2016年3月4日金曜日

ドイツの混乱?:EUの瓦解?中東は今や欧州の裏庭となった

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テレビ朝日系(ANN) 3月4日(金)8時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160304-00000008-ann-int

 EU大統領「欧州に来ないで」 不法難民に呼び掛け



 中東などから難民や移民がヨーロッパに押し寄せている問題で、EU(ヨーロッパ連合)のトゥスク大統領が不法移民らに対して「来ないでほしい」と強い言葉で訴えました。

 EU・トゥスク大統領:
 「ヨーロッパに来ないでほしい。
 密航業者を信じてはいけない。
 命と金を無駄に失わないようにしなさい」
 トゥスク大統領はシリア難民の支援は続ける一方で、経済的な理由で中東やアフリカなどからやってくる不法移民は認めないと強調しました。
 また、マケドニアなど一部の国が国境に鉄条網を張り巡らせるなどして難民らを阻止している現状は「ヨーロッパの連帯精神に反する」と批判しました。
 地中海を越えてヨーロッパに到着した人は今年だけで13万人を超え、行き場を失った1万人以上がギリシャで足止めされています。



現代ビジネス 2016年03月04日(金) 川口マーン惠美
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48084

メルケルが「難民対策」で自滅!?
~EUでも孤立、もう制御不能です
州議会選挙目前なのに…

■ドイツ国民が抱える不安

 内務省の発表によると、去年、ドイツで難民申請をした110万人のうち、13万人が行方不明になっているらしい。
 少なくとも10人に1人はいなくなってしまったということだ。

 審査中の難民には宿舎が指定されているが、自由な行動は許されているので、その気になれば消えてしまうこともできる。

 もとより難民申請をしても、全員が難民と認められるわけではない。
 北アフリカ諸国やバルカン半島など「安全な第三国」と定められている国から来た人たちは、どうせ審査で落ちる。
 だったら、結果が出る前に雲隠れしてしまおうという魂胆だろう。

 行方不明の難民の大半は、おそらくお金を稼ぐために潜伏していると思われる。
 不法滞在、ヤミ労働になるので労働条件は悪いが、それでもドイツでの賃金は彼らにとって魅力だ。
 そもそも母国では職がない。

 ただ、都合の悪いことに、安全な第三国と言われる国々では、犯罪率がとても高い。
 だから、いなくなった13万人がどこで何をしているかと考えると、ドイツ国民としてはかなり不安だ。

 主要メディアは相変わらず難民や外国人の犯罪をあまり報道しないが、ネットを見ると、毎日かなりたくさんの事件が報告されている。
 大勢で女性を取り囲んでいたずらしたり、あるいは、ナイフで切りつけたり。

 2月26日のケルンでは、嫌がらせを受けている女の子を助けようとした15歳の男子生徒が殴られ、大怪我をした。

 おかしなことだが、現在の難民に関する法律では、難民申請をしている人が罪を犯しても、それは審査に影響を与えない。
 審査が中止されるには、少なくとも3年以上の懲役が科されなければならないという。

■ドイツ政府の狙い

 去年、27歳のリビア人がナイフとペッパースプレーでスーパーの店員を脅したにもかかわらず、彼の難民審査がそのまま続行されているという事実が明るみに出て、これが問題化した。

 また、現行の法律では、難民が罪を犯して母国への送還が決まっても、その人物が母国で拷問されたり、あるいは、宗教や人種のために抑圧されることがわかっている場合は、送り返すことができない。

 今年になって法律が若干改正され、犯罪者にとって母国が危険なら、他の国に送還できることになった。
 大抵の難民はトルコ経由で入っているので、ドイツ政府は犯罪を犯した難民はトルコに戻してしまおうと考えているらしい。

 現在、それについて政府間交渉が行われているというが、トルコが犯罪者を喜んで引き取るとは思えない。
 よほどお金を積むか、良い交換条件を持ち出さなければダメだろう。

 一方で、反対に、ドイツ人による難民への攻撃も増えている。
 連邦検事局の発表によれば、難民の宿舎に、放火など何らかの攻撃を加えた犯罪は、2011年にはたったの18件だったが、2014年には199件、そして2015年には924件と、一年で4倍以上に膨れ上がった。

 国民の不満や不安を受けて、2月25日に難民法の改定が決まり、今後は支援が少し削減されることになった。
 たとえば、正式な難民としてではなく、制限的な資格でドイツに留まれることになった難民は、2年が経過してからでないと家族を呼びよせられないとか。

 これまでは父親、あるいは未成年の息子が先にきて難民資格を取り、そのあと家族を呼び寄せるというのが普通だった。
 ただ、去年は110万人も入国したので、そのうちドイツに留まれる人の数が50万だとしても、彼らが家族を呼び寄せれば、それだけであっという間に200万、300万に達してしまう。
 中東の人たちは子沢山だ。

 しかし、2年間も家族を呼び寄せられないとなると、あきらめて自発的に国に戻る難民も少なからずいるだろう。
 ドイツ政府はそれを狙っている。

■メルケル首相「方向転換は一切なし」

 2月28日夜、第一テレビでメルケル首相のインタビュー番組があった。
 ほぼ一時間、インタビュアーの女性アンネ・ヴィルとの丁々発止の応酬は、かなり見応えがあった。
 視聴者は602万人、視聴率は20パーセント。
 国民の難民問題に対する関心の高さが窺われる。

 メルケル首相は未だに、難民受け入れに人数制限は設けない方針で、それに対して、与野党内で反対の声が高まっている。
 しかも、力強い味方であったはずのオーストリアまでが、バルカン半島の国々に働きかけて、ギリシャから入ってくる難民を遮断し始めた。
 以来、オーストリアの受け入れ人数は1日80人。

 また、フランスも北欧の国々もすでにそれぞれ厳しい人数制限をかけている。
 ハンガリー、ポーランド、チェコ、スロバキアにいたっては、受け入れを全面拒否。
 現在、EU28ヵ国のうち23ヵ国が難民受け入れには反対か、非常に消極的という状態で、メルケル氏はEUでも孤立している。
 だから、番組のタイトルは、「首相、いつ方向転換をするのですか?」

 しかし、メルケル首相の答えは明瞭で、「方向転換は一切なし」。
 多くの国が勝手に始めた国境閉鎖は誤りで、解決法はEUレベルで見いだすしかないという。

 つまり、EUの国境を防衛して不法入国を防ぎ、難民は、EU諸国が手分けして引き取る。
 これこそが、後で恥じることのない唯一の人道的なやり方だ、というのがメルケル氏の主張だ。
 もちろん、自国の国境を閉鎖してしまったオーストリアや東欧の国に対する痛烈な批判でもある。

■マケドニア国境の惨状

 しかし、ちょうどそのころ、ギリシャとマケドニアの国境の町、イドメニでは何が起こっていたか?

 ここには、鉄条網がぐるぐる巻きになった頑丈な柵が築かれていた。
 ギリシャのイドメニからマケドニアに入ろうとした難民は立ち往生し、その数はあっという間に膨れ上がった。
 南国といえども冬。
 野ざらしのまま、水も食料も極度に不足し、報道陣が送ってくる映像は想像を絶する。

 29日になって、事態はさらにエスカレート。
 絶望した難民が鉄条網付きの柵を壊し始めた。
 鉄条網と書いたが、実は、付いているのは針ではない。
 写真で蝶々のように見えるそれは、カミソリだ。



 命がけの難民に、マケドニアの国境警備隊は催涙弾で応酬し、混乱はピークに達した。
 3月2日、厳しい制限をつけながら、国境は再び開かれたが、到着する難民は後を絶たず、状況はさらに緊張を高めている。

 この状況は、昨年夏のハンガリーと酷似している。当時、メルケル氏はハンガリーで立ち往生していた難民を引き取り、「ドイツ国民を誇りに思う」と言ったのだ。
 だからオーストリアの首相いわく、「この難民も、ドイツが直接引きとればよい」と。

 しかし今、メルケル氏はもちろん、そんなことはできない。
 それどころか、国境を防衛せず、入ってきた難民の保護もしないギリシャを責め始めた。
 ドイツの独善的な言い分に、多くの国はイラついている。

■出口は見えるのか

 3月7日には、トルコを交えたEUの緊急会議が開かれる。
 本当に、メルケル氏の唱えるEUレベルの解決策が見つかるのか。
 トルコはどこまで協力してくれるのかーー。

 イドメニの映像は壮絶で、あまりにもインパクトが強い。
 だから、これがEU各国の利己主義を諌め、人道的解決の糸口となる可能性も高い。
 いずれにしても、この会議がEUの将来を決めることになる。

 ドイツでは今月13日、大切な州議会選挙が三つもあるというのに、国民は真っ暗なトンネルの中にいる。
 一刻も早く出口の光が見えてこないと、票はメルケル氏のCDUからどんどん離れていくだろう。
 現在の最新アンケートの結果では、国民の8割が、ドイツ政府は難民問題を制御できていないと感じている。

 今、メルケル首相にとって難民問題は、まさに自分自身を吹き飛ばすかもしれない"時限爆弾"になっている。



現代ビジネス 2016年03月25日(金) 川口マーン惠美
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48269

ベルギー連続テロ 
「無法地帯」を放置したベルギー政府の不手際
EU全土が厳戒態勢


●窓ガラスが吹き飛び煙が立ちこめるブリュッセル国際空港〔PHOTO〕gettyimages

■新たなテロでEU全土が厳戒態勢に

 ISテロリストのサラ・アブデスラムが、3月18日にブリュッセルで生け捕りになった。
 去年11月、130人もの犠牲者を出したパリの無差別テロの主犯の一人で、以来、フランスとベルギーが総力をあげて探していた男だ。
 捕獲のニュースが入った途端、ベルギーのミシェル首相は舞い上がり、EUサミットをそそくさと中座。
 それを追いかけるようにしてやってきたオランド仏大統領とともに、捜査の経過を固唾をのんで見守った。
 ところが、おそらくその報復だったのだろう、わずか4日後の22日、ブリュッセルの国際空港と、EU本部にほど近い地下鉄の駅で無差別テロが発生した。

 23日現在、死者は31名、負傷者は270名。
 ISとの戦いが「エンドレス」になり始めたようで、ヨーロッパは混迷の様相を深めている。
 4人の犯人のうちの3人は自爆した模様だが、1人が逃走し、現在、ベルギーとフランスだけでなく、EU全土が厳戒態勢を敷いている。
 18日に捕まったサラ・アブデスラムは、ベルギー生まれのモロッコ系フランス人というからややこしい。
 やはり襲撃に加わった兄のブラヒム・アブデスラムは、テロ当夜、現場で自爆しているし、もう一人の主犯といわれるアブデルハミド・アバウドは逃走したものの、5日後の18日に、フランスの特殊部隊に隠れ家を嗅ぎつけられ、大銃撃戦のあと死亡した。
 こちらもモロッコ系だが、国籍はベルギー。

 ちなみに、ベルギーの首都圏にあるモレンベークという地区は、テロリストの温床として一躍有名になったが、アブデスラム兄弟もアバウドも、皆、ここの出身だ。
 アブデスラムは26歳。
 最初は地元のゴロツキに過ぎなかったようだが、何らかのきっかけでどんどんイスラム過激派な活動にのめり込んでいく。
 不思議なのは、ここ数年はマークされていたはずなのに、テロ事件の直前まで、ヨーロッパをあちこち動き回っていたことだ。
 去年10月には、南ドイツのウルムという町に数時間いたことがわかっている。
 そのあと、そこの難民施設から3人の難民が消えた。
 アブデスラムがピックアップしたらしい。
 消えた3人はシリア難民としてドイツに入っていたことがわかったが、あとの祭り。
 本当の素性はいまだに不明だ。

 テロリストが難民に混じってドイツに入る可能性は早くから指摘されていた。
 しかしドイツ政府は当時、
 「テロリストがドイツに入るなら、難民に化けなくても他のルートがある」
と主張した。
 ただ実際問題としては、去年1年で120万人も難民が入ったし、あまりの数だったので登録も正確にはなされなかった。

 最近ドイツで検挙されたテロリストは、ドイツの7ヵ所の難民収容所で、7つの名前で登録をしていたことがわかっている。
 EUにかなりの数の危険分子が紛れ込んでいる可能性は高い。

■無法地帯を放置したベルギー政府の不手際

 パリのテロでは、実行犯は8人、あるいは9人で、すでにうち7人は死亡している。
 アブデスラムも実は自爆するつもりだったが、突然、気が変わったというのが本人の供述だ。
 自爆をやめたアブデスラムは、テロ現場の近くで仲間に電話をして車で迎えに来させ、逃亡した。
 その後、まもなく検問にあったものの、なぜかうまくすり抜けて、あっという間にベルギーに戻った。
 あとで発見された自爆用のベルトは、彼が捨てたものだという。

 その後11月22日、ブリュッセルに厳戒態勢が敷かれたことは、まだ記憶に新しい。
 アブデスラムがベルギーに潜伏していることは確実だったが、警察はすでに14日、彼の足取りを見失っていた。
 結局、22日になってベルギー政府は、ブリュッセルに「深刻かつ切迫した」危険があると判断し、学校も大学も休校にして、地下鉄まで止めた。
 EUの首都は、数日間ゴーストタウンになったが、それでもアブデスラムは見つからなかった。

 それから4ヵ月経った今、ブリュッセルは再び厳戒態勢で、公共の交通機関は乗車前に厳重な持ち物検査が行われている。
 ベルギーには多くの日本企業もあるが、22日のブリュッセル便はすべて欠航した。

 パリのテロ以来、とくにベルギー政府はその不手際を強く非難されている。
 そもそもベルギーの首都圏に、イスラム過激派が支配する無法地帯などが一朝一夕にできたはずはない。
 何十年もそれを放置していた末の結果であることは明らかだ。
 アブデスラムを見つけられなかったベルギーとフランスの警察は、相手の無能を皮肉りあったが、何のことはない、彼が隠れていたのは、その無法地帯の、両親の家からすぐのところだった。
 移民問題の根の深さがわかろうというものだ。
 ただ、そういう問題の地区はブリュッセルだけでなく、実はパリの近郊にもあるし、ケルンやデュッセルドルフ近郊にもある。

 フランスには、元植民地だったモロッコやアルジェリア系の移民が多く、ドイツのイスラム移民は、戦後の経済成長期の労働者として入ってきたトルコ人や、のちのユーゴ内乱で難民として入ってきたイスラム系の人たちが多い。
 いずれにしても、その中のごく一部の、うまく社会に溶け込めなかった人たちが、展望を失ったまま反社会的な行為に走るか、あるいは、過激なイスラム思想に心の救いを見出した。
 しかも彼らは、国境がなくなったEUを自由に動き回れる。
 シェンゲン協定は、EU国民に多大な利益をもたらしたが、同時に、過激派や犯罪組織の拡散という問題も生み出したのである。

■EUには何人のテロリストが潜在しているのか

 フランス警察は今、ベルギーに、サラ・アブデスラムの早急な引き渡しを求めている。
 パリのテロでは130人もの犠牲者を出しているのだから、フランスがアブデスラムを欲しがっているのは不思議なことではない。
 しかし、本人は、ベルギー警察に情報を提供することを交換条件に、フランスへの移送をどうにかして阻止するつもりらしい。
 そこで、共同で捜査に当たっているフランスの検事が腹を立て、アブデスラムが提供した情報を、どんどん公表してしまった。
 今度は、それに腹を立てたアブデスラムの弁護士が、守秘義務の不履行で、このフランスの検事を訴える云々。

 ところが、そんな仲たがいをしているあいだに、ブリュッセルで今回のテロが起こったわけで、今や守秘義務などどこかへ飛んでしまった。
 それどころか、EUの警察や秘密警察が、縄張り意識を捨てて、もっと情報交換をするべきだという意見が強くなっている。
 なお、アブデスラムはどう転んでも、いずれフランスに引き渡されるだろうという見方が有力だ。

 さて、そのアブデスラム。ヨーロッパ最重罪犯として指名手配されていたとはいえ、彼が組織内でどのようなポジションにいたのかは、まだ全然わかっていない。
 兄のブラヒムと違って、おそらくシリアへ行ったこともないらしい。
 検挙の際も、ジハディスト(聖戦士)の常識ではあり得ないことに、武装もしていなかった。
 ラハラウイ(Laachraoui)という24歳のテロリストが、アブデスラムとともにフランスやハンガリーなどで行動をともにしていたとして指名手配されていたが、今回のブリュッセルで自爆した2人のうちの1人が、このラハラウイだったのではないかという話もある(未確認情報)。

 今、EUの警察は、ブリュッセルから逃走したことがわかっている1人のテロリストの行方を必死で追っている。
 だが、いったいEUには、あとどれだけ、このようなテロを引き起こす能力のあるテロリストが潜在しているのか?
 130人もの犠牲者を出しているフランス人は、アブデスラムがフランスに引き渡されれば、容赦なく供述を引き出そうとするだろう。
 そうなれば、EU内のイスラム過激派の様相も少しずつ見えてくるのかもしれない。



WEDGE Infinity 日本をもっと、考える 2016年03月24日(Thu)  BBC News
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6431

中東は今や欧州の裏庭だ

【ジョナサン・マーカス防衛・外交担当編集委員】
 私たちは政策を国内と国外とに分けて、二元的に考えがちだ。
 しかしブリュッセルの悲劇があらためて示すように、国内と国外はそうそう簡単に分けられるものではない。
 むしろ根本的な意味で言えば、バラバラになりつつある中東の問題は、たちまち欧州の問題にもなりつつある。

 テロだろうが、押し寄せる移民の波だろうが、リビアの未来やイランの核政策だろうが、トルコとの厄介な関係性だろうが、広い中東圏は今や日常的に欧州の意識に入り込んでくる。
 ある意味でこれは、長らく普通のことだった歴史の状態に回帰しているのだともいる。
 植民地時代を思い返すといい。
 フランス、イタリア、イギリスは中東において膨大な地域を支配していた。

 第1次世界大戦が終わりオスマントルコ帝国が崩壊すると、その支配下にあった地域も英仏両政府が管理するところとなり、シリアとパレスチナに英仏の委任統治領が作られた。
 それどころか、いま激しく脅かされている中東地域の地図の大部分は、第1次世界大戦後に欧州列強が区画したものだ。

 欧州の玄関口がテロの脅威に揺さぶられたことは過去にもある。
 1950年代後半にはアルジェリア独立戦争の中で、フランスの標的がテロ攻撃を受けた。
 そしてそれから一世代めぐった1990年代にも、アルジェリア過激派はフランスを攻撃した。
 自分たちの戦いに世間の注目を集めるため。そしてかつての宗主国の抑圧に復讐するため。

■縮みゆく世界
 しかしいま起きていることは、これまでとは根本的に異なるように見える。
 ある意味で、今の中東危機は以前より厳しいものだ。
 地理的条件はたとえ不変でも、中東から欧州までの距離は実際かなり短くなった。

 そして様々な形のグローバリゼーションによって、大勢の目に欧州経済圏はより魅力的に映るようになり、アラブ圏はその欠陥・欠落が浮き彫りになった。
 文化のグローバル化によって、地理上の距離は前ほど国際情勢にとって大事な要素ではなくなった。
 欧州各国の政府は、まずは安全保障上の危機に対応しようと四苦八苦している。
 いわゆる「イスラム国」に参加しようと、欧州から中東へ向かった大勢のことを思い起こすといい。

 理由はなんであれ、こうして移動して聖戦主義者になった市民を人口当たり最も多く輩出したのはベルギーだ。
 と同時に、たとえばフランスに昔から基盤を築いている北アフリカの移民社会を思い、フランスの都市郊外を覆う悪名高い無秩序を思うといい。

 アイデンティティーの問題、人種差別、現地社会に溶け込めない断絶などが要因となり、聖戦主義のメッセージに感化されやすいマイノリティが、こうした移民コミュニティーの中に相当数生まれてしまうのかもしれない。
 社会にしっかりした基盤のない若者の過激化では、刑務所が一因となっているのは証明済みだ。
 これはどう考えるべきか。

 あらためてベルギーにおいては、孤立と軽犯罪と過激化の関連は明白だ。
 これに加えて、中東の危機による広範な影響にどう対処すべきかという問題もある。
 ある次元ではこれは安全保障と外交の問題だ。
 欧米は介入すべきか。
 すべきだというなら、どのように。
 何を目的として。

 リビアのムアンマル・カダフィ大佐とシリアのバシャル・アサド大統領。
 この2人の指導者について、判断は異なった。
 1人は失脚させられ、もう1人は政権の座に残っている。
 そして2人に対する異なる決断が、現在の状況を左右している。

 欧州はどういう価値観を抱くのか、欧州連合諸国は全体としてどういう社会を作ろうとしているのか、難民危機はかつてなく深刻な質問を投げかけてくる。
 ことの発端は海外にある諸問題が、今では欧州各国の国内政治にも大きな影響を及ぼしているのだ。
 スカンジナビア諸国では大衆主義政党が台頭し、フランスでは国民戦線が支持を拡大している。ドイツでも最近の地方選で極右が躍進した。

■確かなことは何もない
 正直なことを言えば、これはまさに地獄のような問題だ。
 冷戦時代の政策決定には確かな拠り所があった。
 冷戦終結においては、その確かな拠り所が勝利したかのように思えた。
 しかしそれは過ぎた話だ。
 あの時、歴史は終わらなかった。
 むしろ歴史の揺り戻しが欧州人の尻にかみついた。

 欧州各国の政府が今や直面する諸問題は、ルービック・キューブのごとしだ。
 立方体をどれだけひねり回そうとも、外交と安全保障と移民と内政とその他もろもろがきれいに揃って整うことなど、決してありえない。
 独自に動く要素が多すぎる。

 そして簡単な答えはひとつもない。
 欧州の人間は、安全でいたいことは分かっている。
 しかしこれを具体的にどうやって実現したらいいのか、分かっていない。
 プライバシーと治安のバランスはどうすべきなのか。
 欧州諸国の社会構成が変化している以上、表現の自由に関する伝統的な考え方も変更するべきなのか。

 海外での軍事介入は事態を悪化させるのか。
 それとも介入せずに座視すれば、安全を求めて欧州域内へ目指す難民の大量移動を招くだけなのか。
 欧州連合の国々は、甚大な危機に直面している。

 中東は、地中海を越えてすぐそこだ。
 その中東は今や、記憶もおぼろな植民地時代にまつわる異国の国々
……では済まされない。

 欧州にとって中東は今や、「近くの外」と呼ぶべきところなのかもしれない。

(英語記事 The Middle East is now Europe's backyard)
提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35889000





【2016 異態の国家:明日への展望】


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