サムスンの没落は韓国の没落と歩を一つにするのか。
サムスンが永遠に大企業として君臨できるのか。
携帯電話からの脱皮を実行ない限り明日を生き残れないのではないか。
カメラのフィルムからメモリへの以降、ソニーのウークマン、任天堂のゲーム機など機種は必ず衰退する。
次の手当をもっていないと生き残れないのが現代のスピードである。
しがみついていても得るものは奈落しかない。
『
ハンギョレ新聞 4月6日(水)7時20分配信 アン・ジェスン論説委員
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160406-00023796-hankyoreh-kr
[コラム]サムスンがなくなれば韓国はどうなる
もしサムスングループが倒れたら、韓国経済はどうなるだろうか?
韓国経済の将来を心配している人なら、少なくとも一度は考えたことのある問題であろう。
サムスンが韓国経済に占める割合が絶対的なうえに、いくら「グローバル超一流企業」であっても、(何かをきっかけに)一気に崩れ落ちるのが今の経済環境だからだ。
最近、この問題を本格的に取り上げた本が出版された。
財閥改革論者のソウル大学行政大学院のパク・サンイン教授が書いた
『サムスン電子が没落しても韓国が生き残る道』だ。
題名がやや刺激的なためか、一部では「サムスン解体論」ではないかという反応も出ている。
パク教授は、ノキアの没落とフィンランド経済への影響を通じて、サムスンと韓国経済の将来に対する見通しを示そうとした。
実際に、ノキアが成長を続けている当時はノキアの没落を語る人はほとんどいなかった。
ノキアは13年間、世界の携帯電話市場で1位を守り続けながらイノベーションを怠らなかった。
頂上に立った後も天文学的な資金を研究・開発(R&D)に投入した。
逆説的にも、スマートフォン時代の到来をいち早く認識したのも、アップルではなく、ノキアだった。
違いは、
★.ノキアは自らが作った枠組みの中で漸進的イノベーションを進めたのに対し、
★.アップルは枠組みそのものを揺るがす断絶的イノベーションに出た
ことだ。
パク教授は
「ノキアの没落は、技術や戦略の失敗の問題ではない。
情報通信技術(ICT)のような革新的な産業では、
挑戦企業によって創造的な破壊が起き、
既存の事業者が消滅する。
既得権を持つ支配的事業者は、枠組みを覆すような断絶的イノベーションに消極的にならざるを得ない。
老化が自然現象であるよう、創造的破壊は経済現象であり、
サムスン電子もこれを免れないだろう」
と指摘する。
サムスン側は論理の飛躍だと反論している。
サムスングループのある役員は、
「ノキアが失敗したから、サムスン電子もそうなるという主張は、一般化の誤りだ」
と指摘した。
サムスンはまた、自らが危機と判断し、絶えずイノベーションを行っていると強調している。
イ・ジェヨン・サムスン電子副会長が経営の前面に出てから「選択と集中」を行い、バイオ、スマートカー、バーチャルリアリティなどの次世代産業に挑戦していると強調した。
最近は、「スタートアップ・サムスンカルチャーの革新」を宣言し、組織文化を変えているとも話した。
パク教授は、このようなイノベーションに向けた努力を認めながらも、
「イ・ジェヨン副会長の継承とコーポレート・ガバナンスを強化することに焦点が当てられており、真のイノベーションとは程遠い」
と指摘する。
パク教授は、サムスン電子が没落すると、
循環出資でつながっているサムスン生命やサムスン物産など、系列会社の株価が共に暴落し、
サムスングループ全体の破産に広がって、
結局、韓国経済の危機をもたらすことになると警告する。
外国人投資家が資金を回収し、国家信用格付けが急落して、通貨危機と同様の事態が発生する可能性があるということだ。
したがってパク教授は、イスラエルが2013年から財閥改革を強く進めているように、韓国も企業所有・支配構造の改善、金産分離(金融資本と産業資本の分離)の強化、経済力集中の抑制などを通じて「サムスンリスク」に備えなければならないと強調している。
サムスングループの役員は、
「パク教授の主張は、既存の財閥改革論にノキアの事例を入れて再梱包したもので、目新しいものはない」
と批判した。
サムスンが今後どのような道を歩むかを正確に予測することは非常に難しい。
ただし、サムスンが韓国経済に占める割合が過度に大きいだけでなく、その割合がますます大きくなっているのは厳然たる現実だ。
「サムスンリスク」は現存する危険ということだ。
最悪のシナリオを想定し、衝撃を最小限に抑えられる対策を用意しなければならないのも、そのためだ。
アン・ジェスン論説委員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原l文入力::2016-04-05 19:37
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/738352.html訳H.J
』
『
聯合ニュース 2016/04/11 14:43
http://japanese.yonhapnews.co.kr/society/2016/04/11/0800000000AJP20160411002300882.HTML
最も働きたい企業 現代自動車がサムスン抜き1位=韓国
【ソウル聯合ニュース】
韓国のリクルート情報サイト・サラムインが大学生と求職者、計1497人を対象に「最も働きたい大企業」を尋ねたところ、現代自動車が1位になった
同サイトが11日、明らかにした。
現代と答えた人は全体の14.4%で、前年の6.3%を大きく上回った。
2位は僅差で前年まで7年連続1位だったサムスン電子(14.1%)、
3位は韓国電力公社(5.5%)。
次いでCJ第一製糖(4.9%)、LG化学(2.4%)、起亜自動車(2.4%)、韓国ガス公社(2.1%)、大韓航空(1.9%)、韓国水力原子力(1.9%)、LG電子(1.7%)の順。
働きたい理由を企業別に見ると、現代、サムスン、LG化学、起亜、大韓航空を選んだ人は「高い年収」を一番に挙げた。
韓国電力公社、韓国ガス公社、韓国水力原子力と答えた人は「終身雇用の保障など安定性」を、CJ第一製糖を選んだ人は「充実した福利厚生」を、LG電子を希望した人は「企業の評判とイメージ」をそれぞれ挙げた。
』
『
聯合ニュース 2016年 04月 14日(木)
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2016/04/14/0900000000AJP20160414001600882.HTML
傲慢な政府与党に有権者そっぽ
朴大統領レームダック化か
【ソウル聯合ニュース】
韓国の有権者が13日投開票の国会議員総選挙で、16年間に及ぶ与党主導の政局と8年間の与党セヌリ党独走にストップをかけ、変化を選択した。
セヌリ党の惨敗は、コミュニケーションを取ろうとせずわが道を進む国政運営と、
公認選びのいざこざに象徴された与党の傲慢さに
与党支持者までもが愛想を尽かしたもので、自らが招いた結果だとされる。
任期を1年8カ月ほど残す朴槿恵(パク・クネ)大統領の政権運営や求心力にも深刻な打撃を与えそうだ。
労働改革や経済活性化など政府の主な国政課題がつまずくことになりかねない。
■◇朴大統領の対応は
セヌリ党は最大野党「共に民主党」に第1党の座を明け渡し、与野党の勢力が逆転した。
また、新党「国民の党」の躍進は20年ぶりの第三極の登場であり、政局に変革を巻き起こすと予想される。
野党は今後、立法権と予算審議権を最大限活用して与党の政策を阻止するだけでなく、国会聴聞会や国政調査を通じ政権の実態に切り込んでいくとみられる。
何より来年末の大統領選挙に向け、政権奪還を目指し、朴槿恵政権を根本から揺さぶるため総力を挙げる可能性が高い。
朴大統領が早々にレームダック(死に体)に陥るとの分析も政界で出始めている。
朴大統領の国会、野党との関係にも変化が生じるとの見方が多い。
任期中盤までは力で国会を掌握してきたが、与野党が逆転した状況では野党を説得し、折れざるを得ない場面も出てくるためだ。
与党内でも朴大統領と距離を置く「非朴系」勢力との協力が必要になり、これまでとは異なる対応が求められることになる。
内閣改造や青瓦台(大統領府)再編など刷新を通じ突破口を開くとの観測も出ている。
その一方で、朴大統領がこれまでの政治スタイルを変えず、自身の堅固な支持勢力を結集し正面突破を図るとの見方もある。
■◇国会運営は国民の党が鍵
与野党勢力の逆転と主要3党によるトロイカ体制は、国会運営に相当大きな変化をもたらすことになる。
●大躍進した新党「国民の党」の共同代表を務める安哲秀氏=(聯合ニュース)
長年にわたる与党と野党第1党の2大体制が激しい対立と非効率さを生んできただけに、第三極の国民の党の登場は緩衝材、あるいはキャスティングボートとして国会の立法活動に活路を開くとの期待がかかる。
セヌリ党と共に民主党が対立する主要法案は、国民の党がどちらにつくかによって行方が決まる公算が大きい。
■◇与党内、野党同士で主導権争いへ
次期大統領選の前哨戦とされる今回の総選挙の結果を受け、与野党それぞれの内部の動きはさらに複雑化する。
セヌリ党の敗北の打撃は議席という数値にとどまらない。
過半数を割り込んだだけでなく、要(かなめ)の首都圏の多くを野党に奪われ、大統領選の見通しにも暗雲が垂れ込める。
惨敗の原因をめぐり、公認選びを主導した朴大統領に近い「親朴系」勢力と非朴系勢力が責任を押し付け合い、激しい争いを再開するとみられる。
野党の2大勢力は次期大統領選に向けた統合の局面で、それぞれが求心力を高めるようと主導権争いを繰り広げると予想される。
共に民主党は地盤の湖南地域(全羅道)を国民の党に取られたものの、首都圏で圧勝し、セヌリ党の地盤である嶺南地域(慶尚道)でも善戦したことで政権奪還の可能性が高まったと評される。
国民の党は湖南中心の地域政党という印象が強まり、「新たな政治」という目標が薄れかねないため依然として先行き不安を打ち消すことができないのは事実だが、湖南を基盤に共に民主党との勢力争いに勝利すれば希望は膨らむ。
■◇次期大統領候補は明暗
今回の総選挙で各党の次期大統領候補とされた出馬者は大きく明暗が分かれ、大統領選の候補者レース序盤の輪郭が浮かび上がってきた。
国民の党の安哲秀(アン・チョルス)氏と、地域対立感情の壁を乗り越えた共に民主党の金富謙(キム・ブギョム)氏は、それぞれの党の有力候補に急浮上する。
セヌリ党の公認から外れ無所属で出馬した劉承ミン(ユ・スンミン)氏は難関をくぐり4回目の当選を果たし、与党勢力の候補者として勢いを増しそうだ。
セヌリ党代表の金武星(キム・ムソン)氏が公認選びと選挙戦の責任を負うとことになり、前ソウル市長の呉世勲(オ・セフン)氏が今回落選したことも劉氏に弾みをつけることになる。
前回の大統領選で朴大統領に惜敗した共に民主党の文在寅(ムン・ジェイン)氏は、党が予想を大きく上回り善戦したにもかかわらず、湖南での結果に自身の政治生命をかけるとした約束に縛られ、難しい立場に追い込まれる。
』
『
Record china 配信日時:配信日時:2016年4月14日(木) 11時30分
http://www.recordchina.co.jp/a133326.html
韓国総選挙で与党が惨敗、
最大野党が第1党の座に
=韓国ネットは歓迎「最高の気分!」
「これが朴大統領に対する国民の評価」
2016年4月14日、韓国・KBSによると、韓国で13日に行われた第20代国会議員総選挙の開票の結果、与党セヌリ党が惨敗し、16年ぶりに最大野党「共に民主党」に第1党の座を明け渡したことが分かった。
14日午前6時現在、全国の開票率が99.9%の段階で、共に民主党は123議席を獲得し、セヌリ党を抑えて第1党の座に立った。
180議席獲得を目標としていたセヌリ党は、過半数はおろか、共に民主党より1議席少ない122議席となり、議会権力を野党に明け渡すこととなった。
国民の党は38議席、正義党は6議席を獲得するとみられる。
中央選挙管理委員会は253の小選挙区のうち、共に民主党候補が110選挙区、セヌリ党候補が105選挙区、国民の党候補が25選挙区、正義党候補が2選挙区、無所属候補が11選挙区でそれぞれ当選したと明らかにした。
比例代表は47議席のうち、セヌリ党が17議席、共に民主党と国民の党がそれぞれ13議席、正義党が4議席を獲得するとみられる。
これについて、韓国のネットユーザーからは選挙の結果を歓迎するコメントが多く寄せられた。
「最高の気分!次期大統領選挙が楽しみ」
「これまでの世論調査は全てねつ造だったことが判明した」
「やっと韓国の民主化が始まる!」
「韓国国民は賢い選択をした!
移民を考えていたが、もう少し韓国で暮らしてみようという気になった」
「セウォル号惨事以降、政府を信じることができなくなった。
これが朴大統領に対する国民の評価だ」
「それでもまだ親日議員は生き残っている。
次の選挙では必ず、親日を清算してほしい」
「国民はばかじゃない。
これを機に朴大統領が心を入れ替えてくれることを願っている」
「122議席も獲得しているのだから『惨敗』とは言えない…。
韓国もまだまだだ」
』
『
中央日報日本語版 4月15日(金)8時27分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00000001-cnippou-kr
【中央時評】朴槿恵政治と国民選挙革命(1)
第20代総選挙は韓国で執権保守党が初めて2つの点を同時に達成したという点で革命的だ。
過半議席の崩壊と第1党地位の喪失だ。
民主化以降、韓国で圧倒的な地域利点を持つ保守派政党でなく、改革派政党が正常な選挙で第1党になったのは史上初めてとなる。
2004年の総選挙で改革派政党が第1党になったのは大統領弾劾訴追という非正常的な事態のためだったら、今回は正常な選挙だったという点で大統領と政府に対する事実上の政治的弾劾に近かった。
与党は過半を大きく割り、民主化以降、執権保守党の最少議席となった。
今回の保守派執権党の議席は1988年の総選挙の4党体制下の民主正義党(125議席)よりも少ない。
122議席は弾劾訴追時点の保守政党の121議席とほぼ同じだ。
すなわち正常の選挙では歴代最少だ。
どうしてこのような選挙結果になったのだろうか。
要諦は朴槿恵(パク・クネ)大統領政権の業績と政治方式にある。
1].1つ目は無能だ。
2016年の我々の生活の主要指標は統計調査以降、「歴代」最悪・最低だ。
2015年の家計負債は歴代最も多い。
国内総生産(GDP)比でも歴代最高だ。
家計負債増加率も歴代最も高い。
今年1月の結婚件数は歴代最少だ。
出産件数も同じだ。
2月の青年失業率も歴代最も高い。
2].2つ目は一貫した責任転嫁だ。
すなわち、責任倫理の不在だ。
大統領は国政の最高責任者として憲法が与えた最終責任を回避してきた。
初期の国家情報院の大統領選挙介入問題から深刻な家計経済および国家経済にいたるまで、大統領の中心処理方式は責任回避と国会、野党への責任転嫁だった。
一方、国民は国家現実が大統領、政府・与党のためだと報復投票をした。
3].3つ目は過度な議会介入だ。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)の国会に対する過度な介入は事実上、三権分立の破壊であり、憲法違反行為だった。
さらに議員総会で選出された院内代表が強制的に追い出される独裁時代の現象も民主化以降に初めて見られた。
このため議会はまひ、立法膠着、政争を繰り返すことになった。
国会の政争が深刻になった理由は憲法が保障する自律性の不在のためだった。
さらに大統領と政府・与党は野党の湖南(ホナム、全羅道)離脱と首都圏分裂という環境で選挙を行った。
選挙構図に関する限り、過半を超えて改憲ラインにも意欲を持てるほどだった。
そのような条件で最悪の敗北を露呈、逆説的に大統領の失政と野党の分裂が重なり、慢性的な地域主義の著しい緩和につながった。
大統領は父の時代に生じた湖南排除という不道徳な政治的地域主義を、自分の失政を通じて嶺南(ヨンナム、慶尚道)民主勢力を復活させることで、かなり解消した格好だ。
』
『
JB Press 2016.4.15(金) 玉置 直司
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46608
韓国総選挙、与党惨敗のワケ
政権への警告、
政局は大統領選に
2016年4月13日に投開票した韓国の総選挙は、政権与党のセヌリ党がまさかの惨敗を喫し、過半数維持どころか第2党に転落する危機に陥った。
つい1カ月前までは与党の圧勝説も強かったが、直前に民心が「政権への警告」に転じてしまった。
選挙の翌日、ソウルは霧に覆われた。
朝6時のKBSニュースは、国会があるソウル中心部の汝矣島(ヨイド)の模様を中継しながら、この日を天気をこう伝えた。
「霧だけでなく、PM2.5(微小粒子状物質)濃度も高くなり、さらに黄砂の影響もありそうです。
視界は不断の3分の1ですので運転に注意ください」
■韓国政局は「視界不良」に
4月13日の総選挙(韓国では「第20代国会議員選挙」と呼ぶ)の結果、韓国の政局はこの日の天気のように「視界不良」になってしまった。
◇韓国総選挙の結果◇
セヌリ党 122(選挙直前146)
民主党 123(同102)
国民の党 38(同20)
無所属・その他 17
選挙結果についてはすでに報じられている通りだ。
全300議席のうち、与党セヌリ党は122議席。
選挙直前の146議席から大きく減らした。
惨敗だった。
無所属議員を入党させて第1党を確保する可能性があるが、重要法案の処理などでこれまで以上に手間取ることは間違いない。
■与党の傲慢に厳しい審判
14日付の大手紙は、1面トップにこんな見出しを掲げた。
「セヌリ党惨敗…民心は傲慢を審判した」(毎日経済新聞)
「セヌリ党が審判を受けた」(中央日報)
1か月ほど前までは、今回の選挙は与党の楽勝とも言われた。
朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領への支持率は就任3年目の大統領としては、依然高かった。
さらに、競争相手の「共に民主党(民主党)」で路線対立が激化し、ベンチャー企業創業者出身者で若者などに人気が高い安哲秀(アン・チョルス=1962年生)氏らが脱党、「国民の党」を設立したのだ。
戦う前から相手が分裂してくれたのだ。
にもかかわらず、こんな結果になったのは、与党に対する有権者の「警告」がそれほど強かったからだ。
有権者は投票日直前に繰り広げられた与党内の権力闘争に怒ったのだ。
■与党楽勝のはずが・・・
「楽勝ムード」だった与党では、直前の党公認候補選定作業で大混乱に陥った。
大統領と近い党公認候補の選定責任者が、強引に党公認を決めていった。
選挙区での支持率が高い有力候補を「党の正統性に合致しない」というあいまいな理由で次々と排除した。
かわって大統領に忠実な人物を候補に選んだ。
特に衝撃的だったのが、現政権で保健福祉部長官を務めた陳永(チン・ヨン=1950年生)議員と、前のセヌリ党院内代表の劉承旼(ユ・スンミン=1958年生)議員だった。
2人とも朴槿恵大統領が野党代表時代に「秘書室長」を努めた側近だった。
2012年の大統領選挙でも重要な役割を演じたが、「大統領との意見の違い」が表面化していた。
陳永氏は閣僚に就任してすぐに年金制度問題を巡って青瓦台(大統領府)の幹部と意見が衝突した。
大統領に直接説明することを求めたが、拒否され長官を辞任した。
劉承旼氏は、院内代表になった後に、「増税なき福祉政策は虚構だ」と発言。
これが大統領の基本政策を批判したとして辞任に追い込まれた。
大統領からは「背任者」とまで言われた。
政策的な意見の相違はあっても2人とも党重鎮で、良識派だった。
政策通でもあり、当選可能性も極めて高かった。
だが、党公認を得られなかった。
「報復だ」。
陳永氏はこうはき捨てて野党から出馬した。
劉承旼氏は無所属で出馬した。
2人とも当選したが、後遺症は大きかった。
■与党への警告
無理筋の党公認作業と、この過程で起きた党内の激しい対立、混乱を見て、「有権者は現政権に『フリーハンド』を与えることを撤回した。
それどころか、選挙に勝ちそうだということで、意のままに候補を差し替えるやり方を『傲慢』『強権』と見て強い警告を与えた」(韓国紙デスク)のだ。
だから大手紙の見出しにあるように今回の選挙結果は、第1野党の勝利というよりは、与党の惨敗だった。
投票動向からもそういう有権者の意思がうかがえる。
今回の選挙の投票率は58%で前回に比べて4ポイント近く上昇した。
30代以下の若い有権者の投票率が上昇し、50代以上は下がったとの出口調査の結果が多い。
30代以下は、セヌリ党内の権力闘争に反発し、さらに経済政策や雇用政策などへの不満から積極的に投票所に行き、セヌリ党以外に投票した。
50代以上は本来は与党支持層だが、与党の公認過程での混乱に嫌気がさして今回は棄権したり他党の投票した例が多かったようだ。
■「不敗選挙区」でばたばた敗れる
特に、与党支持層の離脱は大きかった。
本来は、与党の絶対的な支持基盤で「不敗選挙区」とさえ言われた大邱(テグ)や釜山、さらにソウルの富裕層が住む江南(カンナム)でセヌリ党候補が敗れるというこれまでは考えられなかった結果が出た。
多くの有権者は、特にソウルや首都圏では与党に「警告」するために民主党に投票はした。
だが、内紛が続いた民主党が絶対的な支持を得たわけでもない。
本来は、民主党の牙城だった韓国南西部の光州や全羅南・北道で民主党は惨敗した。
まずは与党に警告を与える。
だが、民主党を全面的に支持するわけではない。
その受け皿になったのが、国民の党だった。
光州や全羅北・南道で圧勝したほか、比例区では民主党と並ぶ13人もの当選者を出した。
与党セヌリ党や野党民主党の支持者から多くの投票を集めたのだ。
総選挙で与党が惨敗したことで、政局は、2017年12月の大統領選挙に向けて動き出すだろう。
■次期大統領選への明暗
今回の総選挙でも、大統領選挙をにらんださまざまな明暗が出た。
総選挙では与党は惨敗したが、これで2017年12月の大統領選挙まで与党が不利だと見る向きは少ない。
韓国の人口構造上、50代以上の保守支持層が増えており、
「今回の選挙も『警告』であって、与党や保守を見限ったことではまったくない」(韓国紙デスク)
からだ。
とはいえ、個別の選挙結果は、いろいろな影響を残した。
与党内では、次期大統領選挙をうかがっていた有力者が、冷水を浴びた。
党代表の金武星(キム・ムソン=1951年生)氏は、総選挙惨敗の責任を取って14日に党代表を辞任した。
本人は当選したが、党内で朴槿恵大統領に近いグループと対立して混乱を増幅させた。
出身地である釜山の他の選挙区で野党の躍進も許し、打撃となった。
「政治一番街」と言われるソウルのど真ん中、鍾路(チョンノ)区で立候補をして次期大統領選挙の有力候補に浮上しようと狙った呉世勲(オ・セフン=1961年生)前ソウル市長は、事前の世論調査では当選が有力視されていたが、まさかの落選となった。
逆に存在感を増したのは、与党の公認を得られなかったにもかかわらず大邱から無所属で出馬して大勝した劉承旼前セヌリ党院内代表だ。
セヌリ党復帰は確実で、重責を担う可能性が高い。
経済政策通で今回の「政治人生の危機」を乗り切ったことで、「次」の有力候補の1人になるだろう。
劉承旼氏は、ソウル大経済学科卒で米ウィスコンシン大大学院で経済学博士号を取得した。
韓国の国策シンクタンクである韓国開発研究院(KDI)の研究員を経て政界に入った。
朴槿恵大統領が野党代表時代の秘書室長を務めるなど側近として頭角を現した。
4選の政策通だ。
■国連事務総長担ぎ出し?
だが、それ以外には与党では、有力な次期大統領候補が見当たらなくなった。
韓国メディアは、年末に任期切れとなる潘基文(バン・ギムン=1944年生)国連事務総長を担ぎ出すという話を報じている。
外交官出身で、政治家としてはまったく未知数だが、知名度は抜群だ。
大統領選挙でいつも重要な地域になる韓国中央部の忠清道出身でもある。
だが、本人はまだ、政治に対しては一切発言していない。
年末まで国連事務総長としての任期も残っている。
それでも与党内は人材難で、今後さらに騒がしくなるだろう。
■野党はどうか。
今回、大躍進した安哲秀氏は、有力候補として重要な第1関門を突破した。
1か月前までは、設立したばかりの国民の党の存続を危ぶむ声も少なくなかった。
与野党の「敵失」に救われたとはいえ、「第3の道」を示して存在感を発揮した。
安哲秀氏は、釜山出身でソウル大医学部に進んだ医師だ。
コンピューターに関心を持ってウイルス対策ソフトを開発して事業化した。
この企業が急成長して、「韓国のベンチャー企業の代表」となった。
2011年に呉世勲氏が「学校給食無料化」を巡って市議会などと対立して突然辞任すると、ソウル市長選挙出馬を宣言した。
一時は圧倒的な支持率だったが、かねて親交があった弁護士の朴元淳(パク・ウォンスン=1956年生)氏も出馬の意向を示すと立候補を譲った。
その後、2012年12月の大統領選挙への出馬を準備したが、このときも文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)氏に譲歩することになった。
■安哲秀氏、今度は譲らず勝利
今回も、脱党、新党結成後に「野党統一」の圧迫を受けたが、「セヌリ党でも民主党でもない第3の選択肢が必要だ」と最後まで譲らなかった。
安哲秀氏の強みは、野党にも与党にも支持層を広げられることだ。
今回も、選挙区の投票では「セヌリ党」「民主党」に投じながら、比例区では「国民の党」とした有権者が多かった。
国会で大躍進したことで当面は、民主党との連携が焦点となる。
次期大統領選をにらんでも、民主党を取り込むことが重要だ。
民主党を分裂させたことでしこりは残ったが、40近い議席を獲得したこと、何よりも光州、全羅南・北道で強い支持を得たことは強みだ。
さらに最後には「与党と手を組むウルトラCもあり得る」(韓国紙デスク)。
民主党では、前回の大統領選挙で朴槿恵大統領に敗れた文在寅前代表の立場は微妙だ。
文在寅氏は、安哲秀氏らの脱党の責任を取って党代表を辞任していた。
だが、盧武鉉元大統領時代からのグループを率いており「事実上の党のオーナー」だ。
選挙遊説にも積極的に動き、民主党は議席数は増やしたが、牙城の光州、全羅南・北道で惨敗した。
文在寅氏は投票日直前にこの地域を2度にわたって遊説したが、これが逆効果となって惨敗したとの見方は強い。
大統領選挙で野党候補が勝利するためには、この地域での支持が必須条件で、今回の選挙結果が手痛い。
さらに自らのグループに、強硬な民主化運動出身者が多い。
サラリーマンなど中道層の間で拒否反応も強いことも課題だ。
日本では知名度がないが大統領の地元で「野党不毛地帯」である大邱から民主党候補として出馬して当選した金富謙(キム・ブギョン=1958年生)氏はダークホースに急浮上した。
学生時代に民主化運動に参加して拘束されている。
ソウル大政治学科卒後、すぐに政治の道に入った。
1990年代前半には野党の職員として活動。
一時は、セヌリ党の前身であるハンナラ党に所属し、首都圏の京畿道で2000年に国会議員に当選した。
その後、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が率いた「開かれた我が党」に移ってさらに2回当選を重ねた。
だが、2012年の総選挙では、それまでの選挙区を離れて、「地域政治の打破」を掲げ、与党の独占地域だった大邱で野党から出馬した。
今回、雪辱を果たしたが、大邱で当選した意味は大きい。
合わせて4回目の当選で、かなりの役割を演じるはずだ。
■ソウル市長も動く?
現職のソウル市長ということで、選挙には関与できなかったが朴元淳氏も、動き出すはずだ。
自らに近い国会議員の数は減ったが、民主党所属でありながら、党を割った安哲秀氏との関係も悪くない。
「野党統合」の動きが出た場合、キーパーソンになる可能性はある。
韓国は1院制で国会議員の任期は4年だ。
大統領は1期5年の任期だ。
韓国では、大統領や閣僚は国会議員選挙に出馬できないし、選挙運動もできない。
だから、朴槿恵大統領自身が選挙運動をしたり演説会に出たわけではない。
それでも、今回の総選挙は、2013年2月に発足した朴槿恵政権にとって最初で最後の「中間評価」の国会議員選挙だった。
1期5年の大統領制の韓国で、総選挙とは「政局時計」を巡る争いだ。
現職の大統領にとっては、「中間評価」である総選挙で勝利して政権基盤を盤石にして2017年12月の次期大統領選挙までの政権運営をスムーズに進めたい。
できれば、次期大統領選挙でも影響力を確保したかった。
「政局時計」をゆっくり進め、政策遂行に集中したいのだ。
これに対して野党は、与党を追い詰めて政局を一気に「次期大統領選挙」に進めたい。
そういう意味で重要な選挙だった。
与党が惨敗したことで、韓国の「政局時計」は、2017年12月に向けて動きを早めることは間違いない。
朴槿恵大統領にとっては手痛い結果だった。
』
『
JB Press 2016.4.18(月) アン・ヨンヒ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46611
日本死ね!
より怖い、ヘル朝鮮、脱朝鮮
総選挙で敗北喫した与党、背景には国家不信
●米国は韓国人にとって憧れの地。写真はビザ問題で米国公演が中止になった女性グループ「Oh My Girl」のメンバー。IMAGINECHINA提供(2015年10月23日撮影)〔AFPBB News〕
日本で「日本死ね!」というネットに書き込まれた言葉が国会でも取り上げられるほど注目を集めたが、最近韓国でも同じような現象が起きている。
韓国では「韓国死ね」ではなく、「ヘル朝鮮」または「脱朝鮮」という。
なぜ韓国でなく「朝鮮」なのか。
韓国は、正式名称が「大韓民国」だが、それ以前に「朝鮮(1392年~1910)」という国号を使っていた。
朝鮮時代は、国王をはじめ生まれながらに身分制度がはっきり分かれており、どうあがいても下層階級から上層階級にのし上がることはできなかった。
それが国家の近代化を遅らせた。
■朝鮮という言葉の重苦しいイメージ
朝鮮という言葉には、そういう重苦しいイメージがつきまとっている。
さらに、その朝鮮に接頭語として「ヘル(Hell :地獄)」を付けることで、生き地獄のような息苦しさを表現したのがヘル朝鮮。
そこから派生して「地獄火の半島」という言葉まで生まれ、余計に地獄絵図を思い浮かばせる。
韓国は何でも新しいことがあると、塾ができたり、サイトが立ち上がるが、今回も例にもれず「www.hellkorea.com」というサイトが立ち上げられた。
ここには様々なヘル地獄に対する直訴が書き込まれている。
例えば、就職難、住宅難、外見至上主義、サービス残業、待機児童問題などである。
「脱朝鮮」は、その名の通り、ヘル朝鮮から抜け出すという新造語である。
不平等極まりない韓国に見切りをつけて、他の国へ移民なり、移住をしようとすることである。
どちらも、最近の若者が作り出した造語で、ネットに限定されていたのが、マスコミが使いだすことによって、さらに大衆化した。
「ヘル朝鮮」の根幹にあるのは、
「いくら努力しても変わらない社会」「実力本位でない社会」だ。
4月13日に行われた国会議員選挙では「ヘル朝鮮を変えよう!」というフレーズがたくさん聞かれた。
選挙で野党の議席を増やし、今の政権に対してもっと進言して、もっと暮らしやすい国に変えようというわけだ。
ある高校生は、今の世の中を変えるために、投票権のない自分に代わってぜひ大学生たちに投票してほしいと願う内容の壁新聞を作って張り出した。
■目指すは海外移住
ある名士は、投票しないのは、この国を変える意志もないので、結局ヘル朝鮮を作り出しているのは君たちだと断言した。
しかし、与党も野党もそれほど変わるのかなあと、疑心暗鬼になっている人たちは投票もせず「脱朝鮮」を夢見る。
昨年、韓国国籍を捨てた人は、1万7529人。
彼らは、
米国(1万515人)、
カナダ(3550人)、
オーストラリア(1221人)、
日本(587人)
などの国籍を取得した。
また、今年実施された調査でも、78.6%が「脱朝鮮」を考えており、それに向けて着実に貯金やケ(日本の頼母子講のようなもの)に入ったという人たちもたくさんいた。
先述したサイト(www.hellkorea.com)の主画面には「竹槍の前では万人が平等である」という文句が掲げられている。
書き込みに賛同する場合は、「ヘル朝鮮」、賛同しない場合は「竹槍」をクリックする。
サイト管理者は、あるインタビューで「『竹槍をくれ』という言葉は、ひどく自己破壊的な放棄宣言と言える。
韓国社会にはもう答がないから『お前も一刺し、俺も一刺しで一緒に死のう』
という意味を持っている」と答えている。
若者たちの行き着くところは、竹槍になってしまうのか。
死にたくなければ、脱朝鮮しか答はないのか・・・。
それでなくても韓国人は海外留学の末、その国に居座る人たちが多い。
親戚を見回せば、誰かしら海外(特に米国)に居住しているといったことがざらにある。
■肩身は狭くても豊かさ求め海外へ
海外に住む親戚たちは、マイナーではあっても努力すれば良い暮らしができ、子供たちの教育でもおおらかに感じられる。
例えば、韓国の受験ではまず良い大学に入れないような子供が外国で勉強したら、自分の特技を生かして良い大学に入れたとか聞かされると、国内に住む身にはなんと羨ましく感じられる。
「隣の芝生は青い」のだとは思うが、やはり憧れる。それだけ韓国は重苦しいのだ。
4月13日の選挙の結果は、選挙の女王と誉れ高い朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる与党は議席の半分を占めることができなかった。
選挙前に謳っていた公約をきちんと守って、ぜひ「ヘル朝鮮」から脱してほしいものだ。
』
『
現代ビジネス 2016年04月25日(月) 木村幹(神戸大学大学院教授)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48515
韓国政治が落ちた「罠」
〜総選挙「与党大敗」、政権はもはや意思決定力を失った
■与党勝利は確実視されていたが……
4月13日に投票、即日開票された韓国の国会議員選挙は何重もの意味で、奇妙な選挙だった。
最初に選挙結果が奇妙だった。
選挙直前のあらゆる世論調査において、与党セヌリ党が野党を大きくリードしており、どう転んでも与党の過半数議席維持は動かないものと予想されていた。
そもそも、本来なら与党最大のライバルになるはずであった最大野党「新政治民主連合」は昨年12月、この選挙における候補者選びを理由の一つとして「共に民主党」と「国民の党」の二つに分裂し、両者は選挙直前の候補者調整にも失敗していた。
結果、全300議席のうち257議席に野党2党の候補者が乱立し、ただでさえ少ない野党支持票を分け合わざるを得なくなる、とみられていた。
与党の背後に控える朴槿恵政権自体もまた、任期4年目の韓国大統領としては異例の高支持率を誇っており、その勝利は疑いないものと思われていた。
にもかかわらず――ふたを開けてみて明らかになったのは、与党セヌリ党の大敗、しかも選挙前の過半数を失ったのみならず、最大野党「共に民主党」にさえ後塵を拝する第二党への転落(ただし、選挙後、無所属当選者から復党者が出たことで、セヌリ党が第一党になることは確実視されている)という結果だった。
さらに奇妙だったのは、このような国会議員選挙の結果が必ずしも、この選挙で政権発足から3年余りを経た朴槿恵政権の施策が真剣な議論の対象とされ、国民から手ひどく批判された帰結でさえなかったことだった。
実際、選挙直前から選挙期間中、韓国のメディアはこの選挙における具体的な政策的争点について、重点を置いて報じなかった。
代わりに、与野党双方の候補者選びをめぐる混乱を連日のように報じ、メディアは与野党の指導部を厳しく批判した。
事実、与党セヌリ党と最大野党「共に民主党」がこの選挙における前候補者を確定できたのは、選挙における候補者登録のわずか数日前であり、当然、その選挙運動も混乱に満ちたものだった。
■与野二大政党「党内の混乱」の意味
重要なのは、この時点では与野党、とりわけ与党セヌリ党と野党第一党である「共に民主党」が共に大きな批判を浴びており、にもかかわらず、その選挙結果が対象的なものとなったことだった。
与党セヌリ党が大敗する一方で、選挙直後の第一党になったのは、同じく候補者選びをめぐって混乱を重ねた「共に民主党」だったからである。
ここから選挙における最初の問題がみえてくる。
つまり、なぜ同じように混乱し、批判されていたはずの与野二大政党の選挙における運命が、かくも大きく分かれたのか、ということである。
とはいえ、この一見不可解に見える現象に対する答えは、実は単純なものだった。
それは「党内の混乱」が持っていた意味が両党では全く異なっていたからである。
野党「共に民主党」の候補者選びをめぐる混乱は、党首に相当する非常対策委員会代表を務める金鍾仁が自らを当選確実な比例上位に位置付けたことを中心とするものであった。
その批判は所詮、分裂の危機に直面した同党が臨時に担ぎ上げた「調整型」のリーダーの資質をめぐるものに過ぎなかったのだ。
金鍾仁は来年に行われる大統領選挙においても有力な候補者とは目されておらず、ゆえにその批判は党全体の信用失墜には繋がらなかった。
だが、セヌリ党では状況が異なっていた。
同党の代表、金武星は選挙直前の段階で、与党における最有力の大統領候補と見られており、彼にとってこの選挙における勝利とは、その立場をさらに盤石にするはずのものだった。
だからこそ、与党内部での混乱は即座に金武星への批判へと繋がり、ひいては同党そのものの信用失墜に直結した。
しかしながら、この問題をさらに深刻化させたのは、強引な候補者選びが、「大統領との関係の良し悪し」を基準として行われたことだった。
セヌリ党内は大統領に近い「親朴派」とこれから拒否を置く「非朴派」に分裂し、「親朴派」によって占められた執行部からは、「非朴派」の有力者に対して、「大統領との関係を考えて自ら離党すべきだ」という発言まで飛び出した。
国会議員選挙の候補者選びが、有権者や党員の支持によってでもなければ、政府の政策への支持でさえなく、「大統領との個人的な関係の良し悪し」を正面に出したことにより、与党の候補者選びをめぐる混乱は、単なる党執行部の問題に留まらず、直ちに大統領による政党私物化への批判へと繋がった。
結果、この混乱の直後から、セヌリ党と大統領の支持率は並行する形で急激に下落、同選挙での与党惨敗へと帰結することとなった。
■大統領は打つ手がない
当然、このような総選挙における展開と結果は、今後の韓国政治に大きく影響を及ぼすことになる。
国会は二つの野党、つまり、最大野党である「共に民主党」と、次期大統領候補の一人である安哲秀元ソウル大学教授が党首を務める「国民の党」が合わせて過半数を占め、与党セヌリ党に対峙する。
来年12月に大統領選挙を控えた両野党にとって、不人気な現政権と協力して得られるものはほとんどなく、ゆえに例えば二党のうちいずれかが与党と協調姿勢を取り、政権運営に協力する可能性は極めて少ない。
朴槿恵政権の支持率が低下した今となっては、大統領選挙を控える野党の有力候補者たちにしてみれば、「反朴槿恵」姿勢を明確にした方が、より多くの野党票を確保できることが明らかだからである。
このような国会をめぐる状況は、朴槿恵政権の政策遂行を著しく困難にさせることとなる。
だが状況がより深刻なのは、この選挙後には残された与党に対する大統領の統制も困難になる、ということだ。
大統領を支持する「親朴派」の権力失墜は、与党セヌリ党内部における「反朴派」の台頭を促すことになる。
与党内部への過剰な介入を批判される大統領がこの状況への巻き返しの為に党内に再び介入すれば、与党と大統領の支持率は再び大きく下落することになる。
議院内閣制をとる我が国とは異なり、相対的に大きな権限を与えられる韓国大統領であるが、世論の支持を失った状態では国会との全面対決の危険を冒してこの権限を行使するのも難しい。
大統領は打つ手もなく、自らから離反する与野党の状況を、指をくわえて見守ることを余儀なくされる。
■慰安婦問題をめぐる不人気な合意
結局、一言でいえば、朴槿恵政権はこの選挙の敗北により、
極端なレイムダック化状況に――しかも突如として――直面したことになる。
当然、現政権にはその準備はなく、今後の政権運営は著しく不安定なものとなることを運命づけられている。
そしてこの新たな状況は、韓国の外交政策にも深刻な影響を与えることになる。
このようにレイムダック化した政権には、国会や世論の意に反して、新たな意思決定や政策実現が困難になる。
もちろん、そのような状況は、昨年12月末に締結された日韓両国政府間の慰安婦問題をめぐる合意について典型的に表れることになる。
周知のように韓国では、この合意について過半数の人々が否定的に捉えており、70%以上の人々が合意の見直しが必要だと考えている。
だからこそ合わせて過半数を占める二つの野党の有力政治家たちもまた、その再交渉を訴えており、そのような彼らが大統領選挙を翌年に控えた状況において、この不人気な合意実現に、わざわざ協力すべき理由は何も存在しない。
同じことは野党だけでなく、慰安婦問題に関連する様々な運動団体にとっても同じである。
韓国政府関係者によれば、合意発表後には世論の強い反発に符合する形で合意反対へと転じたこれらの運動団体は、
実際には合意締結以前に韓国政府との綿密な事前協議を行っており、
韓国政府は団体関係者から合意実現への協力の確約を得た、と言う。
しかしながら、韓国政府自身が求心力を失った今となっては、これらの団体関係者が自らの姿勢を再反転させ、合意実現に協力する可能性は極めて薄い。
もちろん、そのことはこれらの勢力の反対により、韓国政府が合意実現への努力そのものを放棄するということを意味しない。
今年年初の記者会見で大統領自ら述べた様に、韓国政府は繰り返し合意実現への意思を強調しており、5月にも合意実現の前段階である財団設立のための準備委員会が開催される、と言われている。
日本と同様、財団の設立認可権は行政府が握っており、やろうと思えば韓国政府はその設立までは行えるかも知れない。
だが、仮に財団が設立され、日本政府から約束された10億円がこれに入金されたとしても、財団側に元慰安婦らに対する事業を計画し、実施する能力がなければ意味ある事業が実際に開始されることはない。
そもそも財団の設立には、これを運営する理事の選任や、財団運営の為のランニングコストを捻出するための予算措置――これがなければ財団は救済事業以前に日本から拠出される資金を自らの運営費で消費してしまうことになる――を行わなければならない。
選任される理事達が元慰安婦らや支援団体にとって受け入れられない人々なら、彼等は財団が実施する事業を拒否し、その受け入れを拒否することになるだろう。
■「沈む船」から「次の政府」へ
韓国政府に実施の意思があっても、その実現が困難になるのは他分野における協力も同様だ。
例えば、アメリカ政府は深刻化する中国の脅威拡大に備えて、共に自らの同盟国である日韓両国の軍事協力体制の整備を求めている。
その具体的な形は、日韓両国の間での軍事情報包括保護協定(GSOMIA)や物品役務相互提供協定(ACSA)締結への動きとなって表れている。
しかしながらこのような日韓両国間での軍事協力協定もまた、植民地支配に由来する日本「軍」への強い忌避感を持つ韓国国内では、著しく不人気なものとなっている。
事実、2012年7月、李明博政権末期に締結直前までこぎつけた軍事情報包括保護協定は締結の直前で反故にされている。
背景には当時の韓国与党セヌリ党、より具体的には当時の同党最有力大統領候補であった朴槿恵自身による、自らの選挙への悪影響を恐れた反対があったと言われている。
このような状況下、与野党、とりわけ与党内における次期大統領有力候補らの支持をも取り付けて、現政権がこれらの協定締結へと進めるかどうかは怪しい。
しかしながら、そのことが慰安婦合意により、日本やアメリカとの協調路線へと回帰したかに見えた韓国が再びこれらと距離を置き、再び日米と対立する中国への傾斜を強めることを意味するのか、といえばそうではない。
なぜなら、レイムダック化した政権には、一旦動き出した政策の方向性を逆向きに再転換する指導力を確保することはさらに難しくなるからである。
仮に何らかの理由――例えば北朝鮮からの脅威のさらなる拡大――により現政権が再び中国への依存を深めようとすれば、アメリカとの協調を重視する与党内の保守政治家たちは一斉に政権に反旗を翻すことになるだろう。
もちろん、行政府が大統領によって握られている以上、野党もまた自らが望む政策を直接実行できるはずがない。
政権への対立姿勢を強める彼らができるのは、国会を支配したまま来年12月の大統領選挙を待つことだけである。
韓国にとってもう一つの懸念材料である北朝鮮に対する政策も同様である。
拡大する脅威に対して強硬姿勢を主張する与党と、開城工団閉鎖をはじめとする政府の強硬姿勢を「行き過ぎ」だと批判する野党の間で、現政権はいかなる新たなる施策も打ち出すことが困難になる可能性が強い。
結局、待っているのは、
政権が意思決定能力を失い、
様々な政策が停滞する、
という状況である。
1987年の歴代政権に見られたように、国民の支持率を失って「沈む船」となったレイムダック化した政権からは、やがて政策ブレインたちも離反することになる。
自らの政治的影響力を保持し、また信じる政策の実現を求める彼らにとって、不人気な政権にとどまり続けることは次期大統領の下で影響力を維持する為には不都合だからである。
既に彼らの一部は有力大統領候補の周りに結集し、
「次の韓国政府」での政策実現の準備をはじめている。
■「分割政府」の罠に落ちた韓国
こうして総選挙後の韓国政治はレイムダック化した政権が意思決定機能を喪失し、停滞の時期を迎えることになる。
しかしながら、厄介なのはこのような韓国の状況は次期政権においてさえ続く可能性が強い、ということである。
この国会議員選挙では、与野3党のいずれもが過半数を大きく割り込んだ議席数しか獲得できず、しかも大統領制の下、国会解散のない韓国の次期国会議員選挙は4年後である。
つまり、政党の統廃合や連立政権が成立しない限り、次期大統領のそれを含む韓国の政権は「少数与党」の現実に直面することを余儀なくされる。
韓国は大統領制特有の「分割政府」の罠に落ちた訳である。
そして現在の状況において、このような状況を変えるような与野3党構造の急激な変化は期待薄である。
野党にとって不人気な与党と協力する理由はなく、加えて二つの野党もそれぞれ大統領選挙の有力候補者を抱えている。
国会議員選挙では、全国民の間での支持の大きさを示す比例区での得票率において、小選挙区を含む全体の議席数において第3党である「国民の党」が、第1党である「共に民主党」をも上回るというねじれ現象さえ生じている。
選挙で第1党になった「共に民主党」からすれば、第3党の「国民の党」に大統領の座を譲る理由はなく、逆に第3党の「国民の党」は、全国的な集票能力で上回る以上、仮に3党対決になっても自党が勝てる公算は大きいと考えることになる。
だからこそ、さらなる大きな状況の変化がない限り、与野3党はそれぞれの理由により、独自候補を抱えたまま大統領選挙に突入し、来るべき政権もまた現政権と同じ「少数与党」状況に直面し、著しく意思決定能力を欠いたまま立ち上がることになる。
「分割政府」の罠に落ちた韓国は、どのようにしてもう一度、政治的意思決定能力を回復することができるのか。
それともこのまま4年もの間、意思決定力を欠いたまま漂流して行くことになるのだろうか。
いずれにせよ、しばらくは不安定な状況が続くことになりそうだ。
』
『
東洋経済オンライン 2016年04月30日 キム・テユン :韓国『中央日報エコノミスト』記者
http://toyokeizai.net/articles/-/116241
韓国の大企業は、なぜ栄枯盛衰が激しいのか
当記事は韓国の経済誌「中央日報エコノミスト」掲載記事の日本語訳です
当時は両社の全盛期だった。
繊維事業で創業した大宇は、電子や自動車、建設業などにいち早く事業分野を広げ、1980年代に大きく成長した。
1990年代初頭、大宇の金宇中(キム・ウジュン、当時)会長が唱えた「世界経営論」は、韓国企業が世界で羽ばたくための出発点でもあった。
大宇は当時、西側諸国の企業が進出をためらっていた共産主義国家を含め、世界各地で活躍の場を拡張していった。
「世界は広く、やることが多い」。
金宇中会長のこの発言は、当時の流行語にもなった。
■大宇の痕跡はすっかり消えてしまった
10年にわたって大宇の事業規模は拡大したが、中身は芳しくなかった。
積極的な世界進出にともなって過剰な負債を抱えるようになり、経営の限界が迫っていた。
追い打ちをかけたのは1997年に発生した世界金融危機だ。
金融危機によってその経営の実態と限界を白日の下にさらされた大宇は翌1998年からあわてて構造調整を始めた。
しかし、結局失敗。
グループは解体に追い込まれた。
大宇自動車はゼネラル・モーターズ(GM)に売却され、大宇電子や大宇建設、大宇重工業などグループの主要企業も再建団の手に渡り、そこから新しい所有者の手に渡っていった。
現在でも当時のグループ内企業が数社、その命脈を維持しているものの、2016年現在、韓国経済において大宇グループの痕跡はほとんど消えたといっていい。
この30年間にわたる韓国国内30大企業が記されたリストを見ると、その変貌は激しい。
上位の企業はそれほど変化がないが、中・下位圏の企業のランキングが激しく入れ替わった。
4月3日に公正取引委員会が発表した
「2016年相互出資制限企業集団(大規模企業集団)の現況」によれば、2015年基準で資産総額が5兆ウォン以上の企業集団は65社。
関連会社は総計1736社。
資産は前年比79兆ウォン(約7.9兆円)増となる2337兆ウォン(約233兆円)となった。
これら65社合計の財務状況を見ると、前年よりは改善している。
負債比率は低下し、当期純利益は増益となった。
当期純利益は55兆ウォン(約5.5兆円)、前年比約13兆ウォン(約1.3兆円)の増益。
しかし、売上高は3年連続の減収となり、65社の売上高総額は1403兆4000億ウォン(約140兆円)で前年比6.8%減。
売上高が減少し、純利益が増える「不況型」黒字だ。
■420社から1036社へ
大規模企業集団としてリストアップされる基準は、「資産総額5兆ウォン(約5000億円)以上」だ。
かつては4000億ウォン(約400億円)以上だった。
2002年に2兆ウォン(約2000億円)になり、2009年に5兆ウォン(約5000億円)へと引き上げられ今に至っている。
1986年までは、30大企業に挙げられた企業のなかにはグループ内企業が2、3社しかないところもあった。
それは、いわゆる「たこ足企業」と呼ばれる前の、大企業による拡張政策がとられる前だったためである。
当時の30大企業のグループ内企業を合計すると420社。
2015年のそれは1036社だ。
売上高では、サムスンが348兆2000億ウォンと前年に続きトップ。
現代自動車が209億7000億ウォン(約21兆円)となり、
韓国電力公社(208兆3000億ウォン、約20兆円)を抜いてナンバー2となった。
前年28位だった東部(トンブ)グループは構造調整の影響で45位に転落。
ロッテは活発なM&Aを繰り返し、4位のLGの背中が見えてきた。
サムスングループから4社を買収したハンファは、大企業集団の中で資産額を増やしている。
1986年当時の30大企業のうち、現在まで生き残っているのは10社。
サムスングループは、「大企業のうちの1社」から「ダントツナンバー1」企業となった。
1993年までは現代や大宇に続いて資産規模では3位だったサムスンは、1994年に初めてトップに立つ。
グループ内上場企業の時価総額でも1993年には現代、大宇、ラッキー金星(現LG)に次いで4位だったが、1994年にトップになって以降、今でもナンバー1の座を保っている。
サムスンの売上高と株式時価総額を見ると、1986年当時と比べてそれぞれ32倍、33倍にふくれあがった。
2012年には韓国企業で初めて売上高300兆ウォン(約30兆円)を突破、韓国証券取引市場全体の時価総額の4分の1を占める大企業に躍り出た。
かつて、自動車産業に参入する際に苦杯をなめたものの、半導体や家電、携帯電話を主事業として競争力を維持している。
もちろん、韓国を代表する世界企業であり、「SAMSUNG」ブランドは世界で浸透した。
■現代グループは分裂が奏功
1986年当時韓国トップ企業だった現代グループは、オーナー一族の権力継承の過程で現代自動車グループ、現代重工業グループ、現代グループに分裂した。
しかし、分割される前と比べると、現代自動車グループの規模は5倍以上に拡大した。
自動車業界において、現代自動車は韓国国内でライバルのいない圧倒的強者である。
世界市場でも5〜6位をキープ。
品質とブランド面でもグローバル企業の地位を獲得した。
現代重工業はこの数年続く造船不況のあおりを受けているが、それでも財界で10位に入っている。
現代グループのように分離した企業集団はほかにもある。
LGから分裂したGSだ。
LGは6位、GSは9位に付けている。
LGは電子と化学、GSはエネルギーと流通業界で確固たる地位を築いた。
1986年には10位だったSK(当時は鮮京、ソンギョン)は、2005年に3位へ上昇した後、10年間その座を守っている。
資産規模、売上高、時価総額とも当時より10倍以上増えており、大企業集団の中では、サムスンに次ぐ成長を見せた。
1970年代初頭に精油事業を始め、この分野でトップ企業にまで成長した後、1994年に移動体通信事業を開始、携帯電話ではトップシェアとなっている。
2012年には半導体メーカーのハイニクスを買収して新領域への挑戦を新たに始めた。
ロッテグループは、1986年当時に大企業集団に名前がなかったことが、今となっては奇異に感じられる。
1986年当時16位だった斗山(ドゥサン)グループは、30年経った今でも同じ位置にいる。
1986年当時に財界5、6位だった国際(クッチェ)グループと双龍(サンヨン)グループは、共に歴史から消えた。
1985年に当時の全斗煥政権によって事実上解体された国際グループは、翌86年12月に韓一(ハニル)グループに吸収された。
なぜ国際グループが解体されたのか、その過程は今でも謎として残されている。
1939年に石鹸メーカーとして出発した双龍グループは、保険や貿易、セメント、重工業、建設と時代の変化に合わせてその事業領域を拡大し、1990年代までは成長を続けた。
だが、自動車事業の失敗を契機にグループの足下が大きく揺らいだ。
最終的には1997年の世界金融危機が引き金となり、主力企業である双龍製紙や双龍自動車、双龍精油、双龍重工業の順に売却、結果的にその姿を消した。
双龍建設も2014年に上場廃止となった。
また、1986年に8位だったポムヤン商船はSTXグループに吸収され、高麗合繊は高合(コハプ)グループとなってその命脈を維持しているが、規模は縮小した。
■M&Aによりベンチャー企業が大企業集団に
新顔も目立つ。
ベンチャーから出発したカカオ(IT、通信など)とセルトリオン(バイオ医薬品の開発)が初めて、大企業集団入りを果たした。
2016年は、カカオ、セルトリオンだけでなく、ハリム、SH公社、韓国投資金融、錦湖(クムホ)石油化学の6社がリスト入りとなった。
カカオは2016年1月にロエンエンターテインメントを買収し、資産額が5兆1000億ウォン(約5100億円)となった。
グループ内企業も45社と増加している。
セルトリオンは資産価値が5兆9000億ウォン(約5900億円)となったが、これは株価が大きく上昇したためだ。
ハリムは2015年、資産規模が4兆2000億ウォン(約4200億円)のパンオーシャンを買収して資産価値が9兆9000億ウォン(約9900億円)へ上昇、ランキングでも38位となった。
これら新参にとって、大企業集団入りは必ずしも喜ぶべきものにはならない。
大企業集団に指定されると、グループ会社間の相互出資と新規の循環出資、債務保証、企業内取引ができなくなるためだ。
大規模な内部取引や非上場企業重要事項、企業集団現況といった経営上の主要内容も公開義務が生じる。
カカオはこの影響をすぐさま受けた。
推進中のネット銀行事業に支障を来すことになったのだ。
現在、国会ではネット専門銀行に限って「金産分離」(産業資本の銀行による株式所有を制限するもの)原則を適用しない、あるいは緩和する法案も上程されている。
しかし、この法案では事業主が大企業集団ではないと適用されない。
一方で、サムスンの資産規模の70分の1であるカカオが、サムスンのような大規模企業と同じ規制を適用されることは不公平ではないかという問題も指摘されている。
全国経済人連合会(全経連)は、資産基準を現在の5兆ウォンから10兆ウォンに引き上げる必要があると政府に提案している。
大企業集団の指定にともなう各種規制が大きな負担となっており、中堅企業の成長意欲を阻害するというのが理由だ。
公正取引委員会も基準引き上げの必要性は認めているが、実際に引き上げるかには慎重な立場を崩さない。
同委員会のクアク・セボン競争政策局長は「大企業集団の管理をどう効率化するかという観点からすれば、引き上げる必要はある」と述べるものの、「引き上げを推進するか、するならその方法や内容はどうするかについては、まだ決定したものはない」と言う。
■大企業グループでも二極化が顕著に
数多くの大企業が、数多くの危機を乗り越えながら韓国経済を成長させてきたが、大企業と中小企業の二極化が進んでいることは問題だ。
一部の大企業が成長している間に、中小企業は依然として大企業との依存関係から脱却できずにいる。
韓国全体の輸出に占める大企業の割合が、2013年の66.8%から2014年66.1%、2015年64.1%と漸減しているが、それでも3分の2が大企業によるものだ。
雇用もまた、中小企業が雇用全体の87%を占めるが、賃金は大企業の62%程度にすぎない。
大企業の中でも二極化が深まっている。
大企業集団のトップ層の中で、サムスンや現代自動車、SK、LGなど4社の資産総額はこの5年間で27.3%増加したが、下位20社(11〜30位)の資産総額は1.5%増に留まっている。
15年の売上高で、上位4社の平均売上高は157兆6000億ウォン(約15兆円)。
一方、下位20社のそれは11兆1000億ウォン(1.1兆円)だった。純利益でも上位4社が30社全体の90%を占めている。
(韓国『中央日報エコノミスト』2016年4月18日号)
』
【2016 異態の国家:明日への展望】
http://www.recordchina.co.jp/a133326.html
韓国総選挙で与党が惨敗、
最大野党が第1党の座に
=韓国ネットは歓迎「最高の気分!」
「これが朴大統領に対する国民の評価」
2016年4月14日、韓国・KBSによると、韓国で13日に行われた第20代国会議員総選挙の開票の結果、与党セヌリ党が惨敗し、16年ぶりに最大野党「共に民主党」に第1党の座を明け渡したことが分かった。
14日午前6時現在、全国の開票率が99.9%の段階で、共に民主党は123議席を獲得し、セヌリ党を抑えて第1党の座に立った。
180議席獲得を目標としていたセヌリ党は、過半数はおろか、共に民主党より1議席少ない122議席となり、議会権力を野党に明け渡すこととなった。
国民の党は38議席、正義党は6議席を獲得するとみられる。
中央選挙管理委員会は253の小選挙区のうち、共に民主党候補が110選挙区、セヌリ党候補が105選挙区、国民の党候補が25選挙区、正義党候補が2選挙区、無所属候補が11選挙区でそれぞれ当選したと明らかにした。
比例代表は47議席のうち、セヌリ党が17議席、共に民主党と国民の党がそれぞれ13議席、正義党が4議席を獲得するとみられる。
これについて、韓国のネットユーザーからは選挙の結果を歓迎するコメントが多く寄せられた。
「最高の気分!次期大統領選挙が楽しみ」
「これまでの世論調査は全てねつ造だったことが判明した」
「やっと韓国の民主化が始まる!」
「韓国国民は賢い選択をした!
移民を考えていたが、もう少し韓国で暮らしてみようという気になった」
「セウォル号惨事以降、政府を信じることができなくなった。
これが朴大統領に対する国民の評価だ」
「それでもまだ親日議員は生き残っている。
次の選挙では必ず、親日を清算してほしい」
「国民はばかじゃない。
これを機に朴大統領が心を入れ替えてくれることを願っている」
「122議席も獲得しているのだから『惨敗』とは言えない…。
韓国もまだまだだ」
』
『
中央日報日本語版 4月15日(金)8時27分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00000001-cnippou-kr
【中央時評】朴槿恵政治と国民選挙革命(1)
第20代総選挙は韓国で執権保守党が初めて2つの点を同時に達成したという点で革命的だ。
過半議席の崩壊と第1党地位の喪失だ。
民主化以降、韓国で圧倒的な地域利点を持つ保守派政党でなく、改革派政党が正常な選挙で第1党になったのは史上初めてとなる。
2004年の総選挙で改革派政党が第1党になったのは大統領弾劾訴追という非正常的な事態のためだったら、今回は正常な選挙だったという点で大統領と政府に対する事実上の政治的弾劾に近かった。
与党は過半を大きく割り、民主化以降、執権保守党の最少議席となった。
今回の保守派執権党の議席は1988年の総選挙の4党体制下の民主正義党(125議席)よりも少ない。
122議席は弾劾訴追時点の保守政党の121議席とほぼ同じだ。
すなわち正常の選挙では歴代最少だ。
どうしてこのような選挙結果になったのだろうか。
要諦は朴槿恵(パク・クネ)大統領政権の業績と政治方式にある。
1].1つ目は無能だ。
2016年の我々の生活の主要指標は統計調査以降、「歴代」最悪・最低だ。
2015年の家計負債は歴代最も多い。
国内総生産(GDP)比でも歴代最高だ。
家計負債増加率も歴代最も高い。
今年1月の結婚件数は歴代最少だ。
出産件数も同じだ。
2月の青年失業率も歴代最も高い。
2].2つ目は一貫した責任転嫁だ。
すなわち、責任倫理の不在だ。
大統領は国政の最高責任者として憲法が与えた最終責任を回避してきた。
初期の国家情報院の大統領選挙介入問題から深刻な家計経済および国家経済にいたるまで、大統領の中心処理方式は責任回避と国会、野党への責任転嫁だった。
一方、国民は国家現実が大統領、政府・与党のためだと報復投票をした。
3].3つ目は過度な議会介入だ。
青瓦台(チョンワデ、大統領府)の国会に対する過度な介入は事実上、三権分立の破壊であり、憲法違反行為だった。
さらに議員総会で選出された院内代表が強制的に追い出される独裁時代の現象も民主化以降に初めて見られた。
このため議会はまひ、立法膠着、政争を繰り返すことになった。
国会の政争が深刻になった理由は憲法が保障する自律性の不在のためだった。
さらに大統領と政府・与党は野党の湖南(ホナム、全羅道)離脱と首都圏分裂という環境で選挙を行った。
選挙構図に関する限り、過半を超えて改憲ラインにも意欲を持てるほどだった。
そのような条件で最悪の敗北を露呈、逆説的に大統領の失政と野党の分裂が重なり、慢性的な地域主義の著しい緩和につながった。
大統領は父の時代に生じた湖南排除という不道徳な政治的地域主義を、自分の失政を通じて嶺南(ヨンナム、慶尚道)民主勢力を復活させることで、かなり解消した格好だ。
』
JB Press 2016.4.15(金) 玉置 直司
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46608
韓国総選挙、与党惨敗のワケ
政権への警告、
政局は大統領選に
2016年4月13日に投開票した韓国の総選挙は、政権与党のセヌリ党がまさかの惨敗を喫し、過半数維持どころか第2党に転落する危機に陥った。
つい1カ月前までは与党の圧勝説も強かったが、直前に民心が「政権への警告」に転じてしまった。
選挙の翌日、ソウルは霧に覆われた。
朝6時のKBSニュースは、国会があるソウル中心部の汝矣島(ヨイド)の模様を中継しながら、この日を天気をこう伝えた。
「霧だけでなく、PM2.5(微小粒子状物質)濃度も高くなり、さらに黄砂の影響もありそうです。
視界は不断の3分の1ですので運転に注意ください」
■韓国政局は「視界不良」に
4月13日の総選挙(韓国では「第20代国会議員選挙」と呼ぶ)の結果、韓国の政局はこの日の天気のように「視界不良」になってしまった。
◇韓国総選挙の結果◇
セヌリ党 122(選挙直前146)
民主党 123(同102)
国民の党 38(同20)
無所属・その他 17
選挙結果についてはすでに報じられている通りだ。
全300議席のうち、与党セヌリ党は122議席。
選挙直前の146議席から大きく減らした。
惨敗だった。
無所属議員を入党させて第1党を確保する可能性があるが、重要法案の処理などでこれまで以上に手間取ることは間違いない。
■与党の傲慢に厳しい審判
14日付の大手紙は、1面トップにこんな見出しを掲げた。
「セヌリ党惨敗…民心は傲慢を審判した」(毎日経済新聞)
「セヌリ党が審判を受けた」(中央日報)
1か月ほど前までは、今回の選挙は与党の楽勝とも言われた。
朴槿恵(パク・クネ=1952年生)大統領への支持率は就任3年目の大統領としては、依然高かった。
さらに、競争相手の「共に民主党(民主党)」で路線対立が激化し、ベンチャー企業創業者出身者で若者などに人気が高い安哲秀(アン・チョルス=1962年生)氏らが脱党、「国民の党」を設立したのだ。
戦う前から相手が分裂してくれたのだ。
にもかかわらず、こんな結果になったのは、与党に対する有権者の「警告」がそれほど強かったからだ。
有権者は投票日直前に繰り広げられた与党内の権力闘争に怒ったのだ。
■与党楽勝のはずが・・・
「楽勝ムード」だった与党では、直前の党公認候補選定作業で大混乱に陥った。
大統領と近い党公認候補の選定責任者が、強引に党公認を決めていった。
選挙区での支持率が高い有力候補を「党の正統性に合致しない」というあいまいな理由で次々と排除した。
かわって大統領に忠実な人物を候補に選んだ。
特に衝撃的だったのが、現政権で保健福祉部長官を務めた陳永(チン・ヨン=1950年生)議員と、前のセヌリ党院内代表の劉承旼(ユ・スンミン=1958年生)議員だった。
2人とも朴槿恵大統領が野党代表時代に「秘書室長」を努めた側近だった。
2012年の大統領選挙でも重要な役割を演じたが、「大統領との意見の違い」が表面化していた。
陳永氏は閣僚に就任してすぐに年金制度問題を巡って青瓦台(大統領府)の幹部と意見が衝突した。
大統領に直接説明することを求めたが、拒否され長官を辞任した。
劉承旼氏は、院内代表になった後に、「増税なき福祉政策は虚構だ」と発言。
これが大統領の基本政策を批判したとして辞任に追い込まれた。
大統領からは「背任者」とまで言われた。
政策的な意見の相違はあっても2人とも党重鎮で、良識派だった。
政策通でもあり、当選可能性も極めて高かった。
だが、党公認を得られなかった。
「報復だ」。
陳永氏はこうはき捨てて野党から出馬した。
劉承旼氏は無所属で出馬した。
2人とも当選したが、後遺症は大きかった。
■与党への警告
無理筋の党公認作業と、この過程で起きた党内の激しい対立、混乱を見て、「有権者は現政権に『フリーハンド』を与えることを撤回した。
それどころか、選挙に勝ちそうだということで、意のままに候補を差し替えるやり方を『傲慢』『強権』と見て強い警告を与えた」(韓国紙デスク)のだ。
だから大手紙の見出しにあるように今回の選挙結果は、第1野党の勝利というよりは、与党の惨敗だった。
投票動向からもそういう有権者の意思がうかがえる。
今回の選挙の投票率は58%で前回に比べて4ポイント近く上昇した。
30代以下の若い有権者の投票率が上昇し、50代以上は下がったとの出口調査の結果が多い。
30代以下は、セヌリ党内の権力闘争に反発し、さらに経済政策や雇用政策などへの不満から積極的に投票所に行き、セヌリ党以外に投票した。
50代以上は本来は与党支持層だが、与党の公認過程での混乱に嫌気がさして今回は棄権したり他党の投票した例が多かったようだ。
■「不敗選挙区」でばたばた敗れる
特に、与党支持層の離脱は大きかった。
本来は、与党の絶対的な支持基盤で「不敗選挙区」とさえ言われた大邱(テグ)や釜山、さらにソウルの富裕層が住む江南(カンナム)でセヌリ党候補が敗れるというこれまでは考えられなかった結果が出た。
多くの有権者は、特にソウルや首都圏では与党に「警告」するために民主党に投票はした。
だが、内紛が続いた民主党が絶対的な支持を得たわけでもない。
本来は、民主党の牙城だった韓国南西部の光州や全羅南・北道で民主党は惨敗した。
まずは与党に警告を与える。
だが、民主党を全面的に支持するわけではない。
その受け皿になったのが、国民の党だった。
光州や全羅北・南道で圧勝したほか、比例区では民主党と並ぶ13人もの当選者を出した。
与党セヌリ党や野党民主党の支持者から多くの投票を集めたのだ。
総選挙で与党が惨敗したことで、政局は、2017年12月の大統領選挙に向けて動き出すだろう。
■次期大統領選への明暗
今回の総選挙でも、大統領選挙をにらんださまざまな明暗が出た。
総選挙では与党は惨敗したが、これで2017年12月の大統領選挙まで与党が不利だと見る向きは少ない。
韓国の人口構造上、50代以上の保守支持層が増えており、
「今回の選挙も『警告』であって、与党や保守を見限ったことではまったくない」(韓国紙デスク)
からだ。
とはいえ、個別の選挙結果は、いろいろな影響を残した。
与党内では、次期大統領選挙をうかがっていた有力者が、冷水を浴びた。
党代表の金武星(キム・ムソン=1951年生)氏は、総選挙惨敗の責任を取って14日に党代表を辞任した。
本人は当選したが、党内で朴槿恵大統領に近いグループと対立して混乱を増幅させた。
出身地である釜山の他の選挙区で野党の躍進も許し、打撃となった。
「政治一番街」と言われるソウルのど真ん中、鍾路(チョンノ)区で立候補をして次期大統領選挙の有力候補に浮上しようと狙った呉世勲(オ・セフン=1961年生)前ソウル市長は、事前の世論調査では当選が有力視されていたが、まさかの落選となった。
逆に存在感を増したのは、与党の公認を得られなかったにもかかわらず大邱から無所属で出馬して大勝した劉承旼前セヌリ党院内代表だ。
セヌリ党復帰は確実で、重責を担う可能性が高い。
経済政策通で今回の「政治人生の危機」を乗り切ったことで、「次」の有力候補の1人になるだろう。
劉承旼氏は、ソウル大経済学科卒で米ウィスコンシン大大学院で経済学博士号を取得した。
韓国の国策シンクタンクである韓国開発研究院(KDI)の研究員を経て政界に入った。
朴槿恵大統領が野党代表時代の秘書室長を務めるなど側近として頭角を現した。
4選の政策通だ。
■国連事務総長担ぎ出し?
だが、それ以外には与党では、有力な次期大統領候補が見当たらなくなった。
韓国メディアは、年末に任期切れとなる潘基文(バン・ギムン=1944年生)国連事務総長を担ぎ出すという話を報じている。
外交官出身で、政治家としてはまったく未知数だが、知名度は抜群だ。
大統領選挙でいつも重要な地域になる韓国中央部の忠清道出身でもある。
だが、本人はまだ、政治に対しては一切発言していない。
年末まで国連事務総長としての任期も残っている。
それでも与党内は人材難で、今後さらに騒がしくなるだろう。
■野党はどうか。
今回、大躍進した安哲秀氏は、有力候補として重要な第1関門を突破した。
1か月前までは、設立したばかりの国民の党の存続を危ぶむ声も少なくなかった。
与野党の「敵失」に救われたとはいえ、「第3の道」を示して存在感を発揮した。
安哲秀氏は、釜山出身でソウル大医学部に進んだ医師だ。
コンピューターに関心を持ってウイルス対策ソフトを開発して事業化した。
この企業が急成長して、「韓国のベンチャー企業の代表」となった。
2011年に呉世勲氏が「学校給食無料化」を巡って市議会などと対立して突然辞任すると、ソウル市長選挙出馬を宣言した。
一時は圧倒的な支持率だったが、かねて親交があった弁護士の朴元淳(パク・ウォンスン=1956年生)氏も出馬の意向を示すと立候補を譲った。
その後、2012年12月の大統領選挙への出馬を準備したが、このときも文在寅(ムン・ジェイン=1953年生)氏に譲歩することになった。
■安哲秀氏、今度は譲らず勝利
今回も、脱党、新党結成後に「野党統一」の圧迫を受けたが、「セヌリ党でも民主党でもない第3の選択肢が必要だ」と最後まで譲らなかった。
安哲秀氏の強みは、野党にも与党にも支持層を広げられることだ。
今回も、選挙区の投票では「セヌリ党」「民主党」に投じながら、比例区では「国民の党」とした有権者が多かった。
国会で大躍進したことで当面は、民主党との連携が焦点となる。
次期大統領選をにらんでも、民主党を取り込むことが重要だ。
民主党を分裂させたことでしこりは残ったが、40近い議席を獲得したこと、何よりも光州、全羅南・北道で強い支持を得たことは強みだ。
さらに最後には「与党と手を組むウルトラCもあり得る」(韓国紙デスク)。
民主党では、前回の大統領選挙で朴槿恵大統領に敗れた文在寅前代表の立場は微妙だ。
文在寅氏は、安哲秀氏らの脱党の責任を取って党代表を辞任していた。
だが、盧武鉉元大統領時代からのグループを率いており「事実上の党のオーナー」だ。
選挙遊説にも積極的に動き、民主党は議席数は増やしたが、牙城の光州、全羅南・北道で惨敗した。
文在寅氏は投票日直前にこの地域を2度にわたって遊説したが、これが逆効果となって惨敗したとの見方は強い。
大統領選挙で野党候補が勝利するためには、この地域での支持が必須条件で、今回の選挙結果が手痛い。
さらに自らのグループに、強硬な民主化運動出身者が多い。
サラリーマンなど中道層の間で拒否反応も強いことも課題だ。
日本では知名度がないが大統領の地元で「野党不毛地帯」である大邱から民主党候補として出馬して当選した金富謙(キム・ブギョン=1958年生)氏はダークホースに急浮上した。
学生時代に民主化運動に参加して拘束されている。
ソウル大政治学科卒後、すぐに政治の道に入った。
1990年代前半には野党の職員として活動。
一時は、セヌリ党の前身であるハンナラ党に所属し、首都圏の京畿道で2000年に国会議員に当選した。
その後、盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が率いた「開かれた我が党」に移ってさらに2回当選を重ねた。
だが、2012年の総選挙では、それまでの選挙区を離れて、「地域政治の打破」を掲げ、与党の独占地域だった大邱で野党から出馬した。
今回、雪辱を果たしたが、大邱で当選した意味は大きい。
合わせて4回目の当選で、かなりの役割を演じるはずだ。
■ソウル市長も動く?
現職のソウル市長ということで、選挙には関与できなかったが朴元淳氏も、動き出すはずだ。
自らに近い国会議員の数は減ったが、民主党所属でありながら、党を割った安哲秀氏との関係も悪くない。
「野党統合」の動きが出た場合、キーパーソンになる可能性はある。
韓国は1院制で国会議員の任期は4年だ。
大統領は1期5年の任期だ。
韓国では、大統領や閣僚は国会議員選挙に出馬できないし、選挙運動もできない。
だから、朴槿恵大統領自身が選挙運動をしたり演説会に出たわけではない。
それでも、今回の総選挙は、2013年2月に発足した朴槿恵政権にとって最初で最後の「中間評価」の国会議員選挙だった。
1期5年の大統領制の韓国で、総選挙とは「政局時計」を巡る争いだ。
現職の大統領にとっては、「中間評価」である総選挙で勝利して政権基盤を盤石にして2017年12月の次期大統領選挙までの政権運営をスムーズに進めたい。
できれば、次期大統領選挙でも影響力を確保したかった。
「政局時計」をゆっくり進め、政策遂行に集中したいのだ。
これに対して野党は、与党を追い詰めて政局を一気に「次期大統領選挙」に進めたい。
そういう意味で重要な選挙だった。
与党が惨敗したことで、韓国の「政局時計」は、2017年12月に向けて動きを早めることは間違いない。
朴槿恵大統領にとっては手痛い結果だった。
』
『
JB Press 2016.4.18(月) アン・ヨンヒ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46611
日本死ね!
より怖い、ヘル朝鮮、脱朝鮮
総選挙で敗北喫した与党、背景には国家不信
●米国は韓国人にとって憧れの地。写真はビザ問題で米国公演が中止になった女性グループ「Oh My Girl」のメンバー。IMAGINECHINA提供(2015年10月23日撮影)〔AFPBB News〕
日本で「日本死ね!」というネットに書き込まれた言葉が国会でも取り上げられるほど注目を集めたが、最近韓国でも同じような現象が起きている。
韓国では「韓国死ね」ではなく、「ヘル朝鮮」または「脱朝鮮」という。
なぜ韓国でなく「朝鮮」なのか。
韓国は、正式名称が「大韓民国」だが、それ以前に「朝鮮(1392年~1910)」という国号を使っていた。
朝鮮時代は、国王をはじめ生まれながらに身分制度がはっきり分かれており、どうあがいても下層階級から上層階級にのし上がることはできなかった。
それが国家の近代化を遅らせた。
■朝鮮という言葉の重苦しいイメージ
朝鮮という言葉には、そういう重苦しいイメージがつきまとっている。
さらに、その朝鮮に接頭語として「ヘル(Hell :地獄)」を付けることで、生き地獄のような息苦しさを表現したのがヘル朝鮮。
そこから派生して「地獄火の半島」という言葉まで生まれ、余計に地獄絵図を思い浮かばせる。
韓国は何でも新しいことがあると、塾ができたり、サイトが立ち上がるが、今回も例にもれず「www.hellkorea.com」というサイトが立ち上げられた。
ここには様々なヘル地獄に対する直訴が書き込まれている。
例えば、就職難、住宅難、外見至上主義、サービス残業、待機児童問題などである。
「脱朝鮮」は、その名の通り、ヘル朝鮮から抜け出すという新造語である。
不平等極まりない韓国に見切りをつけて、他の国へ移民なり、移住をしようとすることである。
どちらも、最近の若者が作り出した造語で、ネットに限定されていたのが、マスコミが使いだすことによって、さらに大衆化した。
「ヘル朝鮮」の根幹にあるのは、
「いくら努力しても変わらない社会」「実力本位でない社会」だ。
4月13日に行われた国会議員選挙では「ヘル朝鮮を変えよう!」というフレーズがたくさん聞かれた。
選挙で野党の議席を増やし、今の政権に対してもっと進言して、もっと暮らしやすい国に変えようというわけだ。
ある高校生は、今の世の中を変えるために、投票権のない自分に代わってぜひ大学生たちに投票してほしいと願う内容の壁新聞を作って張り出した。
■目指すは海外移住
ある名士は、投票しないのは、この国を変える意志もないので、結局ヘル朝鮮を作り出しているのは君たちだと断言した。
しかし、与党も野党もそれほど変わるのかなあと、疑心暗鬼になっている人たちは投票もせず「脱朝鮮」を夢見る。
昨年、韓国国籍を捨てた人は、1万7529人。
彼らは、
米国(1万515人)、
カナダ(3550人)、
オーストラリア(1221人)、
日本(587人)
などの国籍を取得した。
また、今年実施された調査でも、78.6%が「脱朝鮮」を考えており、それに向けて着実に貯金やケ(日本の頼母子講のようなもの)に入ったという人たちもたくさんいた。
先述したサイト(www.hellkorea.com)の主画面には「竹槍の前では万人が平等である」という文句が掲げられている。
書き込みに賛同する場合は、「ヘル朝鮮」、賛同しない場合は「竹槍」をクリックする。
サイト管理者は、あるインタビューで「『竹槍をくれ』という言葉は、ひどく自己破壊的な放棄宣言と言える。
韓国社会にはもう答がないから『お前も一刺し、俺も一刺しで一緒に死のう』
という意味を持っている」と答えている。
若者たちの行き着くところは、竹槍になってしまうのか。
死にたくなければ、脱朝鮮しか答はないのか・・・。
それでなくても韓国人は海外留学の末、その国に居座る人たちが多い。
親戚を見回せば、誰かしら海外(特に米国)に居住しているといったことがざらにある。
■肩身は狭くても豊かさ求め海外へ
海外に住む親戚たちは、マイナーではあっても努力すれば良い暮らしができ、子供たちの教育でもおおらかに感じられる。
例えば、韓国の受験ではまず良い大学に入れないような子供が外国で勉強したら、自分の特技を生かして良い大学に入れたとか聞かされると、国内に住む身にはなんと羨ましく感じられる。
「隣の芝生は青い」のだとは思うが、やはり憧れる。それだけ韓国は重苦しいのだ。
4月13日の選挙の結果は、選挙の女王と誉れ高い朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる与党は議席の半分を占めることができなかった。
選挙前に謳っていた公約をきちんと守って、ぜひ「ヘル朝鮮」から脱してほしいものだ。
』
現代ビジネス 2016年04月25日(月) 木村幹(神戸大学大学院教授)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48515
韓国政治が落ちた「罠」
〜総選挙「与党大敗」、政権はもはや意思決定力を失った
■与党勝利は確実視されていたが……
4月13日に投票、即日開票された韓国の国会議員選挙は何重もの意味で、奇妙な選挙だった。
最初に選挙結果が奇妙だった。
選挙直前のあらゆる世論調査において、与党セヌリ党が野党を大きくリードしており、どう転んでも与党の過半数議席維持は動かないものと予想されていた。
そもそも、本来なら与党最大のライバルになるはずであった最大野党「新政治民主連合」は昨年12月、この選挙における候補者選びを理由の一つとして「共に民主党」と「国民の党」の二つに分裂し、両者は選挙直前の候補者調整にも失敗していた。
結果、全300議席のうち257議席に野党2党の候補者が乱立し、ただでさえ少ない野党支持票を分け合わざるを得なくなる、とみられていた。
与党の背後に控える朴槿恵政権自体もまた、任期4年目の韓国大統領としては異例の高支持率を誇っており、その勝利は疑いないものと思われていた。
にもかかわらず――ふたを開けてみて明らかになったのは、与党セヌリ党の大敗、しかも選挙前の過半数を失ったのみならず、最大野党「共に民主党」にさえ後塵を拝する第二党への転落(ただし、選挙後、無所属当選者から復党者が出たことで、セヌリ党が第一党になることは確実視されている)という結果だった。
さらに奇妙だったのは、このような国会議員選挙の結果が必ずしも、この選挙で政権発足から3年余りを経た朴槿恵政権の施策が真剣な議論の対象とされ、国民から手ひどく批判された帰結でさえなかったことだった。
実際、選挙直前から選挙期間中、韓国のメディアはこの選挙における具体的な政策的争点について、重点を置いて報じなかった。
代わりに、与野党双方の候補者選びをめぐる混乱を連日のように報じ、メディアは与野党の指導部を厳しく批判した。
事実、与党セヌリ党と最大野党「共に民主党」がこの選挙における前候補者を確定できたのは、選挙における候補者登録のわずか数日前であり、当然、その選挙運動も混乱に満ちたものだった。
■与野二大政党「党内の混乱」の意味
重要なのは、この時点では与野党、とりわけ与党セヌリ党と野党第一党である「共に民主党」が共に大きな批判を浴びており、にもかかわらず、その選挙結果が対象的なものとなったことだった。
与党セヌリ党が大敗する一方で、選挙直後の第一党になったのは、同じく候補者選びをめぐって混乱を重ねた「共に民主党」だったからである。
ここから選挙における最初の問題がみえてくる。
つまり、なぜ同じように混乱し、批判されていたはずの与野二大政党の選挙における運命が、かくも大きく分かれたのか、ということである。
とはいえ、この一見不可解に見える現象に対する答えは、実は単純なものだった。
それは「党内の混乱」が持っていた意味が両党では全く異なっていたからである。
野党「共に民主党」の候補者選びをめぐる混乱は、党首に相当する非常対策委員会代表を務める金鍾仁が自らを当選確実な比例上位に位置付けたことを中心とするものであった。
その批判は所詮、分裂の危機に直面した同党が臨時に担ぎ上げた「調整型」のリーダーの資質をめぐるものに過ぎなかったのだ。
金鍾仁は来年に行われる大統領選挙においても有力な候補者とは目されておらず、ゆえにその批判は党全体の信用失墜には繋がらなかった。
だが、セヌリ党では状況が異なっていた。
同党の代表、金武星は選挙直前の段階で、与党における最有力の大統領候補と見られており、彼にとってこの選挙における勝利とは、その立場をさらに盤石にするはずのものだった。
だからこそ、与党内部での混乱は即座に金武星への批判へと繋がり、ひいては同党そのものの信用失墜に直結した。
しかしながら、この問題をさらに深刻化させたのは、強引な候補者選びが、「大統領との関係の良し悪し」を基準として行われたことだった。
セヌリ党内は大統領に近い「親朴派」とこれから拒否を置く「非朴派」に分裂し、「親朴派」によって占められた執行部からは、「非朴派」の有力者に対して、「大統領との関係を考えて自ら離党すべきだ」という発言まで飛び出した。
国会議員選挙の候補者選びが、有権者や党員の支持によってでもなければ、政府の政策への支持でさえなく、「大統領との個人的な関係の良し悪し」を正面に出したことにより、与党の候補者選びをめぐる混乱は、単なる党執行部の問題に留まらず、直ちに大統領による政党私物化への批判へと繋がった。
結果、この混乱の直後から、セヌリ党と大統領の支持率は並行する形で急激に下落、同選挙での与党惨敗へと帰結することとなった。
■大統領は打つ手がない
当然、このような総選挙における展開と結果は、今後の韓国政治に大きく影響を及ぼすことになる。
国会は二つの野党、つまり、最大野党である「共に民主党」と、次期大統領候補の一人である安哲秀元ソウル大学教授が党首を務める「国民の党」が合わせて過半数を占め、与党セヌリ党に対峙する。
来年12月に大統領選挙を控えた両野党にとって、不人気な現政権と協力して得られるものはほとんどなく、ゆえに例えば二党のうちいずれかが与党と協調姿勢を取り、政権運営に協力する可能性は極めて少ない。
朴槿恵政権の支持率が低下した今となっては、大統領選挙を控える野党の有力候補者たちにしてみれば、「反朴槿恵」姿勢を明確にした方が、より多くの野党票を確保できることが明らかだからである。
このような国会をめぐる状況は、朴槿恵政権の政策遂行を著しく困難にさせることとなる。
だが状況がより深刻なのは、この選挙後には残された与党に対する大統領の統制も困難になる、ということだ。
大統領を支持する「親朴派」の権力失墜は、与党セヌリ党内部における「反朴派」の台頭を促すことになる。
与党内部への過剰な介入を批判される大統領がこの状況への巻き返しの為に党内に再び介入すれば、与党と大統領の支持率は再び大きく下落することになる。
議院内閣制をとる我が国とは異なり、相対的に大きな権限を与えられる韓国大統領であるが、世論の支持を失った状態では国会との全面対決の危険を冒してこの権限を行使するのも難しい。
大統領は打つ手もなく、自らから離反する与野党の状況を、指をくわえて見守ることを余儀なくされる。
■慰安婦問題をめぐる不人気な合意
結局、一言でいえば、朴槿恵政権はこの選挙の敗北により、
極端なレイムダック化状況に――しかも突如として――直面したことになる。
当然、現政権にはその準備はなく、今後の政権運営は著しく不安定なものとなることを運命づけられている。
そしてこの新たな状況は、韓国の外交政策にも深刻な影響を与えることになる。
このようにレイムダック化した政権には、国会や世論の意に反して、新たな意思決定や政策実現が困難になる。
もちろん、そのような状況は、昨年12月末に締結された日韓両国政府間の慰安婦問題をめぐる合意について典型的に表れることになる。
周知のように韓国では、この合意について過半数の人々が否定的に捉えており、70%以上の人々が合意の見直しが必要だと考えている。
だからこそ合わせて過半数を占める二つの野党の有力政治家たちもまた、その再交渉を訴えており、そのような彼らが大統領選挙を翌年に控えた状況において、この不人気な合意実現に、わざわざ協力すべき理由は何も存在しない。
同じことは野党だけでなく、慰安婦問題に関連する様々な運動団体にとっても同じである。
韓国政府関係者によれば、合意発表後には世論の強い反発に符合する形で合意反対へと転じたこれらの運動団体は、
実際には合意締結以前に韓国政府との綿密な事前協議を行っており、
韓国政府は団体関係者から合意実現への協力の確約を得た、と言う。
しかしながら、韓国政府自身が求心力を失った今となっては、これらの団体関係者が自らの姿勢を再反転させ、合意実現に協力する可能性は極めて薄い。
もちろん、そのことはこれらの勢力の反対により、韓国政府が合意実現への努力そのものを放棄するということを意味しない。
今年年初の記者会見で大統領自ら述べた様に、韓国政府は繰り返し合意実現への意思を強調しており、5月にも合意実現の前段階である財団設立のための準備委員会が開催される、と言われている。
日本と同様、財団の設立認可権は行政府が握っており、やろうと思えば韓国政府はその設立までは行えるかも知れない。
だが、仮に財団が設立され、日本政府から約束された10億円がこれに入金されたとしても、財団側に元慰安婦らに対する事業を計画し、実施する能力がなければ意味ある事業が実際に開始されることはない。
そもそも財団の設立には、これを運営する理事の選任や、財団運営の為のランニングコストを捻出するための予算措置――これがなければ財団は救済事業以前に日本から拠出される資金を自らの運営費で消費してしまうことになる――を行わなければならない。
選任される理事達が元慰安婦らや支援団体にとって受け入れられない人々なら、彼等は財団が実施する事業を拒否し、その受け入れを拒否することになるだろう。
■「沈む船」から「次の政府」へ
韓国政府に実施の意思があっても、その実現が困難になるのは他分野における協力も同様だ。
例えば、アメリカ政府は深刻化する中国の脅威拡大に備えて、共に自らの同盟国である日韓両国の軍事協力体制の整備を求めている。
その具体的な形は、日韓両国の間での軍事情報包括保護協定(GSOMIA)や物品役務相互提供協定(ACSA)締結への動きとなって表れている。
しかしながらこのような日韓両国間での軍事協力協定もまた、植民地支配に由来する日本「軍」への強い忌避感を持つ韓国国内では、著しく不人気なものとなっている。
事実、2012年7月、李明博政権末期に締結直前までこぎつけた軍事情報包括保護協定は締結の直前で反故にされている。
背景には当時の韓国与党セヌリ党、より具体的には当時の同党最有力大統領候補であった朴槿恵自身による、自らの選挙への悪影響を恐れた反対があったと言われている。
このような状況下、与野党、とりわけ与党内における次期大統領有力候補らの支持をも取り付けて、現政権がこれらの協定締結へと進めるかどうかは怪しい。
しかしながら、そのことが慰安婦合意により、日本やアメリカとの協調路線へと回帰したかに見えた韓国が再びこれらと距離を置き、再び日米と対立する中国への傾斜を強めることを意味するのか、といえばそうではない。
なぜなら、レイムダック化した政権には、一旦動き出した政策の方向性を逆向きに再転換する指導力を確保することはさらに難しくなるからである。
仮に何らかの理由――例えば北朝鮮からの脅威のさらなる拡大――により現政権が再び中国への依存を深めようとすれば、アメリカとの協調を重視する与党内の保守政治家たちは一斉に政権に反旗を翻すことになるだろう。
もちろん、行政府が大統領によって握られている以上、野党もまた自らが望む政策を直接実行できるはずがない。
政権への対立姿勢を強める彼らができるのは、国会を支配したまま来年12月の大統領選挙を待つことだけである。
韓国にとってもう一つの懸念材料である北朝鮮に対する政策も同様である。
拡大する脅威に対して強硬姿勢を主張する与党と、開城工団閉鎖をはじめとする政府の強硬姿勢を「行き過ぎ」だと批判する野党の間で、現政権はいかなる新たなる施策も打ち出すことが困難になる可能性が強い。
結局、待っているのは、
政権が意思決定能力を失い、
様々な政策が停滞する、
という状況である。
1987年の歴代政権に見られたように、国民の支持率を失って「沈む船」となったレイムダック化した政権からは、やがて政策ブレインたちも離反することになる。
自らの政治的影響力を保持し、また信じる政策の実現を求める彼らにとって、不人気な政権にとどまり続けることは次期大統領の下で影響力を維持する為には不都合だからである。
既に彼らの一部は有力大統領候補の周りに結集し、
「次の韓国政府」での政策実現の準備をはじめている。
■「分割政府」の罠に落ちた韓国
こうして総選挙後の韓国政治はレイムダック化した政権が意思決定機能を喪失し、停滞の時期を迎えることになる。
しかしながら、厄介なのはこのような韓国の状況は次期政権においてさえ続く可能性が強い、ということである。
この国会議員選挙では、与野3党のいずれもが過半数を大きく割り込んだ議席数しか獲得できず、しかも大統領制の下、国会解散のない韓国の次期国会議員選挙は4年後である。
つまり、政党の統廃合や連立政権が成立しない限り、次期大統領のそれを含む韓国の政権は「少数与党」の現実に直面することを余儀なくされる。
韓国は大統領制特有の「分割政府」の罠に落ちた訳である。
そして現在の状況において、このような状況を変えるような与野3党構造の急激な変化は期待薄である。
野党にとって不人気な与党と協力する理由はなく、加えて二つの野党もそれぞれ大統領選挙の有力候補者を抱えている。
国会議員選挙では、全国民の間での支持の大きさを示す比例区での得票率において、小選挙区を含む全体の議席数において第3党である「国民の党」が、第1党である「共に民主党」をも上回るというねじれ現象さえ生じている。
選挙で第1党になった「共に民主党」からすれば、第3党の「国民の党」に大統領の座を譲る理由はなく、逆に第3党の「国民の党」は、全国的な集票能力で上回る以上、仮に3党対決になっても自党が勝てる公算は大きいと考えることになる。
だからこそ、さらなる大きな状況の変化がない限り、与野3党はそれぞれの理由により、独自候補を抱えたまま大統領選挙に突入し、来るべき政権もまた現政権と同じ「少数与党」状況に直面し、著しく意思決定能力を欠いたまま立ち上がることになる。
「分割政府」の罠に落ちた韓国は、どのようにしてもう一度、政治的意思決定能力を回復することができるのか。
それともこのまま4年もの間、意思決定力を欠いたまま漂流して行くことになるのだろうか。
いずれにせよ、しばらくは不安定な状況が続くことになりそうだ。
』
『
東洋経済オンライン 2016年04月30日 キム・テユン :韓国『中央日報エコノミスト』記者
http://toyokeizai.net/articles/-/116241
韓国の大企業は、なぜ栄枯盛衰が激しいのか
当記事は韓国の経済誌「中央日報エコノミスト」掲載記事の日本語訳です
1980〜90年代、
韓国で財界トップを競ったのは、現代グループと大宇グループ
だったのを覚えているだろうか。
当時は両社の全盛期だった。
繊維事業で創業した大宇は、電子や自動車、建設業などにいち早く事業分野を広げ、1980年代に大きく成長した。
1990年代初頭、大宇の金宇中(キム・ウジュン、当時)会長が唱えた「世界経営論」は、韓国企業が世界で羽ばたくための出発点でもあった。
大宇は当時、西側諸国の企業が進出をためらっていた共産主義国家を含め、世界各地で活躍の場を拡張していった。
「世界は広く、やることが多い」。
金宇中会長のこの発言は、当時の流行語にもなった。
■大宇の痕跡はすっかり消えてしまった
10年にわたって大宇の事業規模は拡大したが、中身は芳しくなかった。
積極的な世界進出にともなって過剰な負債を抱えるようになり、経営の限界が迫っていた。
追い打ちをかけたのは1997年に発生した世界金融危機だ。
金融危機によってその経営の実態と限界を白日の下にさらされた大宇は翌1998年からあわてて構造調整を始めた。
しかし、結局失敗。
グループは解体に追い込まれた。
大宇自動車はゼネラル・モーターズ(GM)に売却され、大宇電子や大宇建設、大宇重工業などグループの主要企業も再建団の手に渡り、そこから新しい所有者の手に渡っていった。
現在でも当時のグループ内企業が数社、その命脈を維持しているものの、2016年現在、韓国経済において大宇グループの痕跡はほとんど消えたといっていい。
この30年間にわたる韓国国内30大企業が記されたリストを見ると、その変貌は激しい。
上位の企業はそれほど変化がないが、中・下位圏の企業のランキングが激しく入れ替わった。
4月3日に公正取引委員会が発表した
「2016年相互出資制限企業集団(大規模企業集団)の現況」によれば、2015年基準で資産総額が5兆ウォン以上の企業集団は65社。
関連会社は総計1736社。
資産は前年比79兆ウォン(約7.9兆円)増となる2337兆ウォン(約233兆円)となった。
これら65社合計の財務状況を見ると、前年よりは改善している。
負債比率は低下し、当期純利益は増益となった。
当期純利益は55兆ウォン(約5.5兆円)、前年比約13兆ウォン(約1.3兆円)の増益。
しかし、売上高は3年連続の減収となり、65社の売上高総額は1403兆4000億ウォン(約140兆円)で前年比6.8%減。
売上高が減少し、純利益が増える「不況型」黒字だ。
■420社から1036社へ
大規模企業集団としてリストアップされる基準は、「資産総額5兆ウォン(約5000億円)以上」だ。
かつては4000億ウォン(約400億円)以上だった。
2002年に2兆ウォン(約2000億円)になり、2009年に5兆ウォン(約5000億円)へと引き上げられ今に至っている。
1986年までは、30大企業に挙げられた企業のなかにはグループ内企業が2、3社しかないところもあった。
それは、いわゆる「たこ足企業」と呼ばれる前の、大企業による拡張政策がとられる前だったためである。
当時の30大企業のグループ内企業を合計すると420社。
2015年のそれは1036社だ。
売上高では、サムスンが348兆2000億ウォンと前年に続きトップ。
現代自動車が209億7000億ウォン(約21兆円)となり、
韓国電力公社(208兆3000億ウォン、約20兆円)を抜いてナンバー2となった。
前年28位だった東部(トンブ)グループは構造調整の影響で45位に転落。
ロッテは活発なM&Aを繰り返し、4位のLGの背中が見えてきた。
サムスングループから4社を買収したハンファは、大企業集団の中で資産額を増やしている。
1986年当時の30大企業のうち、現在まで生き残っているのは10社。
サムスングループは、「大企業のうちの1社」から「ダントツナンバー1」企業となった。
1993年までは現代や大宇に続いて資産規模では3位だったサムスンは、1994年に初めてトップに立つ。
グループ内上場企業の時価総額でも1993年には現代、大宇、ラッキー金星(現LG)に次いで4位だったが、1994年にトップになって以降、今でもナンバー1の座を保っている。
サムスンの売上高と株式時価総額を見ると、1986年当時と比べてそれぞれ32倍、33倍にふくれあがった。
2012年には韓国企業で初めて売上高300兆ウォン(約30兆円)を突破、韓国証券取引市場全体の時価総額の4分の1を占める大企業に躍り出た。
かつて、自動車産業に参入する際に苦杯をなめたものの、半導体や家電、携帯電話を主事業として競争力を維持している。
もちろん、韓国を代表する世界企業であり、「SAMSUNG」ブランドは世界で浸透した。
■現代グループは分裂が奏功
1986年当時韓国トップ企業だった現代グループは、オーナー一族の権力継承の過程で現代自動車グループ、現代重工業グループ、現代グループに分裂した。
しかし、分割される前と比べると、現代自動車グループの規模は5倍以上に拡大した。
自動車業界において、現代自動車は韓国国内でライバルのいない圧倒的強者である。
世界市場でも5〜6位をキープ。
品質とブランド面でもグローバル企業の地位を獲得した。
現代重工業はこの数年続く造船不況のあおりを受けているが、それでも財界で10位に入っている。
現代グループのように分離した企業集団はほかにもある。
LGから分裂したGSだ。
LGは6位、GSは9位に付けている。
LGは電子と化学、GSはエネルギーと流通業界で確固たる地位を築いた。
1986年には10位だったSK(当時は鮮京、ソンギョン)は、2005年に3位へ上昇した後、10年間その座を守っている。
資産規模、売上高、時価総額とも当時より10倍以上増えており、大企業集団の中では、サムスンに次ぐ成長を見せた。
1970年代初頭に精油事業を始め、この分野でトップ企業にまで成長した後、1994年に移動体通信事業を開始、携帯電話ではトップシェアとなっている。
2012年には半導体メーカーのハイニクスを買収して新領域への挑戦を新たに始めた。
ロッテグループは、1986年当時に大企業集団に名前がなかったことが、今となっては奇異に感じられる。
1986年当時16位だった斗山(ドゥサン)グループは、30年経った今でも同じ位置にいる。
1986年当時に財界5、6位だった国際(クッチェ)グループと双龍(サンヨン)グループは、共に歴史から消えた。
1985年に当時の全斗煥政権によって事実上解体された国際グループは、翌86年12月に韓一(ハニル)グループに吸収された。
なぜ国際グループが解体されたのか、その過程は今でも謎として残されている。
1939年に石鹸メーカーとして出発した双龍グループは、保険や貿易、セメント、重工業、建設と時代の変化に合わせてその事業領域を拡大し、1990年代までは成長を続けた。
だが、自動車事業の失敗を契機にグループの足下が大きく揺らいだ。
最終的には1997年の世界金融危機が引き金となり、主力企業である双龍製紙や双龍自動車、双龍精油、双龍重工業の順に売却、結果的にその姿を消した。
双龍建設も2014年に上場廃止となった。
また、1986年に8位だったポムヤン商船はSTXグループに吸収され、高麗合繊は高合(コハプ)グループとなってその命脈を維持しているが、規模は縮小した。
■M&Aによりベンチャー企業が大企業集団に
新顔も目立つ。
ベンチャーから出発したカカオ(IT、通信など)とセルトリオン(バイオ医薬品の開発)が初めて、大企業集団入りを果たした。
2016年は、カカオ、セルトリオンだけでなく、ハリム、SH公社、韓国投資金融、錦湖(クムホ)石油化学の6社がリスト入りとなった。
カカオは2016年1月にロエンエンターテインメントを買収し、資産額が5兆1000億ウォン(約5100億円)となった。
グループ内企業も45社と増加している。
セルトリオンは資産価値が5兆9000億ウォン(約5900億円)となったが、これは株価が大きく上昇したためだ。
ハリムは2015年、資産規模が4兆2000億ウォン(約4200億円)のパンオーシャンを買収して資産価値が9兆9000億ウォン(約9900億円)へ上昇、ランキングでも38位となった。
これら新参にとって、大企業集団入りは必ずしも喜ぶべきものにはならない。
大企業集団に指定されると、グループ会社間の相互出資と新規の循環出資、債務保証、企業内取引ができなくなるためだ。
大規模な内部取引や非上場企業重要事項、企業集団現況といった経営上の主要内容も公開義務が生じる。
カカオはこの影響をすぐさま受けた。
推進中のネット銀行事業に支障を来すことになったのだ。
現在、国会ではネット専門銀行に限って「金産分離」(産業資本の銀行による株式所有を制限するもの)原則を適用しない、あるいは緩和する法案も上程されている。
しかし、この法案では事業主が大企業集団ではないと適用されない。
一方で、サムスンの資産規模の70分の1であるカカオが、サムスンのような大規模企業と同じ規制を適用されることは不公平ではないかという問題も指摘されている。
全国経済人連合会(全経連)は、資産基準を現在の5兆ウォンから10兆ウォンに引き上げる必要があると政府に提案している。
大企業集団の指定にともなう各種規制が大きな負担となっており、中堅企業の成長意欲を阻害するというのが理由だ。
公正取引委員会も基準引き上げの必要性は認めているが、実際に引き上げるかには慎重な立場を崩さない。
同委員会のクアク・セボン競争政策局長は「大企業集団の管理をどう効率化するかという観点からすれば、引き上げる必要はある」と述べるものの、「引き上げを推進するか、するならその方法や内容はどうするかについては、まだ決定したものはない」と言う。
■大企業グループでも二極化が顕著に
数多くの大企業が、数多くの危機を乗り越えながら韓国経済を成長させてきたが、大企業と中小企業の二極化が進んでいることは問題だ。
一部の大企業が成長している間に、中小企業は依然として大企業との依存関係から脱却できずにいる。
韓国全体の輸出に占める大企業の割合が、2013年の66.8%から2014年66.1%、2015年64.1%と漸減しているが、それでも3分の2が大企業によるものだ。
雇用もまた、中小企業が雇用全体の87%を占めるが、賃金は大企業の62%程度にすぎない。
大企業の中でも二極化が深まっている。
大企業集団のトップ層の中で、サムスンや現代自動車、SK、LGなど4社の資産総額はこの5年間で27.3%増加したが、下位20社(11〜30位)の資産総額は1.5%増に留まっている。
15年の売上高で、上位4社の平均売上高は157兆6000億ウォン(約15兆円)。
一方、下位20社のそれは11兆1000億ウォン(1.1兆円)だった。純利益でも上位4社が30社全体の90%を占めている。
(韓国『中央日報エコノミスト』2016年4月18日号)
』
【2016 異態の国家:明日への展望】
_