを最新設備に入れ替えたとしても、それほど急激に必要人数が減るわけではありません。
 そこで、「0.5%」程度の経済成長率があれば、失業は増えないと言われています。
 逆に言えば、労働力が不足している時には0.5%程度の経済成長しかできない(それ以上の成長をするとインフレになってしまう)ということになります。
 こうした成長率を潜在成長率と呼びます。

 中国では、未だに旧式の機械を使っている工場も多いため、
 最新式の機械を導入すると一人当たりの生産量が激増します。
 そこで、「「7%」くらい成長しないと失業者が増えてしまうと言われています。
 日本でも、高度成長期には今の中国と同様に潜在成長率が高く、
 「5%しか成長しなかったから不況だった」
などと言われていたものです。

■2015年度は低成長だが失業率は低下

 2015年度の経済成長率は「0.8%」と低いものに止まりました。
 これは、実質的にゼロ成長であったと言えるでしょう。
 第一に、2015年度が閏年であったため、自動的に成長率が高めになることを差し引いて考える必要があるからです。加えて、2014年度は消費税率引き上げ後だったため、「駆け込み需要の反動減」があり、GDPの水準が実力以下だったのですが、それと比べても低い成長率だったからです。

 上記によれば、成長率が低いと、景気が悪いと考えて良いはずです。
 したがって、成長率の数字だけを見ると、昨年度は景気が悪かったということになります。
 それなのに就業者数が増加し、失業率が低下して労働力が不足しているのは何故なのでしょうか。
 考えられる要因は二つあります。

 第一は、日本経済が人手を必要とする体質に変化しつつあることです。
 第二は、GDP統計が間違えていて、実はもっと成長率が高い、という可能性です

■人手を必要とする産業が伸びている

 産業別に労働者数を見ると、増えている筆頭は医療・福祉です。
 高齢化により、医療や福祉のニーズが高まっていることは自然なことです。
 問題は、医療や福祉が機械化しにくい分野だということです。
 つまり、
 「製造業は機械化が進んでいるので、一人当たりGDPが医療等の数倍ある。
 したがって、製造業の就業が1人減ると、医療や福祉の就業者が数人増えてようやくGDPが前年並みを保てる」、
といった事が起きているわけです。
 製造業の技術が多少進歩したとしても、せいぜい
 「製造業が2人減って医療等が数人増えてGDPは昨年並み」
といったところでしょう。

 そうなると、GDPは昨年と同じ水準だし、製造業の技術は進歩しているけれど、それでも人手が足りない、という事が起き得るのです。

 そうだとすると、今後の日本経済にとって最も必要なことは、労働生産性の向上(労働者1人当たりの生産量の増加)だという事になります。

 バブル崩壊後、長期にわたって失業問題が最大の課題であった日本経済ですが、今後は
★.労働力不足が最大の課題となる、
というわけです。
 そうなると、
★.省力化投資が活発化してくる
でしょう。
 これまで企業は省力化投資に不熱心でした。
 安い時給でいくらでも非正規職員が雇えたからです。
 したがって、今の日本経済には
 「少しの省力化投資で生産性が大きく向上する工程」
が山のようにあるわけです。

 そうなると、今後は省力化投資が活発化し、景気はよくなり、生産性もあがるでしょう。
 日本経済にとって明るい材料だと言えますね。

■GDPの統計が間違っているのかも

 本当にゼロ成長ならば、景気が悪いのですから、失業が増え、企業の利益も減るはずです。
 失業に関しては、上記のように医療や介護が伸びていることである程度説明ができるのでしょうが、他の職業の従事者も増えていますから、それだけで説明するのは難しいかもしれません。

 今ひとつ、企業収益が比較的好調なことも気になります。
 不況ならば企業収益は悪化するはずだからです。

 もしかすると、本当はGDPはもっと増えていたのかも知れません。
 GDPが増えているのに、統計作成官庁がそれに気付かなかったという事かも知れません。
 専門的になりますので細かい事は書きませんが、たとえば民泊などの新しい動きを統計作成官庁がどのように把握しているのか、気になります。

 統計作成は大変な作業で、担当官庁には本当に頭が下がります。
 決して批判しようとは思っていませんが、統計を使う側が、統計を作ることの難しさを理解した上で、発表された統計を「幅を持って理解する」ことが重要なのかも知れませんね。

 なお、本稿に御興味をお持ちいただいた方は、GDP等についての詳しい説明がブログの拙稿(http://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12159998185.htmlおよびhttp://ameblo.jp/kimiyoshi-tsukasaki/entry-12160000759.html)にありますので、そちらも併せて御覧いただければ幸いです。



ロイター  2016年 05月 27日 17:32 JST  James Saft
http://jp.reuters.com/article/markets-saft-idJPKCN0YI0IJ?sp=true

コラム:日本経済に「成長」は必要か

[24日 ロイター] -
 人口でも価格でも、あるいは経済自体においても、とにかく
 自然で好ましい道はただ1つ「成長」のみだという私たちが抱く信仰を、
今こそ疑ってみるべきときかもしれない。

 中央銀行が掲げるインフレ目標から、経済に関するすべての報告や分析に至るまで、私たちの世界観には、そうした前提が組み込まれている。
  日本で人口減少が始まり、中国では人口が頭打ちとなり、たとえばイタリアの出生率は近代国家としての成立後では史上最低の水準にあるといった状況では、どのような種類の成長にも事欠くようになりかねない。
  私たちは問題をもっと巧みに捉える方法を必要としている。

  問題は、成長を実現する方法ではなく、たとえ価格下落、つまりデフレといった現象が生じるとしても、成長不在のまま生きていく最善の方法を見つけることなのかもしれない。

 日本の例を見てみよう。
 日本では過去数十年、景気後退やデフレへの対策に追われてきたが、そのコストはますます増加し、手法にも無理が生じている。
 デフレ対策として日本が用いた赤字財政支出と量的緩和を全面的に正当化するお決まりの論法は、
 価格が下落すると人々が消費を控えるようになり、
 価格と経済生産の縮小の悪循環に陥ってしまいかねない、
というものだ。

 だが、ヘッジファンドの経営者でSLJマクロ・パートナーズのエコノミストでもあるスティーブン・ジェン氏はこの点に反論する。
 すなわち、日本の労働人口がピークに達した2000年以降、
 日本のGDP(国内総生産)成長率はほぼすべての先進国を下回っているとはいえ、
 購買力平価ベースでの労働者1人当たりの生産量は、
 たとえばドイツ、ニュージーランド、カナダなどよりも順調なペースで成長している、
というのだ。

 言い換えれば、
★.緩やかなリセッションと緩やかなデフレに周期的に見舞われているとはいえ、
 個々の労働者の購買力という点から見れば豊かになる一方なのだ。

 同氏と同僚のジョアナ・フライア氏は、クライアント向けの書簡のなかで、
 日本は経済成長する必要があるのか
 私たちの答えはノーだ」
と書いている。
 「実質GDP成長率で測定する場合、
 もし人口が減少しているのであれば、
 生活水準を改善するために日本が全体として長期的に成長する必要があるなどとは、とても考えられない」

 また、1990年以来、日本の消費者物価上昇率は年間わずか0.3%であり、
 多くの国の中央銀行が掲げる2%の目標を大幅に下回っているが、
 大きな悪影響をもたらす自己強化型のデフレが定着したわけではない。

■<移行期ゆえの悩み>

 確かに、政府・日銀による景気対策・デフレ対策がなかったら何が起きていたかは分からない。
 また政府債務がGDP比で250%近い水準で推移しているなかで、将来的に低成長ないしゼロ成長ということになると、移行期に伴う大きな問題が生じる。
 何より、それだけの債務をどうやって返済するのかという問題がある。

 成長が得られないことで動揺するのは、私たちの予想だけとは限らない。
 公共部門・企業部門では、計画策定から投資、雇用に至るまで、すべてが成長を前提としている。
 シティグループで信用ストラテジストを務めるマット・キング氏は、パイが縮小すること、あるいは、期待するほどに拡大しないことの影響について楽観視していない。
 「たとえば原油価格の下落(今は上昇しているが)に対する反応を考えてみよう。
 石油生産者と石油消費者のあいだの富の再分配になるはずだったが、実際にはそうはならなくなった」
と彼はクライアント向けの書簡で書いている。
 「市場もグローバル経済も、価格の下落時よりも上昇時の方がはるかに幸福であることが分かる。
 同じことが、他の多くの分野にも当てはまる」
 またキング氏は、金融部門を除く企業収益が、2015年には世界全体で縮小しており、その傾向が最近の四半期にまで続いていたと指摘する。

 国内レベルでの企業部門において懸念されているのは、
 企業が顧客の減少に合わせて収益性を確保できる水準まで事業規模を縮小しようとすることで、
 低成長又はマイナス成長が加速することだ。
 こうした主張があるからこそ、各国の中央銀行は、かつては人口増大によって自然に得られていた成長を実現するための手段として、信用供与を使おうとするのである。

★.ここ数カ月、中国が信用供与の蛇口を緩めている
のが最も顕著な例である。
★.この戦術なら確実に成長率は上がり、
 グローバル市場は落ち着きを取り戻す
だろうが、
★.資金がどれだけ生産的な用途に投じられるかという点に関しては、
 結局のところ失敗に終わる可能性がある。

 他の先進国を見ても、
 超低金利によって投資の力強い回復がもたらされたという成功例はない

 人口成長が減速し、信用供与が起爆剤としてもはや機能しないのであれば、その手段が間違っているのではなく、目標設定そのものが間違っているのかもしれないのである。

*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。(翻訳:エァクレーレン)



ロイター 2016年 06月 23日 08:00 JST
http://jp.reuters.com/article/opinion-japan-bill-emmott-idJPKCN0Z80O7?sp=true

オピニオン:日銀緩和すでに「ヘリマネ」化、財政危機は杞憂=エモット氏
ビル・エモット ジャーナリスト/英エコノミスト誌元編集長

[東京 22日] -
 財政健全化の取り組みは堅調な経済成長が続く時だけ成功が見込めることから、日本経済の足元の弱さを考えると、消費増税先送りは正しい判断だったと、英エコノミスト誌の元編集長でジャーナリストのビル・エモット氏は指摘する。

 また、日銀緩和はすでに事実上の「ヘリコプターマネー」と化しているが、投資家は当面、日本の高水準の公的債務について過度に懸念する必要はないとエモット氏は説く。

同氏の見解は以下の通り。

■<増税より成長率底上げが先決>

 安倍首相による消費増税先送りの判断は正しかった。
 なぜなら、現局面での増税は、歳入を増やすよりも減らす方向に作用する可能性が高いからだ。
 実際、前回(2014年4月)の増税直後には、国内総生産(GDP)が大きく下落し、税収の伸びを抑えた。
 もちろん、長期的に見れば、消費税率引き上げで税基盤を強化する必要性については、私も何ら異論はない。
 ただ、現在のような低成長下での増税は、むしろ逆効果となってしまう可能性が高い。

 財政健全化の取り組みは、GDPが順調に伸びている時だけ成功する。
 ゆえに、現段階で優先的に取り組むべきことは、増税よりも、GDP成長率を持続可能なペースで引き上げていくようなアクションである。
 それは大きく分けて3つあると考える。

1].まず、労働市場改革は不可欠だ。
 非正規雇用労働者の賃金交渉力を高めたり、長期雇用を保障されてきた正規雇用労働者の企業間移動を促進するような改革を実行する必要がある。

2].第2に、
 減価償却・法人税の改革だ。企業が余剰キャッシュを投資するように、あるいは株主に還元するようにその背中を押す改革が必要だ。

3].第3に、
 競争環境を整備するような規制緩和、すなわち「第3の矢(成長戦略)」がもっと放たれなければならない。

■<すでに政府紙幣発行と同じ>

 なお、日銀が現在続けている量的緩和は「ヘリコプターマネー」とあまり変わらない。
 日銀はすでに政府支出への直接的なファイナンスを行っているに等しい。
 また、「プリンティングマネー(中央銀行券ではない政府紙幣の発行)」も実態上行われているとみなされても仕方がない。

 では、日本の高水準の公的債務について、市場参加者が懸念すべきかどうかと聞かれれば、確かに憂慮すべきではある。
 ただし、いたずらに不安を膨らませる必要はまだない。
 債権者の大部分は外国人ではなく日本人だ。
 また、純債務ベースでは、国際水準に照らして、決して過度に大きいわけではない。

(編集:麻生祐司)

*ビル・エモット氏は、英国のジャーナリスト。オックスフォード大学モードリン・カレッジ卒業後、同大学のナフィールド・カレッジを経て、1980年に英エコノミスト誌に入社。83年から3年間、東京支局長。93年から2006年まで13年間、同誌の編集長を務めた。「日はまた沈む」「日はまた昇る」など日本に関する著書多数。

*本稿は、ロイターの「アベノミクス」特集に掲載されたものです。ビル・エモット氏の個人的見解に基づいています。



Record china  配信日時:2016年7月1日(金) 7時0分
http://www.recordchina.co.jp/a130611.html

日本は20年を失った?
それは違う:
日本経済は「衰退した」のではなく「正常に戻った」だけ
日本は見えないところで相当な実力を蓄積している―中国メディア

  2016年6月29日、第一財経網は
 「日本が20年を失ったなどと誰が言った?」
と題するコラムを掲載した。

 日本経済は長期停滞に陥っているとはいえ、その強大な製造業の実力は依然多くの中国企業が学ぶべきものだ。
 世界的な不景気の中、今月8日に内閣府が発表した日本の今年第1四半期のGDP(国内総生産)はマイナス成長の泥沼を抜け出しただけでなく、0.5%増と良い数字だった。
 しかし、喜んだのも束の間、13日には大手格付け会社フィッチ・レーティングスが、日本国債の格付けを「安定」から「弱含み」に引き下げた。
 理由は、日本の財政再建への疑問。
 これは、1〜2年後に格下げする可能性があることを示している。

 日本はかつて「奇跡」と称えられた経済発展を経験した。
 戦後の廃墟から急速に復興を果たし、
 1960年代末には世界第2の経済体になり、その地位を40年余り守り続けてきた。
 中国は2011年に日本を追い抜き、現在では経済規模が日本の2倍に達しているが、アジアで前例のない成長を遂げたのは日本が先だ。

 1950〜1973年の間、日本のGNP(国民総生産)は年平均で10%以上成長し、科学技術への投資も高い成長率を支えた。
 日本は輸出主導の経済を発展させ、生産した製品のほとんどを海外に向けて販売。
 獲得した外貨で工業のさらなる発展に必要な技術や経験、原材料などを購入した。
 また、日本人の勤勉さやプロ意識、官民の緊密な協力、徹底的に追及する匠の精神なども、急速な経済復興の重要な要素となった。

 しかし、1990年代から日本経済はいわゆる「失われた20年」に突入する。
 GDP成長率は長期に低迷。
 日本企業の競争力も、自動車など伝統的な分野を除いて大きく下落していった。
 世界の経済学者は、20年余り続く停滞がどれだけ伸びるのか、そして「アベノミクス」が成功するかに非常に注目している。

 実は、21世紀に入ってから、日本経済は決して「最悪」というものではなかった。
 特に、金融危機の後の2012年と2013年の日本のGDP成長率はドイツを上回っている。
 上海外国語大学の武心波(ウー・シンボー)教授は、
 「冷戦終結までは日本は言ってみれば温室の中の花だった。
 そして現在は室外に置かれ、正常な国と同じ自然環境の中にいる。
 なぜ駄目になったのか。
 それは冷戦期に太り過ぎたから。
 これは冷戦期の需要がもたらしたバブル。
 そのため、『衰退した20年』だったのではなく、『正常に戻った20年』というべきだ」
と指摘した。

 日本はかつてハイエンドな家電の代名詞だった。
 中国のどの家庭にも日本製のテレビや冷蔵庫、洗濯機などの家電があり、80年代生まれは学生時代にはみんなウォークマンを持っていた。
 日本製と言えば、人々の頭に浮かぶのは「安心」「高級」という言葉だった。

 21世紀になった今日、どんな企業でも十分な資金さえあれば機械、技術、原料を手に入れることができるようになった。
 そのため、ソニーやパナソニック、シャープといったかつて輝かしい実績を残したブランドが外国の同業者にシェアを奪われるようになった。
 しかし、規模が小さく、知名度が低い日本企業は依然として市場の中で主導的な地位にいる。

 日本の技術力をよく表している製品はコンデンサだ。
 日常ではあまり見ることがないが、携帯電話1台に数百個、パソコンには1000個必要になるかもしれない。
 村田製作所はこのコンデンサの世界シェア40%を持っている。
 ほかの企業も合わせると、日本のシェアは80%に上る。
 また、パソコンのハードディスクに使用するモーターでは、日本電産がおよそ75%のシェアを持っており、自動車のドアミラーを調節する小型モーターではマブチモーターが90%のシェアを持っている。

 モニター・グループのアナリストであるアルベルト・モエル氏は、
 「人目を引くわけではないが、日本製品は欠かすことができないもの」
と語った。
 日本の経済産業省のデータによると、
 日本企業は少なくとも「30の技術分野」で「70%以上の世界シェア」を有している。
 今年3月にデロイト・トウシュ・トーマツが発表した競争力指数で、日本が中国、米国、ドイツに次ぐ4位に入ったことも不思議ではない。
 「失われた20年」の後、日本は積極的に、特に製造業において経済を立て直す方法を模索してきた。

 さらに注目すべきは、日本経済の特殊性。それは、GDPがGNPを大きく下回っていることだ。 
 2015年末の対外資産残高は前年比0.7%増の「948兆7290億円」で、7年連続で増加している。
 これは水面下の氷山のようなもので、決して過小評価してはいけない。
 武教授は、
 「日本の海外資産残高は、日本経済のグローバル化のレベルが非常に高く、世界経済の中の重要な一部分を占めていることを表している」
と話している。

 日本の20年は「失われた」というより、「正常な発展速度に戻った」と言った方が適切かもしれない。
 社会や経済における積極的な改革が阻まれ、短期的には顕著な効果が見られなくても、この国の「技術革新を重視する姿勢、製造業の中で陰から発揮する力、海外資産残高の拡大」など、すべてが
 「日本経済は駄目になったのではなく、
 逆に見えないところで相当な実力を蓄積している」
ということを示している。
 GDPは経済指標の一つに過ぎず、技術や産業チェーンのコントロールもその国の経済の実力を表す重要な要素だ。
 日本は依然として他国が尊重し、学ぶべき経済体である。



サーチナニュース 2016-07-01 07:25
http://news.searchina.net/id/1613318?page=1

小さな島国なのに謎だ!
日本の経済力がこれほどまでに強いとは=中国

 日本の国内総生産(GDP)が2011年に中国に抜かれたことは当時、日本に大きな衝撃をもたらした。だが、中国の人口は日本の10倍以上に達し、国土も日本のほうが圧倒的に小さく、それでも日本は今なお世界第3位の経済大国だ。

 バブル崩壊後、成長の停滞が続く日本経済に対し、中国では軽視する声も存在するが、中国メディアの一財網はこのほど、
 「小さな島が集まったような国の日本の経済力がこれほどまでに強いのは謎である」
と主張、一般の中国人の目には見えない部分で日本経済は実力を高め続けていると論じている。

 記事は、中国人旅行客の爆買いが日本経済に大きな恩恵をもたらしていることに対し、
 「爆買いがなかったら、日本はとっくにダメになっている」
という声が中国国内に存在することを指摘する一方で、日本の製造業における強大な実力を見れば
 「多くの中国企業はまだ、よちよち歩きの赤ちゃん同然」
と論じた。

 続けて、日本はかつて「ハイテク製造業」と「経済先進国」の代名詞的存在だったとしつつも、日本は「今なお隠れた実力を持ち続けている」と指摘。
 日本が国外に莫大な資産を持つこと、製造業においても世界有数のシェアを持つ企業が数多く存在することなどを指摘したうえで、日本経済は冷戦時代の恵まれた環境を失い、バブルの発生と崩壊によって経済成長率が相対的に低迷して見えるだけと主張。
 「失われた20年」という言葉があることを指摘する一方、むしろ
 「正常に回帰するための20年」
と呼ぶほうが適切と論じた。

 また記事は、日本は技術革新を重視する国であると同時に、ハイテク製造業では相当な技術力を持ち、国外における資産は膨れ上がっていると主張。
 中国で見られるような「日本経済はもうダメだ」といった評価は完全に的はずれであり、GDPのような数値では計れない、一般の中国人の目には見えない部分で日本経済は実力を高め続けているのが現実だと論じている。


Record china 配信日時:2016年6月30日(木) 19時40分
http://www.recordchina.co.jp/a138406.html

中国は第2の日本になる?
「失われた10年」から教訓得る中国の指導層―中国紙

 2016年6月28日、環球時報によると、チェコのプラハに本拠を置く国際的なNPO、プロジェクト・シンジケートは、中国は第2の日本になるかもしれないと指摘した。
 しかし、中国が向かっているのは、日本の「失われた10年」の再来ではないという。

 「どの国が第2の日本になるか」と学生にレポートを書かせると、半数以上が中国を選ぶが、記事の執筆者は訪中して中国の政治家やビジネスリーダー、専門家らの話を聞き、過去の日本から教訓を得ていることや中国の抱える問題への認識を知って見方を変えたという。

 中国の非金融債務や貯蓄率の実態は日本よりも良好で、
 2016年初頭に騒がれた債務危機がハードランディングを引き起こすという「中国リスク」は誇張されたものだったとし、
 ゾンビ企業とゾンビ銀行が実体経済に悪影響をもたらし続け、
 「失われた10年」から現在も立ち直れない日本とは異なり、
 中国の指導層はすでに国内のゾンビ企業の存在を認め、過剰な生産力を抑制するなど、速やかに対応していると指摘した。

 また、構造改革の面でも、日本と中国の違いは明確だと主張。
 日本では90年代から構造改革を実現しきれておらず、アベノミクスを阻害する要因にもなっているが、中国の政治戦略では構造改革とリバランス政策の重要性が強調されている点でも異なるとしている。


東洋経済オンライン 2016年08月10日 砂流 恵介 :ライター
http://toyokeizai.net/articles/-/131084

経済成長への「病的な執着」は日本を滅ぼす
異端の経済学者・セドラチェク、吼える

神話、歴史、哲学などの切り口から経済学のあり方を問い直した『善と悪の経済学』は、15カ国語に翻訳、欧州でベストセラーとなり世界中で話題を呼んでいる。
その著者で、プラハ・カレル大学在学中にチェコ共和国のヴァーツラフ・ハヴェル初代大統領の経済アドバイザーを務めた気鋭の経済学者、トーマス・セドラチェク氏に、現在の経済社会が抱える危機について話を聞いた。


●現代を支配する主流派経済学は、とんでもない問題を抱えている。
 失われた経済思想の魂を鮮やかによみがえらせた衝撃の話題作

■いまの経済は、「躁うつ病」的だ

――セドラチェクさんは、今の経済をどのように見ていますか。

 私は、いまの経済は「躁うつ病」的になっていると考えています。
 経済がいいときは、どんどん調子に乗って加速しようとし、落ち込むときはその落ち込み幅がすごくなる。
 成長、成長と追求して、ものすごいスピードで壁に衝突する。

 これは、経済全体の話であると同時に、個人の話でもあります。
 おだやかに暮らすというのではなく、もっと稼いで、大きく使って、と。振れ幅の大きさをみんなが求めている。
 政府が成長を求めるのも、国民がそれを求めているからですよね。

 私たちは、いつまで成長至上主義を続けるのか。
 もうそろそろ、成長マニアであることを止めないと。

 そのためにはまず躁うつの躁の部分を変えないといけません。

――なぜみんな、躁の部分にとらわれてしまうのでしょうか。

 まず、経済成長そのものに引力がありますぎますよね。
 どうしても引きつけられる。たとえば携帯電話は、そんなに頻繁に手にしていいものではないけれど、それでもやっぱり手が引きつけられる。
 そういうときは、本当は水を差さなくちゃいけないんです。
 ところが経済は、水を差すどころか、もっと引力を強くしようとしている。



●トーマス・セドラチェク(Tomas Sedlacek)/1977年生まれ。
 チェコ共和国の経済学者。
 同国が運営する最大の商業銀行のひとつであるCSOBで、マクロ経済担当のチーフストラテジストを務める。
 チェコ共和国国家経済会議の前メンバー。
 「ドイツ語圏最古の大学」と言われるプラハ・カレル大学在学中の24歳のときに、初代大統領ヴァーツラフ・ハヴェルの経済アドバイザーとなる

■人間は絶頂で恐怖を覚える

――欧州では、そういった認識は一般的になりつつあるのでしょうか?

 ヨーロッパの伝統、たとえば宗教の世界では、人間は神様に愛されながらも、すごく嫌がられているという両面があります。
 天使に近いところにいたかと思えば、悪魔の近くにも。ラブ&ヘイトですね。

 たとえば、古代ギリシャにポリュクラテスという王がいて、その王はあまりの繁栄と幸運を享受していた。
しかし、あるとき予言者がやってきて、あなたは幸せすぎます、このまま続くと神々に嫌われてしまいますよ、と忠告され、自分が持っていた大事な指輪を海に捨てることにしたんですね。
 それで万事OKかと思ったら、その後漁師から献上された魚の腹のなかに、なんとその指輪が入っていた。
 結局彼は、たいへんむごい最期を迎えるに至ってしまったのです。

 この寓話からわかるのは、人間というのは、やっぱり絶頂に達したときに、そこで恐怖感を覚えるんじゃないかということです。
 そこで自動的に罪を覚えて、自分自身を罰してしまうんじゃないか。
 そういう視点から、経済のサイクルも説明できるんじゃないか、と考えたことがあります。

 あと、古代ローマの主君たちが大きな宴を開くときには、必ず奴隷たちが後にいて、メメント・モリ、要するに死ぬかもしれない、死を忘れるなということを王に囁いていたそうです。
 そうやって、躁の状態に水を差すんですね。
 私たちの文明は、やっぱり、
 弱いところより、強いところのほうを恐がっているんじゃないかと思います。

――つまり、成長のほうが恐いと……。
 とはいえ、私たちには経済的な豊かさを追い求めてしまう部分があります。

 私たちが生きているこの文明では、自分を知ろうとするとき、自分で自分を定義するときに、やっぱり
 「消費」で定義している部分があります。
 おカネがなければ何もできないという愚かな考え方、それは人間の本能です。

 たしかドイツの哲学者だったと思いますが、おカネを川にかかる橋にたとえたんです。
 橋はそこにあるけれど、紙で造られた橋を渡ることはできない。
 おカネは架け橋であると同時に、障害物にもなりえるんです。
 そういう意味では、コピーライトのもつ矛盾というものもあります。
 私が何か発言したときに、それで報酬をもらって私は生きていけるのですが、一方で、そういうおカネが生じると、おカネがない人のところには私の話が届かない。
 でも、私の欲望としては、誰にでも私の話を知ってほしい。

■稀代のオルタナ経済書『善と悪の経済学』誕生秘話

――なるほど。「おカネを儲けたい」という経済的な欲望と、「多くの人に知って欲しい」という欲望とは、矛盾するものなんですね。

 その通りです。
 実は、私の本、『善と悪の経済学』も、必ずしも資本主義の論理で生まれたわけではないんです。
 原稿をちょっとだけ書いて、飲みに行ったら、ある人と出会ったんです。
 そこでいっしょに3杯くらい飲んだら、その人、自分は出版社の人間だって言うんですよ。
 そして、「うちで本を出さないか」というオファーをいただいたんです。
 私はよく新聞記事などは書いていたので、それでたぶん彼も私に近寄ってきたんだろうな、と思いました。
 私も、一応その話に乗って、世界で初めて『ギルガメシュ叙事詩』を経済学的に扱った話も入れようとなったんです。

 その後、第1章のはじめの部分を12ページくらい書いて彼に渡しました。
 すると、彼から電話がかかってきて、「面白くて、もう徹夜で読みました」と言われました。
 そして、自分は実は出版社の人間ではないけれど、なんとか本にしましょう、と言ってくれたんです。

――え、出版社の人間ではなかったんですか?

 そのとき思ったのは、この人はちょっとおかしいのではないかと(笑)。
 だいたい、善と悪とか、倫理とか、こんなオルタナティブな方法で経済を扱って、読んでくれる人がいないんじゃないかと私は心配してたんです。
 ところが、これは後から知ったんですが、彼は親戚から大金を借りて費用を出してくれたらしいんです。
 彼は、自分にはおカネがあるから、と言っていたんですが、実はそのとき文無しだった。

■何かの間違いからベストセラーが生まれた

――それで、本が出版されてしまった?

 はい。
 しかも、私の本の初刷は5000部でした。
 5000部と言ったらすごい部数です。
 このご時世、チェコでは最初から5000部刷るなんてありえません。
 でも恥ずかしいというか、うれしいというか、出版後に彼から電話が来て、1週間たらずで、なんと完売。

 そのあと彼は、イケアの袋に私の本をたくさん入れて、何のアポもなしに、いきなりフランクフルトブックフェアに売りに行ってくれたんです。
 ドイツで一番大きな出版社のブースに行って、
 「チェコで1週間で5000部売れたすばらしい本だから、版権(翻訳権)を買ってくれ」
とアピールしたんです。 
 でも、やはり門前払いされてしまった(笑)。
 しかし結局、チェコ共和国初代大統領のヴァーツラフ・ハヴェルが「前文」を寄せているのに興味を示してくれたり、いろいろあって、オックスフォード大学出版会から英語版を出したいという話が来たんです。
 でもその情報が入ったとき、私はだまされていると思いました。
 そんなこと、ありえないと。
 しかし本当だった。

――資本の論理とはなにか別のものによって、本が生まれたと。
 私は、最初から本にするためにモノを書いたわけじゃないし、飲み屋で知り合った彼にしたところで、「おカネのため」というだけではなかったのではないでしょうか。
 言ってみれば、なにかの間違いで、本が生まれた。
 資本主義の本質、人間の欲望を問い直そうとした本書『善と悪の経済学』は、そんな運命的な出自を持っているんです。


WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2016年08月29日(Mon)  塚崎公義 (久留米大学商学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7608

GDPを見て、今の生活がバブル期より豊かな事に気づく

 バブル期というと、華やかな時代で、皆が贅沢をしていた印象が強いと思いますが、今の実質GDP(物価上昇率調整後のGDP、数量ベースのGDP)は、なんとバブル期(日経平均が4万円近かった当時)の1.3倍もあるのです。
 GDPは国内総生産ですから、当時の1.3倍のモノ(本稿では財およびサービスを指すものとします)が生産され、その6割弱が消費されているのです。
 私達の生活レベルは、バブル期以上なのです。
 実感と違うかもしれませんが、事実は事実としてしっかり認識しましょう。


■実質GDPとは、国内で作られたモノの量の統計
経済初心者向け解説

 GDP統計は、国内で作られたモノを合計した統計です。
 各社に売値から仕入れ値を差し引いた付加価値(自分で作り出したモノの金額)を聞いて合計して作ります。
 部品会社が30万円の部品を作り、組み立て加工メーカーがそれを仕入れて100万円の自動車を作り、自動車販売会社がそれを仕入れて120万円で顧客に売ったとします。
 部品会社は30万円、組み立て加工メーカーは70万円、販売会社は20万円の付加価値ですから、合計したGDPは120万円になります。

 GDP統計の作り方は他にもあります。
 消費者などに「何円の自動車を買いましたか?」と聞いて合計するのです。
 作られた自動車と買われた自動車は基本的に同じ金額ですから、両者の結果は同じになるはずです。
 輸出された自動車については税関で統計を見せてもらう、等の追加作業は当然必要ですが。

 GDP統計は、様々な使われ方をしますが、景気との関係では「実質GDPの成長率(=経済成長率)」が論じられます。
 GDPが2倍になるということは、日本中で作られたモノの量が2倍になるということですから、雇われる人の数も2倍になるでしょう。
 そうなれば、失業者が減って景気は良くなります。

 しかし、GDPが2倍になった理由が「インフレで自動車の価格が2倍になったから」というのでは、生産量が増えるわけではないので、雇用も増えず、失業も減らず、景気も良くなりません。
 そこで、
 GDPの増加率から物価上昇率を差し引いた値が経済成長率(厳密には実質経済成長率)
として注目されるわけです。

 今ひとつ、生活水準を考える上でもGDPは重要です。
 作られたモノは原則として使われますから(売れそうだから作るので)、多くのモノが作られる国は豊かな国だ、と考えて良いでしょう。
 そこで、各国との比較や、過去との比較が重要になるわけです。
 今回は、過去(バブル期)と比較してみましょう。

■ゼロ成長だと、貧しくなるわけではないが不況
経済初心者向け解説

 経済成長率がゼロだと、国内で生産されるモノが増えも減りもしないので、国民の生活水準は一定です。
 しかし、景気は悪く、失業者は増えます。
 それは、技術が進歩するからです。 新しい設備が導入されると、今までよりも少ない人数で同じ量が生産できるので、企業が雇う人の数が減ります。

 そうなると、失業者が増えます
 失業者が増えると、労働力が余っているから労働力の値段(賃金)が上がりません。
 人々の賃金が上がらないと、物価も上がりません。
 世の中には「不況だ」「デフレだ」という声が充満し、「日本経済はダメだ」というイメージを多くの人が持つようになります。
 しかし、繰り返しますが、人々の生活レベルが落ちているわけでは無いのです。

■バブル期の実質GDPは405兆円、今は529兆円

 バブルが崩壊してから20年以上経過していますが、その間で「マイナス成長」だった年は数えるほどしかなく、基本的にはプラス成長が続いていました。
 その結果、最近の実質GDPはバブルがピークであった頃の1.3倍にもなっているのです。
 平均すれば、「毎年1%程度」の経済成長をしているのです。

 生活実感としては、「日本人は貧しくなった」と感じている人が多いと思いますが、そうでは無いのです。
 では、その格差はどうして生じているのでしょうか?

 一つには、諸外国との比較があります。
 諸外国の経済が発展し、特に中国経済の目覚ましい発展や中国人旅行客の「爆買い」などを見ていると、日本が「相対的に」貧しくなった事を痛感させられ、それが「絶対的にも」貧しくなったとの錯覚を招いているのでしょう。

■インターネットと携帯電話が無かった時代より
今の方が生活が豊か

 しかし、圧倒的に重要なことは、昔の生活の不便さを忘れてしまった(若い人はそもそも知らない)ことでしょう。
 バブル期には、インターネットは普及していませんでした。
 若い人は、「インターネットの無い生活」を想像してみて下さい。
 調べごとをするために図書館へ行ったり、飲み会の日程調整で全員に電話をして都合を聞いたり、大変だったのです。

 携帯電話もありませんでしたから、待ち合わせに遅刻すると、相手に連絡をとることができずに、様々なトラブルが起きたりしましたし、「彼女の家に電話をしたら父親が受話器をとったので困惑した」男の子も多かったはずです。

 じつは、当時も携帯電話は存在していたのですが、「マスコミ関係者が事故現場に持っていくために何キロもある電話機を担いで行った」というもので、値段も非常に高かったはずです。買おうと思わなかったので、値段は調べませんでしたが(笑)。

 当時は、インターネットや携帯電話を知らなかったので、無くても不便だとは思いませんでしたし、当時の方が美味しいものは食べていたと思いますし、将来の夢を語ることも容易でしたが、今から当時の生活に戻れと言われたら、筆者は非常に困惑するでしょう。

 ゲームについても、ファミコンのスーパーマリオが登場して大騒ぎになっていた時代に戻りたいとは思いません。
 カメラで写真を撮ったら、フィルムを現像に出して戻ってくるのを待つなんて、嫌です。

 新製品が登場した時の実質GDPの計算は複雑ですが、
 「新製品が出来て生活が便利になった分は実質GDPが増える」
ように計算がなされていると考えて良いでしょう。
 GDPが当時より大きいという事は、
 「美味しい物は食べていないけれど、それを上回るハッピーな生活をしている」

という事なのです。

 そうです。「バブル期なんかに戻りたくない」と思うほど、素晴らしい生活を我々は享受しているのです。
 日々の生活で豊かだと感じることは少なくなりましたが、実は我々の生活は豊かなのだ、ということは、しっかりと認識しながら暮らしたいものです。




【2016 異態の国家:明日への展望】


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