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現代ビジネス 2016年04月20日(水) 猪口孝
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48392
世界はなぜ「予測不可能」になったのか?
トランプ旋風、イスラーム国、中国経済
……国際政治学の泰斗が明かす賢者の知恵
ドナルド・トランプ、中国経済、イスラーム国
……現在の世界情勢をみると、予測できないことが多発している。
はたして、情報もモノも人もグローバルな規模でフラットに行き交う複雑・不可測・不安定な世界を読み解く糸口はあるのだろうか。
東京大学名誉教授/新潟県立大学学長の猪口孝氏が3つのポイントで解き明かす。
■なぜ予測ははずれるのか
1946年に生物学者、ウォーレン・ウィーバーは科学の発展とともにその分析方法が展開していることを高い予見性をもって書いている。
第一、ニュートン力学が明らかにしたことは、「重量と速度を一定の形で乗じたものが力となる」というだけはなかった。
その分析の「単純性」こそが人を魅了したのである。
第二、量子力学が立証したのは、いろいろのヴァリエーションがあったとしても、統計学的に分析すれば、一定の法則が貫徹していることである。
それは「非組織的複雑性」とよばれる。
第三、物理学でも統計学でも解明できないものが生命現象であり、「組織的複雑性」とよばれる。
最後のものは分析方法がハッキリしにくい。
盲目の方がゾウの部分の全体をわからずに、なめまわすようなものであるという。
たしかに、医学などを含む生命科学は政治学にも似ている。
とにかく一定の法則を実証するというよりは、
規則性の発見をできるだけ正しいと考えられるモデル推定に基づき、
経験的データを実験的方法と統計的方法をまぜたような形で試みることが大部分を占める。
ところで、2013年以降の日本経済予測の試みは大体失敗しているという。
物価上昇率、経済成長率、為替レート、株式などさまざまな数値が当たりにくくなっている。
では、なぜ予測ははずれるのか――。
経済学は物理学を模範にして発展させたようなところがある。
そのモデルがあまり役立たなくなっているのだろう。
それではビッグデータを用いれば、将来をうまく予測できるのだろうか。
たとえば、スーパーマーケットでなにを購入するのか、レジに記録されている購買者の属性などからかなり詳細にわかるという。
株式の値や為替レートについても大量のビッグデータを使って分析しているが、どこまでうまく予測できるのかわからない。
量子力学の統計学的分析のような感じもする。
物理的現象だから、統計的分析方法が役立ったのだろう。
やはり最近になって、脳神経科学では、脳神経の動きをMRIなどから、分析していく方法もよく使われる。
脳神経は生命科学や生物学の扱うところだが、ウォーレン・ウィーバーが1946年に予想したような段階からちょっとだけ進んだところに留まっているのではないだろうか。
■馴染みでないと奇異に思われる
いまや米国大統領候補になろうとしているドナルド・トランプの言説は人びとを戸惑わせている。
「移民反対」といって、メキシコ人の不法移民を強制的に追い返して、米墨国境に大長城をメキシコにつくらせるとか、北朝鮮の核兵器開発について、日本と韓国の核武装も構わない、米国がしゃしゃりでることもないとか、将来のコマンダー・イン・チーフというよりはコメディアンのような感じがする。
しかし、そうだからといって真剣に受けとらなくてよいのだろうか。
ここで重要なのは、人間は馴染みあることは受け入れやすく、見慣れないものには拒否する――。
こういった傾向があるのは普遍的な常識である。
ジョゼフ・P・オーバートンという社会学者がいっていることなのだが、あまり普通の人の馴染みの枠から出ていることは奇異に思われやすく、政府の政策として認められにくい。
認められる部分は「オーバートンの窓」とよばれる。
それを証明するように、トランプは1945年以来の米国外交防衛路線を根本から疑義を挟む点で奇異に思われやすい。
最近の中国でも、1950年以来の中国外交防衛路線に疑義を挟む言説が出始めている。
中国共産党中央党校の発行する「学習時報」元副編集長・鄧聿文氏が『フィナンシャル・タイムズ』に書いているのだが、中国は北朝鮮を見限った方がよいという。
この言説は中国政府の北朝鮮政策とは大きくはなれたものになる。
ここまで書いてきた出来事をトランプ現象とよぶことができよう。
しかし、これは事柄の展開が急激で、しかも迅速なことから、たびたび発生しやすい。
オーバートン現象とよんだほうがよいだろう。
中国経済が「新常態」とよばれるのは、経済的低迷から生ずるいろいろな現象を一括りにして呼んでいる言葉だが、予測を不可能にしていることにもピッタリあてはまることだ。
ではその原因はどこにあるのか。
どのような説明ができるのか。
3つの角度からみるとわかりやすい。
1].デジタル・コミュニケーションの圧倒、
2].超国家的現象の氾濫、
3].国家と対置される社会の巨大化
である。
■1. デジタル・コミュニケーションの圧倒
コンピューターがデジタル・コミュニケーションを可能にし、すべてのコミュニケーションにおいて圧倒的な優位を獲得していった。
このために、大量かつ迅速で多方面へのコミュニケーションが普通になった。
しかもネット利用者個人個人にできるだけカスタマイズされた言説と通念が重要なことである。
「サイバー・バルカン化」とか「スプリンターネット」と呼ばれる現象が新常態になる。
通貨の売買が大量、迅速、容易となり、その金額は実物経済の取引の100倍以上に増加した。
1985年のプラザ合意が金融制度としてこれを可能にしていった
1990年代前半にはコンピューターの個人用として実用化され、ここに個人的・企業的・投機的・組織的な通信が爆発的に拡大、多様化していった。
■2. 超国家的現象の氾濫
通信はかくして主権国家の領域を無視していく。
超国家的な現象が爆発的に増加していった。
超国家的運動、超国家的組織、超国家的言動が日々普及していく。
数字的な裏付けは別にしても、超国家的現象は主権国家を明白に相対化していく。
シリアの国際的内戦はドイツ首相アンドレア・メルケルが難民を歓迎するという一言で100万人以上のシリア人だけでなく、南アジアや北アフリカからの大量の難民(戦争難民だけでなく、経済難民も)が欧州に押し寄せることにつながった。
主権国家同士の戦争を狭く考える人には分かりにくい現象が起こる。
超国家的組織の増加は多国間条約の増加に伴って、いままでは国内事項と思われてきたものも含めて、人間のあらゆる生活分野、労働、コミュニケーションと貿易、軍縮と平和、知的所有権、人権、環境など広範囲の政策が国際的な希求と規則にカバーされている。
日本の六法全書はあまり代わり映えのしない国内の法律が9割以上占めているし、多国間条約についてほとんど掲載していない。
毎年買う必要ない上に、誰もが六法全書を買わなくなってしまう。
超国家的言動はデジタル・コミュニケーションの爆発によって、その言説が興味を引けば、世界中を駆けめぐる。
ものごとはためないで、捨てていこうという近藤真理絵さんの本『人生がときめく片付けの魔法』は英訳され、べスト・セラーになってしまう。
デジタル・コミュニケーションの普及は印刷物を購読しなくとも、世界中の人を結合していく。
■3. 国家と対置される社会の強靱化
国営放送ではないが、日本放送協会のテレビの料理番組にも視聴者の声がフィーバックされる仕組みになっている。
料理人・土井善晴さんが簡単にできる料理をつくってみせる。
生クリームを少々いれると土井さんが言うと、すぐに視聴者から生クリームがなかったら、何を使ったらよいでしょうか、あるいは使わなくてもよいでしょうか、と次から次へと質問がくる。
土井さんはいろいろなものを試したらいいんですなどと、多少苛立つ。
私が2015年春、『日本の政治・韓国の政治』という本(英語)を米国の出版社から刊行し、日韓関係について「朝鮮日報」と「ハンギョレ新聞」からインタビューを受けたが、どちらにも沢山のフィードバックがあった。
主権国家も強くなっているともいえるが、市民社会の強靱化は侮れない。
市民社会は主権国家に対してだけでなく、市民社会のなかでも、そして国境を関係なく、ドンドン意見と感情を発信する。
トランプ現象である。
デジタル・コミュニケーションの圧倒は超国家的現象の爆発をもたらすと同時に、国家に対置されてきた社会の比重を強くしていった。
このことは国家を無力化していくのではなく、国家も一層強化されていく。
しかし、社会も国家に対抗できる力を蓄えるようになり、超国家的な言動・運動・組織などが連動することによって、主権国家の根底を時に揺るがすだけの力を擁するに至っている。
イスラーム国を例に挙げるまでもないだろう。
なぜこのような社会変動がものごとの展開を突然に不可測的にしていくかといえば、それはオーバートン効果があるからである。
経済では実物経済の動きばかりを過大評価し、政治では主権国家のなかの動きを狭窄的に観察し、文化ではナルシシズムが誇大になる。
その結果、何が起きてもその経験的事実を否定し、幻想の世界で生きようとあがく。
経済では各国経済のわずかな変動を誇大化して、商売にする方が、ものを製造して、船で輸送して貿易するという実物経済よりも巨大な利益と損失を生む。
政治では主権在民だからその領域に住む市民だけがすべてを決めるなどと、頑に信じ込む人が多いので、問題解決の糸口をみつけても、面子や名誉などが入り込んで、ごちゃごちゃにしてしまう。
文化でも、どの国も「自分の国は例外」主義を実行することになりがちで、自画自賛とわがままが横行する。
これは政治の世界では極端に発現する。
なぜならば、民主主義の政治のモデルとして代表的なのはジャン・ジャック・ルソーの直接民主主義とジョン・ロックの代表制民主主義である。
しかし、いずれも17~18世紀の欧州の周辺(スイスとイングランド)で生まれ育ったために、思想や制度ともに想像もできない事態が21世紀に出現していたとて、多少の修正や改革ではどうしようもない。
●「文明の衝突」論でも知られる故・サミュエル・ハンティントン氏〔PHOTO〕gettyimages
■米国のアイデンティティは「英語」に置くべき?
2012年の米国大統領選挙前に、世界数十カ国で世論調査をギャラップ・インターナショナルという世論調査連合が実施している。
質問はただひとつ。
「米国の大統領選挙が繰りひろがれています。
米国が世界的に影響力を振るうことを考えれば、米国大統領の選挙に世界の他の国の市民でも参政権があたえられるべきという意見があります。
次のなかから選択してください。
(1)非常に賛成、
(2)賛成、
(3)反対、
(4)非常に反対、
(5)わからない」
である。
ここで思い出してほしいのは、米国が英国から独立したときのスローガン
「代表権なしでは徴税権なし」
である。
この世論調査の結果、「非常に賛成」と「賛成」をあわせてランキングを作ると、ケニア、中国、アフガニスタン、となっている。
ケニアはバラク・オバマ米大統領の父親の出身地、アフガニスタンは米国の軍事介入の激しかった国ということを考えると、わからないでもない。
しかし、中国の順位が高いことは面白い。
本当は好きなのに、敵視する米国の内部から牛耳ろうというのだろうか。
実際、そういうことになれば、中国系が米国市民の多数を獲得するだろう。
20世紀末、ハーバード大学教授のサミュエル・ハンティントンは
「米国のアイデンティティは英語を話すことに置くべきである、
人種的な区別でやるのではなく、言語で」
と言い張った。
しかし、彼の死後10年もたたないうちに、英語を話そうともしない集団の人口が確実に増加しているだけでなく、大統領選挙に向けた共和党の候補のなかで中間段階まで残った5人の候補者のなかで3人までがスペイン語を話した候補だった。
テッド・クルーズ、マルコ・ルービオ、そして奥さんがメキシコ系で本人もスペイン語が流暢なジェブ・ブッシュである。
それだけその集団が重要であることの証拠であり、その集団が力をつけていることを表している。
なぜこの世界では、「摩訶不思議なこと」が次から次へと生起するのだろうか。
それは
デジタル・コミュニケーションの圧倒、
超国家的言動、運動、組織の巨大化、そして
主権国家と対置される市民社会の強靱化
という3つの要素が同時に構造的に生起し、
実物経済の過大視、
主権国家的視点の狭窄化、そして
文化的自己愛の誇大化
が逆風としてたしかに存在するからである。
見慣れたものだけを見たい、それだけを確認したい、幻想のなかだけで生きたい
――そういった人びとの抵抗のあがきこそが、摩訶不思議な世界をつくりだしているのである。
猪口孝(いのぐち・たかし)
新潟県立大学学長。東京大学名誉教授。東京大学教養学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院政治博士号取得。東京大学教授、中央大学教授を経て2009年より現職に至る。国連大学上級副学長、Japanese Journal of Political Science (Cambridge University Press), International Relations of the Asia Pacific (Oxford University Press), Asian Journal of Comparative Politics (SAGE Publications) 創立編集長。アジア全域の「生活の質」世論調査指導者。専攻は政治学、国際関係。主著に『政治理論』、『社会科学入門―知的武装のすすめ』、『国際関係論の系譜』、『国家と社会』、『データから読む アジアの幸福度――生活の質の国際比較』など。
』
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ロイター 2016年 04月 28日 11:52 JST
http://jp.reuters.com/article/japan-economy-buzz-idJPKCN0XP07P?sp=true
焦点:多発する政治リスク
立ちすくむ市場、
予見困難で対策手薄
[東京 28日 ロイター] -
世界各地で相次ぐ政治の不安定化が金融市場の一大リスクとなりつつある。
大統領選の米国、欧州連合(EU)離脱に揺れる英国にとどまらず、欧州やアジアで突然政局が混乱に陥るなど、大きな情勢変化につながりかねない動きが次々に発生している。
景気分析と違い予見しづらい政治リスクは影響の見極めが難しく、市場の備えは甘くなりがちだ。
■<朝鮮半島波高し、アジア経済「影の火薬庫」>
今年の政治リスクといえば「選挙イヤー」の英米に加え、ギリシャや難民問題を抱える欧州が筆頭候補。
しかし最近その仲間入りを果たしたのはアジアから、しかもほとんどノーマークだった韓国だ。
今月の総選挙。朴槿恵大統領率いる与党セヌリ党は世論調査に反し予想外の大敗を喫した。
与党の第1党陥落は16年ぶりで、選挙後の政権支持率は過去最低を更新。
求心力を失った朴政権はレームダック化が一気に進行し、大統領が掲げる経済政策「クネノミクス」はとん挫目前の様相だ。
昨年来、韓国リスクを指摘する声は市場にも当局関係者の間にもあった。
ただそれは一触即発の北朝鮮の存在や、貿易依存度が5割超と「極めて高く」(外務省北東アジア課)、その3割近くが中国向けという、中国景気の減速時に影響を強く受ける経済構造を危惧するものだった。
そこに突然発生した政治空転のリスク。
韓国経済はその構造ゆえ、
中国の減速時に「中国を上回る勢いで落ち込む可能性がある」(国際金融筋)。
その時に政策の迅速な下支えは可能か。
不透明さを突然抱えてしまった韓国は、
中国の裏側に隠れたアジア経済の「影の火薬庫」となりつつある。
■<GDP1割減より怖い欧州版「未知の未知」>
「国内総生産(GDP)押し下げは最大9.5%」、
「対EU輸出はGDPの12.6%」。
英財務省がまとめたEU離脱の影響試算。
民間ではプラス効果を見込む試算もあるが、200ページに及ぶ政府文書は、国内で330万人が従事するEUとの貿易が「経済の安全保障に重要」と明記。
徹底して離脱回避を目指す姿勢が随所に強くにじむ。
きっ抗し続ける賛否にいらだつのは英政府だけではない。
2カ月前になっても大国の行方が見えない状況には、プロの投資家もなす術がない。
「影響はかなり出るだろうが、インパクトを予測するのは難しい。
絶えず(行方を)意識して向こう数カ月は運用する必要がある」(東京海上日動火災保険の岳俊太郎・資産運用第2部次長)。
欧州政治の混迷は深刻さを増している。
昨年来政権が樹立できていないスペインでは政党間協議が決裂し、英国民投票3日後の6月26日の再選挙を決定。
オーストリアの大統領選挙では戦後政治を担ってきた2大政党がともに惨敗し、右派候補が躍進した。
アイルランドでは先月の総選挙で与党が過半数を割り込んだまま、連立協議も進んでいない。
欧州では来年、独総選挙や仏大統領選といった大型選挙が予定されている。
右派などの躍進を背景に現職のメルケル首相、オランド大統領の再選は不透明で、選挙後の勢力図は予測不可能。
大国が陥った過去に例のない状況を、ある外銀幹部はラムズフェルド元米国防長官の言葉を引用してこう嘆く。
「欧州政治は(想像すらつかない)未知の未知(unknown unknowns)に覆われてしまったということだ」。
■<海外勢は時代遅れの「2階建てバス」下車、株と円の相関崩落>
日本の政治は主要国内でも異例と言える安定感を発揮。
参院選でも与党敗北を予想する声は聞かれず、政治リスクには縁遠く見える。
しかしその日本でも、金融市場では政権発足来最大の勢いで資金が流出中。
その一因は政策不信という名の政治リスクだ。
「あそこもバスを降りたらしい」。
市場関係者の間ではこんな言葉が飛び交う。
海外勢の間で流行した株買いと円売りを同時に仕掛ける戦略「ダブルデッカー」が、上値の伸びない株価と円高進行で次々に見直しを迫られている。
同戦略の特色は円売り持ちの大きさにある。
日本株を購入した海外勢は持ち高に応じて通貨安リスクを回避するため円売りを実行するが、リフレ政策を掲げる安倍政権下では円の先安見通しが強い。
そのため必要分以上に円を売り建てて、為替市場でも値幅取りを狙うものだ。
株買い/ヘッジの円売りポジションの比率を1対1とすると、「2階建てバス」の持ち高はその名の通り1対2程度。
ピーク時には1対3以上で円を売り込む動きもあったという。
アベノミクスへの懐疑が強まり、その戦略を解消すれば当然、株の下落圧力より円の上昇圧力は大きくなる。
日経平均が年初来高値圏を推移する一方、ドル/円が1年半ぶり安値圏から抜け出せない背景には、こんな事情もある。
(基太村真司 編集 橋本浩)
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JB Press 2016.5.24(火) 武者 陵司
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46914
世界市場のリスクシナリオ
~中国で高まる路線対立、
権力闘争のリスク
高まる世界株式警戒論、
だがその根拠は薄弱
世界株式に悲観論が強まっている。
スタンレー・ドラッケンミラー氏やカール・アイカーン氏など少なからぬ老練の投資家がリーマンショック類似の株式ショックがあり得る、との懸念を表明している。
確かに昨年夏以降の度重なる世界的株式急落、新興国・中国の市場不安などを、市場の本格的下落の予兆である、とする見方も排除できなくなっている。
しかし、悲観論の最も重要な根拠は、循環論、つまりリーマンショック以降の株高が5年を経過し長期下落局面に入る日柄である、とするチャート上の見解であるが、
チャート上の懸念を除けば経済的、政治的株式暴落の理由は、根拠薄弱と言えるのではないか。
経済的政治的要因として、
1:. 米国経済拡大の成熟化、
2:. 米利上げがもたらす悪循環、
3:. 世界的供給過剰=需要不足、
4:. 政治的懸念、英国のEU離脱や米大統領選挙、
4-b:. 米国企業業績の増加息切れ、
5:. 割高な株式バリュエーション、
等が指摘さていれるが、それら一つひとつはリーマンショックとは程遠い、軽量級の要因である。
市場に存在する強い警戒論、G7など各国政策当局による手堅い景気配慮を見ると、現状が過剰楽観やバブル形成といった、暴落を引き起す環境とは対極にあることが、明らかである。
特に世界の中核を担う米国経済が近い将来リセッションに陥る可能性がほとんど考えられないことは重要である。
■唯一中国の破壊力の可能性は排除できない
ただし、中国経済危機が進行し、世界金融危機が勃発するとなれば、
★.中国の巨大な過剰供給力と
★.潜在的不良債権
が市場に突然の破壊力をもたらす、という可能性を完全には排除できない。
そもそも、
★.世界貿易の縮小、
★.石油をはじめとする商品市況の悪化と過剰供給力、
★.世界経済と世界の株式市場の不安定化
はひとえに、中国リスクが無視できなくなったことにある。
その中国で新たな最も警戒すべき事柄が発生している。
それが政策路線対立と権力闘争の表面化である。
■中国の長く続く清算過程が始まった
中国では年初来の金融緩和と財政出動により、落ち込み続けていたミクロ指標(電力消費量、鉄道貨物輸送量、粗鋼生産量)などに一服感が出ているが、経済失速を覆すことは困難であろう。
英国のエコノミスト誌(5/7号)は、
「中国債務危機が起きる事は必至、問題はいつ起きるかだ」
という記事を掲載し、債務の対GDP比は10年前の150%から260%という危機水準に達した、
中国はこれまで貸し出しを預金の75%に抑えてきたが、それが今ではほぼ100%まで高まり、
資金ひっ迫と古典的金融危機が現実味を帯びている、
と述べている。
そもそも中国の過剰投資は、例えば過去2年間余りのセメントの消費量が米国の過去100年分とほぼ同等という事実に見られるごとく、度肝を抜く規模であった。
その結果もたらされている著しい設備過剰、住宅在庫、非効率の公共インフラが、巨額の潜在的不良債権になっていく。
人類の歴史上最大の過剰投資を行った中国において、
長く続く清算過程が始まった
と覚悟が必要である。
その清算過程は3段階の危機深化を経過していくことになるだろう。
その
★.第一は金融危機(通貨危機から全盤的信用収縮へ)、
★.第二は経済危機(不動産バブル崩壊・企業破たんから失業の激増へ)、
★.第三は政治体制危機(雇用不安から体制危機へ)、
である。
この3つが同時に惹き起これば世界は直ちに混沌に投げ込まれ、世界大不況に陥るだろうから、何としても回避しなくてはならない。
この長く続く清算の過程を如何に害小さく遂行するか、壮大な作戦と国際協力が必要な時代に入っている。
■路線対立の顕在化、権力闘争に進展か
そうした緊張が高まる局面で、路線対立という大きなリスクが顕在化しつつある。
それは習近平国家主席と李克強首相の相克の表面化である。
3月初旬の全国人民代表大会では壇上の習主席は、汗びっしょりで長時間のスピーチをした李首相に対して拍手もせず握手もせず、衆人環視の下で李首相に対する無視を露わにした。
産経新聞紙(5月19日)上で石平氏は
「『太子党』という勢力を率いる習主席と、『共青団派』の現役の領袖である李首相との闘いは
当然、最高指導部を二分する派閥闘争として展開していくしかない」
と展望している。
それは公共投資などの景気対策を最重視する守旧派と、
経済構造改革を推し進めようとする習政権指導部
との対立とも重なって展開されている。
共産党機関紙の人民日報(5月9日)は習主席の発言をにおわせながら、
「カンフル剤の景気対策はバブル再発を招く、
今後U字やV字回復は不可能で、L字型になる。
1、2年では終わらない」
と守旧派を批判し、低成長時代という現実の受け入れを迫っている。
ウォールストリート・ジャーナル紙は5月18日の社説で、
「習主席が遂行しようとしている供給サイドの構造改革(減税、規制緩和、ゾンビ企業の整理と財政金融の刺激策の抑制)は中国にとっては(長期的には)必要なものである。
しかし、官僚たちは景気刺激に重心を移しているし、
李首相も改革を支持しているものの、ケインズ政策(財政刺激策)にも前向きで、
習政権の供給サイドの構造改革はスムーズではない。」
何よりも習政権のサプライサイド改革には
「より自由な市場経済の構築をレーニン型の一党独裁統制政治によって成し遂げようとしているという根本的矛盾がある」
と厳しい評価をしている。
そもそも改革の最も重要な対象である
国有企業や共産党体制が既得権益そのものであり、
共産党の統制力強化を改革につなげることには無理がある
と言われている。
とすれば毛沢東主席の文化大革命のように、既存の党組織を否定解体する新たな権力機構を構築するしかないが、習近平政権の最近の言論統制や個人崇拝的傾向の復活は、そうした試みが進行しつつあることをうかがわせる。
■中国共産党体制の分岐、大いなる不確実性
しかし、インターネットが普及し市場経済の恩恵を人々が享受している今日、文革的な二重権力構造の創出は困難であろう。
習政権のサプライサイド改革は、景気の悪化と反対派の抵抗により頓挫する可能性が高いのではないか。
そうなると厳格な汚職追及や言論弾圧で敵を多く作ってきた習主席の権力基盤が揺らぐことになる。
習体制が続くか、李首相への権力移転に進むのか、
中央政府の統制力が劣化するのか、中国の共産党独裁体制の岐路が近づきつつあると言えるのではないか。
それは中国の政策選択において多大な不確実性をもたらし、世界の地政学を大きく変え、しいては世界経済パフォーマンス、市場パフォーマンスを左右することになる。
米国をはじめリベラルデモクラシーの諸国は、政治的リベラリズムに親和的な李首相のプレゼンスの高まりを期待し、それは世界の株式市場に対しても好材料と受け止められるだろうが、その過程は著しく読みにくい。
◎本記事は、武者リサーチのレポート「ストラテジーブレティン」より「第161号(2016年5月23日)」を転載したものです。
(*)投資対象および銘柄の選択、売買価格などの投資にかかる最終決定は、必ずご自身の判断でなさるようにお願いします。本記事の情報に基づく損害について株式会社日本ビジネスプレスは一切の責任を負いません。
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【2016 異態の国家:明日への展望】
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