日本はアメリカが日本を守ってくれるなどというのは、ほとんど信用していない。
日本が経済ナンバーツーとして君臨していたときは、裏にアメリカの軍事力依存の防衛体質があった。
というより、アメリカが日本に軍事力をもたせないようにしていた。
「日本になにかあったときはアメリカが対処するから、日本は軍事力を抑えよ」
というわけである。
しかし、オバマになってからはガラリと変わった。
中国が防衛識別圏を設定したときのオバマの言葉と行動は日本にとって「オバマの裏切り」として強く心に残っている。
これはオバマの問題だけではなく、アメリカの対日本への対応が大きく変わってきている、ということを認識させた。
つまり、時代が歴史が日米間のあり方を変更させているのである。
2011年の中国の抗日デモで日本は大きく舵を切った。
「お詫びと反省の国」から「新常態:普通の国」へと進路を変えた。
この裏にはそうすることを良しとするアメリカの是認がある。
アメリカが日本に
「普通の国になってもいいですよ」というお墨付きを与えた
ということである。
「アメリカは日本のお守りはしません。
日本は自分で自分の始末をしてください。
自分で始末することに対して、アメリカはこれまでのようにチャチはいれません」
ということである。
ただ普通の国になるにはそれなりの時間が必要になる。
なにしろ2/3世紀の間「お詫びと反省の国」として眠りこけていたのだから。
そこでしばらくは対内的対外的にアメリカが日本を守ってくれています、というアピールをする必要がある。
このことは同時に中国にとっても言い訳をのネタを提供することになる。
「わが国は日本より軍事的に大国である。
だが、日本の後ろにはアメリカがついている。
ためにうかつに手が出せない。
中国人民よ、そのことを分かってくれ」
というわけである。
日本は中国とタイマンでやれつもりで防衛力を固めている。
アメリカはあくまでお飾りである。
旗を振ってくれればいい、手を出すな!
なのである。
日本は
アメリカというトラの威を借りているのである。
「戦える犬に変身するまでの間は」
いつまでもキツネではいられないのである。
そういう時代になり、「そうせよ」と歴史が要求しているのである。
アメリカは中国牽制のために沖縄に駐留し続ける。
それを逆手にとって、日本はアメリカとの関係は親密だと言いふらす。
中国もそれが故に日本には手が出せないのだと、言い繕う。
『
ecord china 配信日時:2016年4月21日(木) 8時10分
http://www.recordchina.co.jp/a133967.html
在日米軍基地、日本を守るためではなく「対中戦略」で必要だから
=米軍は東・南シナ海で自衛隊と共同行動せず
―早大特任教授が米機密文書を解読
日米外交史に詳しい春名幹男早稲田大客委員教授が「大統領選と日米同盟」をテーマに日本記者クラブで講演。
米対中戦略は「関与」と「封じ込め」の両様であると指摘。
米国が在日米軍基地を維持するのは、米国が日本を守るためではなく、対中戦略上重要だと考えているからだ、との認識を示した。
その上で、東シナ海でも南シナ海でも米軍が日本と一緒に行動することはない、と明言した。
また、昨年改定された「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の日本語訳には、多くの作為的な誤訳あると指摘。
米軍が日本を守るという点で後退しているのに、日本語訳がこの重大事実を隠しているのは
「防衛政策を推進する上で大きな問題がある」
と政府を厳しく批判した。
春名氏は元共同通信ワシントン支局長で、近著に『仮面の日米同盟―米外交機密文書が開かす真実』がある。発
言要旨は次の通り。
米国の対中戦略によって、米国の日本への対応が変わってくる。
中国は外交が上手なこともあり、米対中戦略は「関与」と「封じ込め」の両様であり、対旧ソ連と違って封じ込め一辺倒ではない。
米国が在日米軍基地を維持するのは、米国が日本を守ってくれることではなく、あくまでも米国の国益によるもの。
自らの戦略によって
在日米軍基地が重要だと考えているから、撤退する考えはない。
撤退すれば中国ににらみが利かなくなると考えている。
日本は米国の意図を読んだ上で対応しないと、永遠にバカみたいな扱いを受ける。
自衛隊と米軍の役割分担を定めた日米ガイドラインは改訂を重ねて、今は3版目だが、明らかに日本を守るという点で後退している。
最初の1978年ガイドラインには
「日本は小規模な侵略を独力で排除する。
独力で排除することが困難な場合には、米国の協力を待って、これを排除する」
とあり、
「陸上自衛隊および米陸上部隊は陸上作戦を共同して実施する」
と明確に記されている。
ところが、97年の第2版では
「日本は日本に対する武力攻撃に即応して主体的に行動し、極力早期にこれを排除する。
その際、米国は日本に対して適切に協力する」
という文言に変わっている。
最新の2015年版は
「米国は日本と緊密に調整し、適切な支援を行う。
米軍は自衛隊を支援しおよび補完する」
と書かれている。
すなわち97年以降、
米軍の任務は支援し、補完するだけで、主体的に防衛するのは自衛隊となったのに、正確に日本国民に伝えられていない。
◆目に余る作為的な誤訳
外交文書によると、「適切かどうか」は米軍が決め、血を流すとは限らない。
しかも、英語の原文に当たって驚いた。
ガイドラインは英語で交渉し、英語で文章を作る。
それを官僚が翻訳するが、その際、作為的に米軍が日本の防衛に積極的に関与するかのような翻訳をしている。
例えば「主体的」ですが、英文にはprimary responsibilityある。
「主な責任」という意味で、主体的とはニュアンスが違う。
「支援し補完する」も英文はsupplementで補足する、追加するという意味である。
補完するであれば、complementが相応しく、78年版ではcomplement が使われていた。
さらに15年版には
「米軍は自衛隊を支援し、補完するため、打撃力の使用を伴う作戦を実施することができる」
という日本語があった。
「できる」というからにはcanだと思ったら原文はmayで、「してもよい」「するかもしれない」という意味。
共同作戦も通常はjoint operationが、原文はbilateral operation。「2 国の作戦」という意味で、これを共同と訳すには無理がある。
米軍の自衛隊支援の度合いは明らかに後退しているのに、日本語訳はこれを隠しているのは、防衛政策を推進する上で問題である。
私は長年の取材、研究を通じて、日米安保条約の真相を伝える機密文書を発見した。
1971年、アレクシス・ジョンソン国務次官が一時的に長官代行としてニクソン大統領に提出したメモ。
そこには「在日米軍は日本本土を防衛するために日本に駐留しているわけではなく、韓国、台湾、および東南アジアの戦略的防衛のために駐留している。
在日および在沖縄米軍基地はほとんどすべてが米軍の兵站(へいたん)の目的のためにあり、戦略的な広い意味においてのみ、日本防衛に努める」とある。
米国は、尖閣について施政権は日本にあるとしながらも領有権についてはいずれの立場も取らないと明言している。
パネッタ国防長官(2012年の「国有化」を巡る日中緊迫化当時)は
「漁業とか岩(尖閣)を巡って米国が紛争に巻き込まれることを許すわけにはいかない」
と言っており、オバマ大統領も15年4月の来日時の記者会見で
「尖閣諸島の最終的な主権の決定について米国は一定の立場を取っていない」
と明言した。
「安保条約5条の適用対象」との米高官の発言を基にメディアもあたかも米軍が尖閣を守るかのような報道をするが実態は違う。
南シナ海で中国の海洋進出に対抗する米国「航行の自由作戦」は形だけで腰が引けている。
同作戦への支持を安倍首相が15年11月の日米首脳会談で表明したが、オバマ大統領の反応はなかった。
その後、菅官房長官は米国からの協力要請はないと表明。
東シナ海でも南シナ海でも米軍が日本と一緒に行動することはない。
』
『
新潮社 フォーサイト 4月22日(金)13時28分配信 元海将、金沢工業大学虎ノ門大学院教授 伊藤俊幸
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160422-00010000-fsight-int
海自護衛艦「カムラン湾寄港」の読み方
海上自衛隊の護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」が4月12日、南シナ海を臨むベトナムの“軍事要衝”カムラン湾に寄港した。日本の艦艇寄港は、戦後初めてのことだ。
昨年11月にハノイで行われた日越防衛相会談では、航行の自由の重要性を訴えていくことで一致し、海自艦艇を寄港させることで合意した。
寄港したのが、毎年行っている哨戒機のパイロットや戦術飛行士の要員となる飛行幹部候補生を乗せた練習航海部隊とはいえ、それが早くも実現したことになるわけだが、そもそもなぜこの寄港が重要な意味を持つのか。
それを読み解くには、カムラン湾と中国の南シナ海進出との深い関連を見ていく必要がある。
■「力の空白」に乗じる中国
カムラン湾はベトナム中南部に位置する天然の良港だ。
その東海上には南沙(スプラトリー)諸島、北東には西沙(パラセル)諸島が、そして北には中国の海南島があり、中国や南シナ海、インドシナ半島を見渡せる絶好の位置にある。
それゆえフランス植民地時代から軍事拠点として用いられてきた。
一方、1949年に成立した中華人民共和国は、すぐさま南シナ海進出を目論む。
まず狙ったのは西沙諸島。
だが目障りなのは、カムラン湾から南シナ海を睨む大国の存在だ。
当時は、インドシナ半島に戻ってきたばかりのフランスだった。
ところが1950年代、フランスがインドシナ戦争に敗北してカムラン湾から撤退すると、その「力の空白」に乗じて、中国は西沙諸島の東半分を占拠した。
だが動きはここまで。
ベトナム戦争が始まり、南ベトナムを支援するアメリカがカムラン湾を使用するようになり、「力の空白」が埋められたからだ。
そのアメリカも、73年に南ベトナムから撤退すると翌年中国は、西沙諸島の西部に艦艇部隊を派遣、交戦の後、西沙諸島全域を占拠した。
これもまた、カムラン湾の「力の空白」に乗じたものだった。
75年のベトナム戦争終結後、カムラン湾を軍事基地として利用したのはソ連だったが、80年代半ばになって駐留ソ連軍が縮小し始めると、中国は南沙諸島への進出を開始し、88年には諸島の6カ所を占拠。
2002年のロシア軍撤退を挟み、南シナ海への進出にいっそうの拍車をかけ、現在に至る。
カムラン湾における「パワー」の不在が、中国の野心を現実のものにしているのだ。
■「力の空白」を一時的に埋めた海自護衛艦
ならばベトナム自身がカムラン湾における「パワー」になればいい、という見方もあるだろう。
しかし彼我の力の差は圧倒的に開いており、二国間関係ではこれまで太刀打ちできなかったのが実情だ。
ただ中国にも弱点はある。
★.ひとつは、問題が「国際化」すると、二国間関係ほど声高ではなくなる傾向があること。
★.もうひとつは、これまで見てきたように、
「パワー」が存在し力の空白がなくなると容易に動けなくなることである。
★.ベトナムにとって、このふたつの弱点を突く政策が、今回の海自護衛艦のカムラン湾寄港だった。
日本を巻き込むことで南シナ海問題を国際化できるうえ、
もちろん常駐ではないものの、
日本にカムラン湾について関与させることで一定期間「力の空白」を埋められる。
日本にしても今回の寄港は、「中国の力による現状変更を許さない」ため、東シナ海だけでなく南シナ海にも関与するという意思を、内外に示す絶好の機会となったのである。
なお、カムラン湾寄港に先立つ4月3日には、護衛艦「ありあけ」「せとぎり」に加え、練習潜水艦「おやしお」の3隻が、フィリピンのスービック港に入港している。
また全通甲板型のヘリコプター搭載護衛艦「いせ」が、インドネシアでの観艦式や国際共同訓練に参加後の4月26日に、スービック港に寄港することも発表された。
かつてアジア最大の米海軍基地があったスービック港だが、1992年にフィリピンに完全返還されたことで、カムラン湾と同様の「力の空白」が発生し、南シナ海情勢の悪化を招いた。
近年再び軍事拠点化が進められようとしている中での護衛艦の相次ぐ寄港は、カムラン湾におけるそれと全く同じ意味を持っているのである。
■「軍艦」による「平和外交」
「力」というと、どうしても「攻撃力」としての軍事力を想起させてしまうだろう。
だが今や先進諸国が軍事力を持つ意味の多くは「抑止力」のためである。
作戦行動におけるフェーズゼロ、つまり平時においては、戦争をさせないという「現状維持戦略」が重要なのだ。
確かに南シナ海情勢は険悪だが、護衛艦の行動はいたずらに軍事的緊張を誘発するものではない、と読む必要がある。
★.海自の護衛艦は国際法上「軍艦」と認識されており、
公海上でも外国領海内でも外国港内でも、治外法権の存在であることが保証されている。
つまり護衛艦は、「海上を移動する国家」、「日本」そのものなのだ。
だから護衛艦の外国寄港は軍事的というより、外交的な意味をより強く帯びる。
現地関係者と握手をし、言葉を交わすことが、そのまま外交活動なのだ。
今回の「ありあけ」「せとぎり」のカムラン湾寄港はその意味で、南シナ海での紛争抑止を目的とした“積極的平和主義”外交の一環なのである。
』
『
サーチナニュース 2016-05-08 22:07
http://news.searchina.net/id/1609190?page=1
日本がASEAN諸国を引きこもうとしている!
南シナ海問題で強い警戒感=中国
岸田文雄外相は2日、タイのチュラロンコン大学で行った演説において、
3年間で7500億円の資金を活用してメコン地域を支援
する意向を表明した。
中国メディアの中国財富網はこのほど、日本の巨額支援における真の動機は
「南シナ海問題に対してASEANを団結させ、日本側に引き込む意図がある」
と主張した。
記事は岸田外相がタイ滞在中に南シナ海問題を「しきりに」取り上げたと表現しており、その事例の1つは岸田外相が2日に行った演説を紹介した。
外務省によれば岸田外相は
「広島で開催したG7外相会合において南シナ海における一方的な現状変更の動きに対して強い反対が示され」
と述べたほか、
「昨年の東アジア首脳会議(EAS)において、日本とASEANを含む地域18カ国の首脳は、地域における政治・安全保障の問題に一層取り組み、機構を強化していくことに合意した」
と岸田外相は述べている。
さらに記事は岸田外相が南シナ海問題を取り上げた事例として、2日に行われたタイのプラユット首相との会談に言及。
中国が南シナ海で軍事基地化を推し進めていることを念頭に、海洋安全関連問題を国際法に基づいて解決することの重要性において一致したと岸田外相が会談後に明らかにしたことに言及している。
また、1日の日タイ外相会談の際にも、岸田外相は中国が南シナ海で軍事拠点化を推進し一方的に現状変更を試みていることを懸念しているという見方を示したと説明。
外務省によれば岸田外相のこの発言を受けて、ドーン外相はG7が海洋安全保障に力を入れていることを承知している旨を述べ、さらにタイも問題の外交的解決及び法に基づく問題解決及びASEANが一体となって対応することが重要であると考えている旨を述べた。
記事はこれらの事例を取り上げ、結論として7500億円を投ずるメコン地域支援政策の日本の真の動機には
「南シナ海問題においてASEANを団結させ日本側に引き込む」
という意図があると指摘。
岸田外相のタイ滞在中における一連の発言に対して強い警戒感を示した。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2016年5月26日 スティーブン・ナギ [国際基督教大学准教授]
http://diamond.jp/articles/-/91897
日本の対中外交姿勢は遣唐使の時代に回帰している
■強大化する隣国といかにして支配されずに付き合っていくか
最新の言論NPOの世論調査(PDF)からは、日本人の中国に対する親近感が次第に減少しており、中国人の日本への好感も次第に減少していることが確認できる。
同調査によれば、この流れは早くは2005年から始まっていたが、歴史的視点からも、日中関係では日本が決まって抑制的な態度を堅持するため、関係は概ね抑圧的、あるいは慎重だったといえる。
◆日中相互の印象
出典:2015 GENRON 第11回日中共同世論調査(2015年)p.4
第二次大戦後の国際社会における日本の模範的な行動や、ODA、その他の援助にもかかわらず、中国は政治目的のために歴史問題を利用し続けている。
また、かつての帝国主義を反省しない日本、謝罪しない日本を非難し続けてもいるが、これら感情に根ざした認識に対して、日本側は現代的な説明を行っている。
日本側にとっては、東シナ海や南シナ海における中国の軍備拡張とその意図することが、本心からの懸念となっている 。
(http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000011300.pdf, http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/higashi_shina/tachiba.html)
◆日本人の中国への良くない印象の理由
2015 GENRON 第11回日中共同世論調査(2015年)p.7
同調査によれば、中国人の日本観が悪化する原因は安倍首相の歴史観にあり、また現象面では日本政府による軍備拡張、とりわけ尖閣諸島の国有化に起因している、とされる。
◆中国人の日本への良くない印象の理由
出典:日中関係の分岐:2015 GENRON 第11回日中共同世論調査(2015年)p.7
こうした問題は、将来も長く残るだろう。
中国経済が成長し続けた場合、地域における日本のポジションは中国と比較して相対的に低くなり、その位置は固定化するだろう。
私たちが問うべきは、日本が東アジアにおいてそのポジションを維持する方法だけでなく、将来において、GDPが3倍から4倍になるとみられる中国経済による支配を阻む方法ではないだろうか。
この点は、将来、この地域での日本の相対的地位を弱めるかもしれない、人口減少など数多くの国内的難題に日本が直面する場合、特に重要である。
(http://www.nippon.com/ja/in-depth/a01001/)
■隣人は選べない。ならばどうするか?
本稿では、安倍政権下の日本が、強大な経済・政治・軍事力による中国の再登場は、日本の政治・経済・安全保障の自律性に対する挑戦だと敏感に察知している、と推測する。
彼らはまた、日本の地政学的ポジション、地域との経済連携、歴史的な中国との競争状態などは、日本が中国や地域から孤立できない、そして地域と対面することから逃れられないことを決定づけていると、鋭敏に理解している。
これらの傾向を読み、安倍首相と彼の外交政策チームは、この傾向に基づいて経済機会を最大化するような外交政策アプローチを選び取っている。
本稿ではかなりオープンに以下のことを論じる。
経済的・政治的・軍事的に中国と競争しつつ貿易関係の利益を享受するために、日本の対中国アプローチがトラディショナルな、衝突や不和などを和らげたり無効にするようなアプローチへ回帰している。
しかしながら、それは中国が日本を経済・政治・安全保障において支配することのない距離感である。
本稿の文脈においては、帳尻合わせや、断定を避けるような用語は使用しない。
中国と“いつも通りにビジネスを行う”日本という、彼らのセンスを伝えるためだ。私が議論するのは、自律性を保持しつつ、共通の規範、経済政策、そして双務的な安全保障ネットワークを通じてこの地域並びに全世界的に自国の存在感と影響力を確立するための、様々なレベルでの交流関係の見直しである。
■文化は取り入れつつ政治的には距離を置いた古代の日中関係
日本の外交政策エリートの心の中までを読み取ることはできないが、安倍首相のもとでの日本の外交政策は、唐時代に、日本が歓迎した強大な文化の注入以降に最初に確立した、対中関係の伝統に戻っているように見える。
この時代の遺産は、日本が使用する筆記体系、日本人が享受する建築、都市計画や政治、経済、文化等に多々見られる。
この関係のもう一つの永続的な遺産は、中国から離れようとしてもできず、対等な関係を保証させることもできない、という事実だ。
早ければ9世紀には、中国と直接相対するという不安定な立場を正しく理解していた日本は、中華世界の有形無形の影響力を、古代中国の文化的、政治的、経済的な寛容さに乗じて、距離を置くことにより和らげ、予防することが、思慮深い付き合い方だと理解していた。
この1000年前の姿勢に戻ることにより、日本を中国との軍拡競争から回避させ、第二次大戦後の平和主義の伝統を維持し、そして中国の大きさと、その大きさから来る力にも影響を受けにくい独自の条件で、中国との関係を継続することが可能なのだ。
今日、日本の外交政策決定者は、中国に相対したときに、似たような選択を取ろうとしている。
私たちは、それを経済・政治・安全保障を含むいくつかの異なるレベルで見ることができる。
■政治リスクを注意深く避け経済で他のアジア諸国と連携
★.経済レベルでは、
日本は日本のビジネスに利益をもたらし、中国市場の拡大による支配を避けつつ市場へのアクセスを確保するために中国を対話に引きこみ、政治的摩擦の可能性を減じるように方向付けており、同様のことが様々な段階で行われている。
2005年、2010年、2014年の領土問題に起因する反日感情の結果、日本企業は中国で大きな影響を受けた(http://www.dir.co.jp/souken/research/report/japan/monthly/12101901monthly.pdf, https://chinaperspectives.revues.org/6321)。
その結果日本企業は中国での生産ネットワークを、
★.中国製造の日本製品を全世界に向け輸出するための基盤とする戦略から、
★.中国での、中国人による、中国人のための製品を、日本の技術によって生産する戦略
に変更した。
この戦略は、日本企業が継続して中国市場から利益を得ることを可能にする。
重要なことは、日本企業を、尖閣諸島の国有化に見られるような日中関係に関連する、潜在的影響力のある問題から、隔絶する戦略であることだ。
★.第2のレベルは、規模を増し加速された
直接・間接のの投資と、ASEAN内における積極外交だ。
ASEAN諸国、とりわけベトナムは、徐々に日本の製造業にとって大きく重要な役割を果たしつつある。
私たちは今日、東南アジア諸国が、東南アジア諸国を含むグローバルな輸出のための日本製品の「工場」となっていることを見て取れる。
このような第2のレベルでのシフトは、中国でのビジネスにおいて増加するコストと政治的なリスクを考慮している。
TPP加盟を図るために農協ロビーといった利益集団と戦う安倍首相の勇気は、日本経済と補完的役割や比較優位性でつながっている他のTPPメンバー国の、
アジアにおける経済的自律性(中国に支配されないという意味)をも強化することになり、彼らを安倍首相の外交政策と戦略に大いに肩入れさせる。
TPPは、ベトナムのような安い労働力による経済と、日本の先進性のあるハイテク経済とを結びつける。
TPPメンバーになることは、ベトナムで日本製品を製造することによって、日本が、先進国(米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、日本)の少なくとも500万人の富裕層に、関税フリーで輸出できることを意味する 。(http://www.worldcommercereview.com/publications/article_pdf/1003)
TPPと、経済投資の拡大、東南アジアと結びついて関心を持つ戦略は、アジア太平洋地域を横断していく。
中国の「一帯一路」のような政策を通じた東南アジア地域の中国支配
を妨げるための経済戦略というだけでなく、
安倍首相はまた、地域の利害関係者に抜け目なく何度も、
東シナ海と南シナ海こそが、日本にとって重要な安全保障問題である
と示唆している。
またそれを、南シナ海における利害関係者の数を拡大することにより実行している。
日本はTPP締結に先立ち、その取引のうち少なくとも5.3兆ドルが南シナ海に関係していたと示した。
南シナ海は、中国、韓国、台湾、その他多くのASEAN諸国に運ぶエネルギーの輸送回路でもある。
ベトナムやマレーシア、ブルネイ、シンガポールのようなASEANのTPP諸国間の経済連携拡大によって、日本、米国、オーストラリア等の、この地域以外のTPPメンバー国が、南シナ海で何が起こったかに興味を持つようになった。
なぜなら、彼らの経済メリット、効果の度合いが変わってくるからだ。
安倍首相による、このことを念頭に置いた中国市場の拡大による支配を妨げるための日本の経済戦略は、二重の役割を持っている。
★.一つには日本経済がアジア諸国とアジア太平洋地域との結びつき拡大すること、
★.もう一つは中国の経済支配を妨げること
だ。
と同時にこの戦略は、この地域における
安全保障を多数の国で、水平的に行うものへと展開
することにより(http://www.policyforum.net/abe-and-xi-a-year-to-remember)、日本の安全保障上の問題を和らげることにも貢献する。
■TPPは力による「中国封じ込め」とは違う
この戦略は、中国封じ込めや、あるいは保証された日中関係に向かうことを意味しない。
これらはいずれも非現実的で、日本の利害、可能性、第二次大戦時の評価などと一致しない。
実際には、日本の戦後憲法と、歴史的な対中姿勢がこのアプローチに結びついている。
日本の平和主義憲法と日本社会に深く根付いた平和主義的な規範は、
軍事的な安全保障問題に対処する場合に、
「当たり前の政策」が使えないことを意味する。
このジレンマによって、日本の同盟国、友好国、競争者を繋ぎ止める、強固で地域的かつグローバルな経済的紐帯を育む連帯や道具、関係といった経済的方策を、安全保障目的でも使わざるを得なくしている。
これは逆に言えば、政治的な摩擦や問題が生じた際に使われる他の形の政策に対する、日本の選択肢を減らしている。
中国は、日本のアプローチ、特に米国との関係強化を、米国主導の封じ込め戦略と見ている。
彼らは、日本がほとんど自律性を持たず、
日本は、米国が地域におけるバランスを取り戻すためのジュニアパートナーであると見る。
私は、この議論は日中関係に対処する日本の歴史的アプローチ(中国を支配しようとして好戦的で帝国主義的なアプローチをとった悲惨な帝国時代を除く)を理解していないと考える。
安倍政権下の現在のアプローチ、すなわち、制限され、コントロールされ、そして有益な関与を見越した日中関係における日本の伝統的なアプローチへの戦略転換が、中国支配による日本への衝撃を和らげることになるだろう。
口語表現を借りるなら、
「ゴルディロックス外交」
(ほどほどの、適度の外交の意)
と表現できるだろう。
日本は、中国経済が成功するか失敗するかの特有なリスクから自らを隔離しつつ、中国から利益が生じている政治―経済スペースに、自らを適正な位置に配置することを目指しているのだ。
■繊細なアプローチを成功させるにはコミュニケーションが重要だ
ここまで述べてきたようなアプローチは、微妙で誤解を受けやすいものだ。
多国間の、非常に限られたフレームワークのもとで、強い経済、政治、安全保障関係を構築するためには、安全保障競争に両国が巻き込まれないように、中国側と注意深くコミュニケーションを取る必要がある。
そして発言の次には、中国の安全保障問題が徐々に減じるという「行動」があるべきだ。
彼らが封じ込められるのか、または地域におけるよりアクティブな対日外交へ回帰するかどうかはともかく、中国の安全保障問題を緩和することは、競争に根差したネガティブな経済・政治・安全保障問題へのエスカレートを妨げることが重要になる。
一方の中国サイドは、最近の
★.一方的で相談プロセスを欠いた島の建設、
★.紛争地帯での防衛ミサイルやレーダー施設の設置など領土拡張の姿勢、
★.また東シナ海および南シナ海における日本の安全保障への関与
に対して、救いようのない状態にある。
こうした一方的行為は止める必要があり、係争地の最適な共同利用については、透明性の高い、多国間フォーラムで議論されるべきだ。
強硬な手段で紛争は解決されないという中国の宣言は、南シナ海に多国間化の道を開き、固めるだろう。
小沢一郎氏は、著書「日本改造計画」のなかで、将来の政権に対して有益なアドバイスを与えている。
まず彼は、正常化に向けてのステップは隣国と協議し、自衛隊派遣は国連の下で許可された場合のみとすること、と助言している。
現在の日中環境において正常化プロセスに中国が合意すると考えるのは難しいが、安倍政権下の日本外交の現在のアプローチは、中国の一方的な宣言や、もしくは中国の安全保障問題を和らげるために、小沢正常化方式と似た状態を作り出すだろう。
スティーブン・ナギ
国際基督教大学准教授。1971年カナダ生まれ。2004年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程(国際関係)修了、2009年同博士課程修了。2007年早稲田大学アジア太平洋研究科のリサーチ・アソシエイト、2009年香港中文大学日本研究学科助教授に就任、2014年より現職。早稲田大学「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」シニアフェロー、香港中文大学香港アジア太平洋研究所国際問題研究センター研究員を兼任。研究テーマは北東アジアの国際関係、日中関係、アジアの地域統合及び地域主義、非伝統的安全保障、人間安全保障、移民及び入国管理政策。
』
『
ダイヤモンドオンライン 2016年5月27日 北野幸伯 [国際関係アナリスト]
http://diamond.jp/articles/-/91997
オバマが偉大な大統領である3つの理由
就任時に世界的大人気を誇ったオバマ米大統領。
今では見る影もなく評価が失墜し「史上最低の米大統領」という人すらいる。
しかし、私はまったく逆で「オバマは偉大な大統領だ」と考えている。
その理由は3つある。
現職の米国大統領として初めて広島を訪問し、話題になっているオバマ。
就任時は若々しく、笑顔がよく、スリムな「初の黒人大統領」として、超人気だった。
彼が演説で多用した「Yes we can!」のフレーズは、米国や日本だけでなく、世界中で流行語になった。
しかしその後、オバマの評価は失墜した。
今では最低評価が付けられることも多いオバマだが、彼の実績をここで冷静に振り返ってみると、3つの偉業を成し遂げていることが分かる。
■<理由1 世界経済を破局から救った>
オバマは2009年1月、大統領に就任した。
これは「最悪のタイミング」だったと言える。
なぜなら08年9月の「リーマンショック」から、世界は大不況に突入していたからだ。
この大不況は、1929年からはじまった「世界恐慌」と比較され、「100年に1度」と形容される。
そして、実際そのとおりだったのだ。
●今や「史上最低の大統領」と酷評されることもあるオバマ。
しかし彼の実績を冷静に振り返ってみると、実は大きな功績がいくつかあることが分かる。
さらに、政権末期のオバマは、日本にとってもありがたい味方だった Photo:REUTERS/AFLO
しかし、危機後の対応は、1929年と09年で大きく異なる。
1929年の世界恐慌時、米国大統領は「市場が自由であれば、すべてよし」と考える「古典派」フーバー大統領だった。
1929~1933年まで大統領を務めた彼は、古典派らしく「国家は経済に介入するべきではない」という姿勢を崩さなかった。
結果、恐慌は、4年間放置されることになり、状況は悪化しつづけた。
08年からの危機は、違った。
オバマは、きちんと80年前の教訓から学んでいたのだ。
彼は、財政支出を劇的に増やし、躊躇することなく金融機関や企業を救済していった。
そのため、米国の財政赤字は07年に4140億ドルだったのが、オバマが大統領に就任した09年には1兆8960億ドルと、4.5倍増加した。
国家の借金は増えたものの、間違いなくこの措置は、米国だけでなく世界経済を破局から救った(もちろん、米国自身が作り出した危機ではあるが、それはブッシュ政権の責任で、オバマに責任はない)。
結果、世界経済が最悪だった09年、米国の国内総生産(GDP)成長率は、マイナス2.78%だった。
しかし、その後は、毎年1.5~2.5%の成長を続けている。
★.米国のGDPは、07年に14兆4776億ドルだったが、15年は17兆9470億ドルと、約24%も増加した
★.(ちなみに日本のGDPは07年に513兆円だったが、15年は499兆円と、逆に減少している)。
オバマは未曾有の経済危機を乗り越え、米国を再び成長軌道に乗せることに成功したのだ。
■<理由2 シェール革命で、米国は世界一の資源大国に>
オバマ政権下で起こった、もっとも大きな変化は「シェール革命」だろう。
というのも米国にとって長らく、政策を大きく左右する動機となってきたのが「エネルギー問題」だったからだ。
ブッシュが大統領に就任した時、「米国内の原油は16年に枯渇する」と予測されていた。
このことと、ブッシュ政権が異常にアグレッシブだったことは無関係でない。
米国は03年、イラク戦争を開始した。
表向きの理由は、「フセインが9.11を起こしたアルカイダを支援している」「大量破壊兵器を保有している」だったが、2つとも「大うそ」だったことが後に明らかになった。
では、米国がイラクを攻撃した真の理由はなんだったのか?
諸説あるが、FRBのグリーンスパン元議長は、以下のように告白している(太線筆者、以下同じ)。
<「イラク開戦の動機は石油」=前FRB議長、回顧録で暴露
[時事通信 2007/09/17-14:18]
【ワシントン17日時事】18年間にわたって世界経済のかじ取りを担ったグリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長(81)が17日刊行の回顧録で、2003年春の米軍によるイラク開戦の動機は石油利権だったと暴露し、ブッシュ政権を慌てさせている。
米メディアによると、前議長は「イラク戦争はおおむね、石油をめぐるものだった。
だが悲しいかな、この誰もが知っている事実を認めることは政治的に不都合なのだ」と断言している。>
グリーンスパンによると、イラク戦争の理由が「石油」であることは、「誰もが知っている事実」なのだそうだ。
いずれにしても、米国が中東に強く関与しつづけていた理由が「資源がらみ」であることは、間違いない。
そんな状況が「シェール革命」で激変した。
世界で「資源超大国」といえば、サウジアラビアとロシアだった。
しかし14年、米国の産油量は両国を抜き去り、世界一になった
(14年の産油量は、
米国が日量1164万4000バレル、
サウジアラビア1150万5000バレル、
ロシア1083万8000バレル)。
これで米国は、天然ガス、原油生産ともに世界一になった。
そして、米国は今年、40年ぶりに原油輸出を再開している。
「シェール革命」は、原油価格を下げ、日本にも大きな恩恵をもたらしている。
日本は東日本大震災後、原発をすべて停止し、原油、天然ガス輸入を大幅に増やした。
その結果、貿易赤字が大きな問題になっていた。
しかし、シェール革命による原油安で、赤字は急速に減少している。
14年の日本の貿易赤字額は、12兆8161億円だったが、15年は2兆8322億円で、10兆円も減少した。
「シェール革命」について、「オバマ自身とあまり関係ないのでは?」という意見もあるだろう。
確かにそのとおりである。
しかし、クリントンは「IT革命で米国の景気がとてもよかったこと」を理由に、「偉大な大統領」と呼ばれている。
はたして、クリントンは「IT革命」に何か貢献したのだろうか?
「シェール革命」についても、「オバマ時代に起こった」ことで評価されるべきだろう。
■<理由3 対中国リアリズム外交>
オバマがもっとも批判されるのは、「外交」だろう。
実際、彼の外交政策は、ほとんどの期間「失敗だらけ」だった。
オバマは09年、「ノーベル平和賞」を受賞。
戦争に明け暮れたブッシュ政権に疲れた米国民や世界の人々は、「平和」を強く望んでいた。
ところが、オバマは11年、リビアを攻撃し、カダフィを殺害した。
この戦争が戦略的にどういう意味があるのか、不明である。
ちなみに、カダフィ殺害でリビアは無政府状態になってしまい、今も内戦状態にある。
その責任は、オバマにある。
そして彼は13年8~9月、外交面でおそらく「最大の失敗」をした。
オバマは13年8月、アサド軍が「反体制派に化学兵器を使った」ことを理由に、「シリアを攻撃する」と宣言。
しかし、翌9月、「やはり攻撃はやめた」と戦争を「ドタキャン」し、世界を仰天させた。
さらに、オバマ政権は、ウクライナで革命を起こし、親ロシア派ヤヌコビッチ大統領を失脚させた。
こう書くと、日本ではおそらく「トンデモ系」「陰謀論者」とレッテルを貼られるだろう
。しかし、これは筆者の想像ではなく、オバマ自身が語っているのだ。
「ロシアの声」15年2月3日から。
<昨年2月ウクライナの首都キエフで起きたクーデターの内幕について、オバマ大統領がついに真実を口にした。
恐らく、もう恥じる事は何もないと考える時期が来たのだろう。
CNNのインタビューの中で、オバマ大統領は
「米国は、ウクライナにおける権力の移行をやり遂げた」
と認めた。
別の言い方をすれば、彼は、ウクライナを極めて困難な状況に導き、多くの犠牲者を生んだ昨年2月の国家クーデターが、米国が直接、組織的技術的に関与した中で実行された事を確認したわけである。>
(出所、さらなる詳細はこちら。
また、オバマが関与を認めている映像はこちら)
14年2月のウクライナ革命は、ロシアの「クリミア併合」を誘発した。
革命で誕生した親欧米新政権は、「クリミアからロシア軍を追い出し、NATO軍を入れる」と宣言していたからだ。
地政学的に超重要な軍事拠点を奪われそうになったプーチンは、速やかにクリミアを併合してしまった。
そして、ウクライナで内戦が勃発する。
この内戦は、「プーチンのせい」ともいえるが、「ウクライナで民主的に選ばれた大統領を革命によって強制追放したオバマのせいだ」ともいえる。
ウクライナ革命が、米国にとって「どういう戦略的意味があるのか」、やはり不明である。
このように、意味不明な他国への介入を行ってきたオバマ外交は「失敗の連続」だったが、
15年3月の「AIIB事件」以降、
彼は突然「天才リアリスト」に生まれ変わった。
■世界中の敵とあっという間に和解!
ターゲットを中国に絞ったオバマ
「AIIB事件」とは、英国、フランス、イタリア、ドイツ、イスラエル、オーストラリア、韓国などの「親米国家群」が、米国の制止を無視し、中国が主導する「AIIB」への参加を宣言したこと。
参加国の数は、実に57ヵ国に達した。
オバマは、日本以外のほとんどすべての同盟国が自分の要求を無視し、中国の誘いに乗ったことに大きな衝撃を受けた。
ここに至って、米国はようやく「中国は、覇権一歩手前まで来ている」ことを悟ったのだ。
そして、オバマは変わった。ウクライナ内戦は、15年2月の「ミンスク合意」で停戦が実現していた。
米国は当初、「ウクライナに武器を送り、停戦をぶち壊そう」と画策していたが、
「AIIB事件」を受けて「停戦容認」に態度を変えた。
15年5月、米国は、13年から始まっていた中国による「南シナ海埋め立て」を突如問題視しはじめ、米中関係は急速に悪化していく。
この月、日本のメディアも、「米中軍事衝突」の懸念を報じるようになった。
一方、ケリー国務長官は同月にロシアを訪問し、プーチンと会談。
「制裁解除もあり得る」と語り、ロシア政府を驚かせた。
これ以降、米国とロシアの関係は
「ウクライナ問題」
「イラン核問題」
「シリア問題」
の共同解決作業を通し、急速に改善してきている。
15年7月、米国、ロシア、他4国とイランは「歴史的合意」に達し、「核問題」を解決した。
16年1月、対イラン制裁は解除された。
16年2月、米国とロシアは「シリア内戦終結」を呼びかけ、アサド政権と反体制派の停戦が実現した。
こうしてオバマは、「アッ」という間に、「ウクライナ問題」「イラン核問題」「シリア問題」を解決した。
そして、中国との和解だけは拒否している(北朝鮮もあるが)。
この動きを、「戦略的」に見るとどうなるだろう。
米国には、戦略的に重要な地域が3つある。
すなわち、欧州、中東、アジアだ。
●・欧州には、「ウクライナ問題」「ロシア問題」がある。
●・中東には、「イラン問題」「シリア問題」「IS問題」などがある。
●・アジアには、東シナ海、南シナ海を支配したい「中国問題」がある(北朝鮮問題もあるが)。
いくら米国が「世界最強」とはいえ、同時に、欧州でロシアと、中東でイラン・シリア(アサド)・ISと、そしてアジアで中国と戦うのは不可能だ。
そこで、オバマは、欧州と中東の問題を迅速に解決し、米国の覇権を脅かす中国にターゲットを絞ったのである。
■リアリストに変身した後のオバマは日本にとって大恩人だった
以上、オバマが偉大な大統領である「3つの理由」を挙げた。
オバマは、まもなく引退する。
そして筆者は、彼の引退を心から惜しんでいる。
日本が現在抱えている最大の問題は、「日本には沖縄の領有権もない」と主張する中国の存在だろう(証拠はこちら)。
オバマは15年、ようやく中国の脅威に目覚めた。
そして、世界中の問題を解決し、中国と対峙しはじめた。
米国が日本の望む方向に動きはじめてからわずか1年半で、彼は引退する。
「リアリスト」に変貌したオバマの後に続くのは、
「金をもっと出さなければ米軍を撤退させる!」と脅迫するトランプだろうか?
それとも、「中国から長年賄賂をもらっていた」と噂されるヒラリーだろうか?
あるいは、「戦争はもうたくさんだ」「格差をなくせ」と主張する、平和主義、社会主義者のサンダースだろうか?
誰が大統領になっても、最末期のオバマほど、「日本にとってよい大統領」が現れるか疑問である。
ブッシュから大きな「負の遺産」、つまり「100年に1度の大不況」「大混乱の中東」を引き継いだオバマは、この2つの大問題を解決し、去っていく。
彼は10年、「尖閣中国漁船衝突事件」が起こった際、「尖閣は、日米安保の適用範囲である」と宣言し、日本を救った。
また、東日本大震災直後の「トモダチ作戦」も、決して忘れてはならないだろう。
そして今回、「広島訪問」を果たす。
日本にとって大恩人であるオバマ。
「史上最悪の大統領」と呼ぶのは、あまりにも酷だろう。
影響力はないにしろ、筆者は心から、オバマ大統領に感謝したい。
そして、彼の業績が、日米だけでなく、世界中で正当に評価される日がくることを、心から願っている。
』
オバマがそんなに偉大だとは思えない。
引退が近づき、これまで何もしてこなかったことに愕然とし、
歴史に名を残すことを渇望
しての行動としか思えない。
もし、彼が偉大なら、もっと前に、つまり自由に振る舞える任期中に動いたであろう。
それをやらなかったのは、動いた結果を拾いたくなかった、としかいいようがない。
任期終了間際にやれば、
その結果を拾うのは自分ではなく、
次の大統領になり、まるまる責任を回避できる、
という目論見だろう。
でも、日本にとっては、こういうダメ大統領のほうが刺激があったと言える。
つまり、
彼の任期中に今後の日本の歩む方向に関してレールが敷けた
からである。
彼でなかったら、この路線の敷設に大きないちゃもんをツケられ挫折したであろうと思われる。
そのことから考えるなら、
オバマは日本にとってはとてもありがたい大統領であった
と言える。
【2016 異態の国家:明日への展望】
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