2016年3月15日火曜日

過酷な言論統制と超富裕者層の存在:落ちこむ経済と軍事化への周辺国の猜疑の目

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ダイヤモンドオンライン 加藤嘉一 【第72回】 2016年3月15日
http://diamond.jp/articles/-/87888

全人代での要人発言から「次の中国」が見えてきた?

■毎年恒例の全人代で筆者のアンテナが感じ取ったもの

 今年もまた、北京が1年に一度の政治の季節を迎えた。
 “両会”(全国人民代表大会&全国政治協商会議)である。
 日本では「全人代」と呼ばれることが多い、あの政治会議である。

 国務院首相、全国人民代表大会委員長、全国政治協商会議主席、最高人民法院院長など、党・政府の各部門の首長が過去の1年を振り返り、これからの1年の目標を提起する。
 また国務院における各部署(日本の省庁に相当)の首長が記者会見を開き、より具体的に政策を説明する。
 全国各地の自治体が人民大会堂で会議を主催し、そこに習近平総書記、李克強首相らが飛び入り参加し、メディア記者たちも質問を投げかける。
 全国人民代表大会代表や全国政治協商会議委員には、社会的に著名な文化・スポーツ人、学者などもの民間人も含まれる。
 前提は、共産党が領導する社会主義政治に“忠実”であることだ。

 あらゆる数字や情報が集中的に錯綜する“両会”。
 中国政治・経済・社会に対する継続的観察にとっては有益なプラットフォームであることは疑いない。
 2016年の経済成長率目標6.5%~7.0%や2016年度国防予算伸び率7.6%といった数字の多くはすでに日本でも報道されていると察するため、本稿ではあえて触れないことにする。
 本稿では、私が“両会”を眺める過程で印象深く映り、中国民主化研究をめぐる思考のアンテナに引っかかった「3+2+1」の場面をケーススタディとしてお届けすることにする。
  
 まずは「習近平政権下における高級官僚たちの言動スタイル・パターン」をめぐる物語である。ここでは3つのケースを紹介したい。

●.(1)全国人民代表大会・傅瑩報道官の「人権弁護士」に関する発言

 3月4日、開会に先立って記者会見を行った同報道官は
 「“人権弁護士”が逮捕されている状況をどう見るか?」
という質問に対して次のように答えた。
  「“人権弁護士”という呼び方に関して、私は多くの人がこのように呼ぶことに賛同していないように思える。
 我が国の弁護士に対して政治的線引きをしているように聞こえる。
 弁護士はまず法律を守る模範であるべきで、我が国の弁護士をめぐる規定に則るべきである。
 彼らは憲法を守り、法律を守るべきである。
 仮に弁護士が法律を知りながらそれに違反した場合は、法律による処罰を受けなければならない」

 1つの実例として、昨年12月、“人権弁護士”の浦志強氏がソーシャルメディアに書き込んだ内容が「民族の恨みを扇動した罪」などに問われ、懲役3年、執行猶予3年の判決を受けているが、傅瑩報道官は浦氏を含めた人権弁護士が“違法行為”をしたと言いたいのだろう。
  
●.(2)教育部・袁貴仁部長の「西側教材不適切論」に関する発言

 米ウォール・ストリート・ジャーナルの記者が同部長に次のように聞いた。
  「あなたは以前西側の価値観に基づく教材は教室に適さないとおっしゃいましたが、説明をお願いします。
 “西側の価値観”とは何を指すのですか。
 マルクス主義は本来西側の概念ですよね。
 教育部がこれら西側の価値観に基づいた教材をどのように処理していくのかについても教えてください」

 袁部長は“西側の価値観”(中国語で“西方価値観”)という言葉には触れず、記者の問いにも答えず、次のように主張した。
  「マルクスは中国人ではないが、我々がマルクス主義を指導思想に据えているのは、中国共産党の開放的な精神を体現している」
  「我々が主張するマルクス主義とは、中国の国情と結合しながら不断に創新されるマルクス主義である。
 この点について我々は断固とした立場を持っている。
 我々が主張する価値観とは、マルクス主義が提唱し、かつ中国の伝統的文化の有機的に結合した価値観である」

 同部長はその後、中国がいかにして学生たちの道徳教育を重視しているかを語り続け、最後に、中国の若者がいかに理想・責任・抱負に満ちた世代であるかを主張して、回答を終えている。

●.(3)外交部・王毅部長による「日本は“裏表のある人間”」に関する発言

 長く対日外交に携わり、“知日派”外交官としても知られる同部長は、日中関係の現状と展望に関して次のように主張した。

 「日本側の歴史問題などにおける誤ったやり方が原因で、近年の中日関係は確かに軽くない傷を負ってきた。
 双方の有識者の努力によって両国関係は改善の兆しを見せているが、展望は依然として楽観できない。
 日本政府と指導者は一方で日中関係を改善しなければならないと不断に語り、一方では不断にあらゆる場面で中国に面倒をかけている。
 これは実際、1つの典型的な“表裏のある人間”(筆者注:中国語で“双面人”)のやり方である」

  「中日両国は海を隔てた隣国であり、両国人民にも友好の伝統がある。
 我々は当然中日関係が真の意味で好転することを望んでいる。
 しかし、“病気を治すには根っこから”という俗語があるが、中日関係にとって、病の根っこは日本の為政者の対中認識に問題が発生した部分にこそ見いだせる。
 中国の発展を前に、中国を友人とするのかあるいは敵人とするのか、パートナーとするのかあるいはライバルとするのか。
 日本側はこの問題を真剣に考え、考えぬくべきだ」

 “双面人”というのは王毅部長自身の言葉であろう。
 対日外交に携わってきたからこそ、国内政治・世論において
 「日本に対して軟弱」と見られないよう、
 意識的に日本に対して強く出る傾向が見て取れる。

■政治性と敏感性を備えたテーマに共通する「3つの特徴」

 以上、3つのケースを見てきた。
 「人権」
 「西方価値観」
 「対日関係」、
 いずれも中国共産党の正当性の“根っこ”を脅かしかねない政治性と敏感性を備えたテーマである。
 これらにどう向き合うか、どう対処していくかという問題は、中国共産党の問題意識や改革の方向性を考える上で極めて示唆に富んでいると言える。
 前述の3者の回答には、3つの共通する特徴が見い出せるように思える。

★・問いに対して真正面から答えない。
★・自らの政策は絶対的に正しいという立場に基づいている。
★・責任の所存は自らにはなく、とにかく相手が悪いと主張する。

 公平性という観点から断っておくと、中国共産党の政策や主張はすべてのテーマにおいてこのような特徴に満ちているわけではない。
 特に経済に関しては、昨今の情勢に対して困難やリスクを自ら提起しているし、昨年荒れに荒れた株式市場への対処法をめぐっては、自らの過失すら認めている。
 これらの分野でも、指導者たちは自らの政策はそれでも正しいという立場に基づいているが、それは“相対的”なものであるように私には聞こえる。

 前述の3つのテーマにおいて
 “絶対性”を全面に押し出すのは、それが、中国共産党が引くに引けない問題、
 換言すれば、党の権威性や安定性を構成する“急所”であるからに他ならない。
 そして、胡錦濤政権から習近平政権に“完全移行”してちょうど3年が経ったいま、習近平総書記の部下・同僚たちは、共産党にとっての
 “核心的利益”をめぐって、かつてないほど強硬的な言論を展開している
ように思える。
 前政権のそれが霞んで見えるほどに。

■賄賂断絶に自治体の直接選挙
 変化を期待させる発言も

 次に「習近平政権下で“もしかしたら”を期待させる」物語である。ここでは2つのケースを紹介したい。

●.(1)習近平総書記の「幹部に賄賂を渡してはいけません!」に関する発言

 3月4日、習近平総書記が兪正声・全国政治協商会議主席(序列4位)を引き連れて、同会議における民主党派、工商関係者に対して演説を行った。
 中国が社会主義に基づいた経済制度を堅持する必要があることや、中国共産党による領導の下、特に改革開放以来、公有制だけでなく非公有制(筆者注:同党は決して“私有制”とは言わない)も重視する混合所有制を発展させてきたことなどを習近平は語ったが、
 私は同氏の党幹部と民間企業家の関係性、および中国では“当たり前”、もっと言えば“必要条件”とすら認識されてきた賄賂に関する部分に着目した。

 「経済社会の発展を促すために、党の幹部が非公有制経済人と付き合うのは経常的であり、必然であり、必要なことである
 ……しかし、これが封建的な官僚と“紅頂商人”(筆者注:役人でありながらビジネスに手を染める人間)のような関係であってはならないし、
 西側国家における大財閥と政界のような関係であってもならないし、
 横暴に飲み食いをする飲み友達のような関係になってはもっとならない」

  「我々が捜査・処罰した腐敗案件には、民間企業家に関わるものもある。
 一部は党の幹部が企業家に賄賂を求めたものであり、一部は企業家が進んで幹部に賄賂を渡したものである。
 前者の場合は、我々の幹部に対する管理・教育が不足していることが原因であり、強化しなければならない。
 後者である場合にはみなさん自戒してほしい。
 そのようなことをしては決してならない!」

 これらのセンテンスを眺めながら、改めて、習近平という指導者は自らの性格、そしてそれに基づいた言葉を持った人であると私は感じた。
 中国でビジネスを展開している読者の方々には、ぜひ参考にしてほしい文面でもある。

●.(2)全国人民代表大会・張徳江委員長による「9億人が投票」に関する発言

  「2016年、全国各地で新しい県・郷レベルの人民代表大会で選挙が行われるが、
 9億人の有権者が選挙に参加し、この直接選挙によって250万人強の県・郷レベルの人大代表が生まれる見込みである」

  「これは全国人民の政治生活のなかにおける大きな出来事であり、社会主義民主政治建設における重要な実践である」

 中国において、形式上、全国人民代表大会は日本の国会に相当する。
 「人大代表」とは議員に相当する。
 また、中国の行政区分は、省級・地級・県級・郷級という4つの層・レベルから成っていて、下に行くほど自治体としては小さくなる。
 日本の地方自治体における県会議員・市会議員・町会議員などをイメージすればわかりやすいだろう(国情が異なるため単純比較はできないが)。

 全国議会の首長である張徳江は、
 下から2つの自治体レベルにおいて“直接選挙”を実施する
と言っているのである。

 以上、2つのケースを見てきた。

 賄賂断絶を主張する習近平は同演説のなかで
 「反腐敗闘争は市場の秩序を整えること、市場に本来の面目を還元することに役立つ」
と主張する。
 私もそう思う。
 しかし一方で、本連載でも随所で提起してきたように、反腐敗闘争が原因で役人が事なかれ主義に陥ったり、企業家が本来の事業を進められなくなったりという状況も各地で発生している。
 習近平政権下において、役人も企業家も互いにどう付き合っていいかわからず、結果的に「何もしない」という選択をしているケースが目立っているように映る。

  「中国民主化研究」というタイトルを付けた本連載が、張徳江発言に興奮しないはずがない。
 「直接選挙」「民主政治」、いずれも大歓迎だ。
 しかしながら、2016年を境に、中国の地方&下位レベルにおける政治状況はどう変わるのだろうか。
 実際に、郷レベルの下には「村民委員会」といった自治組織が設けられており、これまでも“直接選挙”が行われてきたというのが共産党の立場である。
 共産党はこれまでも自らが行う政治は“社会主義民主政治”であると主張し、中国の政治が“民主的”であることを否定したことはかつて一度もない。
 習近平氏も国家主席に“当選”したというのが共産党の公式的な立場である。
 このような状況を顧みるとき、今後の中国政治をどのように進化させるのかという観点から、今回の張徳江発言にも懐疑的にならざるを得ない。
 少なくとも現段階では不透明だと言える。

■重慶をベタ褒めにする両雄
ポスト習近平のおぼろげな展望

 最後に「ポスト習近平の座を争う」物語である。ここでは1つのケースを紹介したい。

 3月8日、李克強首相が全人代重慶市代表団全体会議に出席した際に、次のように述べている。

 「《政府活動報告》のなかでも指摘したように、昨今の経済状況において、地域と業界の行き先が分化している。
 通俗的に言えば、“氷火両重天”(筆者注:両極端なほどに両者のギャップが大きい状況を指す)であるが、重慶は“火”の端に属する。まさに“重慶火鍋”のようだ」

 中国政府が発表した統計によれば、重慶の2015年度GDP成長率は11.0%(2014年は10.9%)、固定資産投資伸び率は17.1%、平均可処分所得は9.6%であり、いずれも全国トップレベルの業績である。

 2016年1月4日、習近平は新年初めての視察地に重慶を選んだ。
 果園港における建設や施設を前にして、習近平は語った。

 「ここは大いに希望がある」

 習近平と李克強。
 政治と経済をつかさどる両雄が、違和感を覚えるほどに重慶をベタ褒めにしている。
 その理由として、
(1):実際に重慶が(少なくとも統計上)は優れた業績を残していること、
(2):重慶がすでに数年前に中国政治を震撼させた“薄煕来事件”の呪縛から脱し、共産党の統治が全国的に安定していることをアピールしたいこと、
の2つが挙げられるだろう。

 ただ、その背後で私が最も関心があるのは、両雄によるベタ褒めがポスト習近平をめぐる争いにどう影響するか、である。
 重慶市現書記は孫政才で、広東省現書記の胡春華(2人はともに1963年生まれ)と並んで、“第六世代”リーダー候補である。
 この世代で政治局委員(トップ25)に入っているのは2人だけだ。

■共産党の第十九回大会で次を示す「何か」は見えるか?

 前述の現状は孫政才の“株”を上げるだろう。
 逆に、胡春華はそんな現状を面白く思っていないはずだ。
 特に、同じ共産主義青年団出身である李克強が、ライバルが統治する重慶を褒め殺している光景は複雑に映ったに違いない。

 私は過去4ヵ月の間に重慶市と広東省を訪れたが、そこで受けた率直な印象は、孫政才も胡春華も静かにしていて、斬新的な取り組みはせず、極力リスクを取らないようにしていることであった。
 “次”を見据えた冬眠状態のようにすら思えた。

 “次”はわからない。
 静けさの背上で、孫政才は攻めているように見える。
 本人がそれを意図しているか否かは別として。
 胡春華は何かを待っているように見える。
 本人が“何”かを理解しているか否かは別として。

 約1年半後に迫った2017年秋、共産党の第十九回大会が開かれるとき、次を示す「何か」が見えてくるのかもしれない。



現代ビジネス 2016年03月14日(月) 近藤 大介
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48167

習近平、中国メディアを完全掌握!
反共産党・反毛沢東の言説には「粛清」が待っている

■中国共産党を守る「二刀の剣」

 中国政治というのは、「準備がすべて」である。
 習近平主席にとっての全国人民代表大会(3月5日~16日に開催する国会)は、2月19日に、実質上始まっていた。

 この日、朝8時40分、習近平主席は、北京東郊にある中国共産党中央機関紙の人民日報社へ赴いた。
 そこで福建省寧徳赤渓村を取材中の同紙記者とネットを繋ぎ、村民たちと会話して、「いまは貧しいが未来には富めるようにしよう」と確約。

 次に編集室と、新メディアセンターを視察した。
 そこで机上に置いてあったパソコンを勧められると、緊張した様子で右手の人差し指を1本立て、おそるおそるキーボードに触れた。
 昨年11月には「世界インターネット・フォーラム」を開催したというのに、どうやらこれまでパソコンとは縁のない生活を送ってきたようだ。
 続いて午前10時、宣武門にある新華社通信本社へ着いた。
 ここでも河南省蘭考県谷営四村で村民の意識調査をしている記者とネットを繋ぎ、習近平主席は、彼らの堅固な党への忠誠を確認した。
 続いて新華社のネットサービス空間「現場新聞」を視察。
 そこで「いいね」のボタンを押すよう教えてもらい、再びおそるおそる右手人差し指を立てた。
 3番目は、11時15分に、光華路にある中国中央テレビの新社屋に着いた。
 今度はワシントンにあるCCTV北米センターと繋いで、「設立4年になりますが、毎日5時間、独自の番組を作っています」との報告を受けると、習近平主席はご機嫌だった。

 その後、夜7時のメインニュース『新聞聯播』のスタジオへ行き、38年間続いているCCTV最長不倒の番組のスタッフたちをねぎらった。
 確かに、いまや毎晩5億人以上が見ていると言われるこの30分のニュース番組は、「今日の習近平主席」が冒頭から延々と続く。
 たまに習主席が出てこないと、
 「あれっ、今日はカゼでも引いたのかな?」
と思ってしまう。

 この中国3大メディアの視察を終えた習近平主席は、午後に「党の新聞世論活動座談会」を開き、午前中の視察に帯同した劉雲山党常務委員(共産党序列5位)や党中央宣伝部の幹部たち、3大メディアを始めとする主要メディアの責任者が勢揃いした。
 そこで習近平主席は、重要講話を行った。

 「メディアの新聞世論活動は、党の第一の重要活動だ。
 中でも、政治の方向を正確に掴むことが第一だ。
 メディアは党性の原則を堅持し、マルクス主義新聞観を堅持し、正確な世論誘導を堅持し、正面からの宣伝を主とし、新時代の条件下で、党の新聞世論活動という職責と使命を背負っていくのだ。
 メディアは党と政府の宣伝の陣地であり、党を姓とすることが必須である。
 メディアのすべての仕事は党の意志を体現し、党の主張を反映し、党中央の権威と団結を維持・保護するものでなければならない。
 党を愛し、党を護り、党のために為し、思想・政治・行動が党中央と、完全に一致していなければならない」

 ここまでメディアについて踏み込んで言及したのは、
 「メディアは人民解放軍と並ぶ中国共産党を守る二刀の剣」
と言うのが持論だった故・毛沢東元主席以来である。 

 ちなみに、中国の憲法第35条には、こう記されている。
 <中華人民共和国の公民は、言論・出版・集会・結社・デモ・示威の自由を有する>

■「あらゆるメディアは、中国共産党の喉と舌である」

 この日の晩、「中国のトランプ」の異名を取る大口叩きの不動産王・任志強北京市遠東不動産元会長が、「微博」(ミニブログ)で立て続けに吠えた。

 「あの時代に戻ろうってつもりなのか?」(19時53分29秒)
 「納税者が治めた税金を納税者に対するサービス提供以外に使うな」(21時50分46秒)
 「人民政府はいつの間に、党政府に変わったのだ? 
 人民政府が使うカネは党費なのか?」(21時54分23秒)
 「こんなこと、勝手に変えてよいものか!」(21時56分30秒)
 「徹底的に対立する両陣営に分けるつもりかい? 
 すべてのメディアに姓があって、かつ人民の利益を代表しないのなら、人民は捨て去られ、路頭に迷うようになる(悲)」(22時17分43秒)

 この「中国のトランプ」のフォロワーは、3700万人(!)を超える。
 かくいう私もその一人である。

 私が北京に駐在していた時(2009年~2012年)は、「任大炮」(大口叩きの任)というニックネームだった。
 不動産高騰が社会問題になると、「貧乏人が家を買おうなどと考えるから不満が出る」と語り、株価が高騰すると、「学生が株を買うなんて100年早い」と吠えた。
 講演会で学生から靴を投げつけられたら、
 「これでオレは(イラクで靴を投げられた)ブッシュ大統領と同等になった」
と嘯いた。

 そんな「中国のトランプ」を、私は個人的にはあまり好きではなかったが、それでもフォローを続けていた。
 それは、一つの指標になると思ったからだ。
 習近平時代になってからは、任志強が叩かれる時が、習近平主席のメディアに対する態度が分水嶺を超えた時だと思っていたのだ。
 それが習近平主席は2月19日、メディアに対する態度を、自ら鮮明にした。
 続いて2月28日、ついに「中国のトランプ」の微博を開いても、「相関する法律法規政策に基づき、任志強という検索結果は提示されません」という文字しか表れなくなった。

 3月4日には、党中央宣伝部機関紙『光明日報』が、「党がついに毛沢東同志を高く評価した!」と題した、読むのも疲れるほど長い社説を掲載した。
 毛沢東主席の言動は、(文化大革命を含めて)すべて偉業だったという内容だ。
 同日、新華社通信は、昨年5月に忽然と姿を消していた王珉遼寧省党委書記(省トップ)を、厳重な紀律違反容疑で組織調査中であると報じた。
 王珉は江沢民派の幹部で、全国人民代表大会の開幕前に、「逆らうとこうなるぞ」という見せしめである。

 そして全国人民代表大会が開幕した3月5日には、
 <今後反党反毛沢東の言論を公然とメディアに出すことを許さない>
という「党中央厳令」が出された。
 この「厳令」は、次の5点を定めている。

①:紙からネットまであらゆるメディアは、中国共産党の喉と舌である。
②:党と国家の指導思想はマルクス、レーニン、毛沢東思想であることを必ずや堅持しなければならない。
③:反党・反国家・反民族の「新三反」に注意せねばならない。
④:メディアに対する管理と指導を強め、メディア人の政治的立場を鮮明にし、政治的頭脳を覚醒させねばならない。
⑤:党のメディア、世論に対する指導を強め、正確な思想意識を持つメディア人を育成しなければならない。

 まるで全国人民代表大会の「伴奏」のように、このような旋律(人によっては雑音?)が奏でられていたのである。
 今後、中国においては、「建国の父」毛沢東元主席と、その正当なる後継者である習近平主席を偶像崇拝の対象にすべきで、いくら経済失速しているからといって、もしくは全国で失業者たちの暴動が多発しているからといって、体制批判はまかりならぬというわけだ。
 もちろん、暴動を報道するのもアウトである。

■李克強首相を待ち受ける「不吉な未来」

 続いて、「メロディ」(主旋律)の方も見ていこう。
 2月22日、習近平主席は、党中央政治局会議を招集した。
 来たる全国人民代表大会の段取りや、李克強首相が発表し、中国全土に生中継される「政府活動報告」の内容を最終的に審議するためだ。
 この時、トップの習近平主席とナンバー2の李克強首相との間で、「何か」が起こった。
 その「何か」とは、残念ながら不明だ。
 ある人は、「李首相が辞表を出したが受理してもらえなかった」と言う。
 別の人は、「習近平主席が『経済をうまくできない幹部は退出してもらう』と発言し、暗に李首相の辞任を促した」と言う。
 さらにまた別の人は、「政府活動報告の内容を巡って、習主席と李首相が大ゲンカになった」と言う。
 つまり諸説あるのだが、いずれも推測にすぎない。
 だが、たしかに「何か」が起こった模様なのだ。

 3月5日に新華社通信は、
 「今回の『政府活動報告』は李克強首相が自ら起草し、党中央(習近平主席)に提出して4回、改稿した」
と報じた。
 その意味するところは、習近平主席に何度もダメ出しされて、赤字を入れられたということだ。

 だが、この報道は一瞬にしてネット上から削除された。
 代わって、「李克強作の『政府活動報告』は現場で44回も拍手喝采を浴びた」という記事が流れたのだった。
 実際には、1時間53分の李克強首相の「政府活動報告」は、先週のこのコラムでも述べたように、散々だった。

 第一部「2015年の活動回顧」、第二部「第13次5ヵ年計画の主要目標任務と重大措置」、第三部「2016年重点活動」と読み進むにつれて、李克強首相の声は嗄れ、汗びっしょりになっていた。
 明らかに、身体か精神に変調が起こっていた。

 そして第三部に入ったくだりで、李首相は決定的なミスを犯した。
 「鄧小平の一連の重要講話の精神を深く貫徹する」
 李首相は力強くこう述べたのだが、原稿では、
 「習近平総書記の一連の重要講話の精神を深く貫徹する」
となっていたのだ。

 習近平主席が「建国の父」毛沢東元主席をこの上なく尊敬しているのと同様に、李克強首相は「改革開放の総設計師」鄧小平元軍事委主席をこの上なく尊敬している。
 そして毛沢東や、その後継者を気取っている習近平のことは心中、バカにしていることだろう。
 そうしたホンネが、思わずポロリと露呈してしまったのである。

 李首相は慌てて、「習近平総書記の・・・」と言い直した。
 万人大会堂の会場にいた人物によれば、この時、近くに座っていた習近平主席は、苦虫を噛み潰したような顔に変わったという。
 実際、李克強首相が演説を終えると、習近平主席は、恒例となっている首相との握手もせず、李首相を完全に無視して、スタスタと壇上から立ち去ってしまったのである。
 中国の政治家にとって、春の「全国人民代表大会」と秋の「党中央全体会議」は、二つの晴れの舞台だ。
 後者は非公開なので、文字通り「晴れの舞台」と言えば、この全国人民代表大会だけなのである。
 だから基本的に、どの政治家も晴れ晴れとした表情をしている。

 だが過去に一人だけ、壇上で蒼白な顔をして、汗をだらだら流していた政治家を見たことがある。
 それは、2012年の薄煕来中央政治局委員(重慶市党委書記)だ。
 最側近の王立軍副市長が、前月に成都のアメリカ領事館に逃げ込んで亡命を申請するという事件が起こり、今回の李克強首相と同様の様子だった。
 そして薄煕来は、全国人民代表大会が閉幕した翌日に失脚した。
 とすれば、李克強首相にも「不吉な未来」が待ち受けているのか?

■中国の各地方で開かれた分科会

 ちなみに習近平主席は、開幕前日の3月4日に、政府の諮問機関である全国政治協商会議(3月3日開幕)の民建、工商聯界の討論会に参加し、演説した。
 その席で、翌日の李克強演説の核心部分を、一足先にベラベラ話してしまった。
 つまり、あくまでも李首相を「主役」にはさせないということだ。

 初日の午後は、31の各地方がそれぞれ分科会を開いた。
 習近平主席は4年連続で、上海市の分科会に参加した。
 なぜ習近平主席がそれほど上海にこだわるかと言えば、最大の政敵である江沢民元主席の本拠地だからである。
 韓正党委書記、楊雄市長ら、上海にはいまだに江沢民派の幹部がズラリと並ぶ。

 この分科会の映像を見たが、韓正は「ここまでやるか」というほど、習近平主席にペコペコペコペコ頭を下げ、完璧な作り笑いを崩さなかった。
 そして習近平主席のスピーチが終わると、ひときわ大きく拍手をしていた。
 権力というのは取るのも大変だが、キープするのも大変なのだ。

 一方、李克強首相はと言えば、翌6日午前中に山東省の分科会に、やはり4年連続で参加した。
 これは、李首相が山東省代表団に属している(程虹夫人が山東省出身)ということもあるが、「盟友」の郭樹清省長がいることも大きいだろう。
 郭樹清は、「ミニ朱鎔基」という異名を取るほど能力の高い政治家で、周小川人民銀行総裁の後継者候補だった。
 だが習近平主席に疎まれて、2013年3月に、中国証券監督管理委員会主席から山東省に飛ばされた。
 すると郭樹清は、山東省の約20の市の副市長に、北京などから金融の専門家を連れてきて、まるで梁山泊のように「金融王国」を築いていった。
 中国のGDP成長率が6.9%まで落ちた昨年も、山東省は8.0%をキープしている。

 李克強首相は、昨日とはまるで別人のように、相好を崩して郭樹清省長と話し込んでいた。
 郭樹清省長は翌7日に開いた山東省の記者会見で、
 「最近の株価をどう見ているか?」
と質問されると、にんまりした表情で、次のように答えた。
 「それはあらゆる人間の中で、私は最も答えるのにふさわしくない人間だな。
 株価のことはよく知らないんだ。
 もし(山東省の特産品)白菜の価格を聞いてくれたら、オレは詳しいぞ。
 ちなみにトウモロコシ価格も昨年より大幅に下落した。
 だがそれでも国際価格よりは高い。
 それにわが省は、(他省のような失業者増大ではなく)人手不足で悩んでいるんだ」
 まるで習近平主席に対するイヤミのように、そして混乱が続く中央政府の経済政策を嘲笑するかのような物言いだった。

 序列3位の張徳江全国人民代表大会常務委員長(国会議長)は3月8日、故郷である吉林省の分科会に顔を出した。
 私は5月に張徳江委員長が訪朝し、朝鮮労働党大会に参加する可能性があると見ている。
 何といっても張委員長は、平壌の金日成総合大学留学組であり、流暢な朝鮮語を話す北朝鮮通だからだ。
 中国のトップ7で外国語を流暢に操るのは、この張徳江委員長だけだ。

■「石炭の価格は、いまやジャガイモよりも安くなった」

 以下、全国人民代表大会の中で出された幹部たちの興味深い発言を拾ってみた。
 王儒林山西省党委書記:「わが省の一番の特産である石炭の価格は、いまやジャガイモよりも安くなった。
 鉄鋼も大変深刻だ。
 中国鉄鋼協会によれば、会員企業の昨年の売上高は2兆8,900億元で、前年比で19%も減った。

 それでも山西省には、ユニークな人間が多い。
 ある知り合いの社長が私のところを訪ねてきて、ある案件を処理してくれたら3,000万元やると言って、紙に3,000万元と書いた。
 私が断ると、証拠隠滅のためにその紙を口に入れて、呑み込んでしまった。

 別のある幹部は贅沢を極めていて、知り合いの社長にカネを渡して、個人用ジェット機を買わせた。
 それで毎日、その飛行機を海外と往復させていた。
 何のためだと思う? 
 牛乳を買いに行かせていたのさ。

 三番目は、ある市(呂梁)の副市長(張中生)だ。
 腐敗幹部で摘発され、調べたら6億4,400万元も賄賂をもらっていた。
  この額は、山西省の9つの貧困県の一年分の財政収入よりも多い・・・」

 李小鵬山西省長(李鵬元首相の息子):
 「石炭業は、産出量、売上量、価格、利益がすべて下降し、借金と在庫は増えていく一方だ。
 ある大手石炭会社は、昨年の給与遅配が3億元以上、2万人以上の従業員に影響し、社会保険の滞納は7億元以上だ。
 山西省の昨年の石炭業の損失は94億2,500万元に上った」

 傅育寧華潤集団会長:
 「いま問題になっている『僵屍企業』(ゾンビ企業)の原因は、2008年の経済危機の後、中国政府が4兆元(当時の邦貨で約58兆円)の緊急財政支出を行い、本来ならその時点ですでに生産過剰に陥っていた産業を、さらに生産過剰にしてしまったことだ。
 政府が、石炭と鉄鋼の生産増加を、経済危機脱出の突破口にしようとしたのだ。
 前回1998年の国有企業の構造改革の時とは、時代も経済環境もまったく違う。
 中国政府の能力と手にしている資源は、現在の方が大きい。
 だが国民の生活も格段に向上しているので、贅沢になってきている。
 総じて、非常に困難な状況だ」

 徐紹国家発展改革委員会主任:
 「今回は、第2次『下岗潮』(失業の潮流)は起こらない。
 2013年から生産過剰の認可を停止しているし、この2年は改善してきている。
 黒竜江省の竜煤集団は、2万人以上を他の会社に転職させた。
 浙江省の杭鋼の8000人以上の工員も、協議契約を結んだ3000人以上は転職させた」

 この発言がネット上に掲載されると、
 「会社がバタバタ潰れているのに、どこに転職するっていうんだ?」
といった意見が続出し、「炎上」した。

 楼継偉財政部長(財務相):
 「今年の政府債務予定額は17兆1,800万元(約300兆円)にも上り、これは昨年末時点の政府債務16兆元よりは多い。
 だが赤字が拡大すれば、国債を発行するのは国際常識ではないか。
 経済が回復して赤字が減れば、国債の発行も減らしていくだけのことだ。
 中国の財政収入はGDPの約3割で、政府債務はGDPの約4割だ。
 いずれも他国に較べて、健全財政を保っている」

 易鋼中国人民銀行副総裁:
 「2月の外貨準備は3兆2,000億ドルで、1月に較べて285億7,200万ドル減った。
 これまで(昨年11月から1月までは毎月1,000億ドル近く減少)と較べると、大幅に改善された。
 また現在、人民元と米ドルとの為替の変動は、ユーロと日本円に較べて少ない。
 ましてや他国の通貨と較べると、なおさら安定している」

 欧文漢財政部弁公庁主任:
 「5月1日から、営業税を増値税に変える業種を、建築業、不動産業、金融業、生活サービス業に拡大する。
 これによって、経済の下降圧力を回避する」

 方新元中国科学院党委副書記:
 「証券監督管理委員会は、サーキット・ブレーカーなどという非科学的なやり方を採用したから、証券市場は混乱した。
 われわれはもっと国内外の失敗から謙虚に学ぶべきだ」

■李克強は初日の演説をどう釈明するか

 最後に、全国人民代表大会と諮問機関である全国政治協商会議の代表には、
 それぞれ57人と50人の「富豪」が入っている。
 富豪というのは、中国のフォーブスにあたる「胡潤」が認定した568人の中国人富豪に入っている人物で、具体的にはテンセントの馬化騰CEO、小米の雷軍CEO、バイドゥの李彦宏CEOらだ。

 江沢民元主席が唱えた「3つの代表」によって、資本家も大手を振って共産党に入れるようになったのである。
 だが今回、彼らの動静は伝わってこない。
 いまやいつ叩かれたり、粛清されるか知れないので、身を潜めるようにしているのだ。
 全国人民代表大会は、16日に李克強首相の年に一度の記者会見で閉幕する。
 李首相が5日の演説を何と釈明するのか、注目である。



時事通信社 2016年3月18日(金)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201603/2016031600692 

緊張高まる「政治舞台」
=習主席礼賛あふれる
-言論統制一段と・中国全人代

 【北京時事】中国の全国人民代表大会(全人代)が16日に閉幕した。
 習近平共産党総書記(国家主席)が2月、官製メディアに「党の代弁者になれ」と指示したことを受け、全人代代表の発言や官製メディアは「習氏礼賛」であふれ
 異論を唱えれば、文章はインターネット上から強制的に削除された。
 「習氏はもはや称賛一色でないと不安なのだろう」(改革派大学教授)
との見方も強い。
 「習主席にならえ」という掛け声の下、内外に
 「共産体制の優越性」を誇示する政治舞台で、言論統制は一段と強まり、緊張が高まっている。

 ◇ネット文章相次ぎ削除

 「全人代と全国政治協商会議(政協)は国家の重要問題を討議し、建設的な意見を提出するものだ。
 しかし、ある事件の影響で民衆は当惑し、話したがらない。
 こんな雰囲気だ」。
 政協委員の蒋洪・上海財経大学教授は3日、中国ニュースサイト・財新網の取材に語った。
 「ある事件」とは、習主席のメディア統制発言に異を唱えた企業家・任志強氏が、政府系メディアから集中攻撃を受け、中国版ツイッター「微博」を強制閉鎖された問題を指す。
 蒋氏は
 「全人代は(政府を追認する)ゴム判議会、政協は(飾りの)花瓶機関だと言われ、
 私本人も切実にそう感じるが、
 言うべきことは言わなければならない」
と訴えた。
 しかし、思い切った蒋氏の発言を掲載した文章は削除され、閲覧不能になった。
 蒋氏は5日、再び財新網の取材に
 「(文章削除の措置は)とても恐ろしい。
 違法な内容はどこにも見られない」
と再び発言。
 すると、この記事も削除された。(2016/03/16-19:55)



ダイヤモンドオンライン 陳言 [在北京ジャーナリスト] 2016年3月17日
http://diamond.jp/articles/-/88050

富豪の数が米国を超えた中国“階層固定化”の危うさ

 今年の中国国会(全人代と政治協商会議)は、かなり真面目な報道が多かった。
 例年なら、現代の“お姫様”(国の元指導者の令嬢)が超有名な海外ブランドを身に纏い、人民大会堂をファッションショーのようにメディアに登場するシーンは、今回はすっかり消えた。
 腐敗一層運動によって、少なくともそれが許されなくなっている。

 ただし、富の集中は、今の中国ではまったくテンポを緩めたわけではない。
 国会開会期間の2週間ほど前、2月24日に毎年発表を続けている「胡潤富豪ランキング」というものがあるが、今年は世界の富豪と比較した「胡潤世界富豪ランキング」として発表された。

 それによれば、グレーターチャイナ地域でランク入りした富豪が568人と初めて米国の535人を上まわり、資産10億ドルを保有する億万長者が世界で最も多い「富豪国家」となった。
 なかでも北京は億万長者100人を抱える「富豪の都」の誉れに浴し、その人数は昨年より32人も増えている。

■中国で毎年注目を集める「富豪ランキング」

このランキングは、日本ではまったく無名に近いが、中国では轟々たる名声を挙げている。
 1970年生まれのイギリスの会計士・胡潤(Rupert Hoogewerf)は、中国語勉強のために中国に来たが、ここで一大ビジネスチャンスを発見した。
 経済成長のなかで、多くの中国人にとって、隣の人がどのぐらい豊かになっているのか興味津々だったのだ。
 胡潤は、会計士の資格を持ち、財務データを見る能力があった。
 中国人富豪ランキングを作ったら注目されて有名になると思い、1999年に新聞を100紙以上集め、その調査結果を公表した。
 初めての「胡潤富豪ランキング」だった。

 だが真の富豪の資産がその年にかならずしも報道されるわけではなかったので、ランキングに載らない富豪が不満に思い、抗議に来ることが続いた。
 これは若き胡潤の思うツボであって、富豪たちに財産状況を根掘り葉掘り聞く。
 そうして毎年ランキングを更新し、公表してきた。

 納税金額などの公的なデータだけで富豪ランキングを作るのではなく、胡潤の独自調査によって作られるので、富豪の入れ替わりは激しかったが、2010年以降は徐々に中国におけるニューリッチはほぼ網羅されるようになっているという。
 超金持ちになる理由はいろいろとあり、すべてが合法的とは言えず、ランキングに入ってから逮捕された「富豪」も相当いた。
 中国の経済規模が大きくなり、世界的大富豪もここから輩出するようになり、2016年2月には、つい上述した「胡潤世界富豪ランキング」が発表されるに至ったのだ。

経済規模ではアメリカの3分の2なのに、富豪の数はアメリカより多い。
 もちろん財産の絶対量は、中国のほうが歴史が浅く、アメリカの富豪の比ではないが、数では勝っている。
 これに対して、中国の普通の市民は喜びを抱くよりも、むしろ危機感を感じている。

 今年ランキングが発表されると、中国のマスコミはさっそく胡潤の弾きだした数字を報道した。
 すると多くのネットメディアで大量の「ツッコミ」が生まれ、「富豪嫌い」の色彩を帯びた言論が盛んにシェアされた。
 統計データを見てみると、北京のGDP成長率は2015年では6.9%で、前年比0.4ポイント下落した。
 中国全体の成長率も改革開放以来最低の6.9%で、これも0.5ポイント下落している。
 こうした経済の低成長下で、富豪の総数と富豪の資産増加率が膨れ上がっている(北京における資産10億ドル以上の富豪数の増加率は30%を超えている)という事実から、ネットユーザーにとっては怒りを買う存在とされた。
 多くのネット言論は、富豪の資産増加に対して、本来自分にもたらされるべき分が「非情な富者」に奪い取られた、という論調だ。

■改革開放で階層の流動化が進み富豪たちが生まれた

 富豪ランキングの発表から数日たって、「階層の流動化と固定化」の話題が学識者の間でも論じられるようになった。
階層が固定化された社会では、
 強者は常に強く、弱者はいつも弱く、
 富者はどこまでも富者であり、貧者はいつまでも貧者であり、富豪層がランクから滑り落ちることはなく、草の根層はどれほど努力しようとも貧者としての「宿命」を突破することは難しい。
 これに対して「階層の流動化」がある社会では、富者はもとより各種テコの調整で「リスクヘッジ」が可能であり、貧者はみずからの努力と才覚によって命運を変える機会を得ることができる。

 中国の改革開放におけるもっとも大きな社会的進歩のひとつとして、毛沢東時代の「階層の固定化」を打ち破り、草の根層にみずからの努力で命運や地位を変える道筋と踏み台を提供したことがあげられる。
 これらの道筋や踏み台は、
 優秀な人材の優先採用、
 公平な競争で大学合格者を決める統一試験
 個人経営者と中小企業の生存と発展を奨励する政策、
そして
 各種の「(客観化された)固定目標」を標準尺とするふるい分け
のメカニズムである。

 1999年から始まった胡潤の富豪ランキングは、大多数の中国の億万長者が無一文から身を起したことも伝えているが、このことはまた改革開放以来の「階層の流動化」が中国の社会にいかに変化と活力、安定、繁栄をもたらしたかの証明でもある。
 一方で、近年の中国社会に潜む「富豪嫌い」の感情には、根深いものがある。
 既得権益の受益者たちは、各種の手段、ルートを通じて「階層の流動化」を阻み、たとえば「素質教育」推進という口実で普通教育を疎かにし、改革やイノベーションの名のもとに資源独占の「裏工作」をし、税制や福祉制度の改革を妨害・歪曲することから、国際社会では普遍的に採用されている富の分配や社会矛盾の緩和を促す「テコ」は、中国においてはその作用を果たすのが難しくなっている。

 中国が「富豪の国」になり、北京が「富豪の都」になったことを心底喜んでいるのは、おそらく利益に浴することのできるごく少数の人たちだけだろう。
 これはもとより当たり前のことで、健全な社会においては合法的な方法で「発家致富(お家を起こして富者になる)」で成功をおさめることは奨励されるべきことである。

 しかし、いままでの中国国会では、“お姫様たち”がテレビカメラの前で、普通の人の数年分の年収にあたる外国ブランドの服を着て闊歩し、より多くの私腹を肥やそうとするような発言をしては、大多数の人に不愉快や不公平を感じさせていた。
 今年はそれは全くなくなったが、「胡潤世界富豪ランキング」が一石を投じた。
 社会の雰囲気としては、非常に嫌な感じだ。

 中国において、社会の不安定要素を発生させないためには、「階層の流動化」をより活発にしなければならない。
 しかし、今の北京、上海、深センでは住宅は異常なほど値上がりし、企業を起こして社会のために物やサービスを提供していく道は、塞がれていると多くの人は感じている。
 このような大都会にはとても住めないし、起業もできない。
 先に土地や住宅を手に入れたものが金持ちになり、後からやって来る人は、どんなに頑張っても追いつかなくなる。

 今年の「胡潤世界富豪ランキング」は、ここ数年来「階層の固定化」現象がじわじわと進行し、「流動化」への道が狭くなってきていることを、冷たい数字の羅列を通して明確に語っている。
 これは、たいへん憂慮すべき事態と言えよう。



JB Pree 2016.3.29(火)  柯 隆
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46434

お粗末な記者対応が示す中国のソフトパワーの限界
ハードパワーの実力も実は未知数
南シナ海問題で妥協せず=米をけん制-中国首相

 日本で中国脅威論が叫ばれるようになって久しい。
  しかし日本にとって中国の何が脅威であるのか、あるいは脅威でないかははっきりしない。
 漠然とした感情論がほとんどである。


 中国が脅威であるという主張の背景には中国の軍事的拡張がある。
 これまでの20年間で中国の軍事予算は経済成長率以上に拡大した。
 今や中国の軍事費は世界で第2位となった。
 だが同時に経済も世界第2位の規模である。
 その意味では中国の軍事予算は経済力相応の規模といえるかもしれない。

 一方、世界最大の軍事費を誇るアメリカを脅威だという日本人はいない。
 アメリカと同盟関係が結ばれているからである。
 結局、中国と同盟関係にない国から見ると中国の軍事的拡張は脅威ということになる。

 中国の軍事費は確かに増えている。
 しかし、だからといって中国の軍事力が本当に強化されているとは限らない。
 一部の研究では、人民解放軍の内部で腐敗がはびこり、軍事費の一部が流用されているという指摘がある。
 中国の軍事力は予算よりも割り引いて考える必要があるということだ。

■本当の強さは分からない中国のハードパワー

 中国経済の規模は世界第2位であり、軍事予算も世界第2位である。
 これは中国のハードパワーである。
 中国の指導者は自国のハードパワーの増大を間違いなく誇りに思っているはずだ。

 かつて、最高実力者だった鄧小平は、「韜光養晦」(とうこうようかい)という言葉を共産党幹部たちに訓話したことがある。
 韜光養晦とは、力が十分に蓄積されるまで実力を人にみせず、姿勢を低くすることだ。
 鄧小平の基本方針は攻めよりも守りだった。

 それに対して、今の指導者たちは守りよりも攻めを重視している
 むろん、建前では鄧小平理論を踏襲する姿勢を示しているが、実際は鄧小平理論が修正されている。
 鄧小平は、世界と協調しながら自国の経済を発展させることを目指した。
 しかし今の中国の指導者たちは、中国にはすでに十分な実力が備わっていると思っており、世界と協調する姿勢が十分とはいえない。

 日本、アメリカや周辺諸国が心配しているのは、中国が経済力と軍事力にものを言わせて、南シナ海の埋め立て工事にみられるように領土、領海の拡張に突き進むことである。
 中国の一方的な拡張行為は東アジアの緊張を高めると非難されている。
 だが、中国は違うロジックでこの問題を捉えている。
 中国にとっては自分の国の領土であり、そこでいかなる拡張工事を行っても他の国にとやかくいわれる筋合いはないという理屈だ。

 かつて、イギリスやアメリカが拡張路線を取ったとき、世界で同じような摩擦を起こしたことがある。
 ただし、当時のイギリスとアメリカの力は絶対的なものだったので、世界で覇権を確立することができた。
 国際政治においては必ずしも「Justice」(正義)に基づいて外交が進められるわけではなく、いつの時代も力の行使によるところが大きい。

 問題は中国のハードパワーがどれほど強いかである。
 前述したように、軍事予算の増加はハードパワーの強化を示すものとは限らない。
 中国はハードパワーの行使を始めようとしているが、
 そうした行為を支えられるだけの実力があるかは未知数である。

■記者会見で見せた幹部の失態

外交において武器や手段となる力には、ハードパワーと並んでソフトパワーがある。
 ソフトパワーとは狭義の定義では、文化の力と言われている。
 広義の定義では、制度と人の力
ということになる。

 例えばアメリカの教育制度は、世界からエリートの頭脳をたくさん引きつけている。
 それに対して、毛沢東時代の末期、広東省から香港へ10万人以上の中国人が逃げ出し、難民となった。
 アメリカのソフトパワーの強さと中国のソフトパワーの弱さの対比は一目瞭然だった。

 毛沢東時代に比べれば状況はだいぶ良くなったが、今も中国ではハードパワーの強化に比べてソフトパワーの強化が大幅に遅れている。
 ソフトパワーの発展と強化を妨げる大きな原因となるのが、政府高官の能力不足と不合理な制度だ。

 一例を挙げれば、メディア統制である。
 2016年の全人代において、中国政府はメディアに対する統制を一段と強化した。
 そのため、いつも記者の質問に対して慎重に答える政府代表たちは、今まで以上に記者を避けるようになった。
 しかし、定例の記者会見は行わなければならない。
 そこで、ある省政府の書記(知事)は、記者会見の前にいくつかの国内メディアに無難な質問をするように工作した。
 日本でいうサクラのようなものである。

 ところが、記者会見の場で間違いが起きた。
 書記は、ある女性記者に会見で質問をするよう事前に頼んだ。
 頼んだとき、その記者は濃い色のコートを着ていた。
 そのため書記は会見の場で「次の質問は、向こうの濃い色のコートを着ている女性記者にお願いします」と言った。
 書記は記者のほうを見ていなかった。
 しかし、その女性記者は記者会見場に入ったあと、暑さのためコードを脱いで白いシャツの姿になっていた。
 「濃い色のコートを着た女性記者とは誰のことだ?」
と会場はざわついた。

 もう1つの例を挙げよう。
 全人代の立法委員会の記者会見のときだった。
 指名された女性記者は、ワシントンの華僑向け新聞の記者だった。
 彼女の質問は、
 「中国はなぜ報道の自由を保障する『新聞法』(メディア法)を立法しないのか。
 立法する予定があるのか。
 あるならば、そのスケジュールを教えてください」
というものだった。

 質問された責任者は、
 「今日の記者会見は、西側の主要メディアを優先したい。
 西側の主要メディアの記者から質問はありませんか」
と質問を募った。
 西側メディアの記者で手を挙げる者はいなかった。
 するとこの責任者は、「質問がないようなので、今日の記者会見はこれで終了します」
といって帰ってしまったのだ。

 いずれも共産党幹部の力量のなさが引き起こした失態だが、そもそも過剰なメディア統制を行っているからこういうことになるのである。
 ハードパワー一辺倒ではなく、ソフトパワーを高めていかないと、遅かれ早かれ中国の外交は行きづまる。
 幹部たちの力量をレベルアップすると同時に、メディア対応を見直し、中国の魅力を発信する力を高めていくことが求められている。



WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2016年04月15日(Fri)  岡崎研究所
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6520

中国のソフトパワーが育たないワケ

 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのバリー・ブザン名誉教授が、ノッチンガム大学China Policy Instituteのブログに、中国のソフトパワーと統治システムの本質的な矛盾を指摘する論評を寄稿しています。
 要旨は、次の通りです。

■中国の3つの弱点

 中国は、ソフトパワーの面で遅れをとっており、それが自身の弱点だということを知っている。
 国際的な地位の向上、西側との競争、自らの文化と「中国の特色」の防衛に、ソフトパワーを高める必要性を正しく認識している。
 しかし、ソフトパワーが、主に市民社会から生まれることを理解していない。
 ソフトパワーについて政府にやれることは、経済面はいざしらず、文化面ではほとんどない。
 政府が主導すれば、却ってソフトパワーの有効性を損なう。
 人々はそれをプロパガンダだと捉え、時には拒絶すらする。

 中国の問題は三つある。
1].一つは、中国政府は海外で良いイメージを持たれていない。
2].二つ目は、中国政府は、経済改革の結果生まれた市民社会を恐れている。
3].三つ目は、中国政府は「市民社会の邪魔をしない」やり方を知らない。

 第一の問題に関して言えば、民主主義に対し強く反対し強力な権威主義的統治をしていることで、中国は、西側主導の国際社会の外れ者となっている。
 経済は称賛されているが、時折見せる強硬な対外姿勢や、少数民族や市民社会に対する弾圧は、海外における中国の負のイメージを助長している。
 海外の多くの人が、中国政府を信用していない。

 第二の問題については中国政府は国民を恐れている
 これは、中国政府が市民社会を弾圧し、国内治安を重視していることから分かる。
 それが中国の負のイメージをさらに助長している。
 中国共産党のもつ不安感と党の存続を優先させる姿勢は、中国だけではなく世界全体に対して重大な影響を及ぼす。
 市民社会に対する抑圧的態度は、その規模や文化に見合った、中国が本来持つべきソフトパワーの正当性を損ねている。
 中国共産党は不安に駆られ、対外政策よりも国内政策を優先させている。
 両者は密につながっている。
 体制の安全が国家の安全より優先され、国内のナショナリストの批判をかわすために往々にして対外的に強硬になる。
 これもまた中国のイメージを悪くしている。

 第三に、中国政府は、どのようにすれば市民社会の「邪魔をしない」かが分かっていない
 中国政府は、パブリックディプロマシーによって、ソフトパワーを推進しようとしているが、両者は往々にして矛盾する。
 中国共産党は、
★.市民社会から生まれるソフトパワーと
★.国家が推し進めるパブリックディプロマシーないしプロパガンダの違いを理解していない。
 特に政府が疑念を持たれている時、この両者の矛盾は大きくなる。
 例えば、孔子学院は中国政府とのつながりが強すぎるために、学術の独立を阻害するとして非難の対象となっている。
 中国は、世界が中国の党および国家と、中国の国民および文化を分けて考えていることを理解しなければならない。

 中国のソフトパワーの潜在的な力は巨大だが、それが国家によってつくられるものではないことに政府が気づき、市民社会の邪魔をしないようになって初めて現実のものとなろう。
 中国指導部は、自分たちが何を追求しようとしているのか決めなければならない。
 市民社会を厳しく管理したいのであれば、強いソフトパワーを作り出すことはできない。
 強いソフトパワーを持ちたいのであれば、市民社会に多様な意見を許容する治安の仕組みにしなければならない。

出典:Barry Buzan,‘Confusing Public Diplomacy and Soft Power’(University of Nottingham, March 10, 2016)
https://blogs.nottingham.ac.uk/chinapolicyinstitute/2016/03/10/confusing-public-diplomacy-and-soft-power/

*   *   *

 この論評は、中国のソフトパワーの持つ限界と制約を的確に指摘しています。
 しかし、こういう現体制の持つ制約がなくなったとしても、中国が世界をリードするには中国市民社会の成熟という次の大きな課題が待っています。

■プロパガンダがソフトパワーを弱める

 今年に入り習近平が自分に権力をさらに集中させ、自分の権威をさらに高めようとする動きを強めています。
 党をさらに厳格に管理し、世論空間を厳しく管理し、プロパガンダを通じ習近平の権威を高めることが、そのやり方です。
 党が自分の思うように動かないことに対する習近平の焦りでしょう。
 しかし、このようなやり方は党の活力をそぎ、市民社会を弱体化させることになります。
 つまりソフトパワーをさらに弱めるのです。
 世の中の流れに逆行する動きであり、同時に国際社会、とりわけ西側世界における中国のイメージをさらに悪化させる動きでもあります。

 この習近平の動きに対し、さまざまな反作用が出始めています。王
 岐山が主管する中央規律検査委員会のホームページに
 「千人之諾諾、不如一士之諤諤
 (大勢のものがどんなにへつらいを言っても、一人の人が直言するに及ばない)」(史記商君伝)
という言葉を習近平が使ったことを紹介し、党内の自由な発言と直言の必要性を強調したのも、その一つです。

 来年の党大会に向けて、習近平が自分だけで多数派を形成できるのか、それともどこかと組む必要があるのか、習近平自身の党内掌握力の帰趨を含め、中国政治が“要経過観察”に突入したことだけは間違いありません。



【2016 異態の国家:明日への展望】


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