2016年3月3日木曜日

日本人は恐ろしい!(1):何度でもあきらめない! 日本の幼稚園児の「跳び箱チャレンジ」に

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●涙の10段跳び  園児の頑張りに感動の嵐
2016/02/24 に公開


レコードチャイナ 配信日時:2016年2月29日(月) 8時20分
http://www.recordchina.co.jp/a130041.html

跳び箱に何度も失敗した男の子が…、
日本の感動動画に中国人も涙腺崩壊

 2016年2月29日、中国のインターネット上で、日本で撮影されたある動画が大きな話題を呼んでいる。

 動画では、幼稚園児とみられる男の子が10段の跳び箱を跳ぼうとする様子が映っている。
 園児や先生、父兄から応援の声の中で何度もチャレンジするが、跳び越えることができず、男の子は泣き出してしまう。
 すると、先生の呼びかけでほかの園児たちが男の子を中心に円陣をつくり、「できる!できる!できる!」と励ます。
 円陣が解け、男の子が意を決したように跳び箱へ向かって突進してジャンプすると、両足は跳び箱を超えて見事に成功。
 大歓声が上がった。

 この動画は、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)や中国のポータルサイト・網易などに転載されたほか、中国の各メディアでも取り上げられ、大きな反響を呼んでいる。

 ネットユーザーからは、
 「あきらめない精神が素晴らしい」
 「跳べたとき、思わず拍手しちゃった!」
 「誰一人として笑わず、励まし続ける。これが重要なんだ」
 「この民族を恨んでもいいが、敬服しないわけにはいくまい」
 「涙が出てきちゃった。中学生の時、跳び箱を跳べない女の子が泣いてるのを見て、あざ笑っていた自分が恥ずかしい」
 「自分の子どもにも、こういう雰囲気の中で成長させてやりたいと思う」
 「なんでかな。日本が好きになったよ」
など、絶賛するコメントが数多く寄せられている。
 中には、
 「100年経っても追いつけない」
 「日本ともう一度戦っても、やはり負けるだろう」
 「これが差だ。釣魚島(尖閣諸島)はもう日本にあげちゃおう」
といったコメントも見られる。

 中国のメディアやネットでは、日本の幼少期からの教育を手本とすべきという考えが強く、関連の情報がたびたび伝えられている。



サーチナニュース 2016-02-29 14:27
http://news.searchina.net/id/1603602?page=1

何度でもあきらめない! 
日本の幼稚園児の「跳び箱チャレンジ」に、中国ネット民が感動

 なかなか成功できないことに対して、何度でもあきらめずに挑戦する姿というのは美しいものである。
  それが幼い子どもによるチャレンジであるとしたら、きっと現場に居合わせた多くのギャラリーの涙腺が崩壊することだろう。
 中国の動画サイト・秒拍でこのほど、日本の幼稚園児が飛び箱にチャレンジする動画が掲載され、多くの中国人ネットユーザーを感動させたようだ。

 秒拍に掲載された動画では、幼稚園のホールらしき場所でのシーンが収録されている。
 ステージと父兄用の椅子席のあいだに10段ほどの跳び箱が用意され、園児の1人が成功するまでチャレンジするのだ。
 ステージ上に座るほかの園児たちや父兄らによる「がんばれ」の声のなか、何とか飛ぼうと助走する園児だが、自分の背より高い跳び箱の壁に跳ね返されてしまう。

 悔しさからついには泣き出してしまう園児。
 しかしそれでもやめない。
 腕で涙をぬぐいながら挑戦する園児の姿に周囲の声援はさらに大きくなる。
 すると、次のチャレンジをしようとする園児の周りにほかの園児が集まり出したではないか。
 そして、円陣を組んでみんなで「できるできるできる!」と叫びだしたではないか。
 この力強い応援の直後、園児はついに高い跳び箱の壁を跳び越すことに成功するのである。
 もちろん、場内は大きな拍手に包まれた。

 動画のコメント欄には、
 「成功した瞬間泣いた」、
 「得も言われぬ感動」、
 「日本は恐るべき民族」
といった感動コメントが続々と寄せられている。
 「これこそ教育の力」、
 「中国の子どももこんな風になってほしい」
との感想もあった。
 中国語で「がんばれ」は「加油」だが、あるユーザーは小学校時代のクラス対抗競技で「漏油、漏油」とまるでヤジのような応援をしていたことを思い出し、「すべきでなかった」と反省したようだ。

 もともと成功する見込みがないのなら、こんな高い跳び箱を用意することはないはず。
 普段は結構成功するが、みんなが見ている発表の場というプレッシャーで混乱し、上手くできなくなってしまったのかもしれない。
 最後まであきらめなかったこの子も素晴らしいが、最後まであきらめさせなかった園児や父兄、教員も素晴らしい。
 挑戦と挫折、そして成功の体験は、必ずやこの子にとって大きな財産となることだろう。



サーチナニュース 2016-03-03 14:35
http://news.searchina.net/id/1603951?page=1

日本の幼児教育はすばらしい!
中国の保護者の間で反響を呼んだ理由

 日本の幼稚園児が跳び箱にチャレンジするという動画が、中国の保護者たちの間で非常に大きな反響を呼んでいるようだ。
  日本の教育の質は非常に高いと称賛する保護者も多いようだが、中国メディアの網易はこのほど、幼稚園児または小学生の子どもに対する日本の教育の内容や質について分析している。

 記事はまず「跳び箱チャレンジ」の動画が中国人の保護者たちに与えた影響について紹介。
 2才の子どもを持つという中国人の母親は仕事の関係で夫と共に日本で生活しているが、子どもは一時的に中国の両親に預けてある。
 しかしこの動画を見て日本の教育の質の素晴らしさに感動、子どもを日本に連れてきて日本の教育を受けさせる決意が固まったそうだ。
 この母親は「中国の教育は失敗している」とも感想を述べている。

 これを受けて記事は、日本の教育が優れていると評価できるいくつかの点を具体的に紹介している。
 まず、幼稚園児たちに自分たちで料理を作らせる授業があると説明。
 子どもたちは自ら料理を作ることを通じて、「食べ物を無駄にしない」気持ちを身に着けることができると分析。
 反対に中国の場合、大人たちはテーブルいっぱいの料理を注文して見栄を張るが、食べ物は無駄になってしまうと指摘した。

 また老人ホームを訪問する授業やゴミ拾いをさせる授業を実施、こうした教育を通じて、子どもたちに社会に貢献する意欲や責任感を育ませると評価。
 中国では走行中の自動車からゴミを投げ捨てる光景も見られるが、確かに幼いころに施される教育は大きな違いを生じさせている。

 また日本では様々なクラブ活動に参加することができると記事は説明、反対に中国の教育の場合は子どもたちの時間のなかで勉学が非常に大きな比重を占めており、有名大学に進学し、一流企業に就職するのが「至極まっとうな」人生であると捉えられている。
 記事はこうした教育方針の違いによって、
 日本には「様々な分野」に優秀な人材がいる
 それに対して
 中国はいわゆる「秀才」しかいない点に表れている
と指摘している。
 
 さらに、日本の教育では子どもたちに「正座」を教えると紹介、小さな頃から正しい姿勢を通して礼儀を表す「厳しい訓練」を受けていると指摘。
 姿勢は心の状態を表すものともいえるが、確かに従順な子ども時代に正しい姿勢を通して礼儀を表す心を身に着けさせる教育には大きな価値があるといえよう。
 中国人旅行客の多くが日本人の礼儀正しさに感銘を受けるのはこうした教育の効果もあるに違いない。



レコードチャイナ 配信日時:2016年3月4日(金) 6時50分
http://www.recordchina.co.jp/a125719.html

中国人女性「子どもは日本で育てたい」
=日本と中国、教育の違いはどこにあるのか

 2016年2月29日、中国のインターネット上に、日本と中国の子どもの教育について比較する記事が掲載された。

 中国では先日、日本で撮影された動画が伝えられ、大きな反響を呼んだ。
 動画は、幼稚園児とみられる男の子が10段の跳び箱を跳ぼうとする様子を映したもので、周囲の応援の声を背に何度もチャレンジするもののうまくいかずに泣き出してしまう。
 すると、ほかの園児たちが男の子を中心に円陣をつくり、「できる!できる!できる!」と励ます。
 そして、もう一度チャレンジして見事に成功するという内容だ。

 この動画は、中国人にどのような思いを抱かせたのか。
 記事では、ある在日中国人女性のコメントを紹介している。
 そのコメントは次のようなものだ。

 「私は日本で生活しているママです。
 私には2歳の子どもがいます。
 子どもは中国国内の両親の元に預けていて、年末には日本に連れてこようと夫と相談していましたが、これを見てその思いが強くなりました。
 中国の教育は確かに失敗しています。
 どこに行ってもお金で解決しなければならず、日本で育てるよりもお金がかかります。
 私たち両親にも責任があります。
 甘やかして育てるのは、子どもたちに良くありません。
 私たちの子どもは日本の子どもにも負けないと信じています。
 でも、井の中の蛙ではいけないということを自覚しなければなりません」

 これを受け、記事は日本と中国の教育の違いについて分析している。

★.まず食事について。
 「日本では子どもの時から食べ物を大事にすることを学ぶ。
 外食するときも食べられる量を注文して足りなければ追加するというように、残さないようにする」と紹介している。
 「中国人のように食べきれないほどの料理を一気に注文して、無駄にしてしまうことはない」
というのだ。

★.次に、寒さに耐えられる体作りだ。
 中国で日本の教育が紹介される時のおなじみのテーマの一つ。
 日本の子どもは冬でも半そで半ズボンで運動したり、裸で乾布摩擦をしたりするが、これは中国では「あり得ない」ことだ。
 「日本の子どもはこうして寒さに耐えられる能力を身につけるが、
 われわれは生まれた時から子どもを厳重に管理し、少しの寒さや病気を心配している
などと紹介している。

★.さらに、恋愛についても違いがある。
 中国では子どもの恋愛には保守的で、学校も親も受け入れないというスタンスの人が多い。
 これは、早い時期の恋愛は心身の健康を害したり、成績に影響したりすると考えられているためだ。
 しかし、日本では交際相手がいる小中学生も珍しくない。
 これについて記事は、
 「子どもの恋愛をことさらに問題視しないのは、押さえ付ければ押さえ付けるほど逆効果になると考えているからだ。
 だが、これは管理を放棄しているわけではなく、子どもの自然な成長に寄り添い、話を聞いていく中で、正しい方向へと導いているのだ」
としている。

★.また、通学の送り迎えにも違いが現れる。
 日本では集団登校や一人で通学することが当たり前だが、中国では小学生でも両親や祖父母が送り迎えをする。
 記事はこうした中国の慣習について、
 「子どもの独立性が育めないだけでなく、
 どんな車に乗っているかといった親同士の見栄の張り合いによって、子どもに他人と比べる心理を植え付けてしまう」
と指摘している。

 このほか、
 日本の学校には、さまざまなクラブ活動があることも中国とは異なる。
 中国の親は子どもの成績を非常に重視しており、興味や趣味は二の次だ。
 一流大学に入り、一流企業に就職することが最大の目的となっている。
 一方、日本の親は子どもの長所を見極め、伸ばしてやることを考える。
 記事は、
 「日本はさまざまな分野で人材が生まれるのに対して、
 中国では勉強しかできない子が生まれる理由がわかる」
としている。
 「教育に正解はない」などとも言われるが、少なくともどんな子どもにも平等にチャンスが与えられる社会であることが大切ではないだろうか。



サーチナニュース 2016-03-06 11:25
http://news.searchina.net/id/1604100?page=1

理解不能!日本の子どもたちは薄着で「関節炎にならないの?」=中国

 日本と中国は地理的にも距離が近く、日本文化の多くも中国由来のものも多い。
  しかし、子育てに関しては相反する考えが少なくない。

 中国メディアの今日頭条はこのほど、冬場の日本では子どもたちが薄着で生活している様子を伝えつつ、
 「子どもたちが関節炎になるのではないか」
と懸念を示す記事を掲載した。
 中国では一般的に東洋医学の考え方に基づき、体を冷やすことを極度に嫌う人が多い。
 特に冬場は身動きが取れない程に厚着させられている子どもたちを目にする。

 中国では
 「体を冷やすと関節炎になるため、薄着はいけない」
と言われている。
 現に中国の親は子どもに室内でもダウンジャケットを着せ、外出する時はその上からさらにダウンジャケットを重ね着させる人もいるほどだ。
 日本では「子どもは風の子」と言うが、中国ではまったく理解されない考え方だろう。

 一方で記事は、
 「関節炎の原因は寒さではなく、突然の温度変化が免疫を下げるから」
と説明している。
 そしてWHO(世界保健機関)の統計を基に、日本と中国の関節炎発症率に違いはないとも伝え、
 「体を冷やすと関節炎になるため、薄着はいけない」
という中国の伝統的な考え方は統計的には有意な差はないことを紹介した。
 それでも日本式の育児方法を
 「極端な育児方法」であり、「他の人の選択は尊重するが、自分の子どもには実践できない」
とした。

 文化や習慣には地域差があり、それぞれが尊重されるべきものだ。
 子育て方法についても同様であり、それぞれの習慣が科学的であるとは言えないが、それもふまえて文化の違いを理解するのも文化交流の醍醐味と言える。



サーチナニュース 2016-03-07 10:49
http://news.searchina.net/id/1604138?page=1

中国人が驚く、
日本の公立小学校教育の「均質」ぶり
・・・どのように成し遂げたのか=中国メディア

 4月は日本の入学シーズン。日本では私立や国立小学校を受験して入学するケースは圧倒的に少なく、大半の児童は地域の最寄りの小学校になかば「自動的」に入学することになる。
  中国メディア・文匯網は3日、
 「日本の小学校教育はどのように均質化を実現しているか」
とする記事を紹介した。

 記事は、公立小学校が日本国内の小学校の99%を占めており、児童は各学区の小学校に選抜試験なしで入学できると紹介したうえで、
 「教育リソース分配の不公平を防ぐべく、日本政府はさまざまな保障政策をとっている」
と説明。
 校長を含めた教員はみな公務員で、数年ごとに地域内でローテーションを行うこと、大都市でも農村でも音楽室、プール、グランド、体育館といった設備が整っており、校舎も地域の避難所にもなるほどの安全基準で作られていることを挙げた。

 「役所などの行政機関の建物がボロボロなのに比べて学校の建物はちゃんとしている」
と解説しているが、そこからは
 「学校などの公共設備の充実を後回しにして、立派な庁舎を建てる」
という中国の「逆転現象」を意識していることが伺える。

 また、公立小学校は授業料がなく、給食費などを納めればいいこと、学校給食が実施されるほか、毎日1本の牛乳が供されること、担任教師が実技科目以外すべての科目を担当すること、そして中国とは異なり「校門に迎えに来た保護者が群がる」ことはなく児童が自分で帰宅し、地域社会や保護者組織であるPTAなどが子どもの登下校の安全を確保することを併せて紹介している。

 記事は、日本の小中学校の義務教育における均質化が教育の普及、公平化推進という面で成功したものの、強い「平均主義」を生み能力や個性の突出を奨励しないという「副作用」も生んだと説明。
 特に今世紀初めに推進した「ゆとり教育」はかえって青少年の学習能力を減退させる結果となったとした。
 そして
 「現在の日本の小中教育は依然として新たな調整段階にあると言える」
と結んだ。

 時代の流れとともに、教育の在り方も変化していくものだろう。
 中国国内では過剰な競争を生む勉学至上主義的教育の変革が呼びかけられているが、記事が指摘するように、日本でも今の時代に合った小中学生の教育を模索中だ。
 気を付けなければいけないのは、自分たちの頃は「こうしていた」から、今の小学生もそうするのが当然だ、と決めつけてしまうこと。
 今の社会、来るべき未来の社会を見据えて、ベストの教育体制に変えていくことが求められる。



サーチナニュース 2016-03-16 15:31
http://news.searchina.net/id/1605019?page=1

日本と中国の教育はこんなに違う!'
ランドセル背負って登下校する日本の子ども

 米合衆国第36代大統領リンドン・ベインズ・ジョンソンは
 「米国ひいては世界のすべての問題に対する答えはただ1つの言葉に帰着する。
 それは教育だ」
と述べている。
 教育の重要性は誰もが理解する事柄だが、何を教育するかはさらに重要な問題だ。

 中国メディアの捜狐は、日本の小学生が学ぶ「内容」や「学習環境」が中国とは大きく異なっていることに注目し、日本の教育を紹介する記事を掲載した。

 記事がまず挙げたのは「体育」の重要性だ。
  日本では体育が「国語や算数と同様に重要」だとし、長距離走や水泳の授業があることを紹介している。
 中国にも体育の授業はあるものの、水泳の授業はなく、プールがない学校が大半だ。

 続いて、
 日本の子どもたちが冬でも薄着である様子や
 自分のランドセルを背負って歩いて登下校する様子、
 給食が準備されており、子どもたちの栄養面にも配慮がなされている様子
を伝えた。
 また「各学校にすべてに家庭科準備室があり、子どもたちに料理や洗濯などを教えていて、自分で働く意識と能力を培わせている」
と紹介。
 中国では子どもたちが家で料理を作ることは稀と言えるため、学校で料理を教わることは皆無といえる。

 さらに記事は日本の避難訓練の様子を伝え、
 日本は火山、地震、津波、土石流など災害が頻発する国」なので防災意識が高く、学校には備蓄食料や飲料水、その他の防災設備が整っていると紹介している。

 日本人にとっては、誰もが小学生のころに受けてきた普通の教育のようにも思えるが、中国メディアがわざわざ日本の教育内容について紹介したのは、それだけ日中で教育内容に違いがあるからだ。
 中国の教育はまさに「詰め込み教育」であり、テストの点数こそが評価の基準だ。
 子どもたちも大きなストレスに晒されており、ストレスが原因で自殺する小中学生のニュースも時折耳にするほどだ。

 日本が抱えるさまざまな問題を解決するには、将来を担う子どもたちに何を教えるのか、その教育の内容が重要だ。
 子どもたちがどのような環境で何を学ぶのか、大人は真剣に考えていく必要があるだろう。



サーチナニュース 2016-03-14 14:07
http://news.searchina.net/id/1604766?page=1

日本の教育は「レベル高すぎ」 
輝かしくて「直視」できない=中国メディア

   「爆買い」が象徴するように、中国では「日本製品」の素晴らしさが改めて注目されるようになったことで、中国人は「中国製品との差の原因は何か」に強い関心を持つようになった。
 「考え方が違う」との結論になり、「匠の精神」を再考する文章も増えた。
 さらに、「人づくり」、つまり「日本式教育」を高く評価する記事も目立つ状態だ。

 中国メディアの駆動の家はこのほど、日本に滞在して2歳の子を育てている女性が書いたとする文章を掲載した。
 「中国国内の教育が失敗していることは間違いない」
と論じ、日本について評価するのは「媚びるのではなく学習のため」と主張し、日本式教育の長所を列記した。

 筆頭に挙げたのは
★.「自分で料理をさせる」機会を設けることだ。
 中国人は面子(メンツ)のためにたくさんの料理を注文して、ほとんど捨ててしまうことがある。
 日本では子どもの時期に料理をすることの大変さを理解させるので、食べ物を無駄にすることも少なくなると論じた。

★.中国で賛否のある、寒い時期に薄着で屋外活動をさせる方法も、体を鍛えるために有効と主張。
 中国人の親によくある「病気になったらどうする」との考えでは、強い体はできないと批判した。

★.さらに、日本では「勉強の際に姿勢を正しくするよう指導する」と指摘。
 中国でかつて強調された「立った時には立った姿、座った時には座った姿を整える」を日本人は実行していると論じた。

★.また、日本で子どもらに老人用施設の訪問や街頭などでのごみ拾いを実践させていることを評価。
 成長してからも、社会に対する貢献を忘れない人間になると主張した。

 その他、趣味の団体に参加させることが多いことや、自分で登下校を指せることも評価した。

 中国では、日本の教育を称讃する記事が多く発表されているが、本文章の特徴として「早期の恋愛を認める」ことを、日本の教育の長所とした。

 中国では、中学生や高校生の恋愛が「タブー視」されることが多い。
 学校が「恋愛禁止」を明言することも多い。
 日本では親も教師も、子どもは好奇心も反抗精神も強いことを理解しているので、押さえつけても無理だと考えていると紹介。
 ただし、子との日常の会話で交際のことを話題にして、相手がどのような人物かを正確に理解するようにしていると指摘し、日本の親が自分の子の異性交遊を放任しているのではないと説明した。

 日本では一方で、早期の性教育も実施されていると指摘。
 日本も欧米と比べれば性教育のレベルが高度であるわけではないが、同じアジアの近隣国の中国よりも、はるかに充実していると評価した。



サーチナニュース 2016-03-07 10:15
http://news.searchina.net/id/1604134?page=1

中国人は考えた! 
日本から多数ノーベル賞受賞者が出る秘密は、日本人の財布の中にある!

 昨年、屠ユウユウ氏がノーベル医学・生理学賞を受賞して、中国本土の科学者初のノーベル賞受賞者となり、中国国内は歓喜に包まれた。
 一方、日本のノーベル賞受賞者数と比較し、その差の理由について論じる文章はなおも後を絶たない。
 中国メディア・捜狐でこのほど掲載された文章は、その説得力はさておいて実にユニークな観点から論じているので、紹介したい。

 文章は、日本はこれまでに20人以上のノーベル賞受賞者を輩出しており、欧米以外では最も多い受賞者を有する国であると紹介。
 2001年には日本政府が
 「50年内に30人ノーベル賞受賞者を出す」
という科学技術基本計画を立て、当時の世論を騒然とさせたが、
 「14年が経過した時点でその3分の1を実現してしまった」
とした。

 そのうえで
 「どうして日本はこれほど多くの受賞者を出せるのか」
と問題提起。
 その答えは「日本人の財布に入っている紙幣を見れば分かる」としている。
 「世界の大多数の貨幣に印刷されているのは政治家もしくは開国のリーダー。
 思想家や教育者、文学者、科学者が印刷されているのは日本円の紙幣だけだ」
と「そのココロ」を論じた。

 そして、現行の
 1万円札が明治の思想・教育家である福沢諭吉、
 5000円札が明治の女流作家・樋口一葉、
 1000円札が世界的な細菌学者・野口英世であり、
 旧5000円札にも明治の教育家・国際政治活動家である新渡戸稲造、
 旧1000円札にも文豪・夏目漱石
が描かれていたことを紹介した。

 文章は最後に
 「もちろんそれが、ノーベル賞を確約するものではなく、両者には何の直接的な関係もない」
と断ったうえで、
 「しかし、必ずや何がしかの隠れた関連性があると信じている」
と述べている。

 中国の現行紙幣も、文章が説明する「御多分」に漏れず政治家が紙面に描かれている。
 しかも、全て中華人民共和国建国の父・毛沢東という徹底ぶりだ。
 文章の指摘は当てはまっているとは言えないが、完全に的を外しているとも言い切れない。
 今後、中国の紙幣にも文人や学者が顔をそろえる時代がやって来るだろうか。



サーチナニュース 2016-05-09 11:03
http://news.searchina.net/id/1609228?page=1

お・・・恐ろしい!
日本の幼児教育は「尊敬に値すると同時に恐ろしさも」=中国

 政治や社会の仕組みが異なる日本と中国では、教育もまた仕組みが大きく異る分野の1つだ。
 また、中国ではこれまで1人っ子政策を長年にわたって実施してきたこともあり、子どもたちは非常にわがままに育つ傾向にあるとされる。

 日本では幼稚園や保育園のころから、子どもたちは集団生活を学ぶと同時に、自分のことは自分でするという自立心も養うことになるが、中国では小学生になっても登下校は親に送り迎えしてもらい、かばんも親に持ってもらうという子どもも少なくない。

 こうした過保護とも言える状況が当たり前の中国からすれば、日本の幼稚園や保育園における幼児教育は驚き以外の何ものでもないようだ。
 中国メディアの捜狐はこのほど、日本の幼稚園における教育内容を紹介しつつ、「尊敬に値すると同時に恐ろしさも感じた」と伝えている。

 記事は、日本の幼稚園や保育園は
 「科学技術を以って発達した日本の先進的な社会と対照的に非常に質素で、
 先進的な設備などは見当たらない」
と紹介。
 それは
 日本の幼児教育は「子ども本位であり、
 先進的な設備による教育ではないため」である
と指摘した。

 さらに、中国と日本の幼児教育の違いとして、
 日本では「自分のことは自分でする」として、子どもたちに自立を学ばせている
と紹介。
 日本では保護者が子どもたちの送り迎えをするとしても「子どもは自分の荷物は自分で持つのが普通」と紹介。
 さらに、服の着替えにおいても、子どもたちは自分で自分の服を着るのが普通であると伝え、何でも保護者が手を貸す中国との違いを指摘した。

 また、
 日本では幼児教育において重きが置かれているのは「知識」面のことよりも、
 笑顔や感謝など、いわゆる情操教育である
と指摘し、社会で生きていくために必要な根本的な要素を教えていると紹介。
 一方、中国では教育といえば年齢にかかわらず、知識の詰め込みしかなく、人として大事なことを教えることはないと指摘、こうした教育を受けた中国人は大学を卒業して就職活動を行う際も、父母同席でなければ面接もできず、コップに自分で水も注げなくなってしまうのだと主張している。


サーチナニュース 2016-05-19 10:25
http://news.searchina.net/id/1610081?page=1

中国人が驚愕
・・・日本の幼稚園が、子どもに教えているのは「ニコニコすること」だった!

 中国メディアや中国のネットユーザーが、日本の幼稚園や小学校について賞賛する記事や文章をしばしば見かける。
 その代表格は「冬でも裸で運動することで体力や精神力を養う」といった内容だ。
 それ以外にも賞賛の対象はあるのだが、中でも印象的なのは
 「日本の幼稚園は、子どもに笑うことを教える」という見方だ。

 中国メディア・捜狐は4月29日、
 「日本の幼稚園は一体何を教えているのか その答えはなんと、子どもを笑えるようにすることだ」
とする文章を掲載した。
 文章は、日本の幼児教育における、中国では見られない大きな特徴について列挙し、それぞれ論じている。
 例えば、「大小さまざまな袋を持たせること」。
 これは、ゴミの分別に見られるような仕分けの細かさに通じるものがあるのだという。

 ほかにも、
 「大人が送り迎えする際、子どもの荷物を持たない」、
 「自分で服を着替える」、
 「運動会に優勝者はいない」、
 「食育を重視している」、
 そして
 「冬でも短パン」
といった点について紹介している。
 「教育は最も廉価な国防であり、
 小さいころからしっかりとした教育を施すことが、
 強い国になるための資本を得ることになるのだ」
という論点だ。

 そして「笑うことを教える」という点だ。
 日本の幼稚園は知識教育に偏重することなく、英語や数学はもちろん、図工、音楽といったものも教科として存在せず、あくまで総合教育の一部であることを説明。
 「では一体何を教えるのか」
としたうえで
 「それは単に、子どもたちがニコニコすることなのだ」
と伝えた。
 日本ではどこでも、誰と話していてもにこやかであることが一番重要であり、
 「ニコニコしている女の子は最も可愛いのである」
と解説している。
 また、「ニコニコすること」とともに、
 幼稚園では「ありがとう」を言えるようにする教育も施されている
とした。

 往々にして
 「愛想笑い」、
 「仕事上の笑み」
などとの指摘を受けることもある日本人の「ニコニコ」。
 しかし、やっぱり顔に笑みを浮かべたり、「ははは」と笑うことは、人生にとって大切なことなのだ。
 先日、往年のホームドラマの名作がケーブルテレビで再放送されていたのをたまたま見た。
 主題歌には「いつも心に青空を いつも優しい微笑みを」という歌詞があった。
 そう、このドラマのタイトルは「ありがとう」なのである。




サーチナニュース 2016-06-11 14:33
http://news.searchina.net/id/1611805?page=1

日本はどうやって道徳教育を上手に社会に根付かせたのか=中国メディア

 モラルの向上、道徳心の復活が声高に叫ばれている今の中国。
 しかし、そのためには道徳教育の体制を整える必要がある。
 子どものころから道徳心を養わなければ、世の中は変わらないのだ。
 中国メディア・中国教育報は3日
 「日本の道徳教育は、どのようにして『ソフトランディング』したのか」
とする記事を掲載した。

 記事は、日本の道徳教育について
 「政府と社会の連動」、
 「学校活動への組み入れ」、
 「家庭と社会の密接な協力」
の3点から論じている。

1].「政府と社会の連動」では、
 内閣府が青少年同等教育の基本方針を打ち出し、警察庁、法務省、環境省、文部科学省などの関連省庁が協力しあって教育を進めていると紹介した。
 また、日本のどの都市にでも存在する公民館において道徳教育に関する各種講座の実施や、各種資料の提供などが行われているほか、宿泊研修を通じて青年の心身を養う総合施設の青少年センターも存在すると説明。
 これらの教育活動は文部科学省や各都道府県の教育委員会の指導により行われているとした。

2].「学校活動への組み入れ」では
 日本が1970年末より道徳教育を重要視しはじめ、小中学校では独立した科目として、高校では現代社会の内容として、体系だったかつ論理的な学習カリキュラムを構築していると紹介。
 特に小中学校では
 「自分自身、
 他人との関係、
 自然や崇高な事物との関係、
 集団や社会との関係」
という4つのカテゴリーに焦点を当て、身の回りの出来事を題材にリアリティのある教育を実施しているとした。
 また、道徳の授業のみならず、国語や算数といった一般教科、さらには各種活動にも道徳的観念を結び付けた指導が行われていると解説している。

3].そして「家庭と社会の密接な協力」では、
 戦後に西洋の経験から学んで設立されたPTAの存在に注目。
 PTAの活動を通じて、児童や生徒の学校外生活に対する指導を強化し、地域の教育環境の改善や充実を図ってきたと説明した。
 また、地域社会のみならず企業も道徳教育に貢献しているとし、社会道徳の充実に向けた企業による寄付やボランティア活動が盛んに行われていることを併せて紹介した。

 中国において社会道徳を再興させるうえで、強いトップダウンの力は確かに必要だ。
 しかし、それだけでは単なる「上からの押し付け」となってしまう。
 学校教育を動かし、家庭を動かし、社会を動かし、そして企業をもその動きに巻き込むよう導くためのプランとビジョンが必要とされるのだ。
 道徳心の形骸化自体も問題だが、それ以前に道徳教育の形骸化も避けなければならない。


人民網日本語版 配信日時:2016年6月18日(土) 0時50分
http://www.recordchina.co.jp/a141632.html

日本の「ゆとり教育」が中国の義務教育に劣る点―中国メディア


●日本の「ゆとり教育」が中国の教育に劣る点とはどこか。「ゆとり教育」は失敗の烙印を押されたが、日本社会が世界に先駆けてこの「教育実験」を断行した勇気は、大いに敬服に値する。

 日本テレビ(NTV)が今年4月に放送を開始した連続テレビドラマ「ゆとりですがなにか」は、「ゆとり世代(ゆとり教育の下で育ってきた若者)」3人が、仕事・家庭・恋愛・友情などさまざまなシーンで問題に直面し翻弄されつつも、自らの生活や人生に正々堂々と立ち向かっていくというストーリーだ。

 「90後(1990年代生まれ)は本当にダメだ」。
 これは、中国では頻繁に耳にする言葉だ。
 「90後」特有の生育環境から、彼らは社会で特殊な位置に置かれるようになった。
 だが幸いなことに、「90後」は中国語の文脈においては、完全に否定的な言葉という訳ではなく、社会には肯定的な評価もある。

 一方、「ゆとり世代」は日本ではやや否定的な意味合いを持つ言葉だ。
 「ゆとりですがなにか」の中で、男性主人公の上司が常日頃から、「だからゆとり世代はダメなのだ」と口にしている。
 この台詞は、「ゆとり世代」に対する日本社会全体の評価を代弁している。
 「ゆとり世代」とは何か?彼らはどんな特徴を備えているのか?
 彼らを描写するのになぜ「ドラマ」が作られたのか?

○「ゆとり世代」という言葉の誕生 

 1957年、旧ソ連が人類初の人工衛星を発射、欧州諸国に大きな震撼をもたらした。
 旧ソ連は、宇宙技術の発展で他国をリードする上でどのような優位性を備えていたのだろう?
 人々はその背景に、旧ソ連の難易度の高い数学教育があると考えた。
 そこで、欧州諸国はベクトルと行列の演算など難易度の高い知識を高校教育に導入することとした。
 数学は難しくなり、それに伴い理系の難易度もアップした。

 その当時、日本も欧州諸国にならい、高校数学の難易度を上げた。
 だが、ほどなくしてこのような「詰め込み教育」に対して、社会から批判が寄せられるようになった。
 世界規模で猛烈な勢いで数学・物理学・化学各科目の難易度が上がる動きが起こると、日本社会は
 「このような教育方式は、ただテスト対応マシンを育てているだけで、
 人徳・知性・身体・審美すべてがバランスよく発展したクリエイティブな人材育成には役立っていないのではないか」
と再考し始めた。

 そして日本社会は、対極に向かうようになった。
 「負荷増加」の動きよりさらに凄まじい「負荷削減」が始まったのだ。
 1982年から2002年までの間に、「学習指導要綱」は3回にわたって改正された。
 このうち、2002年に中学校(2003年に高等学校)で実施が始まった3回目の「学習指導要綱」改訂では、主に以下のように改められた。

1.学習指導内容と授業時間を3割削減 
2.「学校5日制」の完全実施 
3.絶対評価制度を導入 
4.「総合的な学習の時間」なる概念を新たに確立 

 いわゆる「ゆとり教育」とは、2002年に実施された3度目の改訂版「教育改革」を指す。
 前の2回の改訂と本質的に異なる点は、授業時間の削減と5日制の完全実施だ。
 授業時間の削減は、学習指導内容の削減を意味しているだけではなく、数学の計算トレーニングのための時間も大幅に削減された。

 この改訂により、「ゆとり教育」を受けた学生の基礎知識が脆くなったと同時に、多くの暗記と何度も繰り返す能力の向上はもはや期待できなくなった。
 これら2項目の改革によって被ったマイナス面は、数年経ってからだんだんと表面化し、ついには
 日本社会全体に「負担を減らす」ことに対する再考ムードが高まった。 

○1987年:ゆとり「第一」世代 

 2002年、1987年4月2日以降生まれの人々が中学3年に進級した。
 彼らは第三次「ゆとり教育」対象者第一弾となったため、「ゆとり第一世代」と呼ばれた。

 「ゆとり第一世代」+「昭和最終年生まれ」によって、彼らには最もユニークなアイデンティティが与えられると同時に、さまざまなレッテルが貼られた。
 これによって、ドラマの主人公たちのような「自己喪失感」が生まれることとなった。
 もともと、彼らは昭和生まれではあるが、本当の昭和生まれからは軽視され、「ゆとり第一世代」というレッテルが貼られた。
 後に続く「ゆとり世代」から見ると、「ゆとり第一世代」はやはり嘲笑の対象となった。
 平成生まれの若者の眼には「昭和生まれ」は「活気がない」「腐りはてた」人間に映った。

 また、1987年生まれが受けた「ゆとり教育」は、完全版の「ゆとり教育」ではなかった。
 実施1年目であったことから、多くの地方では新しい「学習指導要綱」を徹底実施できなかった。
 これにより、彼らは「自分はゆとり教育を受けた」と認識することはなかった。

 だが、彼らが大学を卒業するころ、日本は米国サブプライム危機が引き金となって起きたグローバル金融危機の真っただ中にいた。
 就職情勢は超氷河期を迎えていた。
 日本では、大卒生の就職市場は完全に買い手市場と化し、「就職なんて簡単」という大先輩の言葉とは全く正反対の状況となった
 企業の採用者数は大幅に削減し、面接の難易度や選抜基準は大幅に引き上げられた。
 「気づけばここは『競争社会』だった」という前出のドラマの台詞そのものの世界が、まさに展開していたのだ。

○日本が「ゆとり世代」に不満を抱く原因は? 

 問題が顕著に現れたのは、2003年のPISAの結果だった。
 経済協力開発機構(OECD)による国際的な生徒の学習到達度調査(英語:Programmer for International Student Assessment, PISA)は2000年にスタートした。
 15歳の生徒を対象に、3年に1度調査が行われている。
 PISAの実施目的は、教育方法と成果の改善にあり、現時点で世界で最も影響力を備えている国際学生学習評価プロジェクトの一つとなっている。

 PISAは主に、学生の読解力・数学的リテラシー・科学的リテラシーという3側面を考察するもの。
 アジアのトップを行く先進国である日本は、豊かな教育資源を備えており、学生の素質も当然極めて高い。
 よってPISA第1回目には、日本の数学的リテラシ―は世界トップ、科学的リテラシ―は第2位だった。
 読解力については、順位はそれほど高くはなかったが、諸外国と大きな差がある訳ではなかった。

 だた、2回目のPISA調査が行われた2003年になると、日本は、科学的リテラシ―が前回と同じ第2位だったが、残る2項目は大幅に順位を下げた。
 2003年に15歳になったのは、ちょうど1987年生まれの「ゆとり第一世代」だった。

 2006年になると、結果はさらに首をかしげるものだった。
 科学的リテラシ―は前回の第2位から第6位に、数学的リテラシ―は第6位から第10位に、読解力は第14位から第15位に、軒並み後退した。
 この結果に日本社会全体が大騒ぎとなり、「ゆとり教育は失敗だった」との烙印を押された。

 同時に、「ゆとり世代」が社会人となると、基礎知識の乏しさが産む社会的問題が噴出した。
 彼らは、学校を中退した訳ではなく、高卒以上の学歴をもっており、大学生や大卒生も多かった。
 このような現象は、「ゆとり教育」実施前の昭和時代には想像できないことだった。

 日本政府は急いでさまざまな対応策を制定した。
 同時に、学校側も「学習指導要綱」の内容を上回る内容を教え始めた。
 ついに、2009年のPISA調査で日本が名誉挽回、各項目で順位を上げた。
 だがその順位も、日本が誇る「アジアトップ」の地位に相応しいものとは言えなかった。
 日本政府も新「学習指導要領」の制定に急ぎ着手、「ゆとり教育」の全面廃止に向けた話し合いが始まった。

 中国に目を転じると、2009年から中国本土を代表してPISA調査に参加している上海は、2回連続で単項目の首位と総合首位を獲得した。
 この結果により、中国の義務教育は、日本が失敗に終わった「ゆとり教育」より大いに優位性を備えていることが証明された。

 「ゆとり教育」は今や過去の産物となった。
 日本の高校は2013年、新「学習指導要綱」を実施し始めた。
 2016年以後に高校を卒業した若者は、もはや「ゆとり教育」とは無縁の人々だ。

 「ゆとり教育」の全面廃止後、日本の生徒の総合的素質は、大幅に回復したことは間違いない。
 日本の義務教育は、紆余曲折を繰り返し、挫折し、無収穫だったように見えるが、中国は、日本の大学教育の輝かしい成功にも注目しなければならない。
 日本社会が世界に先駆けてこの「教育実験」を断行した勇気は、大いに敬服に値する。

 日本の「ゆとり教育」は、「失敗」の烙印を押されたが、ひとつの実験としては啓発的作用がなかった訳ではない。
 このような大がかりな社会的実験によって、我々は
 「素質教育は重要ではあるが、
 学生の基礎知識を養うことが、義務教育段階の重点であるべきだ」
ということを知った。
 また、日本で成功している大学教育や科学研究人材の育成システムについても、中国は日本から学ぶべき点が多々ある。

(新華網思客コラム 作者:Chivn 文章は作者独自の観点による)(提供/人民網日本語版・編集KM)







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