2016年5月30日月曜日

「裏切りのオバマ」終末の大変身(4):オバマ大統領「広島演説」は一大叙事詩だった 出来悪のオバマを手駒としてどう使うか?

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 日本にとってオバマは中国が防衛識別圏を設定したときの対応は、明らかに裏切者だった。
 日本ではその衝撃に驚愕したが、それをテコにせっせっと自国防衛主義を貫いた。
 アメリカ信用できず、中国危険な隣人、韓国まったくダメ。
 それらにはさまれて自国をどう守るかに専念してきたのが、ここ最近であろう。
 ガッチリと尖閣防衛を打ち出し、実行に移してきた。
 結果としてこれによって中国は東シナ海に手を出せなくなってしまった。

 やむえず中国はその代替を南シナ海にもとめた。
 だが、ここで中国はまた大きなヘマをやらかした。
 強力な反日デモをおこなえば「おわびと反省の国」日本はかならず譲歩するであろう、と踏んだ轍を再び南シナ海でもやってしまったのだ。
 ここには日本のような強力は国はない。
 アメリカのオバマも中国寄り姿勢で、これまでアジアには介入しない姿勢を明確にしていた。
 よし、これならいける、
と計算した。
 たしかに順調にいった。
 ところが、そのオバマが任期終了を目前に
 歴史に残る外交成果を求めはじめた
のだ。
 大きく変身してしまったのだ。
 おそらく、彼にまだ十分な任期が残っていたら、オバマはこうはあからさまに心変わりはしなかったろう。
 オバマは歴史に名を残すという、キラキラ欲望に負けてしまった
のだ。
 
 その結果として、
 中国は強くなる前に横暴になり、アメリカを南シナ海に招きこんでしまった
ということになってしまった。
 少々勇み足の感じがする。
 急激な成長によって、自分の力だどれほどだか冷静に判断する能力を欠いてしまったともいえる。
 不安というコマに乗っているにもかかわらず、
 永久に倒れないと自分に言い聞かせ、
 出たとこ勝負で突っ込んでしまった、
といったところだろうか。

 さて、日本は裏切り者にして警戒心の強い
 オバマを、手駒としてどう使うか
に腐心した。
 そして、考えついたのが、
 彼に歴史の花道を与え、そこを歩かせること
だ。
 それが広島訪問である。
 日本は2つの条件を出した。
 アメリカに謝罪を求めずまた非難もしない、
 賠償要求は一切しない、
である。
 それは清々と実行された。
 日本はアメリカを引き込み、オバマは歴史に名を残した。
 最近の言葉いうなら、ウインウインとなった。
 日本は少なくとも同じ民主党のカーターよりも大きな名を彼に与えた。
 

●オバマ大統領 広島演説 広島弁で同時通訳


東洋経済オンライン  2016年05月30日 岡本 純子 :コミュニケーションストラテジスト
http://toyokeizai.net/articles/-/120308

オバマ大統領「広島演説」は一大叙事詩だった
魂をゆさぶる、神がかり的なコミュ力

 米国の現職大統領として初めて広島を訪問したオバマ大統領。
 被爆者を抱きしめる姿や力強く情緒的なスピーチに心を震わせた人も多かったのではないか。

 日本だけでなく、世界中が注目したまさに歴史的な出来事だったわけだが、その意義や重みを人々の心に強く印象付ける一因となったのが、オバマ大統領の圧倒的なコミュ力である。

 もともと、スピーチの巧さでは高い評判を持つ天才的雄弁家であるが、そのカリスマぶりは今回の訪問でも遺憾なく発揮された。
 ケネディ、レーガン、クリントンなど歴代の米大統領の中には優れたスピーカーも多くいたが、オバマ大統領はもはや「神の領域」と言っていい。
 魂をゆさぶる「神がかり」的なコミュ力の秘密は何か。
 そして、今回の広島訪問の真の意図は何だったのか。
 彼の「言葉」と「ふるまい」から読み解いていこう。

■スピーチを書いたのは「文学青年」

 この連載の一覧はこちら
 「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変した。
 閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示された」

 まさに、舞台のオープニングシーンのような鮮やかな情景描写から始まるオバマ大統領のスピーチは、技術的・経済的発展を成し遂げながらも、戦争という愚行を止められない人類の「絶望的運命」を文学的な言葉と巧みなレトリックでつづった一大叙事詩だった。

 人類はその歴史が始まった時から暴力的な衝突を始め、その後も絶え間なく戦争を繰り返してきたことに触れながら、
 「この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こした」
と、自ら破滅を招く人間の不合理を憂うのである。

 平家物語のようなもの悲しさと不条理観。しかし、ストーリーはここでは終わらない。

 「私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像する。
 私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せる。
 私たちは、声なき叫び声に耳を傾ける」。
 この悲しい記憶こそが人類の道徳的な想像力をかき立て、希望をもたらす選択を将来にわたって続けようという意志につながるのだ、と説いたのだ。

 だからこそ「核兵器廃絶」という理想を追い求め、広島を「核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地としなければならない」とスピーチを結んだ。

 まさに、壮大な「絶望と希望」のストーリー。
 このスピーチを書いたのは、38歳のベン・ローズ大統領副補佐官(国家安全保障問題担当)と言われている。
 オバマ大統領の側近中の側近だ。
 もともとはニューヨーク大学の修士課程に在籍し、作家を目指す「文学青年」だった。
 その彼を政治の世界に駆り立てたのは2001年のあの出来事だった。

■スピーチの最中に大統領の脳裏によぎったもの

 「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」は、5月初旬にこのベン・ローズの大特集記事を組んだ。
 そこにはあの9月11日、マンハッタンの対岸から旅客機が超高層ビルに体当たりするのを自らの目で見た経験が語られている。
 「その日、すべてが変わった」。
 ショックと恐怖の経験は彼の価値観を根底から覆した。

 オバマ大統領の広島スピーチに出てくる言葉の端々ににじみ出る人間の蛮行、愚行に対する憤り、絶望感は、眼前で何千人もの命が失われるシーンを目撃したローズ氏の原体験に紐づくものでもあるのだろう。
 この演説の中に、
 「どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束するにもかかわらず、
 信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられない」
といきなり宗教批判のような文言が出てきたことに違和感を覚えたが、これは、まさに9.11とその後のテロを指していると考えると合点がいく。

 そして、あのスピーチを読み上げるオバマ大統領の悲痛さの裏には、
 アメリカが体験した9.11というある種の「敗戦」の悲劇を重ね合わせる心情が少なからずあったのではないか。
 そんな想像も働く。

 同マガジンによれば、「優れた物語の語り手」であるローズ氏は
 「大統領のために考えるのではなく、大統領が何を考えているのか」
がわかるのだという。
 「どこから僕が始まり、どこでオバマが終わるのか、わからない」
とまで言う一心同体の存在にまでなったスピーチライターはまさにオバマ大統領の懐刀。
 ホワイトハウス随一のインフルエンサーとしてツィッターなどで情報を発信し、記者たちのオピニオンにも大きな影響を与える存在だ。

 そんな彼が、ウェブジャーナリズムのプラットフォームとして知られる「Medium」に自ら、広島訪問の意図をこうつづっている。
 「(アメリカが)核兵器を使った決断について触れるのではなく、我々共通の未来に対し、前向きなビジョンを示し、戦争という、とんでもなく、また破壊的な行為が人類にもたらす犠牲にスポットライトをあてる」。
 さらに、
 「核兵器を使用した唯一の国として、核兵器の根絶による平和と安全な世界の実現を推し進める特別な責任がある」
ことを示し、
 「終戦時には想像もしえなかった深く強固な同盟関係を象徴する訪問である」
と明言している。

 ガーディアン紙によれば、このスピーチはローズ氏が起草し、関係省庁などがチェックをした上で、さらにローズ氏が推敲し、オバマ氏が最終的に手を入れたものだという。
 その証拠に、読み上げた原稿の上には彼の手書きのメモがたくさん書き込まれていたそうだ。
 自らの原体験も踏まえ、強い思いがあふれ出るスピーチを紡ぎ出すスピーチライターと、その原稿を自分のものにし、情感をこめて語ることができる話し手。
 この最強のコンビネーションが生み出した歴史的演説だったのである。

■さらなる超絶コミュニケーション技

 筆者はアメリカに在住していた時期がある。
 そのときにオバマ氏のお茶目でチャーミングな側面をたっぷり見てきたため、まごうことなきオバマファンなのだが、今回、さらに新たな超絶コミュニケーションテクニックに気づかされ、感服することがあった。

 まずこのビデオを見ていただきたい。
 これは広島スピーチのほんの数時間前、岩国基地で行ったオバマ氏のスピーチだ。


●原爆ドーム前のスピーチの厳粛さと打って変わった明るさ、陽気さ、面白さだ。
ジョークを交え、とにかく楽しく、聴衆からも笑いが絶えない。

 以前、東京オリンピック招致のプレゼンコーチ役だったマーティン・ニューマン氏にインタビューした際に、プレゼンの要諦は「どのようなムードを作るか」であると教えられた。
 つまり、スピーチやプレゼン、あらゆるコミュニケーションにおいて、最初に考えなければいけないのは、「What mood do you want to create?」(どのようなムードを作っていきたいか)ということで、
 会場をどのような空気で包みたいか? 
 聴衆にどのような印象を持ってもらいたいか?
をコントロールできる人こそが超一流のプレゼンターである、というわけだ。
 そういう意味で、このオバマ氏の「場」の作り方はまさに天才的だ。

 これはまさに、三枚目を演じたかと思えば、次の場面では悲劇のヒーローに転じる「役者」のようなものだ。
 そう、オバマは天才的役者なのである。
 といっても、わざとらしく、自分でない他人の役を演じる、のではない。
 一流の役者はその役に「なり切る」ことができる。

 ストイックなまでの役作りで知られるアメリカの俳優ブラッドリー・クーパーのブロードウェイの舞台を見に行ったことがある。
 「まさに乗り移ったような演技」にすっかり、魅了されたのだが、あるラジオ番組で「けいこをひたすら重ねていると、何かが空から降りてきて、自分にとり付く」と話していた。
 被爆者と自然に抱き合い、握手をするあの姿も、計算されたものではない心の底から湧き出る思いだったからこそ、心動かされたのだ。
 まさに、イタコ、いや、ありとあらゆる自分の分身(アバター)に化身できる。これがオバマ氏の真骨頂である。

 翻って、日本人のプレゼンが面白くないのは「話している」か「読んでいる」からである。
 オバマ氏を目指すのはハードルが高すぎるとしても、グローバル競争に勝ち抜くため、日本の掲げる平和や環境保護のメッセージを世界に伝えていくためにも、国を挙げて、抜本的にコミュ力アップに取り組むべきだ。
 人の心、国そして世界を動かすのは結局のところコミュ力なのだから。



ニューズウィーク 2016年5月30日(月)17時00分 遠藤誉(東京福祉大学国際交流センター長)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/post-5201.php

オバマ大統領の広島訪問に対する中国の反応

 交戦国同士が友好関係を継続し、戦勝国が敗戦国の犠牲者に祈りを捧げられるのは大きなことだ。
 そこには戦争への反省と平和への願いがある。
 しかし中国はひたすら非難の大合唱に終始している。
 その現状を見てみよう。

■環球網:「安倍とオバマの政治パフォーマンス」

 中国共産党の機関紙「人民日報」の姉妹版、「環球時報」の電子版である「環球網」が「安倍とオバマの政治パフォーマンス」と題した記事を発信したことを、東方網など、数多くのウェブサイトが大々的に伝えている。

 最初に伝えたのは大陸系の香港メディア『大公報』(5月26日付け)のようだが、それを27日に環球網が転載したことから、大陸の多くのウェブサイトが「許可が出た」とばかりに、一斉に報じた形だ。

 それによれば
 「安倍は実に温厚でない。
 アメリカをしっかりと日本の右翼の戦車の上に縛りつけるために、
 まもなく下野するオバマから最後に奪い取れるものをいただき、
 オバマに残っているわずかな利用価値を搾り取っている」
とのこと。

 さらに以下のような批判が続く(原文には敬称はないので、そのママ転載。中国語では一般に呼び捨てだ)。

●G7サミットは安倍とオバマが主人公で、他の首脳はわき役だ。
 ようやく日本でG7サミットを開くことができた安倍は、この機を逃さず、喜び勇んで政治的パフォーマンスを演じ続けた。

●では、どうやってオバマの利用価値を使いこなすか?
 それはオバマに広島を訪れさせることだ。
 オバマは単純だから、「核のない世界」という自分の主張を唱えるために、まんまと安倍の深慮遠謀の計算に乗っかってしまった。
 安倍は日本が「正常な国家」になることに腐心している。

●しかし、安倍がどんなに演技してみたところで、所詮はアメリカの弟分にすぎない。
 オバマの目から見れば、安倍は「死を恐れない兵隊」の一人で、「お先棒かつぎ」にすぎないのである。

●たとえば、南海(南シナ海)問題で、アメリカは当事者ではないのに、どの関係国よりも最も高く跳ね上がり、(中国に)挑戦している。
 そのアメリカに協力するために安倍はただおとなしくアメリカの指示に従うしかない。
 オバマが必要とするときには、安倍は真っ先に突撃して敵陣(中国)に突入するしかない。

●しかしオバマが安倍を必要としない時には、安倍にはいかなる自由もないのだ。
 たとえば、ロシア総統のプーチンとの会見。プーチンが訪日したいと言ってもアメリカが喜ばなければ訪日させることもできない。
 自分からモスクワに行くしかないのだ。
 いったいどこの国に、二度も続けて一方的に片方の首脳が相手国を連続して訪問することなどあろうか?
 国際社会では不平等で礼を失することとされている。
 安倍はオバマとの関係において、傀儡でしかなく、人格を喪失し、国家としての格を失ってしまっているのだ。

■新華網:「来たよ、でも謝罪しない。それで満足なのかい?」

 中国政府の通信社である新華社の電子版「新華網」は5月29日、オバマ大統領の広島訪問に関して
 「来たよ、でも謝罪はしないよ。日本はそれで満足なのかい?」
という(趣旨の)見出しで報道した。

 この報道でまず投げかけているのは、
 「オバマの任期末期における政治的パフォーマンスは、安倍が望んでいる"日本の侵略者としての犯罪性を薄めること"を叶えることができるのか?」
という問いである。

 そして韓国側の不満などを例にとって、
 「まるで自分が戦争の被害者の国であるように装い、
 日本が起こした侵略戦争の責任と他国に与えた損害から、目をそむけさせるためのパフォーマンスに過ぎない」
と書き立てている。

 5月27日に王毅外相が言った
 「広島は関心を寄せる価値はあるが、南京(事件)はもっと忘れてはならない。
 被害者には同情するが、しかし加害者は永遠に自分の責任から逃れることはできない」
という言葉を、ここでもまたくり返している。

 新華網は最後に、
 「オバマはこのたびの広島行きによって日米関係を強化し、それによってさらに一段と日本を丸め込んで、アジアのリバランスというアメリカの戦略のために働かせるつもりだ」
で結んでいる。

■哀しき国

 なんという品格のなさだろうか。

 なぜ中国と日本が、日米のようにできないのか、考えてみたことがあるのだろうか?

 ひたすら日本を責めまくることに没頭し、日中国交正常化後に日本人が中国に対して注いだ誠意や厚意(そして金銭まで)を、すべて無にしてしまったのは誰なのか?

 もちろん戦争をしたのは良くない。
 そのため少なからぬ日本軍関係者は戦犯として処刑され、日本は関係国から処罰を受けている。
 サンフランシスコ平和条約で戦後の講話条約も成立した。
 そのときに「中華民国」も「中華人民共和国」も締結国として署名できなかったのは、中国に原因がある。
 日本敗戦後、中国内において国民党と共産党の国共内戦が起きていたからであり、「中華民国」が国連に加盟していたからだ。
 おまけに1950年には北朝鮮の金日成(キム・イルソン)と当時のソ連のスターリンの陰謀があったとはいえ、中国は中国人民志願軍を北朝鮮に派兵して、アメリカと対峙した。
 だからアメリカの占領下にあった日本は、アメリカと共に中国と対峙せざるを得ないところに追い込まれていた。

 戦後の国際関係のバランスを崩したのは、中国自身の国内事情があったからだ。

 それでも毛沢東時代は、南京事件(中国で言うところの南京大虐殺)さえ、教科書に載せることを許さず、教えようとしなかったし、ましていわんや抗日戦争勝利記念日など祝賀したことは一度たりともない。
 南京事件の時に日本軍と戦ったのは国民党軍であることを毛沢東は知っていたし、抗日戦争勝利は、国民党の蒋介石が率いる「中華民国」がもたらしたものであることを最もよく知っていたのは毛沢東自身だからである。

 だから、毛沢東は歴史カードをただの一度も日本に突きつけたことがない。

 なぜ中国がいま歴史カードを必要とするかと言えば、
 それは天安門事件とソ連崩壊によって、一党支配体制が揺るぎ始めたからであり、中国共産党幹部が腐敗によって特権をむさぼり、社会主義国家としての体をなさなくなったからである。

 「加害者は、その責任から永遠に逃れることはできない」
というのなら、建国の父、毛沢東が殺戮した数千万人におよぶ自国民に対する責任からは目をそむけていいのか? 
 毛沢東が日中戦争中、日本軍と共謀して、同じ中華民族である国民党軍を弱体化させたことは許されるのか? 
 国共合作を良いことに、簡単に入手できる国民党軍の軍事情報を日本軍に高値で売り、民族を裏切ったことは、直視しなくていいのか? 
 その責任から逃れることは、許され続けていいのか?

 一党支配を維持するために強化している思想弾圧は、これらの事実から目をそむけさせることと表裏一体を成している。
 その思想弾圧が中国人民の尊厳を傷つけていることと、歴史カードを高く掲げて「社会主義的核心価値観」を人民に押し付けていることは、実は一つの根っこに根差しているのである。

 なにもオバマ大統領が広島で言ったことを全面的に讃えるつもりはない。
 彼もプラハ演説でノーベル平和賞などもらってしまったために、その締め括りに、何としても広島を訪問したかったのだろうことは否定しない。
 核なき世界を主張しただけでノーベル平和賞をもらい、実際には世界一多くの核兵器を所有しながら削減していないのも事実だ。
 しかし自国に反対者もいる中、広島訪問を決行した勇気には敬意を表したい。
 またこのタイミングで思い切って米国の現役大統領に広島訪問を決意させた安倍首相の決断も評価したい。
 それは双方のタイミングがようやく合い、これを逃したら、この人類的現象は実現できなかっただろうからだ。

 人類はいつまでたっても戦争をやめようとしていないし、また戦争の手段は精鋭化するばかりだ。
 それでも戦争を押しとどめようという思いは、誰の胸にもあるだろう。

 その思いのためには、他の要素が混在していたとしてもなお、原爆を落とすという前代未聞の戦争行為をした国が、それによって空前絶後の犠牲を受けた人々が息づいている場所を訪れた意義は大きい。

 そこに共通しているのは、二度と戦争を起こしてはならないという人類の思いであり、絶対に核兵器を使ってはならないという祈りだ。
 オバマ大統領の広島訪問は、その祈りに、わずかではあっても寄与したはずだ。
 北朝鮮が核兵器使用で威嚇している現在にあっては、隣国における「平和への祈り」が、いくばくかの抑止力になることもあり得るだろう。

 それをこのような形で非難することしかできない中国という国を思うと、その品格が哀しい。

 もっと大きな人類的視点に立てるようになるためにも、中国が真実を見つめる勇気を持つ国になれることを願う。



ダイヤモンドオンライン  2016年6月3日 姫田小夏 [ジャーナリスト]
http://diamond.jp/articles/-/92394

中国人は「謝罪なきオバマ広島訪問」をどう受け止めたか?

 オバマ米大統領が27日、被爆地の広島を訪れ、17分にわたる演説で核廃絶を訴えた。
 オバマ大統領の広島訪問は中国でも多くの国民が注視したが、中国ではこの訪問がどのように伝えられたのだろうか。

 中国のメディアが一貫して注目していたのは、原爆投下に対するオバマ大統領の「謝罪の有無」だった。
中国では日本以上に「謝罪の有無」に拘泥した。
 もし仮にオバマ大統領が謝罪をすれば、中国も日中戦争時の暴力行為に対し、繰り返し日本に「謝罪」を求めることができるからだろう。

 だが、一方で戦勝国のアメリカが敗戦国の日本に頭を下げれば、日本の「被害国」としての印象を際立たせ、「加害国」としての立場を弱めてしまいかねない。
 訪問を前にオバマ大統領は日本のメディアに「(メッセージに謝罪は)含まない」としたが、これも中国にとっては分が悪い。
 アメリカが謝罪をしないという態度は、
 「日本は中国に謝罪しなくてもよくなった」という暗黙の了解を与える
ことにもなりかねないからだ。
 謝罪してもしなくても、中国にとってその展開は好ましからざるものとなる、アメリカの大統領の広島訪問はそんな複雑さを秘めたものとなった。

 だが、日本の被爆者たちにとっては、謝罪があろうがなかろうが、平和を願う気持ちに揺らぎはなかった。
 周知のように、演説では原爆の投下についての謝罪はなかった。
 だが、広島の多くの被爆者たちは「謝罪の有無」を乗り越えて、「核廃絶をめざす勇気」と述べたオバマ大統領に共感を示した。
 朝日新聞によれば、日本原水爆被害者団体協議会の事務局長を務める田中熙巳さんも、広島を訪ねるオバマ米大統領に送った要望書に謝罪要求を入れなかったという。

 日本のメディアもオバマ大統領の演説に対して「謝罪の有無」よりも「核廃絶への決意」を重点に置いて報道した。

■日本を“第二次大戦の罪人”にし続けたい

 一方、オバマ大統領の広島訪問により、日米関係が「和解」のための新たな歴史の1ページを刻んだことは間違いない。
 新たな歴史のページをめくるには、過去への言及が妨げになることもある。
 オバマ大統領が過去について言及することはしなかったのも、そのためではないだろうか。
 米国では原爆投下が「戦争終結を促した」と言われているが、投下の是非は避けた形だ。

  「和解」のためには、加害者も被害者も互いに前向きでなければならない――オバマ演説は、そんなメッセージをも投げかけたといえるだろう。
 中国がこれをおもしろくないとするのは、
 日本を“第二次大戦の罪人”にし続ける中国の外交カードが、
 今後、国際社会において効力を失う可能性がある
ためだ。

 中国の電子メディアは
 「かつての戦勝国と敗戦国を最も堅固な同盟間関係にする非の打ちどころがないストーリーだ」
と皮肉り、
 「日本の加害国としての罪を弱め、日本が被害国を装う」(中国新聞網)
と警戒したが、中国にとってオバマ大統領による広島訪問は、心穏やかではなかったようだ。
 案の定、中国外交部長の王毅氏は27日、
 「被害者は同情するだけのことはあるが、加害者は永遠に自己の責任を回避することはできない」
とクギを刺した。

■「原爆は身から出た錆」、「安倍が南京に来い」

 一方、インターネット上では
 「日本は先に中国に跪いて謝れ」
 「オバマが広島を訪問する前に安倍が南京に来るべきだ」
とする声が上がった。
 それに対し、「地球市民として平和を希求する」という内容の書き込みは、筆者の見る限りにおいてほとんど存在しなかった。
 オバマ大統領が示した「核廃絶への決意」、この意義についてはほぼ黙殺された形だ。

 広島の被爆者の声を取り上げた中国メディアもあった。
 「広島幸存者:奥巴馬即使不道歉也要承認核武器危害(「広島の被爆者、オバマ大統領が謝罪せずとも核兵器の危害を認めてほしい」)」
というタイトルを掲げた記事は、評論は加えず被爆者のコメントを中心に紹介したものだ。

 記事は
 「私が死ぬ前にオバマ大統領に会いたい。謝罪のためではなく、同じ立場で祈りを捧げてほしい」
という79歳の女性のコメントを紹介し、被爆者たちが望んでいることは、核兵器使用がもたらした災いを認めることだと伝えた。

 中国政府の統制強まる中国メディアにおいても、こうした「市民目線」の良心的な記事があることは好ましいことだ。
 だが、これに対する書き込みは、和訳すら憚られるような日本への痛烈な批判ばかりだった。

  「原爆が落とされたのは身から出た錆」
 「もっと原爆を落とせばよかった」
――無辜の市民の苦しみを無視した、そんな非人道的なコメントである。

 たとえ敵対関係にあろうとも、戦争被害者として一般市民が味わった苦しみは同じであるはずだ。
 かつては敵対した日中両国の一般市民が、共通の感情を持つことができるのは唯一この点にあるはずだ。
 日本と中国、果たしてこの2つの国民は、過去の歴史を乗り越えて、は互いに市民目線で痛みを分かち合えるのだろうか。

 インターネット上の声は必ずしも民意を反映してはいないと思いたい。
 中国で筆者が対話した中国人の中には、「戦争では互いに民衆が苦しんだ」と理解を示す人々もいるからだ。

■謝罪を求めない「曖昧な民族」

 その一方で、戦勝国のオバマ大統領と敗戦国の被爆者が演説終了後に握手を交わし、抱擁を交わしたシーンを、中国人の市民はどう受け止めただろうか。

 日本国内でもオバマ大統領の演説に対する疑問や不満の声もある。
 演出ではないか、と斜に構えた見方もある。
 原爆投下から71年、その後も苦しみを引きずった被害者からすれば、そう簡単に癒える心の傷ではない。

 それでも、日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を務める坪井直さんは、オバマ大統領と握手をしながら「原爆を投下した米国を責めてはいない」と伝えたという。
 握手のシーンはテレビを通して全国のお茶の間にも流れた。
 恐らく世界の人々もこれを目にしただろう。

 この映像がもたらしたのは「互いに寛容であること」がどれほど大きな意味を持つか、という無言のメッセージである。
 戦争がもたらした憎しみ、これを乗り越えられるかは人類普遍のテーマである。
 そして乗り越えてこそ到達できるのが「和解」であり、それに必要なのが未来志向の寛容さである。

 謝罪を問わず、握手に応じる日本人――中国人にはそれが「曖昧な民族」と映るかもしれない。
 だが、未来志向にならなければ、永遠に新たな歴史の1ページをめくることはできない。
 謝罪なくとも平和を希求する広島の被爆者、その姿がなぜ中国には伝わらないのかと、歯がゆい思いである。


JB Press 2016.6.7(火)  高濱 賛
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47018

オバマを男にした日本人の以心伝心、
武士の情け
大統領演説を生かすも殺すもスピーチライター次第

■「謝罪」を「核廃絶」にすり替えた高等戦術

 米国内は、バラク・オバマ大統領の広島訪問前には原爆投下について「謝罪するか」「謝罪しないか」で喧々諤々だった。
 ホワイトハウスは躍起になって「謝罪せず」を強調した。

 終わってみれば、日本人の多くは
 「非核世界に誘う伝道師のメッセージ」
 「戦争という愚行を繰り返す人類の絶望的な運命を綴った一大叙事詩」
と褒めちぎった。

 一方、米国内でも識者の中には「これまでのオバマ演説の中で最も重要な演説」と一定の評価をするものも現れた。
 訪問に反対していた退役軍人団体は無視した。
 騒ぎを大きくするかと思ったドナルド・トランプ共和党大統領候補(事実上)も
 「謝罪さえしなけりゃ、誰が問題にするか」
と吐き捨てるように言った。
 むろん日米双方、特に反核活動家は、「核軍縮に向けての具体的提案がなかった」と批判した。

■歯に衣着せぬ一米文化人類学者のコメント

 一夜明けて冷静になったところで、日米関係に詳しい米国人文化人類学者は筆者にこうコメントしている。
 諸般の事情があるのだろう、これまで日米双方の識者たちが触れていない点を鋭く指摘している。

 「元々、演説の巧さで政界でのし上がってきたオバマだし、広島訪問を決めた時点から綿密な準備をしてきたはずだ。
 草案を書いたスピーチライター(ベン・ローズ大統領副補佐官=39)とは2007年以来の仲。
 オバマ大統領にとってはまさに「アルター・エゴ」(一心同体)的存在だ」

 「演説の草稿に際しては、彼は日本人が聞きたい事柄を在日米大使館経由で丹念に集めたらしい。
 演説の中に日本人の琴線に触れる表現を散りばめた」

 「言葉では謝罪せずに謝罪を以心伝心で日本人に伝える。
 特に日本政府サイドから日本人は謝罪を必要としていないという言質を取っていたことも重要なポイントだった」

 「これは日本人の国民性であることをオバマ大統領は肌で感じていたのではないか。
 黒人の父親、白人の母親を持ち、子供の頃にはハワイでも暮らしている。
 日系人との付き合いもあったに違いない」

 「原爆を開発製造したのは白人、原爆投下を決定したのも白人、実際に投下したのも白人。
 黒人は1人として関わり合いを持っていないかった。
 オバマが白人の大統領だったら広島に訪問しただろうか」

 「広島演説のポイントは、米大統領が原爆を投下したことへの日本国民への謝罪をせずに死者と被害者に謝罪の意を示すという難題をどう盛り込むかだった」

 「大統領とスピーチライターは、この難題を核兵器廃絶への願望に巧みにすり替えることで、受け手(日本国民)には米大統領の謝罪だ、と受け止めさせ、米国民に対しては、あくまでも謝罪ではなく、核兵器廃絶への決意だ、と受け止めさせた」

 「その理論構成を貫くことで、オバマ大統領は残りの任期の間に何とか成就させたいレガシー(遺産)作りに成功したのだ」

■今回の陰の立役者は39歳のスピーチライター

 オバマ大統領自身、ハーバード大法科大学院時代から演説文を書かせて右に出るものはいなかったとされる。
 2004年の民主党全国党大会での演説でみなを驚かせたのは知る人ぞ知るエピソードだ。
 演説文には凝りに凝る。
 大統領になった後も、自分の思っていること、感じたことを以心伝心で分かってくれる若いスピーチライターをそばに置いてきた。
 それが、2008年の大統領就任演説は史上に残る名演説となり、2009年のプラハ演説は世界に響き渡った。
 そして今回の広島演説だ。

 プラハ演説を草稿したのは、ジョン・ファヴロ―氏(当時27)。
 2008年に独立するために辞任した。
 その後釜に座ったのが現在のスピーチライター(正式役職名は大統領戦略コミュニケーション担当国家安全保障担当副補佐官)のベン・ローズ氏だ。
 東部名門コルゲート大学を経て、テキサス州のライス大学を卒業。その後ニューヨーク大学クリエイティブ・ライティング(創作作文専攻)修士号を取得している。
 リベラル派のリー・ハミルトン下院議員の補佐官をしたのち、2007年オバマ大統領候補のスピーチライターとなった。
 2009年オバマ大統領がカイロで行った「アラブの春」を賛美した「新たな始まり」(A New Beginning)の草案を書いている。

 ローズ氏は5月17日、ワシントンでの講演後、大統領の広島演説について
 「広島が経験した悲惨な戦争による、とてつもない犠牲について振り返りたい」
と語っていた。
 大統領にとってもスピーチライターにとっても「戦争の悲惨さ」を綴り、語るには疑似体験がなければ、聴くものの琴線に触れることはできない。
 ローズ氏にとって、広島での悲惨さは、2001年9月11日、テロリストに乗っ取られた旅客機がワールドトレードセンターの超高層ビルに体当たりし、何千人もの命が奪われる、あの瞬間をマンハッタンの対岸から目撃した体験にあったという。

 大統領にとって、その「悲惨さ」への悲しみはどこから来たのだろう。
 広島演説寸前の大統領について、ロサンゼルス・タイムズはこう報じている。

 「オバマ大統領は、ベトナムから日本に向かう機中でハーバード時代からの無二の親友、カサンドラ・バッツが急死したことを知らされた。
 貧乏学生の頃から助け合って生きてきた友だった」
 「オバマが上院選に出馬を決めるや、手弁当で選挙運動をしてくれた友だった。
 彼女の死の知らせに大統領は沈み込んでいた。
 伊勢志摩サミットでも他の首脳との写真撮影以外には笑顔は見せなった」

 「大統領が岩国の米軍基地で演説している最中、ローズは大統領が手直した広島演説草稿の箇所を盛り込んでいた。
 作業を終えたのはヘリが71年前に被爆した広島市民が熱と炎から逃れて飛び込んだ震源地の川の上空だった」

 「大統領は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 『私たちは戦争の苦悶を知っているんだ。
 だからこそ、手を携えて平和を世界中に広めなきゃいけないんだ。
 核なき世界を追求するんだ。
 その勇気をみんなで持とうじゃないか』」

 71年前、眼下に出現した地獄絵。
 そこでのたうち回る人々への鎮魂と悲しみ、それが大統領にとっては親友を失った悲しみと重なり合い、大統領の生の悲しみが演説に盛り込まれたのだろう。
 オバマ大統領の広島演説が多くの人たちに感動を与えた舞台裏。
 それは「弁舌さわやかな大統領」と「文章の魔術師・スピーチライター」との一糸乱れる共同作業のなせる業と言えそうだ。

■スピーチライター第1号はハミルトン初代財務長官

 大統領の演説文を草稿するスピーチライターが登場したのはいつ頃からだろうか。
 一説によると、ウォーレン・ハーディング第29代大統領のスピーチライターだったジャスティン・ウィルバー氏が最初だと言われている。
 もっとも非公式な形ならジョージ・ワシントン第1代大統領の演説文を書いていたアレクサンダー・ハミルトン初代財務長官が第1号だったと唱える歴史学者もいる。

 不言実行が尊ばれる日本の内閣総理大臣とは異なり、多民族多文化多言語のアメリカ合衆国大統領にとっては有言実行しかない。
 何をしたいのか、何をするのかを言葉ではっきりと言わねば国民の信頼を獲得することはできない。
 その意味では大統領になったときの就任演説は大統領にとっては最も重要になってくる。
 内閣総理大臣の施政方針演説などとは比較にならない。

 ジョン・F・ケネディ第35代大統領の
 「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではないか」
のように史上に残るような名演説(1961年1月20日)はそのいい例だ。
 これを草稿したのは、スピーチライターのセオドア・ソレンセン氏だった。
 そのほかにも歴代大統領のスピーチライターとして有名なのは、リチャード・ニクソン第37代大統領のパット・ブキャナン氏、ジミー・カーター第39代大統領のジェームズ・ファローズ氏などがいる。
 オバマ大統領は自他ともに認める演説の名人。
 就任演説はもとより、プラハ演説、「アラブの春」を賛美したカイロ演説、そして今回の広島演説。

 前述のようにファヴロ―氏、ローズ氏といった「文章の魔術師」に演説文の大雑把な構成を伝え、たたき台を基に何度も何度もやり取りしながらドラフトを作成させる。
 最後にはそれに赤ペンを入れて修正し、演説文の完成するというやり方だ。

 ホワイトハウスには10人ほどのスピーチライターがいる。
 外交、内政、経済など各分野に担当が分かれている。
 大統領選挙の時から大統領と知り合い、常に大統領に密着した日常生活を送っている。
 最も重要な条件は「大統領の思っていること」を的確に美しい表現で文章にできるかだとされる。

■「全米で最もクレイジーな州知事」のスピーチライター

 ここで紹介するのは、そのスピーチライターとは何か、を自身の体験に基づいて一般市民に講釈しつつ、米国政治の一断面を鋭く分析した本である。

 『The Speechwriter: A Brief Education in Politics』(ザ・スピーチライター:政治学簡易入門)。

 草稿した演説文を読み上げる政治家がみなケネディ大統領やオバマ大統領のような一級の役者とは限らない。
 例えば小学校3年生程度の英語でしか表現できないトランプ氏のような大統領候補もいる。
 しかも草稿とは全く離れて即席の過激な発言が次から次へ飛び出してしまう。
 むしろ、歴代大統領を見渡してもケネディ氏やオバマ氏のような自らの文章を大切にする大統領の方が稀有かもしれない。
 本書の著者は、そんな政治家に仕えたスピーチライターである。

 サウスカロライナ大学を経て、英エジンバラ大学で英国流クリエィテブ・ライティングを極め、文学博士号を取得し帰国。
 新聞などに寄稿文を書いているうちにマーク・サンフォード・サウスカロライナ州知事にスピーチライターとして雇われ、3年10か月の間務めた経験を持つ。
 スピーチライターの仕事は演説文の草稿だけではない。
 記者会見での発言やプレスリリースから選挙民への返信まで本人に代わって書く。

 サンフォード知事は2011年、ブラジル人の愛人に会いにブエノスアイレスまで行った不倫旅行がばれて辞任に追い込まれたもののその後2013年には補選で勝って下院議員として政界復帰している。
 その後夫人とは離婚し、愛人を妻に迎え入れるなどすっぱりした善後策に州民は好感すら抱いたようだ。
 政治家にとっては、スキャンダルに対してはきっぱりと謝罪し、職を離れ、きれいに身辺整理し、一から出直すことがいかに必要か・・・。
 どこかの国の知事も他山の石とすべきかもしれない。

 サンフォード氏は、2012年には一時、共和党大統領候補への立候補者に名前が取り沙汰された人物だ。
 不倫騒動を起こしながらも、なお米メディアから好感を持って「全米で最もクレージーな知事」と呼ばれているのもその決断力と政治力のおかげだろう。
 知事の危機に際して、活躍したのが実は、本書の著者だった。
 知事が5日間、姿を見せないことがばれた時、米メディアが騒いだ。
 知事不在の最中行われた発表が振るっている。

 「知事はただ今、アパラチア・トレイルをハイキング中です」(hiking the Appalachian Trail)

 米東部ジョージア州からメイン州まで14州を縦断するアパラチア山脈の嶺に沿って走る3500キロの長距離自然道。
 スピーチライターは、「ブエノスアイレスで愛人と逢引きしている」ことを知りつつ、ウイットに富んだ言い訳を考えついたものだ。
 その後、米国では浮気がばれかけた男性陣たちの間で
 「アパラチア・トレイルをハイキング中」
が常套句として使われたという逸話すらある。

■政治家の身になって、その考えを字にするプロ

 著者はスピーチライターとは何か、についてこう綴っている。

「私は華麗な文章を書くために雇われたわけではない。
 私の仕事は、時間的制約のある知事に代わって、彼が書くとしたらどう書くか、
 それだけを考えて文章を書き続けた」

 「悪いことには、知事は私が書いた文章について何度となく難癖をつけてくることだった。
 気まぐれで短気というだけでなく、自分自身の英語力に対しての自信家だった。
 『文章の初めに前置詞を持ってきてはいけないというルールがある。
 そのルールを破ってはならない』などと自己流の英語術を押しつけようとした」

 「スピーチライターには、文章を書くという苦悩を少しばかり和らげ、痛快に思う瞬間がある。
 特に演説文を読み上げる人物の大言壮語と不正確な発言に反論せねばならない時などはなおさらだ」

 「さらに、スピーチライターの特権は一地方の政治形態を形作っている虚栄、土着の特質、自己正当化、思い込みといったミステリアスな要素を内部から観察できることだ」

 自分のボスが危機に直面した時、スピーチライターはどうすればいいのか。

「秘策は1つしかない。
 合理的な解釈を最大限含む言葉(Words)を最大限使うこと。
 言葉というものは役に立つ。
 だが、時として言葉というものは意味を持たない」

 「自分が分かってもらいたいのは、その中身などではなく、フィーリングだということが往々にしてある。
 言葉そのものの中身よりも温かさとか、思いやりを分かってもらうことの方が大事なことがある」

 「つまり文章とか言葉にはしばしば無用なものが多いことを知っておくべきだ」

■「広島演説」で言葉にしなかった部分の重み

 ローズ氏が書いた「広島演説」に戻って考えてみよう。
 同演説について私がコメントを求めたカリフォルニア大学サンタバーバラ校のダスティン・ライト博士はこう述べている。
 日本での留学経験や英語を教えた体験を持つ知日派若手国際学者だ。

「この演説で、言及しなかった言葉自体が意味を持っている。
 つまり米国民の半数が言い続けている原爆投下によって戦争終結が早まったのだという正当論について一切触れなかったこと。
 そして誰が原爆を落としたのか、という原爆の原点についての言及がなかったことだ」

 本書の著者の言う「言葉というものはしばしば意味を持たない」ということなのだろうか
 しかし、それは誰にでも通用するものなのか。

 話し手がいくら言葉ではなく、フィーリングで伝えようとしても、聞き手がそれを分かろうとしなければ意味はない。

 今回の「広島演説」が日本人の心を震わせたとしたら、それは
 「武士の情け」(the mercy of the brave or samurai-like mercy)とか、
 「以心伝心」(telepathic communiction)
を尊ぶ日本国民だったからではないだろうか。






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