2016年4月1日金曜日

親日感情が存在するミャンマー:中国は“民主化”に突き進むミャンマーと どう付き合おうとしているか?

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● ミヤンマーと周辺国 ミヤンマーは中国と長い国境線を持つ


WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2016年03月31日(Thu)  根本敬 (上智大学総合グローバル学部教授)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6467

54年ぶり文民政権ついに成立!
ミャンマー新政権徹底解説
入閣したアウンサンスーチーの戦略とは

 昨年11月の総選挙でのNLD(国民民主連盟)圧勝から4カ月半、ミャンマー(ビルマ)では3月30日に新大統領(任期5年)の就任式が行われ、民主化推進の重責を担った新政権が課題山積の荒波へ向かって船出した。

■新大統領選出の背景

 外国籍の家族を有する者が大統領に就任することを禁じる大統領資格制限条項が憲法にあるため、NLD党首アウンサンスーチー(70歳)の大統領就任は実現せず、腹心の党幹部ティンチョー(69歳)が就くことになった。
 NLDは当初、大統領選出にあたって奇策に打って出て、上下両院それぞれで6割近い議席を有する力を活用し、両院の過半数合意をもって憲法の資格制限条項を一時凍結して、彼女の大統領就任への道を切り開こうとした。

 憲法の規定では改憲の発議には両院各75%+1名以上の議員の賛同が必要で、あらかじめ25%の議席を割り当てられている軍の賛成が得られない限り、そのハードルを越えることは不可能である。
 そこで編み出されたのが、資格制限条項だけを対象とした条文の一時凍結を過半数合意で可決することだった。
 これが通れば、改憲を先延ばししたうえで彼女の大統領就任を実現させることができる。
 だが、大方の予想通り、軍はこの案に強く反対し、NLDはアウンサンスーチーの「代行」を選出することで妥協するに至った。

 国民詩人のミントゥーウン(故人)を父に持つティンチョー新大統領は、ヤンゴン大学を卒業後、経済官僚としてミャンマーで働き、1960年代末期に英国に留学、その後、1988年にミャンマーで全国規模の民主化運動が生じると、父と共にNLD(国民民主連盟)に参加した人物である。
 軍政下で弾圧を受け続けたNLDにあって、一貫してアウンサンスーチーを支え続け、2012年に彼女の母の名を冠したドー・キンチー財団(教育支援を目的とするNGO)が結成されると、その理事も務めている。

 新大統領はまた、海外に出ても遜色のない英語力を持ち、生粋の文民ではあるが軍との調整能力も期待されている。
 単にアウンサンスーチーに忠実な人物だから大統領「代行」に選ばれたのではなく、彼女が冷静にその能力と人柄を判断したうえで指名したことは間違いない。

 これに対し、NLDとアウンサンスーチーにアレルギーを持つ国軍は、現憲法で保障された様々な軍の権限を引き続き活用しながら、新政権が推し進めようとする改革を合法的に抑制する姿勢を見せている。
 そのことは、2人いる副大統領の一人に、強硬派で旧軍政議長タンシュエ氏(引退)の忠実な部下だったミンスウェ(前ヤンゴン管区首相)を送り込んだことからもわかる。
 これによって、今後のNLDと軍との関係には常に必要以上の緊張感が伴うことが予想される。

■入閣したアウンサンスーチーの意図とは

 大統領選出と共に関心を集めたのが組閣作業である。
 そこではアウンサンスーチーが入閣するかどうかが一番の関心の的となった。
 ふたをあけてみると、彼女は4つの閣僚を兼任することが判明した。

 当初、彼女は入閣しないという推測が広がり、筆者もその見解に与(くみ)していた。
 なぜなら、現憲法では正副大統領や閣僚に就任して行政府に入った議員は、議席を自動的に失うだけでなく、所属する政党の活動(党務)に関わってはいけない決まりになっているからである。

 もしNLD党首としての活動が禁じられれば、アウンサンスーチーは自身と一心同体の党の運営から距離を置かざるを得ず、党首代行を立てるにしても、党内が混乱する可能性がある。
 また何よりも選挙運動に関われなくなるため、彼女の国民的人気に頼るNLD候補者にとって不利な状況になる恐れがある。
 このようなリスキーなトレードオフ(=価値交換)を彼女が敢えて選択するとは考えにくかった。
 アウンサンスーチーはしかし、最終的に入閣の道を選んだ。
 それはNLDそのものよりも、自身の国政への責任をより重視した判断によるものとみなすことができる。

 一方、彼女の入閣と4閣僚兼任は、昨年11月の総選挙直前から公言していた
 「(私は)大統領より上に立つ」という考え方の発露として解釈することもできる。
 この考えは、たとえ憲法の制約で自身が大統領に就任できなくても、「代行」を立てて自分がしっかりその人物をコントロールするという姿勢の表明である。
 そこには2つの意味がある。

 ひとつはNLDを支持する有権者の一部が、彼女が大統領になれないのであればNLDに投票する意味がないと消極的に考える傾向があったことに対し、安心感を与えるという意味である。

 もうひとつは、「制度外の制度」の存在を隠すことを彼女が拒否し、それをあらかじめ民主的に「公表」するという意味である。
 時代を問わず、世界には特定の力を持った政治家や集団が制度上の首相や大統領を陰でコントロールするという事例がいくつもあり、今でも見かける。
 そのような場合、コントロールする側もされる側も、その事実を公には認めないのが普通である。

 アウンサンスーチーの場合、そうした「制度外の制度」が存在する状態を「公然の秘密」扱いすることは民主的ではないと考え、
 「大統領ではないが、国民の意思を反映させるため、自分が大統領をコントロールする」
と敢えて国民に明言し、堂々と外から大統領を「操縦」することを約束したのだといえる。
 そのことの具体的意味は、次に述べる彼女が兼務する4つの大臣ポストの選び方に見てとることができる。

■外相ポストが第一に選ばれた理由

 旧テインセイン時代より閣僚ポストが半減されたなか(計18人)、彼女は
 外務大臣、大統領府大臣、教育大臣、電力・エネルギー大臣
の4つのポストを兼任することになった。
 この4ポストを選んだ理由は何か。

 現憲法下では、
 警察権力を司る内務大臣、
 軍の代表である国防大臣、
 少数民族問題をはじめとする治安維持と密接に関連する国境担当大臣
3つの最重要ポストは、
 大統領ではなく国軍司令官に指名権がある。
 いくらNLD中心の内閣を大統領が組閣しても、この3人の大臣は軍から合法的に天下ってくる。
 この3ポストを通じて軍が内閣を「監視」することが可能となっているのである。
 そうなると、「大統領の上に立つ」と宣言したアウンサンスーチーとしては、これら3つのポストに次ぐ重要閣僚に就いて大統領をコントロールし、かつ軍との交渉を日常的におこなう必要性が生じる。

 そこで彼女は外相ポストを第一に選んだ。
 その理由としては、国際社会の表舞台に随時姿をあらわすことによって、ミャンマーのイメージアップを図れるのみならず、重要国との外交交渉を一貫性のもとに推し進めることができるということが考えられよう。
 しかし、それ以上に決定的に重要な理由がある。

 それは外相が国防治安評議会の数少ない文民メンバーの一員を担っているからということである。
 国防治安評議会は事実上「内閣の中の内閣」とみなされる重要な会議で、閣僚からこの評議会に入れるポストは、軍が指名する前述の3ポストを除けば外相しかいない。
 定数11のうち軍側が過半数の6を占めるこの評議会を、アウンサンスーチーは不利を承知で国軍側との憲法改正などをめぐる重要事項の交渉舞台として選び、そのために外相ポストを選択したのだとみなせる。

■4つの大臣を兼務する目的と意味は

 大統領府大臣との兼務は、自らが制度的にティンチョー新大統領のそばにいることによって、日常的に彼と接触し、指示やアドヴァイスを与えやすいためだといえる。
 旧テインセイン政権では複数任命されていたポストであるが、それを1名に限定して自ら就任したのは、アウンサンスーチーだけが大統領の真横に位置することができるよう制度的に工夫したものだと考えられる。

 3つ目の兼務ポストとして教育相を選んだのは、「教育改革なくして自国の未来なし」と考える彼女らしい選択といえる。
 彼女にとって自国の長期的改革の原点は、停滞し遅れてしまっているミャンマーの教育の現状を大きく変えることにある。
 経済発展であれ、政治の民主化推進であれ、少数民族問題や宗教問題の解決であれ、この国が直面する中長期の難題は、すべて次世代の国民の能力育成にかかっており、教育が欠陥だらけなままであれば、中途半端な成果しか生み出せないと彼女は考える。
 だからこそ、自らが先頭に立って改革を推し進めるべく、このポストに就いたのだといえる。
 加えて、軍の教育への介入を極力抑えるためにも自らが教育大臣に就くのが最善だと判断した面も見落とせない。

 4つ目の兼任ポストである電力・エネルギー大臣の選択は、やや意外に映る。
 だが、これは中国の存在を考慮しての選択であると考えればわかりやすい。
 すなわち、最長の国境線を接する中国との関係において、最もセンシティヴなイシューである電力・エネルギーに関する事柄を、彼女が直接的に取り扱いたい意向があるということなのである。

 たとえば、環境破壊をもたらすとして前政権期にテインセイン大統領の独断で工事が中断されたカチン州にあるミッソン・ダムは、その後、中国側が工事再開をねばり強く働きかけている。これに対し、彼女は大統領による「つるの一声」式の非民主的なやり方ではなく、専門家から成る委員会による客観的な検証を加えた上で、最終判断を下したい意向を有している(2013年4月の来日時の発言から)。

 中国との関係で争点化する問題の中心が今後も資源やエネルギーの開発と輸出になることは避けがたく
そこに責任的に関わることの意思表示が、このポストの兼務にはうかがわれる。

 ちなみに、新内閣への与党NLDからの入閣は、アウンサンスーチーを含め6人にとどまり、ほかは民間の専門家や旧与党USDP(連邦団結発展党)関係者が入って、挙国一致内閣の様相を見せている。
 この方針は昨年11月の総選挙勝利後からアウンサンスーチーが公言してきたことである。
 彼女は当選したNLD議員に「大臣になれる」などとは考えるなという主旨のスピーチを重ね、能力本位でNLD外からも積極的に閣僚を任命することを明らかにしてきた。
 その「公約」が実現されたものが今回の閣僚の布陣なのである。
■“規律ある民主主義”をめぐり

 ところで、軍は2011年の民政移管以来
 「規律ある民主主義」の重要性を強調している。
 それは党利党略に走りやすい議会制民主主義を、国益からそれることのないよう、軍が制度的に監視するという考え方である。
 そこには国軍の政治に対する強い使命感がうかがわれ、
 国軍の名誉の維持と、
 政治へ介入する権限の確保、そして
 軍政期につくりあげた経済利権の継続の意思表明
が見て取れる。
 軍政期に15年かけてつくられた現憲法は、そうした軍の思いが結晶したものであり、だからこそ改憲に応ずる気配をいっさい見せないのである。

 「規律ある民主主義」はしかし、国軍の特許とはいいきれない。
 「規律」という言葉に着目すれば、それはアウンサンスーチーも好む言葉だからだ。
 彼女は1988年に民主化運動へ参加した当初から、
 「民主主義を実現するためには国民が規律を持つ必要がある」
ことを強調し、当時の日本や西ドイツを事例に出しながら、
 「規律と民主主義」
 「規律と経済発展」
との有機的連関を党員に説いていた。
 いわば、規律なき国民は民主主義を担うことはできないという考え方である。

 彼女のその考え方は、あるときは自分の演説会場で靴を脱ぎ散らしたまま入場した者への批判となり、あるときは暗記中心の教育がもたらす弊害の指摘となり、またあるときは権力者の命令に恐怖心から無批判に従う姿勢への批判として語られた。
 抽象的にまとめれば、
 一人一人の国民が「問いかける心」を持ち、
 理不尽な命令には従わない自己決定の勇気を持つべきだとする考え方
だといえる。

 一方、軍が「規律ある民主主義」をいうとき、それは軍による議会制民主主義の監視であるだけに、軍人の行動様式に似た「指導者や政府に忠実な人間」と同義化した民主主義に響く。
 アウンサンスーチーが理想とする「自分で考え、自分で責任をとる」ことのできる「自律した国民による民主主義」としての理解とはベクトルが異なる。

■権威主義的手法用いるアウンサンスーチーに違和感

 アウンサンスーチーはしかし、昨年11月の総選挙での圧勝後、当選したNLD議員たちによるマスコミへの発言を厳しく抑制し、大統領資格制限条項をめぐる軍との交渉過程についても非公表を貫いた。
 これには違和感を有した人も多いだろう。
 「問いかける心」や「自分で考え、自分で責任をとる」ことを訴えてきた人物が、なぜこのような権威主義的なやり方をとるのかという疑念がそこには生じる。

 国民(特にNLD支持者)はそうした彼女の姿勢に現段階ではきわめて従順である。
 その理由は、アウンサンスーチーの権威に対するへつらいというよりも、彼女に対する絶大な信頼と期待によるものとみなせる。
 しかし、新政権が発足したいま、NLD議員の議会外での発言や、マスコミの取材などは、たとえ段階を踏むにしても自由化されるべきであり、そうでないと民主化は単なる「アウンサンスーチー支配」にとどまることになりかねない。
 いかなる不一致や不統一がNLDや新政府の中で生じても、それを隠すのではなく、それらをどのように民主的に克服するのかを議論し、建設的に取り組む姿勢を見せる必要がある。
 国民との蜜月が永遠には続かない以上、この点を避けて通るわけにはいかない。

 同時に、今後も軍とのあいだで「規律ある民主主義」の意味と方向性をめぐって相克が生じ、それがいっそう深まることが予想される。
 このことが、新政権がぶつかる最大かつ長期にわたる荒波になる可能性は誰も否定できない。



サーチナニュース 2016-03-31 22:17
http://news.searchina.net/id/1606272?page=1

親日感情が存在するミャンマー、
「わが国は日本に負けるのか?」=中国

 民主化が進むミャンマーでこのほど、国民民主連盟(NLD)が擁立したティン・チョー氏が新大統領に就任した。
 中国はこれまでミャンマーの軍事政権を支援してきたとされ、中国はNLDとの関係構築を迫られている。

 中国メディアの中華網はこのほど、ミャンマーでの新政権の誕生が中国とミャンマーの関係、さらには日本とミャンマーとの関係にどのような影響を及ぼすかについて論じている。

 記事はまず新大統領のティン・チョー氏がアウン・サン・スー・チー氏の考え方を政治に反映させるかどうかという問題を取り上げている。
 ティン・チョー氏は比較的親日派であるとしながらも、スー・チー氏はミャンマー国民にとって神のような存在であり、ティン・チョー氏がスー・チー氏の権力に挑戦する可能性はゼロに近いと主張。
 ティン・チョー氏が親日であろうとなかろうと、
 日本や中国との外交方針を左右するのはスー・チー氏の考えである
と指摘した。

 ではスー・チー氏の外交に関する考えとはどのようなものだろうか。
 記事はスー・チー氏が
 「ミャンマーにとって中国は隣国であり、ミャンマーとは切っても切れない関係にある」
と明言していると指摘。
 ミャンマーは現実問題として、中国と一定の関係を維持する必要性に迫られる
はずだと論じた。

 ティン・チョー氏は、軍事政権時代に中国と合意した各種プロジェクトを再度審査する意向を表明している。
 中国とミャンマーとをつなぐ石油・天然ガスのパイプライン建設プロジェクトも見直しの対象になる可能性もあるが、記事は同プロジェクトは両国にとって利益になると主張し、「理性的な政府」は外交上のルールを守るべきであるとミャンマーの新政権をけん制した。

 民主化が進むミャンマーは地政学的に重要な場所に存在し、その潜在力から世界中の注目が集まっている。
 「ミャンマー国民のみならず、ミャンマー政府のなかにも明らかに親日感情が存在する」
と指摘。
 それは日本が長年ミャンマーの稲作技術の向上を援助してきたことにあると説明し、日本のミャンマーに対する絶え間ない援助は中国が見倣うに値すると主張。
 中国も隣国同士としてミャンマーとの友好関係を育てるために「中国ができることをしっかり行うべき」と主張している。



ダイヤモンドオンライン  2016年4月12日 加藤嘉一
http://diamond.jp/articles/-/89438

中国は“民主化”に突き進むミャンマーと
どう付き合おうとしているか?

■民主化が胎動するミャンマーで
思いを馳せた隣国・中国の現状

 民主化が進むミャンマーに中国共産党はどのような警戒心を抱き、付き合おうとしているのか
 2014年8月初旬、私は初めてミャンマーを訪れた。

 ちょうど、同国が“民主化”へのプロセスに舵を切る頃のことである。
 首都ヤンゴンの中心地、日系企業も支社を置くオフィスビル・サクラタワー付近を拠点に動いていたが、昼夜を問わず、街は活気であふれていた。
 見るからに“若さ”というパワーを感じさせた。
 ベトナムのホーチミンの街を歩くようなイメージを彷彿とさせた。
 日本車が8割ほどを占めていたように見受けられた道路上の渋滞は、バンコクやジャカルタほど深刻ではなかったと記憶している。

 8月10日には首都ネピドーで東南アジア諸国連合地域フォーラム(ASEAN Regional Forum、ARF)が開催される直前であったため、道端にはそれを宣伝するポスターが掲げられていた。
 ミャンマーが国際社会の一員として地域の発展と協力プロセスにエンゲージし、場合によってはイニシアティブを発揮していこうとする、国民国家としての意思が感じられた。
 それを象徴するかのように、看板にはASEAN10ヵ国の国旗の脇に「Moving Forward to Unity to Peaceful and Prosperous Community, ASEAN, MYANMAR, 2014」という文言が添えられていた。

 「ミャンマーがこの地域の平和や発展に貢献する時期が来たのだと思います。
 祖国がこのような盛大な国際会議を主催できるのを誇りに感じています」

 ヤンゴン総合病院で働く若い女医が、同病院の対面に掲げられた看板を見上げながら、流暢な英語で私にこう語った。
 少し照れくさそうに、素朴な笑顔を振りまく、人懐こい現地の人々に、私は直接的な好感を抱いた。いたるところで助けられもした。

 私は“民主化”プロセスが市民社会にどれだけ根付いているのかに注目しながら、街を散策していた。
 地元の英字新聞『MYANMAR TIMES』は、「今、ジャーナリズムがなすべきことは何か?」といった論考を掲載しつつ、ミャンマーの政治や経済状況に関する議論を促していた。

 サクラタワーから、横断歩道を挟んで200メートルほど行ったところに、10平方メートルほどの小さな書店が3店並んでいたが、店の入口の目立つ位置に、100ページほどの英文でまとめられた『BURMA FOCUSI~IV』が1冊1ドルで売られていた。
 内容はミャンマーの民主化と発展に関するものであった。

 そのほとんどは、西側諸国で発表された既存の論文であるように見受けられた。
 正規の出版物というよりは、英文が読めて、政治に関心のある一部の読者に向けられた「内部参考資料」という様相を呈していた。
 故にかもしれないが、知的財産の問題もそれほど重視されていないようであった。
 本連載に度々登場していただいた政治学者、フランシス・フクヤマ氏の論考も掲載されていた。

 ヤンゴンの郊外、インヤー湖に面したヤンゴン大学の図書館では、学生たちが米タイムズ誌のバックナンバーを貪るように読んでいた。
 そのうちの1人とミャンマー“民主化”に関する議論を英語で行ったが、彼はセンシティブな政治議論を嫌がる素振りは毛ほども見せず、むしろ身を乗り出すかのようにして見解を伝えてくれた。

  「ミャンマーの発展はまだまだ表面的だと思います。
 外国の企業や人々は面白がってミャンマーに来ていますが、民主化の道は厳しいです。
 簡単にはいきません。
 いつまた軍部が暴走するかわかりません。
 ただ、ミャンマーの民主活動家たちと外の世界とのつながりはとても深い。
 国際社会からの援助と我々自身の努力で、民主化は達成できると信じています」

 “民主化の星”と見られてきたアウン・サン・スー・チー女史が好きだと彼は言った。
 まるで、それがミャンマー社会・世論の底流にある、疑うべくもない事実であるかのように。

 前述した3つのケースだけを見ても、ミャンマー社会に“民主化”の波が押し寄せつつあること、そこには“民主化”を受け入れ、そこに向けて人々が主体的に考え、動き出す空気と覚悟が存在していることを、私は実感した。
 そんな時空に身を委ねながら、私は約2200キロに及ぶ国境の向う側にある中国に、考えを及ばさないわけにはいかなかった。
 ミャンマーが“民主化”に舵を切ったことを受けて、中国共産党が「それなら我々も」という具合に“民主化”へ関心を寄せる可能性が1ミリたりともないことくらいは、百も承知していた。

 それでも、地理的に隣に位置し、地政学的には要所を意味し、かつ国家規模と国際的影響力という意味では唯一のライバルである米国が注目し、
 そんな米国が“民主化”プロセスを促すことで国際政治を有利に動かそうとする1つのターゲットであるミャンマーとこれからどう付き合っていくかという問題は、
 中国の“未来”を左右するほどのインパクトをもたらし得るのかもしれない。
 英国に占領される直前まで、ミャンマー最後の王朝が都を置いていた第二の都市・マンダレーの“中華街”をぶらぶら歩き、フェイスブックをいじりながら、私はそんな光景を思い浮かべていた。

■“民主化の星”スー・チー女史を北京に迎えた習近平の思惑

 そのころ、ちょうど10ヵ月後に発生するある出来事を想像することは、私にはまったくできなかった。

  2015年8月11日、北京・人民大会堂――。

 習近平総書記が、ミャンマーの野党・国民民主連盟(NLD)代表団を引率してやってきたアウン・サン・スー・チー女史を迎え入れた。
 同女史と言えば、軍事独裁政権と戦う、自由・民主・人権といった西側発の価値観を追い求めてきたノーベル平和賞受賞者である。
 言い換えれば、中国共産党の指導者たちが政治的警戒心を抱かずにはいられない人物である。

 私の脳裏にはそのような観念が存在していただけに、この会談の光景を前に驚きを隠せなかった。
 少なくとも、習近平総書記がどのような意図を持ってアウン・サン・スー・チー女史と面会することを決意したのかに対して、“政治的警戒心”を抱かずにはいられなかった。

  「中国は戦略的高度と長期的角度から終始ミャンマーとの関係を認識してきた。
 ミャンマーの主権独立と領土保全を支持し、ミャンマーが自ら自主的に発展の道を選択することを尊重してきた。
 ミャンマーの民族和解のプロセスを支持し、中国・ミャンマー間の伝統的友好と地に足の着いた協力を断固として推し進めてきた。
 そして、私は、ミャンマー側の両国関係をめぐる問題における立場が一貫したものであること、国内情勢にどのような変化が生じようと、積極的に中国・ミャンマー間の友好関係促進に尽力されるものと信じている」

 アウン・サン・スー・チー女史を前にして、中国とミャンマーは苦楽を共にする利益共同体および運命共同体であると修飾した習近平総書記が、会談にてこう主張した。
 また、同総書記は、中国共産党と国民民主連盟の政党間関係が比較的速いスピードで発展し、交流が密接になっているとも指摘し、同女史が今回の訪問を通じて中国と中国共産党をより深く理解すること、それが両国間の相互理解と信頼関係の構築に役立つことに期待を寄せた。

 習近平総書記の主張、およびミャンマーで約半年後に総選挙を控えたタイミングにおけるアウン・サン・スー・チー女史との会談は、
 「中国共産党・民主主義・国際関係」
という3つのファクターの関係性を考える上で極めて重要な示唆をもたらしてくれる。
 民主主義が世界政治システムの主流であり、民主化が不可逆的な趨勢である昨今の情勢下において、非民主的な政治システムを持つ中国共産党がこれからどのような外交政策を実施していくか、というテーマを考えるための“色素”が含まれている、という意味である。

■習近平発言から導き出された3つのインプリケーション

 私は前述の習近平発言から3つのインプリケーション(含意)を抽出できると見た。

★.1つ目に、非民主国家である中国が、これから民主化していこうとするミャンマーに対して提起した(しかも“民主化の星”であるアウン・サン・スー・チー女史を前に)
 「戦略的高度と長期的角度」「終始主権独立と領土保全を支持」
 「自ら自主的に発展の道を選択することを尊重」
といった視角・内容は、まさに国際社会における民主国家に対して、非民主国家である中国が望むスタンスであり、アプローチであるという点である。

 中国共産党は、特に日米欧などの“西側先進諸国”に対して、戦略的高度と長期的角度から出発し、中国の主権独立と領土保全を終始尊重した上で外交関係を発展させ、その過程で「中国の特色ある社会主義」という中国が自ら選択した進路を尊重してほしいと希求し、実際に、これまでもそのように振る舞ってきた。

 習近平総書記は、アウン・サン・スー・チー女史との会談を1つの契機に、中国も民主化に向かうミャンマーの邪魔はしない、したがって、国際社会、とりわけ西側民主国家は、
 民主化に向かわない中国の邪魔はしないでほしい、という戦略的メッセージを送りたかったに違いない。

★.2つ目に、「ミャンマー側の両国関係をめぐる問題における立場が一貫したものであること、国内情勢にどのような変化が生じようと、積極的に中国・ミャンマー間の友好関係促進に尽力されるものと信じている」の部分は、
 中国共産党にとっての“価値観外交”の一端を示しているという点である。

  「ミャンマーが軍事政権のまま生きていくか、それとも民主化していくか。
 中国共産党がどちらを望むと思うか」
という問題をたたきつけられた場合、(極めて敏感で、微妙な問いではあるが)私は前者を選ぶであろう。
 ミャンマーが軍事政権下にあるほうが中国の影響力を行使しやすいこと、ミャンマーが民主化することは、(なにはともあれ)同国が西側民主主義陣営に“加盟”することを意味すること、がそう選択する主な理由である。

 言うまでもなく、特に改革開放政策を実施するようになってからの中国は、西側民主主義国家とも、政治体制や価値観を超越する形で外交関係を構築してきている。
 そして、その経験は相当程度の“成功”を収めているといっていいであろう。
 例えば、中国自身が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)には英国、フランス、ドイツ、オーストラリアを始め、西側を象徴するような主要国家が加入している。
 これらの国家は、中国の政治体制やガバナンスシステムを尊重するというよりは、体制やシステムは異なるけれども、それらを超えて付き合い、共存の道を模索していくだけの物質的価値があると判断したからこそ、加入したのであろう。

■日米欧に接近しかねない「民主化ミャンマー」への警戒心

 このような情勢下において、中国としても、ミャンマーが民主化することを望むか望まないかは別として、そういう感情表現を抜きにして、辛抱強く付き合っていかなければならないと判断しているに違いない。

 一方で、中国がそういうスタンスを堅持することと、民主化に舵を切ったミャンマーがどのようなスタンスを模索するかは別問題である。
 中国共産党は、そんな政治体制や価値観という意味で新たな段階に入ろうとしているミャンマーが、
 日米欧などの価値観を共有する国家に接近し、
 逆に価値観を共有しない中国と距離を置くように方向転換すること、
 そしてそんなミャンマーが2200キロを接する国境の向こう側で“発展”していくことを懸念したこと
は想像に難くない。

★.3つ目に、だからこそ習近平総書記は、ミャンマーが民主化に舵を切ろうという微妙なタイミングでアウン・サン・スー・チー女史を北京に招待し、前述の懸念を取り払おうとしたのではないかという点である。
 中国共産党ならではの“外交努力”といっても過言ではないだろう。
 当時、アウン・サン・スー・チー女史を迎える外交プロセスに関わった党中央の担当者が、私に次のように語っている。

  「習近平総書記は、これからミャンマーが民主化に向かっていくことは、紆余曲折は経るものの不可逆的であり、アウン・サン・スー・チー女史がその過程で重大な役割を果たしていくであろうと考えている。
 そんな過程が本格化する前に直接会い、信頼関係を構築しておきたいという意思を持っている。
 習総書記は、アウン・サン・スー・チー女史を人権・民主活動家としてではなく、ミャンマーの未来を担う重要な政治家・指導者として北京に迎え入れたのだ」

■王毅のミャンマー訪問に見る中国共産党の外交的イニシアティブ

 この担当者のコメントを象徴するかのように、2016年4月5日、ミャンマー新政権の外相に就任(2016年3月22日)して間もないアウン・サン・スー・チー女史は、首都ネピドーに中国の王毅外相を迎え入れた。
 外相として初めての会談に中国のカウンターパートを選択したのである。
 私から見て、前述の習近平外交と今回の王毅ミャンマー訪問は連続する一体の戦略であり、後者は前者の“成功”を体現する1つのケースである。
 このケースが今後の地政学や国際関係、米中関係、そして民主主義の未来にどのような影響を及ぼすかは別問題であるが、少なくとも言えることは、政治的転換期に位置する(しかも、転換のベクトルが、中国が望むものではないにもかかわらず)ミャンマーに対して、中国が外交的にイニシアティブを発揮したものと総括できる。

 王毅はアウン・サン・スー・チー女史との外相会談にて、
 「今回、ミャンマーが新たな歴史の1ページを切り開こうとしているいま、
 中国人民はミャンマー人民と共に立っていること、
 中国がミャンマー人民にとっての良き隣人・友人・パートナーであることという明確なシグナルをミャンマーおよび国際社会に対して伝達するために私はやってきた」
と語った。

 新政権で大統領に就任したばかりのティン・チョー氏との会談においては、習近平総書記からのメッセージを伝えた上で、次のように主張している。

  「ミャンマーの政権は順調に安定した移行を実現している。
 私は中国の国家指導者の委託を受けて、最初にミャンマーを訪問した。
 これは、中国のミャンマー新政府に対する重視と支持を体現している」



サーチナニュース 2016-05-07 06:32
http://biz.searchina.net/id/1609174?page=1

ミャンマーへの投資をめぐり日中が争い、
拡大する日本の影響力、
低下する中国

 中国はもともとミャンマーと良好な関係にあった。
 それは中国がミャンマーの軍事政権を支援してきたためだが、
 ミャンマーで民主化が進むにつれ、中国の影響力は縮小しつつある。

 ミャンマーはアジア最後のフロンティア(未開拓地)であるとされ、今後の急激な経済成長に大きな期待が集まっており、日本企業も近年積極的に進出を行っている。
 岸田文雄外相は3日、訪問先のミャンマーでアウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相と会談し、ミャンマーの民主化を最大限支援することを伝えた。

 中国メディアの捜狐は3日、
 「日本がメコン川流域への投資を行うことで、ミャンマーで存在感を示そうとしている」
と伝え、ミャンマーにおける中国の影響力低下と日本の影響力拡大に対して警戒感を示した。

 記事は、中国の有識者の見解として
 「ミャンマーは対外開放の初期段階にあるうえ、資源も豊富であり、ビジネスチャンスに満ちている」
と指摘し、国家の利益という観点から見ても、現在はミャンマーとの関係強化に向けて「最良のタイミング」であると主張。
 岸田外相がミャンマーを訪れたのも、
 「中国のミャンマーにおける影響力をリバランスする意図があった」
と論じた。

 さらに、岸田外相がミャンマーの新政権に対して「官民を挙げて全力で協力する」と述べ、雇用や農業、教育、インフラ整備、財政など幅広い分野において全面的な支援を行う方針を打ち出したと紹介。
 さらに、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相も日本の支持に対して謝意を示したと伝えた。

 一方、英メディアからは、日本と中国が東南アジアにおける影響力をめぐってミャンマーで主導権争いが勃発する可能性を指摘する報道があったことを紹介。
 中国としてもミャンマーにおける影響力を再び強化していくことに意欲を示しつつ、日本の動きに警戒感を示した。
 ミャンマー初の証券取引所は大和証券をはじめとする日本の官民が支援して設立されたものであり、日本はすでに官民を挙げてミャンマーでのビジネスチャンス取り込みに向けて動き出している。
 対外投資において利己的な行動が多い中国に比べて、
 相互互恵の日本の投資のほうがミャンマーにとってもプラスになることは間違いない。




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